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じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

ドストエフスキー的犯罪

2009-02-27 03:57:50 | 
★ 今日、読んで面白かったのは、五木寛之著「人間の覚悟」より第一章「時代を見すえる」である。

★ 「風に吹かれて」も同時に読んでいるが、月日の隔世を感じる。「風に吹かれて」もどこかニヒルな香り漂っているが、「人間の覚悟」はもっと直接的に人間の深部をえぐっているように思う。

★ 覚悟とは「あきらめること」。「あきらめる」とは「明らかに究める」こと。「なるほどなぁ」と思った。

★ 「命のデフレーション」「鬱的な気分」など的を射た言葉がバンバン出てくる。中でも惹かれたのが「ドストエフスキー的」犯罪というところだ。

★ 五木氏は秋葉原事件の犯人やその模倣犯が「だれでもいいから殺したかった」と動機を話していることを取り上げ、「神なき社会の形而上的犯罪」と分析している。「人間の魂の問題」として追究すべきであると言う。

★ そう言えば、NHK「知るを楽しむ」、亀山郁夫氏のドストエフスキーの話にはショックを受けた。スタヴローギンについてである。少女の死を予期しつつ、「何もしない」ということ。

★ 不気味な「なまぬるさ」、「無関心」と言う背筋の寒くなるような感覚。人間の心の奥にある一面を痛いほどえぐりだして見せつけている。

★ どのような悲劇も傍観者として見る「神のまなざし」という表現も強く印象に残っている。

★ 五木氏、亀山氏と二人の話を聞くと、カネやモノに踊らされ何となくハイになっていた時代から、一気に「魂」といった重く深いテーマに関わらねばならない時代に突入したのだと思えた。

★ これは現実逃避なのだろうか、それとも「深化」なのだろうか。

★ 今日はほかに、岡本勝著「禁酒法」(講談社現代新書)、越智道雄著「ワスプ」(中公新書)、本山美彦著「金融権力」(岩波新書)、水野和夫著「金融大崩壊」(NHK出版生活人新書)を読み進めた。

★ 「禁酒法」「ワスプ」ではどちらにも「華麗なるギャツビー」が出てきた。古き良きアメリカの象徴なのだろうか。水野氏の「はじめに」からは、ドル基軸通貨時代の終焉を感じだ。

★ 時代は動いている。
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「街場の教育論」「カムイ伝講義」

2009-02-25 00:08:20 | 
★ NHK-BS「週刊ブックレビュー」で紹介された内田樹著「街場の教育論」(ミシマ社)と田中優子著「カムイ伝講義」(小学館)を購入した。

★ 内田氏の著書は近くの書店で「ひとりでは生きられないのも芸のうち」文芸春秋、2008年)という本を見つけたので、先に読み始めている。

★ 「街場の教育論」も早速「まえがき」を読んだが、それだけで吹き出してしまった。この分では本文も期待できそうだ。世の中が閉塞状態にあるとき、新しい視点を提示してくれる著書は実に新鮮だ。

★ 一方「カムイ伝」。「カムイ外伝」と言えば昔テレビアニメで見た覚えがある。水原弘が歌うテーマソング、追手に追われる忍者カムイ。「サスケ」と並んで忍者ものでは毎週見ていた。

★ 「カムイ外伝」では「月見貝」の話が印象に残っている。ちょっぴりセクシーで子どもながらにときめいた覚えがある。

★ ところで、田中優子著「カムイ伝講義」は、「カムイ外伝」ではなく「カムイ伝」が取り上げられているという。先の「ブックレビュー」によると、カムイ自身はあまり登場せず、作品自体がカムイの視線で描かれているという。

★ 本書は江戸時代の日本社会を描きながら、そこから現代の日本社会を見つめるといった面白い視点である。「(江戸時代と比べて)21世紀になって、この日本は驚くほど変わっていない。ちゃんと階級もあり、格差もますます健在だ」(p2)という。

★ 「カムイ伝」には被差別の人々や農民、下級武士の生活が描かれているという、そこからは多くのことが学べそうだ。被差別については長い間、語ることに躊躇される時代があった。

★ 岡林の「手紙」や赤い鳥の「竹田の子守唄」は長い間封印されてきた。今やっと事実が語られる時代になったのかも知れない。

★ 「おくりびと」で納棺師が脚光を浴びているが、「カムイ伝講義」もまた歴史の中に埋もれた人々に光を当てているのかも知れない。読むのが楽しみだ。

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生きる意味

2009-02-19 04:28:34 | 
★ 茂木健一郎氏の「脳と仮想」から、今日は「傷を受けての脳の再構成」を読んだ。わずか2ページ余りだが実に示唆に富む。何回も反芻して考えた。まさに私の脳が再構成されたといえる。

★ 大学生時代、私の直面する課題は「生きるとは何か」というテーマだった。「人は何のために生きているのか」「生きる価値はあるのか」ということだった。そんなことなど考えなくとも、私たちは毎日生きている。食べ物を摂取して、そこからエネルギーを得て活動し、不要物を排泄して日々を過ごしている。そして多分、子孫を残し種を維持することが生物としての私の存在意味なのであろう。

★ ただ、「人間」としてはそれだけでは物足りない気がした。何か柱を持たなければ、自分自身が実にあいまいで、ものごとの価値判断をする際の基準を見出すことができない気がした。

★ だが、「生きるとは何か」など、そう簡単に答えが出る問題ではない。答えなどないのかも知れないし、百人いれば百の解答があるのかも知れない。

★ そこで私は仮説を立てることにした。「生きるとは創造であり、創造とは自己実現である」と。あとは一生かかってこの仮説を検証すればよいのだと思うと、少し気持ちが軽くなった。

★ さらに、「いかにして自己実現は可能か。それは愛によってである。愛とは対象において自己を見出すことである」とも考えた。三木清や有島武郎、倉田百三の受け売りだが、何となく安心できた。

★ 今日、茂木氏の本を読んでいると、人はある体験から心に傷を受けた時、脳の再構成が行われるという。彼は「(この)再構成の結果新しいものが生み出されるプロセスを、人は創造と呼ぶ」(86ページ)と述べ、「脳は、傷つけられることがなければ、創造することもできないのである」と締めくくる。

★ すばらしい自然や芸術作品にであったり、思いがけない体験をしたとき、人は感動する。感動は時として新たな芸術作品を生む。このとき、心(つまり脳)の中は激動の嵐が吹き荒れているのだね。

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ミネルヴァの梟

2009-02-13 23:27:14 | 
★ 茂木健一郎氏の「脳と仮想」を読んでいると、「ミネルヴァのふくろうは、黄昏にしか飛び立たない」(77頁)というフレーズに出会った。

★ 何か意味ありげだが、どういう意味かわからない。ネットであちこち調べてみると、ミネルヴァはギリシャ神話で知性を司る女神アテネの別称で、梟は女神の使いと言うことだった。そして、ヘーゲルが「法哲学」の序章でこの隠喩を使ったという。

★ 哲学は文明が崩壊の寸前に最盛期を迎えるとか、真理は最後にならないとわからない、といった解釈がされている。

★ そう聞いてもなかなか腑に落ちない。なぜ梟は昼間や夜明けには飛び立たないのか。それは梟の習性だからか。では、なぜミネルヴァの使いは梟でなければならないのだろうか。ツバメやスズメでも良いではないか。ワシやタカでも良いではないか。

★ 屁理屈はさておき、茂木氏の博識には感心する。文芸評論には感服する。
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自分の物語が語れるか

2009-02-12 04:46:01 | 
★ 藤原和博氏の「公立校の逆襲」から、今日は『将来のイメージを聞く』を読んだ。高校の面接に関する話題だった。

★ そう言えば京阪神の私立入試は10日、11日で終わった。京都府では次は公立高校の推薦入試、特色選抜である。どちらにも面接がある。既に提出済だが「自己推薦書」もあった。

★ 藤原氏の話を読んで「なるほどなぁ」と思った。面接ではほぼお決まりの質問がされるが、そこで自己アピールするには、まずは「継続」してきたことを訴えること。次に将来像、展望をはっきりと言うこと。

★ つまり自分自身について物語が語れること、シナリオが描けること。それは言いかえれば、しっかりとした自己像を持っているか、自己認識ができているかと言うことだろう。

★ 社会とのかかわりにおいて自分自身の物語が語れれば更にすばらしい。

★ そしてよくよく考えてみれば、これは受験生に限ったことではない。いくつになっても、どのような立場になってもこの問いかけは意味がある。

★ 何か続けてやっているものがあるか。自分自身の物語が語れるか。過去について、そして未来について。そのために今、何をしているのか。
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現代語訳に思う

2009-02-11 22:00:31 | 
★ 本屋で福澤諭吉の「学問のすすめ」の現代語訳が目についた。「天は人の上に人をつくらず・・・」で始まる名著だが、もはや明治時代の文章でも現代語訳が必要となったのだなぁと感じた。

★ やはり、「人の下に人をつくらずといへり」に慣れているせいか、「人の下に人をつくらずと言われている」というのには違和感を感じた。

★ そう言えば、高校の教科書に出てくる森鴎外の「舞姫」などは、現代語訳がないと高校生には歯が立たないようだ。樋口一葉の「たけくらべ」などは音読すれば実に心地よい文章だが、もはや古典文学の仲間入りか。

★ 私も「枕草子」や「徒然草」はともかくとして、「源氏物語」や「大鏡」などは訳本で読んだ方がわかりやすいと思う。助動詞の活用は置いておいても、日本の古典文学は省略の文学と言われるから、文脈や古語、時代背景の説明などがわからないと確かに読みづらい。与謝野晶子さんや瀬戸内寂聴さんなど希代の女流文学者が訳して頂いているのは実にありがたい。

★ 桃尻流の「枕草子」には度肝を抜かれたが、それはそれで面白かった。

★ 言葉は時代とともに移り変わり、文体も文語から口語へと大きく変わった。私は口語で育ったから口語の方がわかりやすいが、文語のリズムも捨てがたい。

★ 立原道造の詩は美しい。同時に、三好達治の「甃のうへ」や島崎藤村の「初恋」は傑作だと思う。

★ 現代語訳もいいけれど、原文に触れることも忘れたくないものだ。
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本の森で戯れる

2009-02-06 01:44:30 | 
★ 本屋で企画の「How to」本を2冊買った。本は手軽に手に入る刺激剤だ。コロンブスの卵のように目からウロコが落ちるような体験、ふと本質に触れた時の「アハ体験」を味わうことができる。

★ それはそうと未読、あるいは読書中の本がたまってきた。

★ 今、メインで読んでいるのは城山三郎著「鼠」。鈴木商店焼打ち事件をテーマとしたノンフェクション作品だ。

★ 茂木健一郎著「脳と仮想」。茂木氏の博学、発想の独自性、文章の巧みさには驚かされる。この作品を読んでいるとなぜか三木清の著作に通じるものを感じる。

★ 藤原和博著「公立校の逆襲」。民間校長の奮闘記。民間校長の目から見た公立学校の奇妙さ、そして可能性を感じることができる。何はともあれ、子どもと言うものは大人が考える以上に可能性に満ちあふれた存在だと思う。

★ 沢木耕太郎著「テロルの決算」。ノンフェクションの旗手として活躍する沢木氏の渾身の作品だ。読むのは2回目。浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した青年の内面にグイグイと迫っていく。

★ 五木寛之著「風に吹かれて」「人間の覚悟」。「風に吹かれて」は2回目。なかでも「穂積先生のこと」は何度読んだことだろう。時代を異にする2作の作品を比べて読むのを楽しんでいる。

★ 小林雅之著「進学格差」。東大入学者の親の所得がかなり高いということは聞いたことがある。進学もカネ次第の時代になってきた。階層の固定化が危惧されている。

★ 越智道雄著「ワプス(WASP)」。アメリカで成功するには、白人、アングロサクソン、プロテスタントという条件が必要だという。黒人初のオバマ大統領が誕生する時代だが、あらためてアメリカの支配階級について知りたくなった。

★ 岡本勝著「禁酒法」。巷では大麻問題が騒がれているが、かつてアメリカでは酒が取り締まられる時代があった。酒に甘い日本社会では考えにくい出来事だが、なぜ禁酒法が施行されたのかその背景に興味を持った。

★ 塩川伸明著「民族とネイション」。大学生時代、政治学の授業で「ネイション」という用語に出会ったが、それがどんな意味だったのか改めて知りたくなった。

★ 小林英夫著「BRICsの実力」。新興国と言われるブラジル、ロシア、インド、中国。21世紀の世界はこうした国々のあり方によって大きな影響を受けそうだ。

★ 水野和夫著「金融大崩壊」。水野さんの発言は信用できそうだ。

★ 本山美彦著「金融権力」、浜矩子著「グローバル恐慌」。本山さんの本は初めてなのでまだ未知数。浜さんの本は、長年世界経済を見つめてきた浜さんの作品だから買った。

★ 柳家花緑著「落語家はなぜ噺を忘れないのか」。落語に司会に大活躍の花緑さん。読むのが楽しみだ。

★ マックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。まさにアメリカはこの倫理観を見失い、今般の経済危機を招いたのだろう。資本主義論の古典に触れ、資本主義を考えてみたい。

★ イザヤ・ベンダサン著「日本教徒」。懐かしい著書だ。アメリカの資本主義が崩壊したのと同様、今回の経済危機は日本社会の変質も浮き彫りにした。経済危機は決して珍しいことではないが、今回の雰囲気は今までとは違う気がする。企業を取り巻く環境や社会の空気が変わってしまったようだ。改めて日本人論を読みたくなった。

★ 笠間賢二著「地方改良運動期における小学校と地域社会」。梶山雅史編著「近代日本教育会史研究」。この2冊はわくわくするような本だ。マニアしか読まないだろうが、お弁当の卵焼きのようで、最後までとっておきたい誘惑と闘っている。

★ 曽良中清司著「権威主義的人間」。ファシズム論の本だ。フロムの「自由からの逃走」「正気の社会」と合わせて読んでみたい。

★ 本の森で戯れているのは楽しいね。
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「ニート」「ケータイ」

2009-01-22 03:11:47 | 
★ 日々多くの言葉が生まれ、死んで行く。「ニート」や「ケータイ」もそうした言葉なのかも知れない。

★ 本田由紀・内藤朝雄・後藤和智著「『ニート』って言うな!」(光文社新書)、藤川大祐著「ケータイ世界の子どもたち」(講談社現代新書)を読んだ。

★ 「「『ニート』って言うな!」は、マスコミなどによって独り歩きしている「ニート」という言葉の吟味を行い、そうした言葉が使われるようになった日本の社会構造を分析している。

★ 第一部では本田氏が統計資料などを使って「ニート」の本質に迫っている。イギリス発の「ニート」という概念を吟味し、労働、教育の在り方にメスを入れている。

★ 第二部は「いじめの社会理論」を著した内藤氏が、ニートがスケープゴート化している現状から、「社会の憎悪のメカニズム」を説いている。前著の「いじめ」の分析では難解ながら「なるほど」と感心したが、本著はいささか「我」が強すぎて少々ついていけなかった。日をおいてまた読んでみたい。

★ 第三部は後藤氏が学生の視点から「ニート」を考えているが、雑誌記事の総括に終始している感もある。今後の深化に期待したいところだ。

★ 藤川氏の「ケータイ世界の子どもたち」は、携帯電話がここ10年で急速に普及し、電話から多機能な「ケータイ」へと進化する中で、子どもたちに及ぼした影響を検証している。

★ 確かに「ケータイ」は子どもたちの生活を変えた。四六時中ケータイを持っていないと不安になったり、メールのやり取りでお互いの結びつきを確認し合っているような光景をよく目にする。

★ プロフや掲示板への書き込みがきっかけとなり犯罪が起こったり、学校裏サイトを利用したいじめや誹謗中傷が社会問題化している。

★ ハード面の急速な発達に、それを使う人間や社会がついていけていないのが現状だ。社会的なルール作りが必要で、橋下大阪府知事が提唱したような学校での携帯禁止もやむを得ぬ措置であろう。

★ しかし、学校で禁止したからと言って、「ケータイ」をめぐる問題が解決するわけではない。「ケータイ」の背後には家庭や社会環境の問題があり、根は深い。

★ 本書もケータイの問題点を指摘しつつも、結局どうするべきかについて勇気ある処方箋を出すまでには至っていない。これこそが、まさに我々が置かれている現状なのだろう。答えは読者に与えられた宿題と言うところだろうか。
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「サービスの極意」

2009-01-22 01:55:06 | 
サービスの極意 (新潮文庫)
田崎 真也
新潮社

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★ 田崎真也氏の「サービスの極意」を読み終えた。

★ 世界最高のソムリエが自らの経験から極めた「極意」は、「サービスとは何か」を考えさせられるまさに珠玉の宝石箱であった。

★ 私も教育というサービス業に身を置くが、反省させられることが多々あった。不測の事態が起こった時に焦りの余り生徒たちの心を踏みにじるようなことをしていないか。準備不足を経験でごまかしていないだろうか。少しばかり経営が好調だと言って傲慢になっていないだろうか。

★ 田崎氏が指摘するように「手を抜けば、気を抜けば、即座に悪い結果が現われてしまうのが、サービスの現場」(198p)である。

★ といって「サービスの極意」は難しいものだ。形があるわけではなく、ある場面では正解でも、ある場面では不正解となる。結局は人間的な高まりがなければ近づけないもののようにも思える。しかし、向上しようと思わなければ、一歩を踏み出さなければ、道は拓かれない。

★ 先日、近くのお好み焼きのチェーン店へ行った。以前はよく利用したが、店が大きくなるのに反比例して味の方がイマイチとなり、しばらく足が遠のいていた。

★ 久しぶりに訪れたその店、味はやはりイマイチだったが、一つだけうれしかったことがあった。それはアルバイトの女性店員の笑顔が素晴らしかったことだ。店の指導云々ではなく、彼女の人間性が笑顔となって表れたのだろうが、お客さんのことを思った実に清々しい笑顔だった。

★ たとえ味はイマイチでも、あの笑顔を見るためにまた足を運びたいなぁと思うのだから不思議だ。

★ サービスとは難しいものだが、本質は案外シンプルなのかも知れない。明日から心を入れ替えて生徒のためにまた頑張ろうと思った。
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「公立校の逆襲」「サービスの極意」

2009-01-20 04:05:06 | 
★ いくつかの本を同時に読んでいる。毎日少しずつ。

★ 今日は藤原和博氏の「公立校の逆襲」(ちくま文庫)から「学芸会で培われたコミュニケーション」、田崎真也氏の「サービスの極意」(新潮文庫)から「ソムリエコンクール世界大会優勝」「ワインも人生も自由自在に楽しもう」を読んだ。

★ 1つの道を究めようとしている人の言葉というのは実にすばらしい。時に「目からウロコ」となる。

★ 藤原氏は民間から公立中学校の校長になられた方だ。「よのなか科」「土テラ」「夜スペ」など公教育に一石を投じられた方である。

★ 大教大附小事件でトーンダウンしたが、「開かれた学校」ということが声高に叫ばれた時期があった。それだけ「学校」というシステムが閉鎖的であったということだ。人事についても極めて特異な単線系。採用された教諭は、教諭→主任→教頭→校長といったレールの上を歩んでいく。時々教育委員会の指導主事に出向することはあっても、ほとんどの場合またもとのレールに戻ってくる。

★ 下部構造ー上部構造論まで出せば大袈裟だが、学校が時としてイデオロギー対立の最前線となることもあった。文部省対教員組合の代理戦争のようなことも各地で起こった。学校というのは特異な組織である。

★ この伏魔殿のような組織に、法律や行政慣行などでがんじがらめの組織に、民間から校長になられるというのは、ある意味「もの好き」としか思えないが、藤原校長は実に見事に風穴を開けられた。

★ 何よりも本書では素人の目から見た「学校」のおかしさ、新鮮さが満載だ。

★ ところで、学芸会の話は「やってみることの大切さ」が述べられていた。言葉だけでは人は動かない、活動を通して人間は成長していくんだなぁと改めて感じた。

★ 田崎氏は世界の代表的なソムリエの一人だが、本書では彼が歩んだ道、それぞれの場面で何を思い道を歩んで来たのかが述べられている。人は結果だけを評価するがこの結果を生んだ言外の努力は想像を絶する。

★ 「サービスの極意」というタイトルだが、まさに「サービスとは何か」を考えさせられる書だ。これはソムリエという職業に限らずあらゆる職業、またあらゆる対人関係に通じるものではなかろうか。

★ 今日読んだところは、田崎氏がソムリエコンクール世界大会で優勝する場面。「人生を心地よく演出して味わう」という言葉が印象に残った。「ワインも・・・」は優勝した後日談だが、「創造」というものがどのように生まれるのか、心にグンと響く極意が書かれていた。
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