小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

石川啄木殺人事件 ⑤

2005-02-04 21:30:39 | 小説
日下ミステリーはしかし、ここでエンターティメントとしての限界をみせざるをえなくなる。実は、香山定子の死後も、植木貞子は啄木日記に登場するのである。植木貞子は啄木よりはるかに長生きをしているのだ。昭和(昭和ですぞ)11年、ある啄木研究家が大連の料亭で働いていた植木貞子その人と会っている。彼女は啄木との交情を洗いざらいしゃべり、子供の教科書に載っている啄木のことを知って、身のすくむような思いがしたと語っているのだ。
   
  何か一つ大いなる悪事しておいて知らぬ顔していたき気分かな

 啄木にこんな歌がある。〈大いなる悪事〉はしょせん願望でしかない。啄木が殺した女などいなかったのだ。しいて啄木が殺した女をあげれば、啄木と同じ肺結核という死因で、啄木没後の翌年に彼の後を追うように死んだ節子夫人ということになるだろう。啄木が感染させたのだ。啄木の才能を最後まで信じ、貧困と夫不在の日常に耐えに耐えた節子夫人。
 さて、話を啄木の結婚式すっぽかし事件にもどそう。彼はなぜ式に出ることをためらったのか。現代的にいえばマリッジブルーである。啄木には、とりわけこの頃の啄木には現実逃避的な心情が色濃い。彼はその資質からも、よき家庭人にはなりにくいところがあった。現実逃避の向こう側に彼の文学があり、さらに性的な耽溺癖があった。
「僕の最も深い弱みを見せようか。結婚したってことよ!」と啄木は友人に語ったことがある。

  人みなが家を持つてふかなしみよ墓に入るごとくかへりて眠る

 啄木は家庭に束縛されることを嫌い、家庭を持った自分自身を嫌悪するような、こんな歌もよんだ。そうかと思えば、あの有名な歌がある。

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