小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

本能寺の変と光秀 《遺恨もだしがたく候》 その3

2005-03-23 17:15:18 | 小説
 信長は弓の弦が切れたとき、弓を打ち捨て「槍を持て」と叫んだ。しかし、側仕えの者たちもみな戦っていて、それどころではない。そのとき、「おやかたさま」と声をかけた女がいた。信長のもとに駆け寄り、ひざまずいた。
 辻が花の帷子に、はなだ色の玉だすきをかけ、頭には二重の鉢巻、小脇に長刀(なぎなた)をかかえもった女。女ながら信長を死守しようとの覚悟をみなぎらせている。
 信長は言う。
「そなたは早く逃げよ。女づれであったといわれてはふがいない。さ、早う行け」
 しかし、女はきかない。
 寄り来る兵士に向かって果敢に長刀をふるった。
「われはおのうなり。お相手いたせ」
 これを聞いて、敵勢の兵士たちは、女を濃姫だと思った。
 しかし、このとき戦死した女は濃姫よりもはるかに若い女性だった。江戸中期の史料に登場するこの「おのう」は「お能」となっていた。
 濃姫──、美濃から来た嫁の意味で、濃姫と呼ばれた信長の正室の本名は帰蝶という美しい名だ。
 彼女は本能寺にいなかった。信長の死後、30年も生きた。京都大徳寺の子院総見院の墓所で、濃姫の墓が発見されている。過去帳によれば1612年の7月に78才で死んでいる。
 ところでルイス・フロイスの『日本史』によれば、信長の最期の様子は『信長公記』とはまるで違うが、気になる箇所がある。信長が「鎌のような形をした長槍である長刀」つまり、なぎなたで闘ったとしているのだ。それは信長を守ろうとした女の武器ではなかったのか。信長の傍らにはたぶん武術にすぐれた愛妾がいたのである。彼女はもしかしたら、わざと「おのうなり」と名のったのかも知れない。

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