じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

英雄色を好む

2017-07-29 17:52:07 | Weblog
☆ 「浮気は男の甲斐性」などと言われた時代があった。大店の旦那や大物政治家には愛人を抱える人が少なくなかったと聞く。マスコミもそんなことをいちいち書かなかったものだ。

☆ 皇族やお殿様は多妻だったし、お世継ぎを産み、お家を存続するためにそれは必要だった。

☆ あるいは、殿上人ならずとも、戦争で男性の人数が少なく、経済力のある男性が女性を養う必要があったのかも知れない。女性の社会進出が難しい時代だったから。

☆ そして今日、結婚制度が形骸化されつつあるとはいえ、この国は一夫一妻制だ。にもかかわらず、不倫は後を絶たないし、それにともなう離婚も多い。


☆ 最近は国会議員の不倫が話題になっている。それも大物どころか、まだ議員になって数年というひよこ議員たちだ。

☆ プライベートのことは何も言うまい。道徳を説いても仕方のないこと。ただ、自分の下のコントロールさえできない人物がはたして国難にあたれるのだろうか。

☆ 「生き恥をかいてでも」と議席にしがみつく人。反省しているなら、一度議員辞職して、次の選挙で審判を受ければよいではないか。別に「生き恥」をかいて欲しいとは思わないし、生まれ変わった姿と政治家としての力量を見せれば良いだけだ。

☆ 「略奪不倫」は週刊誌の誇張だろうが、略奪でも不倫でもないとすれば、何だったのだろうか。まさか「純愛」? 仲良しは結構だが、議員という立場を考えると子どもっぽい。

☆ 英雄もそうでない人も色を好む。どうしてもリスクを冒したい人は、マスコミにも配偶者にもバレないように配慮をして欲しいものだ。そもそも未婚だったら問題ないと思うのだが。
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民進代表選

2017-07-29 17:26:02 | Weblog
☆ 民進党としては最後になるかも知れない代表選。前原氏と枝野氏が立候補するとか。

☆ 民進党内での右派と左派といった構図かな。

☆ 大同団結は大事だけれど、お家騒動が絶えないなら、いっそ、前原党と枝野党に分かれてしまった方がわかりやすい。その上で、「民主ネットワーク」といった院内会派をつくればいんじゃないかなぁ。

☆ 政界再編が近づいているようだし、その時またもめるよりは、今、協議離婚をした方が目新しさもあって、良いのではなかろうか。政策も今の党で妥協案をつくるようりも、より純粋な、わかりやすいものが提示できるのではなかろうか。

☆ 分党の上で、必要ならば選挙協力をすればよいし、連合はどちらの党の候補も応援すれば良かろう。

☆ こんな案はどうかな。
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「通りゃんせ」

2017-07-29 12:20:05 | Weblog
☆ 歌手の佐藤公彦さんが亡くなったという。

☆ 「ケメ」という愛称だった。

☆ 中学生の時だったろうか、彼の「通りゃんせ」(1972年)という歌を聴いた。

☆ ハイトーンの声で、季節を織り込んだ切ない歌詞を歌われていた。

☆ ご冥福をお祈りします。
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両成敗

2017-07-29 11:06:17 | Weblog
☆ 「日報」問題は、制服組と背広組のトップを両成敗して幕引きという感じだ。大臣辞任(更迭)は飾りのようなもの。

☆ 制服組と背広組の関係はうまくいっていないのか。 

☆ 戦前なら、大日本帝国憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」で、統帥権を盾に軍のことはアンタッチャブル。それが軍部の暴走を許したとされる。

☆ 戦後は国民主権。戦前の反省に立ってシビリアンコントロールが強調されるようになった。しかし、憲法を文面通り読む限り、日本は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(日本国憲法第9条第2項)のだから、存在しない軍隊をシビリアンコントロールするというのはおかしな話だ。

☆ まあ、憲法が規定しているのは国際紛争を解決するための軍隊であって、自衛のための軍隊は含んでいないという解釈なのだろう。交戦権も同じかな。

☆ 自衛隊の最高責任者は内閣総理大臣(自衛隊法第7条「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」)で、その内閣総理大臣は文民(軍人ではないということか)でなければならない(日本国憲法第66条第2項)から、自衛隊はシビリアンコントロールされるということだろうね。


☆ 制服組の中で派閥争いのようなことはあるのだろうか。民間人にはなかなかわからない領域だ。

☆ これも戦前の話、「相沢事件」(1935年)というのがあったそうだ。

☆ 当時の軍部には、統制派(陸軍の統制を強化し、クーデターによらず高度国防国家をめざす)と皇道派(天皇中心の国家改造・昭和維新をめざす)の対立があった。

☆ 統制派の林銑十郎が陸相になり、陸軍のエリート永田鉄山少将を軍務局長に起用、荒木貞夫、真崎甚三郎などの皇道派を抑えようとした。これに反発した皇道派の相沢三郎中佐が永田軍務局長を陸軍省内で斬殺した事件である。

☆ 当時は、軍部によるクーデター計画(1931年、三月事件、十月事件)やテロ(1932年、血盟団事件)そして五・一五事件(1932年、海軍の青年将校が首相官邸で犬養首相を銃殺)と、血なまぐさい事件が相次いでいた。

☆ 世界恐慌以来の経済的混乱やヨーロッパでのファシズムの台頭など、世界史的な変動期だったのだろうが、その結末を私たちは知っている。過去の経験から学ばず、同じことを繰り返すのは愚かだ。

☆ 再び、クーデターやテロが横行する時代にならないように祈り、発言し、行動したいものだ。「こんな人たち」と言われても。

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