5.ややこ踊・女能・女曲舞が盛んになる。
女性芸能は中世では、白拍子や宗教的な資格を持つものにしか許されなかった。戦国時代を経て、宗教的な禁忌が緩み、売春性をもってきた。
ややこ踊や女能・女曲舞は宮中の酒席の余興になった。
また、京都以外の近畿・中国・北陸から踊りを見せるために京に上ってきた。
歌舞伎の始祖・出雲の「お国」の登場。
6.1600年、7月1日、京都の近衛屋敷で、ややこ踊りをした。一人が「国」、もう一人が「菊」という女。男女の恋の想いを語る小歌につれて踊った。お国は14歳位であった。
後陽成天皇より、「天下一対馬守」の称号を受けた・
· 1603年ごろ,出雲大社 の巫女(みこ)お国と称する女が京都で演じた芸能をいう。男装の女による群舞・寸劇など ,当時世間を横行していたかぶき者(体制からはずれた異端者たち)の風俗を ...
7. 1604年、北野天満宮の境内・で右近の馬場近くにおいて、「歌舞伎踊り」が始まった。 湯上りの女(茶屋遊びを取り入れる)を、能舞台で笛・小鼓・大鼓・太鼓を用い、リアルの男女が男装・女装のなって行った。