じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「カール・マルクス」を読む

2017-05-21 14:56:42 | Weblog
☆ 佐々木隆治著「カール・マルクス 『資本主義』と闘った社会思想家」(ちくま新書、2016年)を読んだ。

☆ マルクスの「資本論」は、岩波文庫版(向坂逸郎訳)、青木書店版(長谷部文雄訳)を以前に少し読んでいたが、独特の専門用語に打ちのめされ、結局理解不十分のままになっていた。

☆ 今回、佐々木著の「カール・マルクス」を読んで、そのわかりやすさに感動した。

☆ 難解な用語を見事にわかりやすく説明。マルクスのすごさが実感できた。

☆ マルクスはもはや時代遅れ、過去の遺物のように思われがちだが、なんのなんの、この新しさは何だろう。

☆ マルクスが分析したのは18世紀から19世紀にかけての資本主義経済、資本制社会だから、そういう意味では確かに古い。

☆ しかし、マルクスが暴露した資本主義のからくりは、今もって十分説得力があるし、彼が指摘した課題はまさに現代の課題でもあるように感じた。

☆ 「資本論」は解説なしには難しいかもしれないけれど、読む価値のある書物だと思った。

☆ マルクスといえば、私は「フォイエルバッハに関するテーゼ」が好きだ。

☆ 私は卒論でロバート・オーエンを取り上げたので、第3のテーゼ、「教育者自身が教育されなければならない」「変革的実践」という言葉にシビレたものだ。

☆ 第11テーゼ「哲学者たちは世界をさまざまに解釈したにすぎない。大切なことはしかしそれを変えることである」(松村一人訳、エンゲルス著「フォイエルバッハ論」岩波文庫所収)もいい。ゾクッとくる。

☆ 解釈の哲学から、変革の哲学へ。

☆ 佐々木氏も本著で最後をこう締めくくっている。「この偉大な成果をどのように継承し、発展させていけるかは、もちろん、私たち自身の実践にかかっている。マルクスが言ったように、肝心なのは『解釈』することではなく、『変革』することなのだから」(253ページ)

☆ 肝に銘じたい言葉だ。

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「新しいヘーゲル」を読む

2017-05-21 12:45:43 | Weblog
☆ 長谷川宏著「新しいヘーゲル」(講談社現代新書、1997年)を読んだ。

☆ 「精神現象学」「論理学」「哲学史」とヘーゲルの世界は広く深い。いつか読んでみたいと思いながら、高い頂を眺めてため息をつくばかり。

☆ 今回はとりあえずガイドブックになればと「新しいヘーゲル」を読んだ。

☆ やはり難しい。とにかくヘーゲルが世界全体をとらえよう、描こうとしていたということを感じた。

☆ 「体系」ってことにこだわる人だったようだ。

☆ 中世のキリスト教カトリックのドグマから解放された「個」としての人間が、神に代わる理性を必死で追い求めているように感じた。

☆ カントとヘーゲルの間にはおよそ50年の差がある。フランス革命に代表される新たな時代背景が2人の意識の差に表れているようにも思えた。

☆ カントといいヘーゲルといい、次は原著(もちろん翻訳ですが)にチャレンジしたいものだ。
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「カント入門講義」を読む

2017-05-21 12:08:21 | Weblog
☆ 冨田恭彦著「カント入門講義」(ちくま学芸文庫、2017年)を読んだ。

☆ 難解カントを講義口調で実に分かりやすく説明されていた。

☆ 何年かに1度はカントに挑戦したくなるが、いつも「純粋理性批判」の数ページで挫折。 

☆ 今回も「アプリオリな総合判断はいかにして可能か」という有名な命題については、まだよくわからないけれど、カントが「物自体」は直接感覚的にとらえることはできず、私たちが「物」だと思っているものは、「物自体」が私たちの感覚器官を刺激(触発と言うらしい)した結果の「物」(表象と言うらしい)なのだということはわかった。

☆ 「物自体」-「触発」-「表象」という構図。おもしろい。

☆ そう言われてみれば確かに、私たちが「物」と感じているもんは、すべて素粒子の集まり(ある状態)で、素粒子そのものには色や形はないのかも知れない。

☆ プラトンの「イデア」論に似てるかなと思ったが、「イデア」論は確かイデア界のものごとの影を私たちが見ているという考えだったので、「物自体」が現実世界にあることはあるというカントの考えとは違うようだ。

☆ 仏教の五陰という考えに近いかな。「色」「受」「想」「行」「識」という認識論。

☆ 「因ー縁ー果」という考え方、唯識の考え方にも類似性があるかなと思った。

☆ ともかくカントは手ごわい。懲りずに「純粋理性批判」に挑戦しますか。
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