小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

西郷隆盛〈隠された素顔〉2

2005-04-09 19:43:41 | 小説
 西郷と月照(清水寺の勤皇僧)の入水事件は有名な美談である。安政の大獄が始まった1858年11月15日の夜のことであった。このとき西郷32才。幕府の弾圧から月照を守りきれないと悟った彼は、月照に「共に死のう」と言い、錦江湾の海中に心中を図ったのだった。ところがこれが無理心中らしきおもむきもある。
「月照が船のトモに出て、小便をしているところを後ろから抱きこんで飛び込んだら、月照のみは死し、自分が生き残った」などという西郷の言葉を紹介した史料(『南州翁逸話』)があるのだ。もしこれが事実ならば、明治7年に月照の墓前に捧げた西郷の次の詩は、ひどくそらぞらしいものになる。
  相約して淵に投ず後先なし
  あに図らんや波上再生の縁
  頭を回らせば十有余年の夢
  空しく幽明を隔てて墓前に哭す
「相約して」などと、まるでアリバイ作りのような詩になるではないか。しかも、無理心中どころではない、重荷になった月照を西郷が謀殺したという説は、ある種、説得的である。月照は凍え死んだとされるけれど、旧暦11月15日の錦江湾の水温は平均17度で凍死はありえないらしい。錦江湾の水温調査までして月照の死に疑念を抱いているのは鹿児島の片桐吾庵堂という人だ。すごい人もいるものだが、西郷と月照の入水にはどこか割り切れない点が残るから、謀殺説も生じるのである。
 11月15日は満月の日である。西郷の救出は月明かりが幸いしているが、彼はもしかしたらそこまで計算して入水したかもしれない。
 いずれにせよ、武士の自死といえば刀によるほうが似合うだろう。入水というのは薩摩武士らしくないのである。
(左方郁子氏の論文『西郷隆盛をめぐる群像』所収を参考)
 

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