龍馬亡きあと、おりょうは一時期土佐の東郊、和食(わじき)という村に身を寄せていた。妹のおきみの嫁ぎ先であった。土佐湾を一望する海に面した集落で、琴が浜という長い浜辺がある。そこにおりょう姉妹の銅像があることは知っていたが、私は行った事がなかった。で、昨年秋、現地を訪ねた。小説では琴が浜を想像で描写していたが、実際と齟齬はなかったので、内心ほっとしたあたりで、にわかに腹痛がし始めた。冷や汗を流しながら携帯電話のカメラで銅像を撮ったけれども、苦痛はいやまし、幹線道路に出てやっとタクシーに乗ったものの、運転手が医者に行きましょうかとたずねてくれたような状態になった。食中毒だった。死ぬかと思ったが、妙な事を思い出していた。若い頃に会った『足摺岬』の作者田宮虎彦の言葉だ。「僕は足摺岬には小説を書いた後、初めて行った」ああ、俺もあんな台詞をフアンにいえるようになるまで死ねないな。腸ねん転のような鋭い痛みで朦朧としながら、死ねない、まだ死なないとつぶやいていたのである。
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