じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

小田実「遺す言葉」

2008-07-29 03:26:20 | Weblog
★ NHKで小田実「遺す言葉」を観た。小田さんは1年前に亡くなられたのか。最近は彼のようにズバッと体制を批判する人物が少なくなったなぁ。右寄りと言われる人々の方が威勢が良い。

★ 闘い続けることはしんどいことだと思うが、その「熱」はどこから来るのだろう。病床にあって、さすがの巨漢も痩せて体力的にはきつそうだったが、仕事への、闘うことへの意欲は衰えなかったようだ。

★ 同じ人生なのにと反省させられた。

★ デモクラシーへの造詣も深い。私たちは民主主義を水や空気のように当たり前のこととして捉えているが、油断をすれば堕落もするし、一部の人々の専制を許すことになるかも知れない。まさに憲法にあるような「不断の努力」が必要なのだろう。この点もあらためて反省させられた。

★ 功を焦り理念ばかりが先走った安倍内閣が早々に倒れてよかった。憲法改正の機運は少々後退したが、いつまた浮上するかもしれない。「国民投票法」にしても小田氏が指摘するように欠陥がある。最低投票率の規定がないのは確かに問題だ。少数者による憲法改正を可能とし、形式的に専制政治、独裁政治を容認する危険性がある。

★ アメリカ批判も痛烈だった。

★ 一人の力は小さいけれど、海も1粒の水滴から生じていると思えば勇気も湧く。声なき声でも発し続けることの大切さを改めて感じた。
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格差の再生産

2008-07-26 10:50:41 | 教育
★ 朝日新聞とベネッセが共同で実施した教育に関する調査結果の概要が、朝日新聞紙上に掲載された。広範囲にわたる調査だが、中でも高学歴の親ほど我が子の教育投資に熱心であるという実態が再確認された。

★ 格差の再生産の実態は経験的にはわかっているが、こうやって数字で示されるとより具体的になる。

★ 格差の再生産が繰り返されると社会階層が固定化され、長い目で見れば国民が二分化される恐れがある。階層の固定化は「希望格差社会」といった現実を生み、社会不安にもつながる可能性がある。

★ ではどうすれば良いのだろうか。1つは経済格差が教育格差につながらないような施策が必要だろう。公立学校の改善や私立学校に通う場合の授業料の助成があってもよかろう。公私を問わず少なくとも高校までは授業料を無償とするぐらいの取り組みは必要ではないか。大学については奨学金制度をより充実させて欲しいものだ。

★ 今ひとつは親の意識改革だろう。時代が変わって学歴さえあれば出世できるような世の中ではないけれど、学歴を積むことによって、あるいは資格を取ることによって階層を上昇することできる、高収入を得ることができると言った希望を親がもてるような施策が欲しいものだ。向学への国家的な運動が欲しいものだ。

★ ところで、進研ゼミで有名なベネッセだが、最近は文科省の調査を受注したり、こうした調査事業が1つの柱になってきている。日本には、視聴率調査で有名なビデオリサーチや各種コンサルティング機関はあるものの、教育に関するシンクタンクは少ない。今後の活躍に期待したいものだ。
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洛南に付小

2008-07-25 11:25:57 | 教育
★ 京都で難関高校と言えば洛南、洛星という名前があがる。長年、京都出身の京大合格者はほとんどがこの2校から出ていると言っても過言ではなかった。

★ ところが洛南の隆盛にも翳りが見えてきた。1つは少子化の影響、1つは堀川高校などの公立学校の復活、そして1つは同志社、立命館が小学校を設置し、早期からの生徒の囲い込みに動いたことだ。

★ 洛南としても男子校から男女共学としパイの拡大に転じたが、特にⅠ類の偏差値はかつてのような高嶺の花ではなくなってきている。

★ 洛南が小学校を設置するにはこうした背景があるのだろう。大義名分はいろいろとあろうが。

★ ところで洛南が同志社や立命館と大きく違うのはブランド大学を上にもたないことだ。同志社や立命館付属の小学校へ子どもを入れようとする親は、小中高大一貫のうまみにひかれているのではなかろうか。小中高12年間の高い学費もブランド大学への保険と考えれば安いと言うことだろう。

★ だが洛南には大学がない。今後どこかと提携をするのだろうか。といっても洛南のレベルになると関大と言うわけにはいかないだろう。早稲田や慶応と提携するならブランド価値はあるかな。それとも国公立、中でも東大、京大をめざして特化するのだろうか。

★ いずれにしても就学前の子どもに進路決定などできず、結局は親の意思で進路が決められることになる。そしてそれは親の経済力に左右される。

★ 早期からの選別は階層の再生産になりかねない。また進路のミスマッチ、ドロップアウトの恐れもある。「お受験」が過熱するとも考えられる。過激な「囲い込み」を冷却するには公立学校の改善しかないのか。

★ しかし、選択が比較的自由な高校はともかくとして、義務教育レベルでは私立に太刀打ちできそうにない。どんな生徒でも受け入れなければならないという公教育の大前提がネックか。近隣の中学校を見ていても、教員は生徒の生活面の改善や父母との対応に多くの時間を割かざるをえない。

★ 学習する姿勢や学習を支援する家庭環境など公私での差が大きい。(もちろん全体的に見た場合だが)。

★ 私立学校にしても決して左団扇ではない。私立間の競争は熾烈を極める。特に女子校の苦戦は深刻だ。またブランド校が求めているような優秀な生徒はどの時代も一定の割合だから、その争奪戦も加熱しそうだ。進学塾さながらの様相だ。 
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目立ちたい症候群

2008-07-17 14:40:18 | 事件
★ 秋葉原事件に刺激を受けたのか模倣犯が続いている。これもネット社会の一面かも知れない。

★ 最近の子どもたちを見ていて思うのは、ノリが彼ら達の評価基準で、ウケよう、モテようと必死だ。刹那的な盛り上がりに歓喜し、それに水をさす人物は疎外される。

★ 今ひとつ思うのは、「人に自分を認めて欲しい」という願望が異常に大きいと言うことだ。意味もなく奇声を発したり、度を越えた大笑いをしたり、問題を解くのに独り言とは思えない声を発したり。

★ 彼らの行動は「目立ちたい症候群」とも言えそうだ。その「目立つ」のも、努力してその結果を評価されることは稀で、手軽に評価されたい、耕作の苦労を経ずして果実だけを手に入れようとしている感がある。

★ ひどいことに、努力して評価される人々は彼らにとって嘲笑の的になったりする。そうした「優等生」は自分達とは違うのだと疎外するか、あるいは足を引っ張って自分たちのレベルに落とそうとする。

★ 自己の欲求が見たされないことを他者のせいにする者も多い。親のせいにする、教師のせいにする、社会のせいにする。彼らは決して自らの無力さや敗北感を自覚していないわけではなく、その劣等感を感じながら、それを言い訳やノリで埋め合わせているようだ。

★ 自己顕示欲は必ずしも悪いものではない。劣等感は成長に不可欠だといった心理学者もいたように記憶している。

★ 「目立ちたい症候群」が広まっているのは大衆社会の一面かもしれないし、誰もが主人公になれるネット社会の一面かも知れない。

★ あふれんばかりの情報、その中で異常に高まる自己肥大感。それと現実とのギャップ。そこをうまく折り合えない人が突飛な行動を起こしてしまうのかもしれない。

★ 少子化やゲーム感覚と言った背景もあるのだろうか。実際は家庭問題が大きいと思う。本来は家庭で充足される欲求が満たされていない。そのはけ口を彼らは外の世界に求めているのかも知れない。

★ 「目立ちたい症候群」は「甘え」と裏腹の関係にあるように思う。
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駄々子的犯罪

2008-07-17 10:18:08 | 教育
★ 昔は縁日などで、親を困らせて欲しいものをねだる子どもがいた。最近でもスーパーなどで「これ買って」が受け入れないとと泣き叫ぶ幼児はいる。

★ 子どもの行き当たりばったりの欲求は長続きしないから、「またな、またな」を20分程度繰り返すか、関心を他に向ければ、その場は収まることが多い。

★ 14歳少年のバスジャック事件を見て、この駄々っ子に似ているなと思った。親に欲求が受け入れられないから、親に迷惑をかけてやろうなどとは、実に幼稚な発想だ。「家族をむちゃくちゃにしてやろう」と思ったそうだが、自分自身がむちゃくちゃになってしまった。

★ 14歳ににて、自分の行動でどれほどの人々が迷惑するか、自分の行動がどのような結果を生むか、そんなことさえ想像できないのだろうか。まさに自暴自棄。

★ 自らの欲求が通らないからといって、世間を騒がせようとする。駄々っ子そのものだ。

★ 思春期、犯罪や自殺を想像することはそれほど珍しいことではない。嫌な人物の殺人や社会をぶっ壊そうとテロのイメージトレーニングをすることもあるかも知れない。しかしほとんどの場合、それで欲求が充足され行動には移さない。それがいともたやすく重大犯罪をやってしまうのだから、その点が恐ろしい。

★ 人間の社会はお互いの信頼関係の上に成り立っている。しかし、それはテロ行為には実に脆弱なものだ。昨今通り魔的犯罪があまりに多い。それも人を殺傷するような重大犯罪が横行している。

★ 共通するのは自己中心的な発想、表現力の未熟さ、犯罪によって自らをヒーロー化しようとする自己肥大感など。ごく一握りの人々の異常な犯罪ではあるが、彼らを生み出す土壌がこの社会に芽生えていることは警戒すべきだろう。

★ せっかくここまで積み重ねてきた人間社会。戦々恐々としたアナーキーな社会へと戻してはもったいない。深部に迫る対策が必要だ。
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爆笑学問

2008-07-16 15:13:54 | 教育
★ 昨夜、「爆笑問題のニッポンの教養」という番組を見た。爆笑問題の二人が大学等で研究をしている人々を訪問し、現代科学の最先端を紹介するとともに、何をめざしているのかを議論するといった番組だ。

★ 今回は東京芸術大学の宮田学長を訪問。「伝えること」について議論が交わされていた。

★ 表現に悪戦苦闘する爆笑問題の太田氏、それを「言葉が多すぎる」と一刀両断の宮田学長。理路整然と状況を説明する爆笑問題の田中氏には改めて感心した。

★ 太田氏の言動は年長者に対していささか失礼だと思ったが、相手を挑発しホンネを引き出そうとするのが彼の戦法なのだろうか。それとも単純に表現に窮しているだけなのだろうか。

★ 肩書きや年齢の違いを取り除いて、居酒屋でおっさん達が語り合っていると思えば面白かった。私もいくつかの学会に所属しているが、研究者仲間も酒に酔ったらあんなものだ。

★ ところで、太田氏を見ていて、今さらながらビートたけし(北野武)氏はすごいなと思った。少ない言葉や動作でツボを突くことがどれほど難しいかと感じた。

★ 番組のホームページで、宮田氏が「コンビはおもしろいものだ」と感想を述べられていたが私もそう思った。ロゴスとパトスがうまくかみ合っていて、この落差がこのコンビの魅力なのだろう。
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学力問題

2008-07-14 14:37:50 | 教育
★ ふと、CSで放送大学の番組を見た。教育社会学の講座だろうか。学力問題がテーマとされていた。数分しか見なかったので断片的な内容しかわからないが、いくつか面白い点が指摘されていた。

★ まず第一は、家庭での学習時間の長さと学力テストの成績との間に逆相関があるとのこと。これは目からウロコの結果だ。だからといって家庭学習をしない方が良いなどという暴論にはつながらないが、要は効率性の問題だと思う。

★ 基礎的な素養のある人が学習する際に最も大切なのは集中力だと思う。効率よく学習するテクニックを身につけることも大切だ。

★ ダラダラと時間ばかりをかけている生徒の成績が伸びないのは経験的に理解できる。

★ 第二点目は、日本とフィンランドの比較。何かと学力No.1で注目のフィンランド。国の規模や文化的な背景が違うから一概に比較はできないと思うが、学ぶべき点は学べばよい。かつてアメリカの教育専門誌は「日本をまねろ」と主張していた。

★ その比較でおもしろかったのは2000年と2003年の調査を比べて、日本の中位層が没落し、下位層が急増したことだ。これが平均点低下の背景になっているそうだ。

★ この指摘も経験的に理解できる。ゆとり教育には「落ちこぼれ(落ちこぼし)」をなくすといった側面もあったと思うが、かえって「落ちこぼれ」を生んでしまったようだ。その上、今までなんとか授業についてきていた中間層まで脱落してしまった。

★ 「学力」そのものをめぐる評価はあろうが、1つの尺度で見た場合、こういう傾向があったという事実は理解できる。

★ 社会階層の動向と学力の動向に相関があるようで非常に興味深かった。

★ 学力をあげることを国策とするなら、社会的な改革、つまり社会的下位層、没落しつつある中間層の経済的な復活が不可欠ということになる。下位層が社会的上昇への希望をもてる状況をつくる必要がある。

★ 具体的には幼児期から高等教育に至るまで教育費はすべて無償にするくらいの改革が必要だ。しかしこれでも十分ではない。日々の生活に窮していては教育どころの騒ぎではない。衣食たって礼節を知るというが、家庭の経済状況を改善する必要がある。

★ 難問ばかりだが、越えなければならない課題だ。
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教職の世襲化

2008-07-14 11:12:51 | 教育
★ 世襲は今や代議士や医師や中小企業の経営者だけではなさそうだ。

★ 大分県の教員採用不正事件を見ていて、現役の校長、教頭がわが子の採用をめぐり賄賂を贈っているのには改めて驚いた。教職というのはズルをしてまで就く価値のある美味しい職業なのだろうか。

★ 私が教育大学に通っていた時も結構、教員の子が多かったように記憶している。親が教員の場合、子どもの対応ははっきり二つに分かれると聞いたことがある。親の姿にあこがれて自分も教職を目指すものと親の姿を見ているがゆえに教職だけは避けるもの。

★ 教員の採用枠が増える傾向にあるとは言え、なかなか難関の教員採用試験。今回問題となっている大分県は中でも採用が厳しいと聞く。

★ 歪んだ「親心」とそれをエサに私腹を肥やす面々。不正の構造的カラクリが見えてくる。本当かどうか「組合枠」などといったことも囁かれているが、そうなると教育行政、地方教育界は大きな利権集団に牛耳られていることになる。

★ タテマエとホンネの乖離が大きい教育界だが、「教育」に巣食う小役人達には憤りを禁じえない。

★ 教職の専門職論が言われて久しいが、自律性、自浄作用のない組織、自制、高潔なるモラルの乏しい人々が専門職とは実にお寒い状況だ。

★ 学校の閉鎖性は論議されてきたが、教育行政、教員人事の閉鎖性を何とかしなければ不正の病巣は取り除けないだろう。

★ 職業の世襲を生むのはその社会が安定しているからだが、安定の上にあぐらをかいていると脆弱な組織が生まれることを私たちは歴史から学んでいる。異文化との衝突、絶え間ない変革があってこそ強い組織が形成されるのではないだろうか。

★ 民間校長や臨免教員などパフォーマンスやかけ声は活発だが、教員組織、教育行政の前近代的風土を見直すまでには至っていない。専門職としての教職のあり方を活発に論議して欲しいものだ。
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赤い鳥、岡林を聴く

2008-07-13 03:48:31 | Weblog
★ 久々に赤い鳥を聴いた。「竹田の子守唄」そして歌詞だけを変えた「人生」が圧巻だ。放送局の自主規制で長い間、放送禁止歌の扱いを受けていたが、この美しい曲と哀しい詩は是非後世に伝えて欲しいものだ。

★ 折りしも、岡林氏の初期の作品が復刻されるという。「手紙」や「チューリップのアップリケ」は泣けてくる。

★ 先に復活した「イムジン河」は映画「パッチギ」の中で欠かせない歌だったし、放送局が自主規制している曲の中でも、名曲はどんどん復活して欲しいものだ。
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若者の死

2008-07-12 20:56:58 | Weblog
★ 「不可解」の文字を残し、日光華厳の滝に身を投じた藤村操のことがふと頭に浮かんだ。旧制一高の学生で、18歳だったろうか。彼が残した辞世は「巖頭之感」として残されている。

★ 雄大で気高い筆ではあるが、そこから感じるのはナルシズムの極致である。18歳の若さにして現世のあらゆる思想を、あらゆる営みを「不可解」の一語に吐き捨てるとは何と言う傲慢。

★ 人生、真剣に考えれば、死ぬか、狂うか、宗教に入るかだと言ったのは漱石だったか。明治のエリートにとって死は自己完結するもの、美に価するものだったのか。

★ 若くして命を絶った人々の手記をいくつか読んだ。高野悦子「二十歳の原点」、奥浩平「青春の墓標」など。死して名を残す彼らだが、醜くも生き延びて欲しかったと願うばかりだ。

★ 理由はいろいろあろうとも、若者の死には心が痛む。
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