ハーバード白熱教室-1

NHKが深夜に再放送をしていたので、「アリストテレスは死んでいない」だけを録画して、メモをしながらマイケル・サンデル教授の講義を視聴した。すべて日本語での翻訳(吹き替え)講義ではあっても、いわば哲学の講義をしっかり理解することは難しい。書店からこの講義録(下)を買い、読み返している。

この講義の基調テーマは「正義」。「正義や権利を論じるときには、社会的実践や制度の意義、目的、つまりテロスに関する議論が避けられない」、そしてこれは「目的論なしですますのは決して簡単ではない」というアリストテレスの議論を紹介し、いくつかの具体的問題をとおして議論する。

人間はポリス(共同体と言えばいいのだろう)で生活し、政治に参加することによってのみ、われわれは人間としての本質を十分に発揮できる。共同体の外で暮らしても自己充足できない。ここで言語能力を身につけ、正義不正義を議論する。「必要な習慣を身につけるために美徳(civic virtue)を実践し、善の本質について議論すること」が政治の究極的な姿と、アリストテレスは言う。
この美徳はどうしたら身につけることができるか、といえば、お笑い、料理、楽器の演奏などと同じく本や授業から理解できるものではない。3つに共通していることはコツをつかむことだ。では必要なコツとは? 
それは与えられた個別の状況の特徴を見抜くこと、個別の状況がどのようなものか把握しなければならない。そのための規則や指針はどこにも存在しない。美徳の場合も同じで、実践し議論し合うことだ。

サンデル教授が正義と目的の関係に関する例としてあげているゴルフなども非常に面白い。アメリカのすぐれたゴルファーのケイシー・マーティンは脚に障害を抱えていて、歩くのが困難だった。そこでゴルフ大会の本部に対してゴルフカートの使用を認めて欲しいといったが、本部(PGA)は却下した。最高裁まで持ち込まれ、多数意見はカート使用を認めるということだった。しかし反対意見も多い。これについて教室で議論がなされた。
ゴルフというスポーツにとって歩くことは競技の一環であるのか、逆に歩くことはゴルフの本質ではないのか。ここで「歩く」というのが競争の目的になるのかどうか。
身体に障害のある人たちの大会もあるのだから、そういう立場で行えばいいのでは、という意見もある。ゴルフがビリヤードのように静止したボールをホールに入れるだけなのか。一流のゴルファーの気持ちからいえば、歩くことを含めて一流のスポーツとして認められるべき。ここに名誉という問題もある。

サンデル教授の、お笑い、料理、楽器の部分について、私は教育実践にあてはまる示唆を受けた。教育科学などという理論だけではカバーできないものが教師と子どもの関係にある。それを端的な表現で言えない。上の論をヒントにすることができるという感想もある。

戦争責任論なども含めて、どの例についてもサンデル教授は学生たちと議論しながら、考えていく立場である。

この文を記して、退勤時に書店で、「白熱教室」の上巻と、サンデル教授の「これから『正義』の話をしよう」を買った。「哲学」にちょっとハマッてみようか。

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