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じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

モンスターペアレント

2007-05-25 12:33:00 | 教育
★ また新しい用語に出会った。「モンスターペアレント」というものだ。学校に対して不当な要求をする親のことを言うらしい。

★ 行政機関への不当要求が増えていると聞くが、学校も例外ではない。子どもへの指導をめぐって教諭や校長を脅し金銭を要求するヤクザまがいの親や運動会での日の丸掲揚をめぐって学校に圧力をかけた親の話などは聞いたことがある。

★ 学校の問題をマスコミに流すといって学校をゆするような体質もあると聞く。さすがに企業とは違って高額な要求はないようだが、反面、表面化しにくい。

★ 最近は「わが子」志向の極致とでも言おうか、自分の子どもに関し学校に過度の説明(自分が納得する回答をもらうまで説明不足と考える)を求めたり不当な要求を繰り返す親が増えているという。学校がクレームに追いまくられているという。

★ 難しいのはそうした親の訴えが正当なものなのか不当なものなのかの区別が難しいことだろう。常習のクレーマーに対しては相応の対応が必要であろうが、そもそも話のわからない人に論理的に説明しても通じるわけはなく、企業のクレーム処理の研究をしたり、クレーム処理の専門家集団をつくる必要があるかも知れない。

★ 一方、正当な訴えにもかかわらず、学校の意に沿わない親を「モンスターペアレント」とレッテリングするのは「開かれた学校」に逆行するものだろう。

★ 公教育は今や行政サービスとなっている。それを逆手に給食費の未納や学校にウサ晴らしをするような自分勝手な親が横行している。地域社会でのつながりが薄れ、親同士の人間関係も複雑だ。嫉妬や勢力争いもある。親の身勝手さがそのまま子どもに投影されることも多く、子どもが教室で身勝手を尽くすこともあるようだ。それに厳しく指導しようものならモンスターの来襲となる。

★ 教員の指導力不足が問われているが、こうした時代背景を考えれば教員に同情すべき点がある。

★ クレームの増加は消費者中心主義の副産物ともいえる。成熟社会における公教育のあり方、教育における国家や地方公共団体があり方、更には「公」と「私」のあり方など考えなくてはならないだろう。ただ、一部の身勝手な人のために「私」が制限されるの甚だ迷惑な話だ。その点は過度に「公」がでしゃばらないようにして欲しいものだ。

★ 再生会議の提言に盛り込まれていたが、「モンスターペアレント」に対し対策チームをつくることは良いことだと思う。今後の研究にも期待したい。
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教育3法案成立へ

2007-05-18 11:42:25 | 教育
★ かつては「不磨の大典」と言われた教育基本法が改正され、足早に教育改革が進められようとしている。そして教育3法案がまもなく成立する。

★ 学校教育法では「愛国心」が目標として明記され、教員に新たな職階制ができる。今回の職階制は教員の専門性を重視したスタッフ型の職能開発をめざすものではなく、上意下達のライン型の組織を構築しようとするものだ。

★ 狙いは教育の中央統制を強めるとともに、教職員組合の解体を意図したものだ。

★ 教員免許法も同じ流れをくんでいる。確かに不適格教員を排除するのは必要だが、10年ごとの免許の更新制がそのために機能するかは疑問だ。まして不適格教員は10年も猶予を与えず、即刻研修を施し、それでも教員としての資質・力量が改善されないならば時間を置かずに配置転換、退職勧奨、解雇して欲しいものだ。免許制度の改正も「お上」に歯向かう教員を排除するための方策だろう。

★ 地教行法もまた文部科学省の方針に従わない教育委員会に対して国が強権を発動する、いわば「伝家の宝刀」を認めるものだ。地方分権が推進される中、教育も地方に委ねるといった流れにあったが、これは数年で途絶えることとなる。

★ こうして見ていくと、教育界においては明治維新か、ソ連の解体にも似た大変革が推進されようとしている。

★ 美辞麗句を排して考えれば、教育の中央集権化と教員の国家管理、長年の宿敵であった教員組合を徹底的に解体しようとするものだ。まさに安倍流に言えば「戦後レジューム」からの脱却なのだろう。

★ ただ肝心なのは、教育の中身である。政治家が形の美しさの酔いしれるために教育改革があってはならない。国家百年の大計を見据えた教育改革が求められる。果たして今般の教育改革にはっきりとした国家観、教育観があるのだろうか。目先の不良教員の排除や競争をさせれば自然調和的に教育が改善されるなどといった楽観論に陥ってはいないか。

★ 「巧遅は拙速に如かず」というが、いかがなものか。そして一連の流れを考える時、文部大臣への自殺予告や高校の単位未履修問題など、あまりのタイミングのよさに意図的なものを感じるのは考えすぎだろうか。
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子捨て、親捨て

2007-05-15 15:29:41 | Weblog
★ 映画の話。ふと「楢山節考」と「誰も知らない」が思い浮かんだ。

★ どちらもカンヌ映画祭(?)で高く評価された作品だったように記憶している。「楢山節考」は姥捨ての話。貧しさの中で姥捨ての風習のある山里の村の話。幻想的な映像の中で親子の愛や貧しさ、自然の厳しさの中で歯を食いしばって生きる人間の姿が印象的だった。

★ 一方の「誰も知らない」は、母親に捨てられた子ども達が自分達だけで生活していたが、事故で妹が死んでしまう。その妹を捨てに行くという話だ。ドキュメンタリータッチでリアルな雰囲気が良かった。

★ 赤ちゃんポスト、最初に利用されたのが3歳児と言うのはなんとも皮肉な話だ。老人は施設に放置、あるいはベッド難民としてたらい回しにされ、子は赤ちゃんポストに。どちらもやむにやまれぬ事情があるのだろうが、豊かな日本で貧しさをひしひしと感じる話題だ。

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「戦後教育学の敗北」

2007-05-12 11:58:36 | 教育
★ 今日の朝日新聞朝刊に「教育学者のいない教育再生会議」という記事が載っていた。タイトルの「戦後教育学の敗北」という言葉は、その記事の中で苅谷剛彦氏の言葉として紹介されている。

★ 記事の概要は、安倍総理肝いりの「教育再生会議」に教育学者がいない現実を踏まえて、教育学とは何であるのか、戦後教育学は運動体との結びつきが強かったがゆえに、革新勢力の衰退とともにその足場を失い方向性を見失って混迷しているのではないか、というものだ。

★ 教育学を学ぶものとしては、改めて刺激を受けた。

★ もちろん教育学といってもその分野、研究方法は多様で、また学問としての教育学は比較的新しいものである。だから「教育学とはなんであるか」という問いや研究方法の模索が常に行われている。こうした作業自体は学問が新陳代謝し体系化されていく上で必要なことであろう。

★ 記事では「教育学」と「戦後教育学」が同一視して捉えられているが、これにはより厳密な吟味が必要だ。「戦後教育学」にしても戦後の「教育学」なのか、「戦後教育」の学なのかわかりにくい。

★ 教育社会学者の不満はよくわかる。調査をしようにも「結果が出ては困る調査」(例えば学校間や教師間の差が出るもの。その結果によって世論や行政、父母から批判されそうなもの。関係や障害児教育・就学指導など運動体の強い領域)には現場は協力してもらえない。今でこそ学力テストができる時代だが、文部省対日教組が激しく対立していた時代では、どちらも閉鎖的で「科学的」が科学的でありにくい状況にあった。

★ 私が学んでいる学校経営学や教育行政学は、政治や経済とより密接に関係しているだけに、より「科学的」に研究をしていくことが求められるが、それはなかなか難しい。言い訳をすれば、そもそも社会科学は自然科学のように客観的に明確な法則性を見つけることは難しく、現状を解釈するにとどまりやすい。研究者自身、その解釈で作業を終え、それを政策的に結びつけてこなかった。俗世に首を突っ込まないといった妙なアカデミズムがあったのかも知れない。教育学者に野心家が少なかったということかも知れない。

★ まして、教育社会学、学校経営学、教育哲学、教育心理学という学問分野名が示すように研究対象としてこそ「教育」を扱っているが、その方法は「社会学」「経営学」「哲学」「心理学」といった他の学問に依拠している。教育学固有の研究方法の確立には至っていないと思う。

★ 「教育」が誰にも語れる内容であることも大きい。教員の専門性、教育学者の専門性が問われる所以である。「教育観」は誰もがもち、それに理屈をつけ「教育論」まで語れる人は多い。これを「教育学」として体系だてることこそ教育学を学ぶ者が日夜奮闘している作業であると思う。

★ マルクスやガリレオのような巨頭(何でも屋さん)が現われて、すべてを体系だててくれれば楽なのだが、それは現実的ではなく共同作業を積み重ねていくしか仕方がない。

★ 記事としては、日教組などの運動体のイデオローグとして活躍した教育学者を批判しつつ、「さてどうする」と問題提起で終わっている。

★ 反論の形で掲載されている堀尾輝久氏だが筋が通っている。立場はさまざまであろうがこうした筋の通った学者が論議を沸騰させることが学問としての活性化につながると思う。もちろんそれは学問としての話であって、教育政策でこれをやっては教育再生会議と同じくまとまりのないものになってしまう。

★ 教育政策としては行政の長が決断し、立法府が連帯して責任を負い、後の世の批判に晒されるべきであろう。学問的な裏づけをどれほど重視するか、学問をどれほど利用・活用できるかは、行政の長たるものの知的レベルの問題であろう。

★ 根拠のない「親学」を提言するようでは次元は低いが。政府は「教育勅語」でも出したいんだろうねぇ。

★ 話は脱線したが、教育学を学ぶものとして、考えることの多い記事だった。
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「硫黄島からの手紙」を観て

2007-05-05 04:56:13 | 映画
★ DVDで「硫黄島からの手紙」を観た。戦争と言うものは人と人とが殺し合うものだということを改めて実感した。

★ 第二次世界大戦が終わってたかだか60年。その後も戦争は後を絶たない。人類が誕生して100万年以上が過ぎているのに人類はまだ「戦争」を回避する術を知らない。

★ 日本について言えば、早くも先の戦争の悲劇を忘れてしまったのか。「美しい国」などといったまやかしを掲げて、再び悲劇への道を歩もうとしている。先の戦争で失われた多くの人々の犠牲は何であったのか。このことを思い起こさなくてはならないのではなかろうか。

★ 国家のリーダーは戦争で犠牲となった兵士や一般人の想いを決して忘れてはならない。そして平和を維持するためにこそ一命をかけてもらいたいものだ。国民ひとり一人も奇妙な政治的ムードに流されず、道を間違ったリーダを排斥するために闘わなければならない。

★ 軍事は政治の延長だと言うが、自らは安全なところに身を置きながら戦争を決定し、戦争を遂行する国家のリーダーを私は憎む。戦争を決定する人間こそ最前線に立つべきだ。

★ 安っぽい大義のために命は捨てられない。敵も味方も一兵卒は被害者だ。本当の敵は何であるのか私たちはよくよく考えなければならないと思った。

★ 渡辺謙さんの演技はいつもながらすばらしいが、多く批評されているように二宮君が良かった。嵐は各自がそれぞれ活躍しているなぁ。

★ クイント・イーストウッド監督はすごいね。「ミリオンダラーベイビー」でも思ったけれど余韻のある終わり方が心に沁みた。
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堀川高校の奇跡

2007-05-03 22:30:26 | 教育
奇跡と呼ばれた学校―国公立大合格者30倍のひみつ

朝日新聞社出版局

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★ この手の本は、どうせ「勝ち組」の自慢話だろうと敬遠しがちだったが、読んでみると実に面白かった。そしてとても刺激された。

★ 国公立大学に現役で6人しか合格しなかった高校が、4年後には30倍の180人が合格。難関京都大学への合格者も30人前後と京都の公立高校ではダントツの実績を挙げるまでに至った。

★ 公立高校でなぜこの「堀川の奇跡」が実現できたのか。本書は奇跡を起こした(いや、本書を読むとこれが奇跡ではなく綿密に計算された当然の帰結であることがわかる)当事者である荒瀬校長が肉声で綴った記録である。

★ 堀川高校は京都市内に位置する公立高校。伝統校ではあるが取り立てて進学校ではなかった。音楽科が有名だったが、音楽科は「音楽高校」へと発展し独立した。

★ 私立高校隆盛の中、時代の中に埋没したこの学校がいかに改革されたのか、詳細は本書を読んでいただければよいが、まず改革の土台、基本的な理念が明確であることに感心した。改革とは何であるか。何のための改革であるか。この点が明確であるから、あとは地道な作業をコツコツと重ねればよい。土台がしっかりしているから壁にぶつかってもブレない。それに感心した。

★ 「二兎を追う」という考え方は実に共感できた。「ゆとりだ」「学力向上だ」と世間が空騒ぎをする様子を荒瀬校長が苦笑されている姿が目に浮かびそうだ。髭を蓄えられた精悍な面持ちは奥義を見据えられた剣豪の雰囲気すら感じられる。

★ 良いものをつくろうと思えば「手間、ひま、金」をかけなければいけないというのも参考になった。

★ 本書を通して最も実感することは、荒瀬校長の人間愛だ。子ども達に注がれるあふれんばかりの愛情だ。教育学をかじり教育に何らかの関わりをもっているとこうした書籍もつい裏読みをしてしまう。書かれなかった、書けなかったことを勝手に想像してしまう。荒瀬校長が指摘されるように高校教育は今日、現実と理念との交差点にあって、現場がその中でどれほど苦悩しているかは筆舌を絶するものだと思う。こうした中でも、荒瀬校長の生徒に注がれる愛情は本物だ。本物だからこそ、教職員も生徒もそして父母や行政も動くのだと思う。

★ プロだから当然だと言ってしまえばそれに尽きるが、なかなかできることではない。

★ 荒瀬校長のプロフィールを見て、校長が私と同じ大学の出身で、数年先輩でいらっしゃっることを知った。こうした点も実に身近に感じた。

★ 改革しても改革しても尽きる事のない教育。「現場」はプロであることに誇りをもち人生をかけて改革にあたっている。こう考えれば考えるほど、教育再生会議の宙に浮いたような論議や彼らを操る政権の人々への怒りがグツグツと沸きあがってきた。 
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毛沢東とエリツィン

2007-05-02 10:50:30 | Weblog
★ ゴールデンウィーク前半、面白かったのはNHKの海外ドキュメンタリー番組だった。

★ 「毛沢東」を取り上げた5回シリーズのドキュメンタリーは、中国の現代史を知る上で大変参考になった。建国、大躍進、文化大革命・・・。絶対的な権力者として祭り上げられていく毛沢東だが、老いには勝てないし、振り返れば晩年は裸の王様になっていたようだ。

★ それにしても大国の権力闘争は凄まじいし、その中で浮沈を繰り返した小平、ナンバー2を果たしきった周恩来、権力者の妻を演じきった江青は印象的だった。人民にとっては笑いごとではないが、中国6000年の歴史は奥深く、物語にあふれている。

★ 中華人民共和国もかつての王朝と同じく世界史の一場面なのだろう。

★ 一方、エリツィンはその死去にともなう放送だったのだろう。ゴルバチョフの進めるペレストロイカ。その改革に焦りを感じ遂にはゴルバチョフを幽閉する保守派。統治権を失ったゴルバチョフに代わり民衆の先頭に立ったエリツィン。この時がエリツィンにとっては最高の時期だったのだろう。

★ 大統領としての晩年は健康面や酒癖の悪さで話題となったが、権力を握ると誰しも保守的になるのが面白いところだ。

★ ゴルバチョフ、エリツィンで20世紀の最大の政治的実験とも言われる「共産主義」が終焉したのだから、世界史的に大事件だったのだろう。

★ それにしても、レーニン→スターリン→フルシチョフ→ブレジネフ→(アンドロポフとかチェルネンコとかいたなぁ)→ゴルバチョフ→エリツィン→プーチンとロシアの権力者は「頭のツルツル系」と「いかつい系」が入れ替わっていくのが面白いね。
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