じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「無常という事」

2006-09-30 17:01:48 | 
モオツァルト・無常という事

新潮社

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★ 何を思ったか、ふと小林秀雄の「無常という事」が読みたくなった。短い文章なので読むのに時間はかからないが、内容の読解にひどく時間がかかる。「記憶するだけではだめで、思い出すことが大事だ」と主張する筆者だけに、ただ読むだけではダメで、読んで考えることが大事だとでも言うことか。

★ 筆者が比叡山を散策したとき、ふと思い浮かべた鎌倉時代の「なま女房」の話。そこからの筆者の思索の逡巡とやがて導き出された「無常」という事が書かれていた。

★ 私の読解力では何が言いたいのか、イマイチ分からなかった。ぼんやりとは分かるのだが正解がわからない。正解を求めよとすること自体が受験国語の弊害なのかも知れないが。ただあれこれ検索して、中路正恒という先生のホームページを拝見して、少しばかりわかったような気がした。

★ 読解はともかく、「無常」というのは日本人に馴染みの深い感覚だ。人間、生きていること自体が無常ということで、小林曰く、「死んだ人間ははっきりしている」。自然も同様で、変わらないものに接したとき私達は無常を感じるのかも知れない。

★ この文章が昭和17年という戦中に書かれたことを考えれば、小林の胸中には更に深い何かがあったのかも知れない。

★ 答えのない読書も時には楽しいものだ。
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教育再生

2006-09-28 05:39:29 | 教育
★ 新しい内閣は教育の再生に力を入れるそうだ。ただ、その中身は、教育基本法の改正、奉仕活動の義務化など国家による締め付けとイギリスの教育改革の模倣といった借り物が特徴となりそうだ。

★ 徳目主義的な復古調とバウチャー制度の導入といった自由化を組み合わせて、規範意識の高揚と高い学力をめざすという。

★ どうも宙に浮いたような戦略だ。バウチャーを導入し、学区を柔軟化し、学校を競争させることによって、教育を活性化する。確かにそれは一部の優良校を生み出すであろう。ただ優良校ができるということは不良校ができるということでもある。エリート養成にはこの方法も効果的かも知れないが、学力水準全体の底上げには適さない。今日でも上位の生徒達のレベルは維持されている。問題は中位の生徒達のレベル低下である。

★ 教育問題は社会問題である。昨今の学力問題も中位層の低下による平均点の低下であり、学力と親の所得との相関性を考えるとき、親の所得の格差の拡大が、平均的な学力水準の低下に影響していると考えられる。

★ つまり、教育再生はいくら教育制度をいじってみたところで実現はできず、社会における格差の是正、特に低所得層の生活水準の引き上げがない限り、効果は上がらないのである。

★ 学校が荒れる、生徒が荒れる、教育が荒れるのは、社会が乱れているからである。とりわけ社会の変化、発展に取り残され、夢も希望もなくなった人が自暴自棄になり、刹那的になることが原因である。教育は未来への希望であり夢である。社会的な上昇志向があればこそ努力もできるし、親や学校も学習を鼓舞できる。

★ 教育再生に向けて、当面最も有効なのは大学までの完全無償制を実現するか、せめては国公立学校の授業料を極めて低く設定することだろう。社会政策としては、まずは年収400万円以下の世帯の所得水準の引き上げである。

★ 成熟社会は工業化社会とは違う。工業化社会は平均的な能力を持った多数の人々を求めるが、成熟社会、脱工業化社会は、高い付加価値を生む一部のエリートが求められる社会である。モノづくりにはロボットが導入され、通信、情報はITが主流となっている。

★ シャッター街や消えていく町の書店やレコード店、電器屋、小売店・・・。教育再生は社会再生によって初めて実現される。新しい産業の創出。雇用の創出がどうしても必要だ。農業、工業など基礎となる産業を見直すことも必要だろう。

★ 教育再生は結構なことだが、理念と政策がチグハグだ。体裁を取り繕っているとしか思えない。ITや最先端技術など付加価値の高い産業育成のため一部のエリートを育成するなら安倍教育再生改革は妥当だと思う。一部のエリートにどんどんお金を稼いでもらって、その収益で人々の生活を維持しようとするものである。一部の富裕層を認めつつ、大多数の大衆は年収300万円~400万円程度ながらつつましく生活するには困らないように国が保障しようという国家像である。

★ ただ昨今の安倍総理の発言を聞いていると、国民全体の底上げを目指しているような言い回しである。公立学校の再生をうたっているのはそういうことであろう。国民全体が年収600万円から800万円を得るような中流層を維持しようといった国家像である。どういう風な戦略でこれを実現しようというのかは不明だが、教育への市場原理の導入では不可能であろう。むしろ社会主義的な1人の10歩よりも10人の1歩的な教育をめざすことになろう。

★ 耳当たりの良い言葉に紛らわされず、改革の真の狙いを見つめていきたい。

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アマデウス

2006-09-27 03:35:16 | 映画
アマデウス

ワーナー・ホーム・ビデオ

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★ 中原中也の詩を読んで「天才」について考えていたら、「アマデウス」のことを思い出した。

★ アマデウスとは音楽の天才、モーツァルトの名前である。この「アマデウス」という映画は、凡庸なる天才サリエリが、真の天才モーツァルトと出会い激しい嫉妬の末に、恐ろしい計画を実行するといった物語である。

★ それにしても嫉妬というものは激しく恐ろしいものだ。サリエリ自身は自らを凡庸なる者と評しているが、どうしてサリエリもまた天才だと思う。モーツァルトの素晴らしさを彼ほど理解できた人物はいないのだから。評論家にでもなれば良かったのだが。

★ ただ本人は自分の能力には気づかないものかもしれない。己の優れたところを自覚し、それを生かせばよいものを、どうしても人の優れた点に嫉妬してしまうものである。

★ それはさておき、この「アマデウス」という作品は、モーツァルトの死にまつわる謎に迫った傑作だ。美術もメイクも素晴らしいし、何よりモーツァルトの音楽が実に効果的に使われている。何度見ても飽きない作品である。

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中原中也の詩

2006-09-27 03:08:04 | Weblog
中原中也詩集

岩波書店

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★ 先日NHK-BSの「週間お宝TV」という番組で、「柔道一直線」が取り上げられていた。実に懐かしい。柔道にかける青年の成長を描いた番組だったが、近藤正臣さんが足でピアノを弾く名場面や「地獄車」や「二段投げ」など、ありえないような技が印象的だった。

★ その中で、中原中也の詩が実に効果的に使われていた。単なるスポコンドラマではなかったんだなぁ、と今回の番組を見て、改めて思った。

★ 中原中也といえば「トタンがセンベイ食べて」という詩ぐらいしか覚えてなかったが、久々に詩集を開いてみると「妹よ」もいいし、「汚れちまつた悲しみに・・・」もいいなぁ。

★ 詩人は右脳で詩を書いているのかな。論理に縛られない豊かな感覚が漂っている。私には到底こんな意表をつくような表現はできない。こんなに自由に言葉を表現できるのは中原中也が天才たる所以だろう。日本語ってこんなにも美しく多彩な表現ができるのかと感心してしまう。
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「アルマゲドン」

2006-09-24 23:36:47 | 映画
アルマゲドン

ジェネオン エンタテインメント

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★ 巨大隕石が地球と衝突する。こうしたSF小説や映画は昔からあった。この「アルマゲドン」も同様のパニック映画である。

★ 巨大隕石の地球接近。地球を守るためには隕石を核爆弾で破壊しなければならない。そしてその仕事のために選ばれたのは、サルベージのプロだが、ちょっといかつい男達であった。

★ 地球の救済など思いもかけず、ましてや宇宙船の知識など全くないズブの素人。そんな彼らが宇宙飛行士として速成され、地球の命運を背負って旅立つのだった。

★ テーマとしては新しいものではないが、実に見せ方がうまい。思わず作品にのめり込んでしまうし、SFXもよくできている。

★ ヒーロー物には違いないが、グイグイと感情移入させら、最後はグッと胸に迫ってくる。外国ではあまり売れなかったというが、日本人好みの作品なのかもしれない。

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管理職の希望降任

2006-09-24 18:47:30 | 教育
★ 校長・教頭から一般教員に、自ら希望して降格する人が増えているという。その背景には何があるのだろう。

★ まずは、多忙さか。校長は個人差が大きいと思う。自ら新しい企画をたて、それを実践するような校長は多忙を極めるだろうが、教職の最後をつつがなく過ごそうと考えている校長は、そう忙しくもあるまい。

★ また学校間の格差もある。多くの問題をかかえる困難校では肉体的にも精神的にも大変だと思う。

★ 教頭はどの学校でも最も多忙だろう。一番早く登校(出勤)し、一番遅くまで残る。そうしたことは日常茶飯事ではないだろうか。またPTAなど親や学校外の組織との調整も教頭の仕事のようだ。こうした日常に疲弊する教頭も多いと聞く。

★ 以前からよく言われるのは、行政と教職員との板ばさみだ。組合が盛んだった頃にはよく見られた光景だ。校長といっても教育行政全体では末端の管理職、いわば中間管理職だ。民間で言えば営業所長か、せいぜい支店長レベルだろう。学校経営といわれるけれど、自らの裁量で動かせるカネもヒトも限られている。

★ 公務員独特の給与体系もあるだろう。公務員は基本的には年功序列。よく働いても適当にサボっていても給料に大差はない。無理をして肉体的、精神的にダメージを受けてまで管理職にとどまるよりも、給料に大差がないなら一般教員として責任を軽減したほうがよいと考えるのも当然の成り行きだ。

★ 戦前なら「校長」の待遇はイマイチでも、天皇に代わって教育を司るといった「名誉」が与えられていた。でも今は労働者だし、過労死すれば死に損にもなりかねない。

★ これは学校という社会の特徴でもあるが、ベテランの教員が管理職となる。しかし、教員を長くやっていることと、言い換えれば子どもの指導がうまいことと、経営者としての資質・力量は必ずしも一致しないということだ。そう考えると自ら管理者として不適であると自覚し、一般教員に降格する教員が増えることは当然のことであろう。

★ ただ、一つ気をつけなければならないのは、先の「指導力不足」教員の件でも言えるが、学校が大きく姿を変えてきているということだ。創造のためのリストラはよいだろうが、学校という組織が崩壊しつつあるとするならば、これは日本の教育にとって憂慮すべき事態だ。その点、よく見ておく必要がありそうだ。
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日本人の顔

2006-09-24 02:36:35 | Weblog
★ とあるサイトで幕末の若き志士達の集合写真を見た。西郷、大久保、桂、坂本、勝さらには明治天皇まで登場するといった豪華版。合成写真には違いないが、それはともかくとして、当時の日本人の顔を見て感じることがあった。

★ 始めは髪形のせいかなとも思ったが、それを差し引いても今の日本人の顔とはどこか異質なものを感じる。まずはアゴだ。アゴがはっている、エラ顔が多い。頬がこけているから、そのエラが更に強調さえている感じだ。

★ 笑顔がない。写真というのは当時としては最先端技術だから、笑って記念写真を撮るなんていう習慣がなかったのかもしれない。あるいは武士は笑わないものだったのだろうか。皆一様に口を真一文字に結んでいる。いや突き出しているといったほうが良いかも知れない。精悍と言えば精悍だ。

★ なんか薄汚さはあるが、これが野趣というものだろうか。同じ民族でも時代や食べ物が変わるとこんなにも人相が変わるものなんだなぁと感心した。
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ニューシネマパラダイス

2006-09-24 02:20:00 | 映画
ニュー・シネマ・パラダイス

角川エンタテインメント

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★ イタリア・シチリアの小さな町。娯楽といったら映画館「パラダイス」で上映される映画ぐらいのものだった。映画好きの少年トトは映写技師であるアルフレードと仲良くなる。二人は時には師匠と弟子であり、時には友人同士であった。

★ しかしある日、その「パラダイス」が焼失し、アルフレードは失明してしまう。

★ 時はめぐり、トト少年は成長し、この小さな村を離れ、映画監督となる。そして1枚の訃報が届く。それはアルフレードの死を告げるものだった。トトは30数年ぶりに故郷への途についた。

★ 月日の残酷さ、そして月日をこえて輝き続ける思い出。そうしたものがしみじみと味わえる映画だ。
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向田邦子「ゆでたまご」

2006-09-23 17:32:46 | 
男どき女どき

新潮社

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★ 高校3年生で看護学校を受験する子がいるので小論文を指導している。そのテキストの中に向田邦子さんの「ゆでたまご」というエッセイが取り上げられていた。

★ これが実に感動的なエッセイで、読み進むにつれて思わず胸が熱くなってしまった。

★ 向田さんの小学校時代の話。同級生に足の不自由な子がいて、その子をめぐる遠足そして運動会の話。遠足の朝、クラス全員のゆでたまごを持ってきて、「よろしくお願いします」と校門で見送る母。運動会でくじけそうになったその子を見て、思わず一緒に走り出した先生。人間として一番大切なものがそこにあるように思った。
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「指導力不足」教員

2006-09-23 14:04:11 | 教育
★ 「指導力不足」と認定された教員が年間500人に上ったという。この数字が多いか少ないか、それは置いておいても、こうした数字が表沙汰になるというのは時代の流れを感じる。

★ 今までからも「問題教員」については「教育委員会月報」に統計表が出ていたが、「指導力不足」を理由に退職や転職を勧奨したり、配置転換をするというのは、一歩踏み込んだ施策だ。ただこの「指導力不足」という表現は、オブラートで包んだような表現だなぁ。詳細は分からないが、児童・生徒に暴言をはいたり、児童・生徒とのコミュニケーションがとれないというのは、そりゃ結果的に見れば「指導力不足」だけれど、人格障害かそれに近いものがあると思える。それがその個人の元来の気質から来るものか、教職を続ける中でどこかが歪んでしまったのかはわからないが、「指導力不足」教員の多くが40代、50代のベテラン層であることや精神的な疾患により休職する教員の数が増えていることから見ても、「学校」という職場が大きく質を変え、それに対応できずストレスを抱え込む実年教員が多いように思える。

★ 学校は教員のためにあるのではなく、児童・生徒のためにあるのは言うまでもない。児童・生徒には最善の教育を保障するのが行政サービスとしても当然の義務である。そう考えるとき、「指導力不足」教員を排除することはこれも当然のことである。

★ 教員免許の更新制が論議され、実現される方向に動いている。今まであまりに教職というものが閉鎖的な社会であったために、それを流動化し活性化させることは重要である。ただ一方においてなぜ「指導力不足」教員が発生するのか、その背景も充分吟味する必要があろう。それもまた教育改革への糸口になるかもしれない。
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