小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

哀しきテロリスト -8-

2005-08-30 23:39:59 | 小説
室田義文は伊藤が狙撃されたとき、いちはやく彼の体を支えることのできる距離にいた。アン・ジュングンは伊藤博文の素顔を知らなかったので、むしろこのとき62才だった室田を伊藤と間違えたふしがある。わずか10歩の距離で自分に銃口をむけたアン・ジュングンを室田はしっかりと目撃し、小さい男だなととっさの印象を抱いているのである。
 伊藤が倒れた後、彼を抱き起こすようにして、息のある間はずっと手を握っていた。だから、駆けつけた医師が伊藤の服を脱がして銃創を調べた際も、当然間近で医師とともにその創口を見たのであった。
『室田義文翁譚』という書物の原文を当たったわけではなく、孫引きになるけれど、室田の重要な回想を、以下に引用する。
「安重根といふ犯人に擬された男は、あの儀杖兵の間からピストルを突き出してゐた小さな朝鮮人のことだらうか、と言ふことであった。若しさうだとすると、重大なる疑点が生じてくる。と言ふのは、伊藤がうけた右肩から斜下への傷である。
(略)
『犯人は安重根ではない。』
(略)
 それを裏づけるものは、伊藤がうけた弾痕である。それは決して安重根の持ってゐたピストルの弾丸ではなく、仏蘭西の騎馬銃の弾丸であった。」
 おかしなことに、伊藤に命中した3発の弾丸は彼の体内から取り出された形跡がない。というより、体を傷つけないために摘出しなかったなどという医師の発言がある。そんなことがあるだろうか。摘出されたからこそ、室田は仏蘭西の騎馬銃の弾だと断言できたのではないのか。
 アン・ジュングンは室田を伊藤と誤認して銃を発射、それがことごとく伊藤に命中したというのは不自然である。だいいち室田が被弾していないのはなぜだ。アン・ジュングンは言われているほど拳銃の名手であったのだろうか。 

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