じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

公教育ビジネス

2007-07-25 12:55:02 | 教育
★ 教育ビジネスと言うのは塾・予備校やおけいこ事など決して目新しいものではない。ただ最近は公教育に属する私立学校(幼稚園から大学まで)がビジネス化してきた。(そして公立学校も追随している)

★ 少子化の中、「公教育」の上に安穏とあぐらをかいている訳にはいかない。競争が激化し食うか食われるかの戦国乱世を迎えている。

★ 一般企業同様にコンサルタントが経営に参与し、いかに安定した経営基盤を確立するか、いかに生徒を集めるかに躍起になっている。

★ 競争によって教育の質を高めてもらうのは大いに結構だが、それには多大な時間と労力がかかる。今は短期的に結果を出さなければ受け入れられない時代になっている。そういった環境は教育という営みにはなかなか厳しい。

★ 今話題の「水増し合格」もこうした背景から生まれたものだろう。

★ ところで、「水増し合格」によって誰が損をするのだろうか。生徒はセンター試験の結果を活用するわけだから物理的な負担は少ない。受験料は高校が負担してくれるし、「報酬」まがいの奨励金までくれる。受験勉強に秀でているということは実に得なことである。

★ 高校はといえば、受験料や奨励金などの負担はあるが、これにより実績が稼げるのであるから広告宣伝費と考えれば安い支出であろう。

★ 大学はと言えば、多くの受験生がいれば受験料収入があがるし、受験者の数の多さはブランド校の証として宣伝にもなる。

★ 誰が考えたか知らないが、三者ともに得をする実に妙手だ。ビジネス界なら願ったり叶ったり、持ちつ持たれつのトライアングルだろう。

★ だが、公教育でこうした馴れ合いを認めるべきか、「公教育」もまたビジネスとして割り切るべきか、私のような「古い」人間はいささか抵抗を感じてしまう。

★ なんでもありなら、学位や卒業資格がカネで買える時代も遠い将来ではない。(今日も似たようなものかもしれないが)

★ 象牙の塔にこもって社会と隔絶した大学のあり方や「全人教育」といった理念ばかりを追い求める高校のあり方は今や時代遅れになりつつあるが、業績(行き着くところ収益・カネ)を求めてチミモウリョウの如く駆けずり回る学校経営者の姿には割り切れないものを感じる。

★ かといって戦わなければ淘汰される。学校経営者に同情の余地はある。資本主義の経済原理の中で「公教育」を考えれば、利潤を追い求めるのは当然の帰結か。国や地方の財政が逼迫する中で、公的な助成も当てにはできない。教育の充実に「教育税」を提言する人もいるが、更なる税負担は耐えられない。

★ 今、本当に公教育のあり方が問われていると思う。
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合格実績

2007-07-22 12:10:33 | 教育
★ 大阪学芸高校に続き、兵庫県の私立仁川学院でも水増し合格が発覚した。

★ 「水増し」と言っても、実際に合格していないものを合格に計上したわけではなく、また「のべ」で実績を表示することは他校でも見られることである。その点、同情の余地はあるが、ただ極めて作為的に、受験生や社会にあたかも自らの学校が優秀であるかのような虚像を抱かせた道義的な責任は免れない。

★ 一種の誇大広告あるいは紛らわしい広告にあたるのだろうか。

★ 合格しても入学する意思がないのに一部の優秀な生徒に合格実績を稼いでもらう。こんなVIP生徒に頼らざるをえないところに私立学校の悲哀を感じるなぁ。私立学校も塾・予備校同様にブランド校への合格可能性の高い生徒の争奪戦に走るようになっている。

★ 合格実績が学校のブランド力の尺度となり、生徒集めの大きな武器となっている現実、この現実をどう考えればよいのだろうか。特色ある学校づくりや学校の個性化といっても結局は大学進学実績以上にアピールするものはないのか。

★ とりわけ、上に大学をもたない高校の焦りは相当なもののようだ。少子化の中で、私立学校が多すぎるのかもしれない。自然淘汰もやむなしか。とすれば、合格者水増しは淘汰される学校のあがきの象徴か。

★ 生徒を自らのメシのタネにしているところが、公教育を担う教育機関としてはひっかかるなぁ。

★ こんなことが横行すれば、逆に優秀な生徒はかなり高く自分を売り込むことができるねぇ。「受験屋」なんて稼業ができるかもしれない。

★ 各都道府県には私立学校の連合体があるから、是非合格実績の表示についてルール作りをしてほしいものだ。文部科学省も適切な指導をして欲しいものだ。

★ 学校側が正しい情報を公開すること。消費者がそのデータをしっかり読み取ること。これは最低限度必要だ。

★ 今や私立学校(これからは公立学校も含めて)は私企業のようなものだから、今さら「教育」を説いても始まらないだろう。「建学の理念」ではメシは食えないと言われるのがオチだ。

★ こんな状態が良いとは思えないが、学校淘汰・再編のための過渡期の混乱であって欲しいものだ。
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水増し合格

2007-07-21 10:39:25 | 教育
★ 私立大阪学芸高校の水増し合格が話題になっている。

★ 少子化の中で、高校が塾・予備校化していることを浮き彫りにした。それにしても1人で73人分の合格とはある意味スゴイ。この報道は未履修問題や高校球児をめぐる奨学金問題と同じように、これから波紋を呼びそうだ。

★ 少子化の中、私立学校は生き残りをかけ熾烈な戦いを繰り広げている。高校は同じく激しい生存競争をしている大学との連携、系列化を進めている。中堅・底辺校では進学実績を上げることによって「成り上がり」をめざしている。

★ 「ドラゴン桜」戦術だ。

★ 一方で、公立が進学実績を上げるべく競争に参入してきた。私立対私立そして公立対私立、公立対公立。設置形態の垣根を越えて、競争が激化している。

★ とりわけ私立学校は生徒を確保してこそ発展もある。京都府でもかなりの私立高校が定員割れしている。公立への回帰が起こっている。ジリ貧になれば合格レベルが下がる。問題を起こしそうな生徒も受け入れざるをえない。それが悪い評判を呼ぶと更に受験生離れが進む。このような悪循環が繰り返される。

★ 大学側にも問題がある。昔なら1人で73もの合格は不可能だった。試験日が重なることもあるし受験者の負担を考えればタフな受験生でもせいぜいが1ケタの合格だろう。ところがセンター試験の結果だけで合否が出るのだから、少数ながら優秀な生徒を抱える高校には願ったりの状況だ。

★ 背景としては、センター試験の私立学校への拡大があげられるが、授業料返還訴訟の結果、私立大学が受験料を大きな収入源としている実態がある。受験機会を複数化、細分化することにより、1人の生徒が何度も受験できるようになった。当然受験料収入が増える。

★ 今回の出来事は、私立大学、私立高校の互助会的な雰囲気の中で起こったことではないか。それにしても今回の学校側の水増しはあまりにも露骨である。

★ スポーツ選手同様、授業料を免除(全額・一部)したり奨学金を給付して優秀な(大学合格実績を稼げそうな)生徒を集めている私立高校は多いように思う。今回の出来事までは至らなくても、実績稼ぎのために生徒が利用されることもあるようだ。

★ 最近、近隣の高校では国公立への進学を強引に進めている。高い目標に向かって学習に励むことは良いことだが、校長の評判や学校の実績稼ぎに生徒が利用されていると思うと複雑なものがある。

★ どこもここも生存競争。「勝ち組」がいれば「負け組」もいる。パイが小さくなって世知辛くなってきた。市場原理によって質を高めるのは結構だが、詐欺まがいの情報はいただけない。実績を強調されるのは結構だが、ルール作りが必要だろう。短期的な隆盛はあってもバケの皮がはがれれば、一気に没落する。

★ 教育には長期的な視点が必要だ。見かけだけの実績、浅ましい競争に代わる原理を見つけたいものだ。

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豆腐の上の原発

2007-07-19 13:14:52 | Weblog
★ 砂上の楼閣とはよく言うが、昨夜の報道ステーションを見ていると福島社民党党首が柏崎の原発のことを「豆腐の上の原発」と言っていた。

★ 確かに地球規模の視点から言えばそうなのかも知れない。私たちは非常に危険なことをしているのにそれに気づかない、鈍感になっているだけかも知れないと思った。

★ しかし私は原発の是非について迷っている。原発の危険性(同時に安全性)は言われて久しいが、短期的な視点に立てば今日の日本で電力発電の3分の1を占める原子力発電を止めることはできるのだろうか。

★ 環境問題を考えれば、水力発電や火力発電には期待できない。太陽光(熱)や風力などの新しい発電は日本の電力需要を支えるには程遠い。火力にしても化石燃料が枯渇した後はどうするのか。

★ エネルギー問題は実は大きな問題なのだ。

★ 今の私達の生活はすっかり電気に頼っている。輸送、通信、家電、ガスや水道と言ったインフラも電気がなくては成り立たない。電気が供給されなければ一夜にして、原始時代とまではいかなくても、江戸時代まで逆行する。近代的な生活に慣れ親しんだ私達にはそうした中で生きることはきわめて難しいし、経済活動がズタズタになる。

★ 産業革命以上のショックを受けることになるだろう。

★ そう考えると原子力は手放せない。新しい科学技術に臆病になってばかりはいられない。一方で原発を廃止すると決意しなければ、いつまでも「豆腐の上の原発」が残ることになる。人間の命をかけたこの綱渡りを続けるかどうかも、決断のいるところだ。

★ スリーマイルやチェルノブイリを見ても原発事故は起こりうることである。もし原発直下で地震が起こったら、これは極めて現実的な想定なのである。

★ 3割の原子力発電分の電力を何かで代替するか、私達がライフスタイルを変えることによって3割の電力を削減できればよいのだが。電気代が高騰し、ここでも格差が生まれても困るしなぁ。



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教育の豊かさが失われている

2007-07-18 12:46:14 | 教育
★ 連日、夏休み前の個別懇談会を行っている。子どもたちの実態は統計的な数字として全体として見がちだが、ひとり一人の生徒はそれぞれの課題を背負いつつ生きているのだということを実感させられる。

★ 最近の「学力」至上主義、学校間の学力や進路実績を競う姿を見ていると、教育という営みの豊かさが失われつつあるように思う。

★ 社会が豊かになり、行政のあり方が移り変わってきた中で、教育もかつての国策からサービスへと移行してきたように思う。

★ 教育、とりわけ公教育の目的は社会を形成する人材の育成、具体的には新たな労働力の形成が主な目的であったと思う。一方で、人間は幸福を追求する権利をもっているから生涯にわたり豊かな生活を送るための基礎力の養成を組織的に行うといった役割も公教育は担っている。社会的要請と個々のニーズ、それらを基盤に公教育は成り立っていたと思う。

★ 新しい学力観や「ゆとり」教育といったものは、こうした社会の変化の中で、公教育のあり方を問うた1つの革命的な出来事だったと思う。そうした改革が、十分な成果を残せず学力主義に、それも競争原理を導入する事によって、より単線的な形に回帰してしまうのは残念な事である。

★ もちろん改革を実行する上での条件整備が不十分であった事は事実であろう。学校という組織がそうした改革にふさわしい組織であったのか、教員の意識改革はどうだったか、教育行政のあり方はどうか、社会の受け入れ体制はどうであったか、多くの課題が浮き彫りにされている。

★ 悪しき平等主義は払拭しなければならない。「日本国民」は能力に応じて教育を受ける権利を有するのであるから、それを字面どおり実行して欲しいものだ。

★ しかし、足立区の学校ぐるみの不正が暴露したように、「学力」テストの平均点のランキングを競うことの愚かさを私たちは自覚しなければならない。

★ 「学力」を競うのも結構だが、その過熱と裏腹に公教育は何かを失っているように思えてならない。芸術に親しむこと、自然に親しむこと、人に優しくすることなど人間が生きていく上で数字に表されないたくさんの価値が存在している。

★ 学校にとって「学力」が優秀でない生徒は不要なもの、邪魔なものでよいのか。生徒ひとり一人の抱える悩み課題を共に考え、解決していくことは、学校の役割、教員の仕事ではないのか。

★ 昨今、学校では受け入れてもらえないこうした生徒ひとり一人の悩みを塾に相談される父母や子どもが増えてきた。学校と塾が役割を交換したのかと思えるほどの不思議な事態だ。

★ 公教育の豊かさを失わないで欲しいものだ。 
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政教分離

2007-07-13 01:00:46 | Weblog
★ NHKの「その時歴史は動いた」を見た。今夜は浄土真宗、中興の祖とでも言うべき蓮如上人を取り上げていた。

★ 一番印象に残ったのは、乱世とは言え、門徒たちが政治とかかわり領主達と争いを繰り返したところだ。

★ 政教分離というものはいつの世でも難しいもののようだ。

★ パキスタンではイスラム過激派と見られる人々に対して軍が強硬手段をとった。何が正しいのかはわからないが、このままでは混乱は収まらないだろう。

★ 宗教は「絶対」を追求するもので、それが政治と近接すると極めて危険な事態を招く。私たちは政教分離を歴史的な知恵として守り続けたいものである。
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学校の学力競争に意味はあるか。

2007-07-08 17:56:17 | 教育
★ 学力テストの結果が間もなく出される。全体像としての学力の把握はともかくとして、「学力」によって単位学校を競わせることの意味を問うニュースが報じられた。 

★ 東京・足立区立のある小学校は、区が独自に実施している学力検査で、ハンディキャップをもつ児童3名のテスト結果を学校の判断で除外して集計したという。

★ 校長は保護者への連絡を怠っただけと主張しているようだが、成績至上主義との批判を受けても仕方のない軽率な行為だ。

★ 今回は足立区の学力テストの事件であるが、全国の学力テストにおいても今後こうしたことが大いに起こりうると考えられる。数十年前の学力テストで、県同士が成績を競うあまり、成績の悪い生徒をテストの当日に欠席させたという話があった。

★ 学力テストの結果を見る場合、まず平均点という指標の合理性を考えなければならない。単位学校の平均点をランキングすることにどれほどの意味があるのだろうか。平均点至上主義、成績市場主義を通せば当然、今回のような事態を招くであろうし、何のための学力検査なのかを政治も行政も教育現場も社会一般もしっかり理解しておかなければならない。

★ 私は義務教育段階において単位学校を競わせることには疑問をもっているが、仮に学校選択の自由化を是認するとしても、父母が学校を選ぶ際の情報がいいかげんなものであるなら、これは詐欺まがいと言われても仕方なかろう。

★ また学校は経営体として非常に不完全なものである。校長は「経営者」と言えるのか。人事権を初め多くの点で校長の裁量は制限されている。長とは言うものの民間企業の地位で言えば課長か営業所長ぐらいであろう。そして民間企業の課長や営業所長の方が大きな裁量権をもっているかも知れない。

★ 教育という営み自体が競争に馴染むかどうか、学校という組織がそうした競争のために構成されたものではないことも考えなくてはならない。生徒同士が競い合うということと学校という組織が競い合うことは同一ではなかろう。また、何を競い合うのか。何のために競い合うのか。

★ 目先の業績だけを焦っては今回のような軽率な事態を招くだけだ。今回の報道を警鐘にして欲しいものだ。 
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怯える教師

2007-07-08 12:58:26 | 教育
★ 埼玉県の県立高校で50代の男性教諭が女子高生の腹を蹴って傷害容疑で逮捕されたと言う。分別のある(?)中年教諭が体罰ではなく暴行に及んだのであるから、どういう状況であるかは察しがつく。それも話のわからない生徒に逆ギレをしたというのではなく、生徒に怯えて手(足)を出したということなので驚く。いじめられっ子が、辛抱たまらず暴発してしまうのに似ている様に思う。

★ この事件で思うのは、まずコミュニケーションの断絶だ。この中年教諭は事件の女子高生達と意思を疎通する術をもっていなかったのだろう。双方に日常的に鬱積した憤懣があったのかも知れない。

★ 今回の事件ではどうかわからないが、最近の子どもは大人をなめている。社会をなめている。刹那的で快楽的で自己中心的で。その一方で、傷つきやすく、周りとの関係に敏感で、また徒党を組むとハメをはずす傾向がある。背景に親の変化があることは言うに及ばない。

★ 教師や学校は経験から子どもたちの動向の法則性を体得し、その「型」に基づいてさまざまな指導を行う。教師は「子どもが見えてきた」という表現をよく使う。経験を積み重ねることによって、子どもたちを把握しある程度思い通りに動かすことができるようになったと言うことだろう。この「型」で捉えられない子どもたちが増えているようにも思う。

★ 教師と生徒との間に信頼(あるいは反抗という形でのコミュニケションも含めて)がない、生徒が教師を無視するといった状況での指導は至難な業だと思う。子どもたちが「教え授けること」「学び習うこと」に価値を置かないのであるから、教師を教師として一目置く必要もないわけで、学校という場所ではあるが、中年教師は「キショいオヤジ」以外の何ものでもないということか。


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新資本主義

2007-07-05 23:14:38 | Weblog
★ NHKの解説番組を何気なく見ていたら、とてもわかりやすかった。

★ タイトルは「新資本主義」で、解説者は同志社大学教授の浜矩子。浜さんのことは今まで存じ上げなかったが、現場経験もあり、エコノミストとして有名な方らしい。

★ 浜さんの解説は実にわかりやすかった。「擬似資本家」「擬似経営者」の出現や労働対労働、更には労働対労働対労働が対立する社会状況。この説明なら中学生にでも現代社会が理解できそうだ。「資本主義」はマルクスが分析していた時代から大きく姿を変えているようだ。早速、アマゾンで著書を注文した。

★ 浜さんには「新・資本論」を書いてほしいなぁ。

★ 難しいことを難しく説明するのは2流の学者で、難しいことを中学生レベル、せめて高校生レベルで理解できるように解説できるのが一流の学者だと思う。浜さんの知見の奥深さを感じた。
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