じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

政治生命をかけた冒険

2017-07-28 19:25:30 | Weblog
☆ ジャーナリストの田原総一朗さんは安倍総理に「政治生命をかけた冒険」を提案したという。

☆ こういうのは気になる。

☆ 「冒険」というくらいだから、リスクは高いが起死回生をかけた策なんだろうねぇ。

☆ 外交か経済か。

☆ 外交だとすると、ロシアと平和条約を締結し北方領土を返還してもらう、訪朝し拉致被害者を連れ帰る。どちらも相手のある話だし、短時間では難しかろう。

☆ 米軍と組んで、某国を先制攻撃なんてことはないよね。中国、ロシアとの関係をどうする。


☆ 経済だとすると、消費税増税の再延期、東アジア自由経済圏の構築。増税をすれば人気が下がるが、増税しないからと言って人気は上がらない。

☆ 他の内政だとすると、皇室、靖国関係か。獣医学科新設を白紙に戻すぐらいでは、冒険とは言えないし。

☆ クーデターによって憲法停止なんてことは、時代錯誤だろうし、ないだろう。

☆ 女房役の菅官房長官をはずすか。最近は受けに回る場面が多くなったようだ。官邸が菅廷になって、役人の不満が積もっているのでは。

☆ 安定を求めるなら、岸田外相を後任指名するか。

☆ 小泉進次郎氏に内閣総理大臣を禅譲し、自らはその後見人になるというのはどうか。

☆ 小泉氏の人気はダントツだ。安倍氏が本気で憲法改正を目指すなら、こういう奇策もあるかも。クーデターレベルの冒険だが。

☆ 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるからね。

☆ ただそうなると、護憲派は困るなぁ・・・。ポスト安倍を狙う石破氏、岸田氏はどう出る?
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ポイエーシス

2017-07-28 01:06:14 | Weblog
☆ 100分de名著「レヴィストロース」第4回。そこで、プラクシス(実践)とポイエーシス(創造)が紹介されていた。

☆ プラクシスというのは、ある目的のために事物を利用すること。ポイエーシスというのは、事物の本質を外に引き出すこと。

☆ それを聞いて、教育のことを考えた。

☆ 「教育」というのは、もともと「孟子」が出典だそうだが、明治期にeducationの訳語として使われるようになった。

☆ 西洋の教育はキリスト教を基盤としている。それは原罪を背負った人間をいかに人間らしくするかを課題としている。時にはムチを使ってまで、知識を詰め込み、徳性の涵養を目指した。先の言葉で言うとプラクシスだ。

☆ 近世になり「子どもの発見」が主張され(それまでは子どもは小さな大人と考えられていた)、educationは、子どもの可能性を引き出すことであるという考え方が広まってきた。ポイエーシス的な考え方だと思う。

☆ しかし、理念的にそう考えられても、実際は近代公教育制度の成立とともに国家に有用な人材の育成に重点が置かれるようになった。

☆ 21世紀に入り、日本社会は成熟した。価値観が多様化し、教育の目的が富国強兵から、一人一人の人格の完成、幸福の実現に移ってきた。人間を「型」にはめて育てることに限界が見え、中途半端ながらポイエーシスが求められるようになってきたように思う。

☆ こうした点は仏教に先見の明がある。仏教では一人一人の人間の命の中に仏性というものを認める。「無作の三身」(ありのままの仏の境涯)を認める。縁に触れることによって、それらが顕現すると考える。教育、例えば教師の働けかけはその縁にあたる。教師に限らず、人に限らず、一人の人間の周りのあらゆるものが縁となり、仏性を引き出す契機となる。

☆ 「教育」というのは、よくできた言葉だ。教えること、育てることの両方を含んでいる。教えるの語源は「をしむ(愛しむ)」だという。育てるの語源は「そいたつ(副立つ・添い立つ)」だという。子どもを大切にし、その成長を支えるといったことだろうか。

☆ それがいつからか、規格品の製造に変わった。学校はその規格品をつくる工場ということか。

☆ 茶碗、一つ一つに個性があり、風情がある。それが価値を持つ。私たちは工場で大量生産される茶碗に慣れてしまっているが、一つ一つの茶碗を味わうゆとりをもちたいものだと思った。

☆ 教育について考えさせられた。
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