じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

映画「大いなる旅路」

2018-09-30 21:52:09 | Weblog
☆ 映画「大いなる旅路」(1960年)を観た。

☆ 大正から昭和、幾多の戦争を経て戦後。蒸気機関車の運転士の半生を描いた作品。

☆ 若いころは蒸気機関車の釜炊き、変わり映えしない日々に岩見浩造(三国連太郎)は不満を持っていた。行き場のないやりきれなさで時にはけんかで逮捕されることも。そんなとき、機関車が雪崩に遭遇し脱線、自分はケガで済んだが先輩は死んでしまう。

☆ 先輩の死で心を入れ替えた岩見は人が変わったように仕事に打ち込む。家庭では次々と子どもが生まれる。仕事、子育てと多忙だが幸せな日々を過ごす。

☆ しかし、時代は戦争へ、長男は召集され戦死。次男(高倉健)は鉄道の道を目指すが、3男(中村賀葎雄)は母親の反対を押し切って予科練に。長女は男にだまされ家を出てしまう。この時代のどこの家庭でも大なり小なりあったような話。

☆ 特撮を使わない(技術も限られていたが)撮影がすごい。
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台風直撃へ

2018-09-30 00:28:33 | Weblog
☆ 今年、雨戸を閉めるのは3度目になりそうだ。災害慣れして、これはこれで危険。今度の台風、明日の午後9時ごろには奈良市付近を通過する。勢力は955hPaから960hPaというところだろうか。

☆ 宇治はポジション的に微妙だが、かなりの暴風が吹き荒れそうだ。秋雨前線と合わさって雨も心配だ。

☆ 先の台風、「風が吹いて電気屋が儲かる」(アンテナ工事の特需)などと軽口をたたいていたが、まだアンテナや屋根など修理待ちの家屋を見かける。スピードが速いので短時間ではあるが、相当な荒天になりそうだ。

☆ 明日午前から、雨戸を閉めたり、家の周りの小物を片づけたりと忙しくなりそうだ。
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映画「チップス先生さようなら」

2018-09-29 23:57:27 | Weblog
☆ 映画「チップス先生さようなら」(1969年版)を観た。

☆ イギリスのパブリックスクール(名門大学への進学をめざす全寮制の男子校)で教鞭をとるチップス先生の半生を描いた作品。69年版ではミュージカル仕立てになっていた。

☆ 物語は1925年から始まる。第1次世界大戦から第2次世界大戦までの戦間期、大英帝国にまだ権威と威厳が残っていた時代だ。教員は絶対であるし、教員も厳しく自らを律している。チップス先生もそのような人であった。しかし、あまりにも厳格であるために生徒や一部の父兄には不人気であったようだ。

☆ そのチップス先生にも恋に燃える時期があった。ポンペイ、ギリシャの旅で再会した年の離れた女優と恋に陥り、結婚する。 

☆ しかし時代はヒトラーとの戦争へ。ドイツ軍の攻撃で妻を失い、終戦後、校長になっていたチップス先生にも学校を去る日がやってくる。

☆ 最後の演説、彼を送り出す生徒たちの歓声。このあたりは教師冥利に尽きる。泣けるだろうね。

☆ 「礼儀と規律」を教えたチップス先生、今の教育の現状を見れば、ため息しか出ないかもしれない。

☆ ミュージカル形式に好みはあるが、「アラビアのロレンス」、ピーター・オトゥールの熱演が心に残る。
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映画「ハゲタカ」

2018-09-29 16:01:11 | Weblog
☆ 映画「ハゲタカ」(2009年)を観た。NHKドラマ(2007年)の寒々とした映像も良かったが、映画版もなかなかスリリングだった。

☆ ドラマ版を引き継いだ感じで、鷲津(大森南朋)、芝野(柴田恭兵)、西野(松田龍平)、三島(栗山千明)が主な配役。

☆ 中国資本をバックにファンドマネージャー劉(玉山鉄二)は日本の自動車企業への敵対的買収を始める。この企業の執行役員に就任していた芝野は、前年から退いていた鷲津をカムバックさせ、対抗戦を繰り広げる。

☆ 既得権益を守ろうとする経営者たち、マネーゲームに興じるファンドマネージャーたち。企業買収はまさに現代の戦争だ。

☆ 資本主義とは人間の欲望が実体化した悪霊のようなものだ。

☆ ドラマの制作時に起こったリーマン・ショックをうまくとりいれ、日本企業を買収する中国資本といった構図がより立体的になっている。鷲津VS劉、鷲津VS芝野、この緊迫感がいい。松田龍平さんの表情もいいなぁ。

☆ 劉の生い立ちの謎についても観るものを引きつける。

☆ 企業買収に関しては日本人受けする終わり方になっているが、果たして「夢や希望」だけで、企業はそして国は再建できるだろうか。悪者役に回ってしまい最後は解任された社長(遠藤憲一)の考え方にも一理あると思った。(経営者としての能力は少々疑問だが)
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台風まえ

2018-09-29 11:47:35 | Weblog


うちの玄関に住んでいるカタツムリ。
台風前の散歩かな
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太宰治「畜犬談」

2018-09-28 23:23:20 | Weblog
☆ 太宰治の「畜犬談」(青空文庫)を読んだ。

☆ 太宰は犬嫌いだったのだ。その嫌いようは半端ではない。そもそも犬の生きざまが自分と似ているから許し難いようだ。

☆ そんなことで、犬との無用の諍いを避けていた彼だが、その振りまく愛想が犬たちには好意的にとられたようで、散歩に行くときなど後ろから2匹、3匹とついてくる始末。

☆ ある時、1匹の子犬が家まで付いてきて、遂に住み着いてしまった。悪臭を放つ皮膚病に冒された犬、一時は殺害まで考えたが、愛着は深まるばかり。ポチと名付けられたその犬を彼は遂に手放せなくなってしまった。

☆ 太宰の時代にはまだ野犬がたくさんいたようだ。私の幼いころでも保健所が「野犬狩り」をしているといった話を聞いたことがある。狂犬病の恐れがあったからだ。この作品の中でも恐水病として出てくる。

☆ 犬にまつわる作品としては椎名誠さんの「犬の系譜」(講談社文庫)や映画「犬と私の10の約束」(2008年)が印象に残っている。

☆ うちの家にも、シロ(スピッツ)、ピッキー(スピッツ)、チコ(テリア)、ロック(プードル)と犬の系譜がある。彼らの成長とともに私も大きくなっていったが、犬の寿命は結構短い。彼らとの別れは辛かった思い出がある。
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芥川龍之介「蜜柑」

2018-09-28 19:49:46 | Weblog
☆ 芥川龍之介の「蜘蛛の糸・杜子春」(新潮文庫)から「蜜柑」を読んだ。

☆ まだ鉄道が蒸気機関車だったころ、トンネルを通過するときは窓を閉めていないと、ススだらけになった時代の話。

☆ 芥川らしき男が列車の2等客車に乗っていると、13歳か14歳ぐらいの娘が駆け込んで、男の前に座った。風呂敷包みを抱きかかえて、垢にまみれたようなみすぼらしい少女だった。手には3等客車の切符を握っている。男は見るからに田舎くさい少女に不快感を覚える。

☆ 男がちょっとの間、ウトウトをしていると、少女はしきりに窓を開けようとしている。もうすぐトンネルだというのに。案の定、窓が開くと同時にすすけた空気が車内に入り、男はせき込む。男の不快感は極限に達する。

☆ 列車が貧しい町はずれの踏切に差し掛かった時、男は踏切の柵の向こうから何か叫んでいる3人の男の子を認める。その瞬間、少女は車窓から体を半分乗り出し、大きく手を振ったかと思うと、彼らに向かって蜜柑を投げた。

☆ 男の子たちは奉公に旅立つ姉を見送りに来たのだと、男は知る。疲労と倦怠に埋没し、不快感の極致に達していた男は3等切符の少女に束の間の安らぎを得る。

☆ 短い作品だが、情景がありありとわかるし、男の心象描写も見事だと思う。
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運動会は延期に

2018-09-28 16:57:26 | Weblog
☆ 地元の小学校では明日運動会が予定されていたが、台風接近のため延期となった。

☆ 以前一度、悪天候の中、強行して途中で中止になったことがあった。プログラムが途中から早回し状態で、あれでは子どもたちがかわいそうだと思った。

☆ 明日は朝晴れていても延期、昼まで平常通り授業をやって、月曜日は代休。運動会は水曜日になるそうだ。

☆ 交通機関の計画運休といい、これだけ災害が多いと、人間の方も少しは学習しているようだ。

☆ ちょっと一休みして、生活にゆとりをもたせよう。被災者には申し訳ないが、災害にも前向きに向き合いたいものだ。
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バブるのか。

2018-09-28 11:08:53 | Weblog
☆ 市場は円安株高が進行している。背景にはアメリカ経済の動向があるようだ。

☆ 扇子を持ってお立ち台で狂喜乱舞する日がまた来るのか。いやいや、80年代とは格差の拡大や人口構成など相違点も多い。「中流」は崩壊し、消費傾向も「節約」に傾いている。投資家の属性の変化もあるかも。このあたりは専門家でないのでわからない。

☆ 異次元の金融緩和、マイナス金利と言われる現状。本来なら超バブル、インフレが起こって当然だ。そうならないのがむしろ不思議で、資本主義の限界、経済成長の限界さえ指摘されている。


☆ さて、気になるのは、バブルははじけるということだ。過去の痛みはもう忘れたか。チキンレースはもう始まっているのかも知れない。

☆ かつて「アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく」という格言がよく使われた。日本経済はアメリカ次第ということか。

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夏目漱石「変な音」

2018-09-28 04:06:05 | Weblog
☆ 夏目漱石の「文鳥・夢十夜」(新潮文庫)から「変な音」を読んだ。

☆ 話の主は今病院にいる。病室にいて隣室から聞こえてくる「変な音」に神経が逆立っている。山葵を卸すような音。気にはなるが、やがてその音は聞こえなくなり、そのことは忘れてしまっていた。

☆ 再び入院をしたとき、隣室の患者の付き添いをしていた看護婦と話をする機会を得た。彼は「変な音」について聞こうとしたが聞きそびれていた。そんなとき看護婦の方から「変な音」について問われた。その「変な音」とは主人公のカミソリを研ぐ音だった。機会を得たと思い、彼もまた看護婦に「変な音」について尋ねた。それはキュウリを擦る音だという。

☆ 隣室の見知らぬ者同士、それぞれの「変な音」が気になっていたのだ。

☆ 文章の間に一見無駄とも思える花の説明などがある。ただそれがいい塩梅で作品に間を与えている。このあたりは計算された演出なのだろうか、それとも文豪の才能の所以だろうか。
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