かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

神秘のウズベキスタンその38 タシケント③ チョルスーバザール

2024年10月22日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、ゴルフ。
コンディションもよく、スコアもまずまず。
相変わらず、凡ミスもあるが。
終了後、関西に移動中。



タシケントでは1966年に大地震が発生し、壊滅的な被害を受けたがその時に助け合った様子を表す像。



中央アジア最大の規模を誇るチョルスーバザール。
4つの道が交わる場所にあるバザールの意味だそうだ。
100年以上の歴史を持つ。



入り口付近にあった、赤ちゃんグッズのコーナー。
赤ちゃんが生まれると、ここでゆりかごなど一式を贈るのが習わしらしい。



いろいろ見たことがないグッズが並ぶが、おむつを使わず、ゆりかごの下の穴から排泄させる時に使う道具らしい。
そんなにうまくいくのだろうか。



こちらは果物コーナー。
野菜、果物は、どこでも本当に美味しかった。



たまご。
貴重なたんぱく源。



米にもいろんな種類があるのか。



氷砂糖は、熱中症などの時の薬代わりに使われるらしい。



みずみずしい果物が並ぶ。



パスタ、香辛料等。



結局手は出さなかったが、庶民の市場を楽しめた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘のウズベキスタンその37 タシケント② プロフセンター

2024年10月21日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日も家事に従事。
永遠に続く?
今は、大リーグ観戦。
毎試合放送してくれるので、ありがたい。



次に訪れたのが、プロフセンター。
大量にプロフを作っている。
庶民の食べ物でもあるが、ここは、観光スポットにもなっている。



近くにそびえる、タシケント・タワー。
1985年建造というから、旧ソ連時代に、建てられたことになる。



入り口近くには、ナン焼き。
奥で料金を払うと、チケットがもらえて、ここで、チケットと引き換えにナンを受け取る仕組み。
夜に帰国予定だったので、一つゲットした。
タシケントのナンは、ウズベキスタン1というが、黒ゴマが散りばめられているのが特徴。
それにしても、もう少し、楽に焼く方法はないのだろうか。
重労働過ぎる。



プロフの具を作っているところ。
羊肉が中心。



こちらは、盛り付けコーナー。
奥のレストランで、配膳される。



一番ダイナミックなお米を炒めるところ。
タシケントは、オリーブ油だが、サマルカンドは、綿花油、ブハラは、ひまわり油を使うそうだ。
具も地域によって、微妙に違う。
油が、底に溜まっており、中華のさらっと炒めるチャーハンとは、かなり趣が違う。
ピラフの原型と言われているが、紀元前300年代のアレクサンダー大王時代からあったというから、その歴史は古い。
1日千食以上作るということで、庶民の貴重なメニューになっている。



レストランの入り口。
記念撮影スポット。



レストラン内。
予約不可だそうで、ツアーには使いにくいようだが、広々していて、シンガポールのフードコートのイメージ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘のウズベキスタンその36 タシケント① 日本人墓地

2024年10月20日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、ゴルフ。
午前中荒天。
午後は、回復したが、風がずっと強く、力尽きた?



タシケントで、最初に訪れたのが、日本人墓地。
普通の墓地の中に、日本人墓地があった。
これは、そのヤッカサライ墓地の入り口。



お墓を作ってくれた方のお孫さんが、お墓を管理しており、綺麗に整備されている。
ありがたいことだ。
安部首相も訪れたそうだ。



墓碑。



タシケントでなくなった日本人捕虜は、79名。
シベリア抑留では、過酷な環境下多くの日本人捕虜が亡くなったが、ウズベキスタンまで送られた捕虜は、比較的暖かく迎えられ(スターリンに隠れて)、死亡者も少なかったという。
この話は、美談として、教科書にも載っていたそうだが、プーチン時代になって、削除された。



この方が、日本人墓地を作ってくれた方。
ガイドさんが、ウズベキスタンでの日本人捕虜の歴史を調査されていて、その調査資料を回覧してくれた。



少額だが、寄付もさせていただいた。



亡くなられた方の名前が刻まれている。
これだけ、大切にされている国も少ないだろう。



日本とウズベキスタンの平和と友好の碑。
1995年に設置されたとある。



タシケントだけでなく、ウズベキスタン各地で亡くなられた日本人捕虜の石碑が並んでいる。



周りは、ウズベキスタン人のお墓。 
墓石に、写真のような顔を刻んであるお墓が多い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘のウズベキスタンその35 タシケントへ

2024年10月19日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、晴れから、気圧急降下。
今は、まだ蒸し暑い。
お墓参りして、その他雑用など。



翌朝は、とんでもない早起き。
列車でタシケントに移動するのだが、早朝と、午後の1日2便しかないとのこと。
日本の新幹線のいかに便利なことか。
スマートな感じの、サマルカンド駅。



ウズベキスタン鉄度の広告。



巨大なステンドグラスが、駅舎を飾る。



6時13分発。
プラットフォームが一つしかない!?



駅構内。
天井が高く、すっきりしたデザイン。



プラットフォームに出たところ。
朝日が昇る。



なかなかカッコいい列車。



停車時間が短いから、スーツケースの搬入は、ポーターにお願い。
それでもなかなかの重労働。



結構スピードを出すが、乗り心地は、よい。
軽食が出るが、途中コーヒーも注文。



タシケントに到着。
ここも猛暑だが、噴水が救い。



駅脇に、鉄道博物館があり、蒸気機関車などが並んでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HANIWA展&ハニワと土偶の近代展&ビートルズ:10のエレメンツ

2024年10月18日 | The Beatles


今日は、天気いまいちながら、文化活動3連発。
まずは、開幕したばかりのハニワ展。
挂甲の武人 国宝指定50周年を記念した展覧会だったが、すばらしかった。
有名な埴輪総出展で、中には、シアトルから里帰りした埴輪もある。

歴史的な価値もさることながら、その造形が、素朴で、かわいらしく、若い見学者も多い。
グッズに、すみっこぐらしとのコラボ商品なども。



最初に迎えてくれるのが、これ。
熊谷市の古墳から出土したもの。
北関東から出土した埴輪も目立った。



数よりも、質とバリュエーションにこだわった展示。
これは、住居の埴輪だが、子持家型埴輪と呼ばれ、唯一のでデザイン。
しかも中央の住居は、竪穴式とのこと。



目玉の一つである挂甲の武人。
今回、シアトルにあるものも含めて、5体勢ぞろい。
再建部分も多く、1体から2体の埴輪が再建されたのではないかと疑われるケースもあるとのことだが。
映画大魔神のモデルになった埴輪でもある。



5体並んだ展示室は、壮観だ。



一部色が残っている埴輪があり、再現すると、こんな感じになるそうだ。



実際、彩色された埴輪も。
杯を捧げている。
当時の風俗がわかる貴重なもの。



明治天皇の御陵に収められた埴輪の模型。
明治天皇をお守りしている。

すばらしい展示だったので、古代に興味のある方は、是非訪れてみて欲しい。



そして、国立近代美術館で開催されているハニワと土偶の近代展へ。
埴輪・土偶が、近代の社会、芸術にどう影響を与えたかを、様々な分野、方向から総合的に展示したもので、極めてユニークなものだった。
そもそも、この国立近代美術館の地からも、土器が発掘されていたところから展示は始まる。
考古か好古か。
元は、芸術とは考えられておらず、考古学の対象だったが、明治維新により、神を中心にした政治に復古する中で、土偶・埴輪は、神代の時代のもので、戦争利用されるに至った。
これは全然知らなくてびっくり。

戦後、美術として取り上げられるようになり、そこから、イサム・ノグチ、岡本太郎などの芸術家が、土偶・埴輪の影響を受けた作品を発表するようになる。
太陽の塔などもその好例だ。

アニメにもよく取り上げられ、NHKで放送されたはに丸もヒットキャラクター。



身近なところでは、大魔神。
円谷プロの傑作シリーズだ。



影響を受けたこけしも。
埴輪が発掘された群馬県の工人が作った。

この展覧会は、好みが分かれると思うが、私は、ひじょうに興味深かった。



そして、夜は、ビートルズ:10のエレメンツ。
今回は、”1990年代。『アンソロジー・シリーズ』~3人で集まってみました!”というお題。
ますます面白みが増して来た。
というのも、このような切り口で、解散後ずいぶん経ったビートルズを掘り下げる機会などほとんどなかったから。

まずは、ニック・ドレイクさんの私の試練という曲から。
これを、1990年代初頭、ポールはコンサートで取り上げたという。
これは、ジョンが政治的な歌で、平和運動を推進したが、その役割をポールが引き継いだという見方もできるという。
肩の上にジョンが乗っかってきた感じ。
そして、これがアンソロジープロジェクトの伏線になったのではないかという。

一方、ジョージは、クラプトンとの日本公演。
これは、クラプトンがジョージをステージ活動に復帰させるためお膳立てをしたと考えられているが、結局ワールドツアーにはつながらず、日本公演単発になった。
ジョージが、クラプトンのバンドにあまり気を配らず、クラプトンとの関係が悪化したのが、原因ではなかったかという。
ライブアルバムでも、クラプトンの曲は、全曲カットされている。

リンゴは、TIME TAKES TIMEで、復活。
ポールは、最小限のオーバーダブで、Off The Ground を発表。

YOKOは、広島への原爆投下50周年に、広島の空は、青いよを発表。
と言っても、式典のプログラムについていたCDのみに収録されていて、ほとんど知られていない。
セミナー会場で流されたが、YOKOらしい、音楽としては、難解?な歌だ。
お経か朗読か呻きか?
一方で、Risingでは、Good Bye My Love など、親しみやすい歌も発表している。

そして、アンソロジー・プロジェクト。
驚きを持って迎えられたが、1980年代から、ニール・アスピノールとジョージが、計画を温めていたものだという。
ポールとYOKOの仲が雪解けに向かい、実現することになった。
CD、テレビ番組(後にDVDで完全版が発表になる)、本がセット。
ビートルズ側の視点で、ビートルズの歴史を残そうというプロジェクト。

私もこの時期は、日本にいて、プロジェクトを追っかけることができた。
ビデオは、アメリカに出張した時に買った。
本は、シンガポール赴任後に出たので、シンガポールで買った。

カーニバル・オヴ・ライトというが収録されなかったのは、ジョージが却下したからではないかとのこと。
本曲は、レイブ・パーティで、流すために作られた曲で、実際流されたこともあったという。
ビートルズ時代の音源で唯一の未発表曲を言えるかもしれないとのこと。
Noe And Then も同様に、ジョージに却下されたと考えられるが、さらにリミックスされ、やっと昨年リリースされた。

ポールのフレミング・パイが発表になったのもこの時期だが、アンソロジーの発表で、リリースが遅らされたのは、Let It BeとMcCartneyとの関係を彷彿とさせる。
ジョージが主導したプロジェクトで、ポールが追随した。

イエローサブマリンのリミックス版が発表されたのもこの時期だが、Let It Be Naked、Beatles 1のようなリマスター版、Love のような作り直し盤など様々な企画が始まるのもこの時期だが、アップル社の市場調査的な目的もあったのではないか。
実際以降、同じようなプロジェクトが、他のアーティストでも試みられるようになった。

ということで、私が、再びビートルズを聞くようになった90年代の動きを見事に俯瞰してくれた。

次回は、いよいよ21世紀。
ますます楽しみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする