じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

京都の公立高校はどこへ

2007-04-28 12:51:21 | 教育
★ 京都新聞連載の「高校はどこへ」というコラムが興味深い。京都府の中では学校の統合や通学圏の拡大など先駆的な取り組みが行われている「山城通学圏」に焦点をあて、高校がどう変わっていったのかを綴っている。

★ 山城通学圏は、かつては北と南の2つの通学圏に分かれていた。この通学圏が統合され、生徒の高校選択が拡大するとともに学校の序列化が鮮明になってきた。

★ どうしても学校の評価は国公立大学へ何人合格したかが問われる。学校関係者もこれを「売り」にしている。そして南陽高校を筆頭に菟道高校、西城陽高校が続いている。通学圏の統合により、より優秀な生徒(国公立大学への合格可能性の高い生徒)を集めることができるようになった南陽高校が優位なポジションを確保している。

★ もちろんこれは安定したものではなく、今年は第一希望で南陽高校を希望した中学生が定員割れしたために、他のどの公立高校にも合格しなかった生徒が相当数不本意ながら(生徒にとっても高校にとっても)南陽に入学した。彼らがどのような高校生活を送れるか注目されている。

★ 上位校には教育委員会の暗黙のサポートもあり、優秀とされる教師がそうした学校に集められていると言う。

★ 日が当たれば影ができるのは毎度のことで、中位校、底辺校のありさまは言うに及ばない。将来への希望をもてない高校生に高校の比較的高度なそして生活に直接役に立たない内容をしっかり学べといっても、それは難しい。まして受験能力は優れていなくともプライドだけは高いから、自己防衛に走って構えてしまう。反発するか、逃避するか、なんかそんな雰囲気が漂っている。

★ 話は戻って京都府全体を見れば、堀川、嵯峨野、西京の御三家は健在である。堀川は京大への現役合格が35人だと随分盛り上がっている様子。これは塾業界と同じで、合格可能性の高い生徒を集め受験対策を行えば合格するのは当然のこと。底辺校から京大の現役合格が2ケタでれば、それは革命的なことだが。

★ 更に嵯峨野、西京の戦いは京都の学習塾の雄である「京進」対「成基学園」の代理戦争とも言われている。

★ その京都市・乙訓通学圏が通学圏の見直しを進めるようだ。現在4つの通学圏に分かれているがどうやら通学圏を拡大するのだろう。これによって建前は「高校の特色化と学校選択の拡大」ということだが、ホンネは学校の序列化の一層の促進だろう。

★ 多様化といいながら、1つの基準で序列化されるところに高校教育の多難な先行きを感じる。
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山崎中教審会長に拍手

2007-04-27 03:24:15 | 教育
★ 中教審の山崎正和会長は、教育再生会議が提唱している「道徳」の教科化に異議を唱えた。山崎会長の主張はまさに正論。実に説得力のある説明だった。

★ 何でも言いたい放題の教育再生会議。最初に結論ありきの教育再生会議。膨大な資料に裏づけされた「四六答申」や「臨教審答申」とは違って、「勝ち組」の人々が思いつきで言いたい放題言っているようなものだ。

★ 「不磨の大典」と言われた教育基本法も数の力でねじ伏せられるご時世。結局は数の力で押し切られるなぁとあきらめ感をもっていたが、山崎会長の発言は暗闇に差す一条の光だ。

★ 保守派からの圧力が懸念されるが頑張ってもらいたいものだ。
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ベッド難民

2007-04-26 23:43:09 | Weblog
★ NHKのドキュメント「日本の現場」を見た。ベッド難民の現状を目の当たりにして、何とも言えない気分になった。

★ 医療費が高騰し健康保険や日本の財政を圧迫している現状はわかるが、この現実はひどすぎる。はっきり言って、金がなく、病気や後遺症に悩む老人に死ねと言っているようなものだ。こんなことが同じ日本人として、同じ人間として許されるのだろうか。政治の貧困以外の何ものでもないなぁ。

★ お母さんが脳血管障害の後遺症に苦しまれ、お母さんと自分の生活を必死で支えている20歳の女性の事例では涙が出たなぁ。老老介護の事例でも、出口の見えない閉塞感を感じる。どうにかならないものだろうか。団塊世代が高齢化する社会。心中など痛ましい事件が増えるのではないかと危惧される。

★ 真剣に地域社会の役割を見直さないと大変なことになると思う。助け合っていかないとどうにもならなくなってしまいそうだ。この番組は、問題提起に富んだすばらしいドキュメントだった。
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朝貢外交

2007-04-26 14:30:48 | Weblog
★ 少し前に自民党の幹部が、安倍首相訪中への返礼とも言うべき中国首脳の来日が序列第3位の「首相」であったことを受け、「朝貢外交」だと批判した。意見を吐露されるのは全く自由で結構だが、日米外交こそまさに朝貢外交ではないか。

★ 安倍首相は「集団的自衛権」を手土産にアメリカへの途についた感がある。

★ ところで、ふと「福翁自伝」を思い出した。福翁とはご存知の通り、福沢諭吉のことである。この自伝はすこぶる面白い。その一節に次のような記述がある。

★ 福沢が母を迎えに故郷・中津藩を訪れたときのこと。藩の重役達は薩摩、長州の2大勢力の中で小藩がどう処すべきかを福沢に聞いた。ところがその答えは突拍子もないものだった。

★ つまり大砲や鉄砲など武器一切を売ってしまって丸腰になれというものだった。そして「長州から攻めて来たら、ヘイヘイ、また薩摩から遣って来たら、ヘイヘイ、こうしようとか、アアしようとか言えば、ドウか長州に行って直に話して下さい。また長州ならドウか薩州に行って直談を頼むと言って、一切の面倒を他に嫁して、此方はドウでも宜いと、こういう仕向けが宜かろう」(岩波新書「福翁自伝」264ページ)と言った。

★ 満場、批判の渦だったそうだが、福沢の考えは実に愉快だ。武器を売った金で教育に力を注ぎ、また新政府の教育政策に資するように説いたのだから先見の明があったと思える。

★ いつの時代も口角泡を飛ばし、また勇ましい理屈が拍手をもって迎えられるが、そうした結末はたいてい悲劇的なもので終わる。福沢のような冷静な視点こそが求められるのではないだろうか。

★ 力によってでしか歴史が動かないならば、人類の行く末もタカが知れている。

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封印が解かれる時

2007-04-26 11:03:52 | Weblog
★ 政府では集団的自衛権を容認すべく憲法解釈変更の手続きに着手したようだ。「軍隊ではない」として誕生した自衛隊だが、今や誰が見ても軍隊だし、海外派兵も坦々と行われるようになった。一つ一つ封印が解かれ、そして遂に集団的自衛権まできた。

★ そもそも憲法9条を素直に読めば、自衛隊さえもてないのは明白だ。しかしそのあまりに理想的な理念が現実にそぐわないことは誰の目にも明らかだし、個別自衛権まではまずコンサンサスの得られるところだろう。しかしこれも憲法解釈の問題で、いわば解釈改憲だ。

★ 集団的自衛権もこの流れで押し切るのだろうが、解釈改憲でことが済むなら憲法改正など必要ないではないか。安易な憲法改正は危険だが、解釈改憲は内閣や与党の思惑でいくらでも憲法が変質される恐れがあり、極めて危険だ。

★ 姑息な手を使わずに正々堂々と憲法改正の是非を国民に問えばよいのではないか。いや、そこまで考えてふと思った。もしやこの動きは憲法改正を促進するためのダミーではないかと。

★ ともかく、政府は都合のよい人選で自分達の思惑通りの結論を導き、政府はあたかも専門家の意見を尊重した上で、と責任を曖昧にする形でものごとを進めるのはいつもながらの手法とはいえ、ひっかかる。

★ 昨今の言論封殺の風潮と言え、この国は確実に危険な道に進もうとしていると感じる。閉塞状況の中での小泉内閣の誕生。空前の首相人気。圧倒的な与党議員の数、翼賛的な議会。もとを質せば国民の選択ではあるが、民主主義の落とし穴のようだ。

★ 民主主義の最先端を走っていたワイマール共和国で、なぜちょび髭をはやした小男が政権を握り、絶対的な権力をもって国家を統制し、世界を戦乱の渦に巻き込んだのか不思議に思っていたが、案外、今の日本で起こっているようなことなのかもしれないと思った。
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天邪鬼

2007-04-23 04:41:55 | 教育
★ 天邪鬼、広辞苑によると「わざと人の言説に逆らって、片意地を通すもの」となっている。文字面からしてもよい意味で使われていないことは想像できるが、翼賛会的状況が進行する中、天邪鬼であることの意義は大きいのではないかと思う。

★ 例えば、全国学力テストをめぐる愛知県犬山市の決断。公立学校としては全国で唯一、学力テストへの不参加を決めたが、その勇気ある決断は賞賛されるべきだ。

★ 「みんなで渡れば恐くない」あるいは事なかれで迎合していては思考が停止する。そうした流れの中で、天邪鬼の登場により議論は始まる。物語はより豊かになる。

★ 昨今の「はみだし」を嫌う傾向は「いじめ」にも通じるものがある。

★ それにしても学テへの不参加が犬山市だけであるというのはなんともおぞましい姿だ。確かに全国一斉の調査はそれなりの意義はあるものの、国が決めたからといってすんなり受け入れるというのもどうか。

★ 教育委員会の再生が論議されているが、皮肉にも国の方針に矢を放った犬山市でこそ教育委員会が活性化しているということか。他の自治体はどのような論議を経て学テへの参加を決めたのであろうか。ほとんどがシャンシャンで決まったのではないか。最終的に参加を決めるにしても教育委員会で十分な論議が行われたのであろうか。

★ 民主主義には天邪鬼のような波風をたてる存在が重要だと思う。
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少年法の改正

2007-04-20 12:37:25 | 教育
★ 少年法改正案が衆議院を通過した。少年院収容年齢を現行の14歳以上から「おおむね12歳」と下げ、また14歳以下の犯罪捜査における警察の強制力を認めたものだ。

★ 多く語られているように、非行の低年齢化、殺人などの凶悪犯の出現により、従来の「保護観察」では十分に対応できなくなってきているのは事実だ。

★ 犯罪を犯した未成年を収容する施設が自立支援施設と少年院しかない現状では、凶悪な犯罪を犯してしまった児童には少年院で適切な矯正教育を受けさすのも致し方ないと思う。

★ もちろん少年院での矯正教育の効果には課題があるし、少年院に収容された履歴は生涯つきまとう。犯した罪を考えればやむえないとも思えるが、正常な精神状態なら本人がこの罪の重荷を最も感じるであろう。殺人といった犯罪を犯すには生育歴や犯行時の精神的な問題が考えられるし、現状でできうる限りの専門的な治療的教育を行うことは先行きの長い本人にとっても必要なことであろう。

★ 一方で、低年齢者を受け入れるために少年院のあり方も考えなくてはならないだろう。年長者とって少年院への収容は懲罰的な意味合いが大きいが、年少者にそれが適切であるとは思えない。

★ それにしても数の力でなんでもありの国会。選挙戦や大事件の背後で性急に物事を進めようとしているように感じる。将来に禍根を残さねば良いのだが。
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高校生の学力

2007-04-14 10:55:04 | 教育
★ 「ゆとり教育」で学んだ高校生の学力が落ちていないと新聞が報じている。文部科学省が高校3年生に実施した学力テストの結果である。

★ 学力が落ちていないのは結構なことだが、それは決して「ゆとり教育」の産物ではないことは知っておくべきだろう。今、小学校、中学校の「ゆとり教育」のツケはすべて高校にしわ寄せされている。1日7時間授業、土曜日や長期休暇中の特別講座など高校の実態は「ゆとり」とは程遠いものだ。

★ 「ゆとり」といいながら、大学受験問題は大きく変わらないものだらか、結局どこかで帳尻をあわすことになる。もちろん発達途中の小学生や精神的に不安定な中学生とは違って、高校生なら詰め込んでもそれに耐えうるといった考えはあるだろう。その是非はともかくとして、「ゆとり教育」が学力低下に歯止めをかけたという見方はおかしいと思う。むしろ皮肉にも、詰め込めば学力がアップすることを証明しているのだ。

★ もうひとつは学力分布の2極化である。高校レベルになればそれぞれの進路も異なるのだから、ブランド大学への進学を目指す人々と他の道を歩む人々で身につけるべき能力は違ってくるだろう。義務教育と違って誰もが同じレベルの学力を身につける必要はないと思う。ただこの2極化がどのような要因で起こっているのかは注視する必要がある。親の所得や教育環境によるものであるならば、階層の固定化を促進することにもなりかねない。

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中国首相の演説

2007-04-12 11:16:29 | Weblog
★ 中華人民共和国・温首相の国会演説を聞いた。なかなか格調高い演説で、さすがに人口13億を抱える大国のリーダーだなぁと感心した。権力闘争の中でもまれてきているのだろう政治的なキャリアも日本の政治家とは違うなぁと思った。かといって1党独裁はマネはできないけれど。

★ 市場原理を追及し、一方で政治的な公生をめざす。共産主義体制の中で資本主義の市場主義を導入するといった新しい試みを中国は推進している。格差の拡大や官僚の腐敗、政治的に目覚めた若者など中国とて難問は山積している。大国を統治することは大変だろうなぁ。中国の歴史は悠久だから、今もまた歴史の一場面か。

★ 北京オリンピックまで、中国はこのまま突っ走るのだろう。その後はアメリカと中国の覇権争いがますます熾烈になってくるのだろう。またもた朝鮮半島が火種となるのか。地政学的な宿命とはいえ、朝鮮半島の人々は大変だ。しかしこれは日本も同様か。かつて「不沈空母」とアメリカにリップサービスをした首相もいたしなぁ。

★ 大国に挟まれて日本がどう生き残るか、そして発展するか。しっかりとしたアイデンティティと国際的な信頼を確保しないといけないね。

★ それにしても今回の日中首脳会談は安倍内閣にとっては久々のヒットだね。参議院補選の直前にお膳立てするところなど、偶然か意図的かは知らないがグッドタイミングだ。(皮肉) 
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学テまで2週間

2007-04-11 01:51:08 | 教育
★ 小学6年生と中学3年生を対象とした全国一斉の学力テストが2週間後に迫ってきた。子どもたちの間でも学力テストが話題にもなるようになってきた。「今年の○○中学はレベルが低いので頑張れ」とハッパをかける教師。学力テストの結果が受験に影響するのかと不安がる生徒。妙な緊張感が漂っている。

★ 政策を決める際にも研究を深める際にも基礎資料は大切だ。文部省と日教組の対立を背景に数十年もこうしたテスト(調査)が行われなかったのが不思議なくらいだ。ただ趣旨はどうあれ、数字が一人歩きするのは目に見えている。一般の人々が統計の専門家であるはずもなく、また詳細なデータが公表されること自体期待できない。結局平均点だけが学校を代表する数字として序列化が始まるだろう。

★ 週刊誌は高得点校ベスト100とかいった企画を面白おかしく取り上げるのだろう。

★ 平均点で学校を評価することは不十分極まりないし、そもそも「学力テスト」で学校の教育力が測れていると考えることが間違っている。数学(算数)や国語の問題を解けたかどうかだけで学力など測れるわけがないし、ましてやその数字はある時期の調査集団の実態を示しているにすぎず、決して学校の教育力ではない。

★ 母集団を一定にし、経年調査をして、その変容と要因を分析するなら一定の教育力(テストで図ることのできる能力の伸び)は測れるかもしれないが。課題は多いがまずやってみるのも大切だ。自校の評価を上げるために不正を行う学校やテスト対策に躍起になる学校がでてくるのも一興だ。ともかく学力テストの実施により、日本の新たな教育改革が始まるといってよかろう。アメリカやイギリスの教育改革から遅れること20年。かつてはアメリカやイギリスの羨望を集めた日本が今度は彼らの後を追おうとしている。

★ アメリカの教育改革でもてはやされたexcellence(卓越性とか優秀性とか訳された)が日本でも志向されるのだろう。「卓越性」とはアメリカの教育改革の報告書「危機に立つ国家」によると、学習者がその能力を最大限まで伸ばせるように、学校が高い期待と目標を掲げ、学習者を支援するといったものだ。(詳細は現代アメリカ教育研究会編「特色を求めるアメリカ教育の挑戦」所収の松浦良充氏「1980年代アメリカ教育改革論議のゆくえ」教育開発研究所、1990年に詳しい。今村令子著「教育は国家を救えるか」東信堂、1987年も参考になる)

★ つまり公教育の目標を最低限の基準から高い水準に引き上げ、それを達成させようとするものだ。基準を引き下げその完全習得をめざした「ゆとり教育」路線とは対照的なものである。

★ その結果がどのようなものになるのかはわからない。しかし時代は変わった。急速に工業化が進んでいった1960年代なら画一的・詰め込み式の教育も効果はあったであろうが、今の日本は工業化が飽和状態の社会である。一定の水準をもった多くの労働者を必要とする社会から、付加価値の高い知的財産を産む少数の知的エリートが社会を牽引する社会へと変わってきている。こうした知的エリートの養成には画一的・詰め込み式教育は適さない。

★ それとも少数の知的エリートには特別な教育をほどこし、他の大多数の凡庸なる人々にはまず道徳心を植え付け、忠良なる臣民にしようとしているのだろうか。いずれにせよ日本の教育が大転換期にあることは確かだ。
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