kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

戦争語部のテキストとして・・・近所のお爺さんの経験談  その1

2012-08-21 09:46:06 | 思い出
近所のお爺さんから自分で経験した、なまなまの戦災犠牲談をきいた。昭和20年3月9日の東京大空襲の様子であった。
彼は小学校6年生、仙台市松島湾近くに小学生として学童疎開をしていたが、卒業のため空襲の当日(3月9日)に帰宅した。以下、インターネットから概要を調べた。

その晩に、東京大空襲がった。被害. 浅草への初空襲は1944(昭和19)年12月10日のものであった。 浅草の住民は3月9日の夜を迎えた。3月に入り学校の 卒業式などの関係で小学生の中には疎開先から戻っているものもいた。 彼も卒業のため台東区菊屋橋町に帰宅した。この記事と同じ
昭和20年3月9日22時、警戒警報発令、二機のB29が東京上空に飛来したが房総沖に退去した。しかし、それは日本側を安心させるための策略だった。東京都民が安心した10日、深夜00時、最初の爆弾が投下された。二時間にもわたる地獄の様な爆撃作戦の開始である。 

B29の先発部隊は、江東区・墨田区・台東区にまたがる40k㎡の周囲に爆弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。その後、逃げ場を失った住民めがけて、約100万発もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が容赦なく投下された。

次回に続きます。

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