野口英世のこと(渡辺淳一著「遠き落日」の紹介)(3)

明治31(1898)年7月、23歳のとき、清作は晴れて北里研究所入りを許された。 細菌学者は、世界でも新しい分野。世界一をめざす舞台。医学の最先端。清作は試験管の持ち方から勉強。帝大も出ていない見習い助手! 清作の渡米のために、先輩の歯科医は高利貸の所に駆け込み衣類から家具一切を抵当にいれてくれた。こうして大枚300円ができた。横浜出帆の亜米利加丸で行けそうになった。明治33年(1900)12月 . . . 本文を読む
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