じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

職業人のプライド

2009-01-28 02:00:42 | Weblog
★ 昨日の「天声人語」はなかなか面白かった。

★ 「大変」編集長のエピソードから始まり、「ハドソン川の奇跡」へと話を進める。

★ 「大変」があふれる時代の中で、乗員、乗客、救助隊などの人々がそれぞれ「自分の仕事」をやり遂げたることによって、大惨事を未然に防いだ「奇跡」を讃える。

★ 特に、マスコミからは「英雄」と称賛されながら、自らは「訓練を実践しただけ」と実に謙虚な機長を取り上げて、職業人のプロ意識の大切さを説いていた。

★ 一人ひとりの人間が与えられた持ち場で、自らの職責を全うする。当たり前すぎることだがとても大切なことのように思えた。

★ 拙宅の前の道では連日側溝の改修工事がおこなわれている。肉体労働で体を鍛えたちょっと怖い系の兄さんたちが、クレーンなどの重機を駆使して実に要領良く作業をしている。

★ 週に2日来て頂いている看護師さん。体の不自由な父をうまく入浴させている。体のケアだけではなく心のケアも心がけられていて、プロの仕事を感じる。

★ そう考えれば、リハビリに来ていただいている理学療養士の先生や介護計画を作成してくれているケアマネージャーさん、車いすや介護用品などを調整してくれる業者の人。

★ コピー機を点検・整備してくれる人。事業融資の手続きをしてくれる信用金庫の担当者、税理士さん。思い浮かべたらキリがない。町中にプロフェッショナルがあふれている。

★ 不況だ、世知辛いと言いながら、案外捨てたもんじゃないかも知れないと思えてきた。
コメント

デパートの思い出

2009-01-27 23:41:10 | Weblog
★ 企業の盛衰は日常茶飯事の事だが、小売業の変遷は実にめまぐるしい。

★ 百貨店(デパート)は今や氷河期の恐竜のようだ。しかし、かつてデパートを追い越し小売業の雄を誇ったダイエーも今やかつての面影はない。

★ デパートからスーパーマーケットへ、そしてコンビニエンスストアへと小売りの主体が変わってきている。

★ 「コンビニ」はその名の通り便利さに「売り」がある。しかしその背景には、立地、物流システム、商品開発など裏方の血のにじむ様な努力があるし、大チェーンというスケールメリットもある。

★ しかし、よくよく考えて見れば現代版「よろずや」だ。コンビニが発展する素地は遠い昔から日本社会にあったといえる。

★ ところで、デパートは見捨てられたのか。私が幼い頃はデパートへ出かけることが「ハレ」だった。ちょっとよそ行きの服を着て、商品の数に目を丸くし、疲れてくると買い物に必死の大人を横目に見ながら、駄々をこねたりした。

★ 「もう連れて来ないよ」と言われながらも、一段落すれば屋上の遊具で遊ばせてもらったり、大食堂で「お子様ランチ」を食べさせてもらったりした。チキンライスの日の丸の旗。ミニハンバーグにメンチカツ、デミグラスソースの甘い香りが忘れられない。庶民の子どもにとって洋食が食べられる数少ない機会だったように思う。

★ ファミリーレストランやテーマパークなどない時代。外食すらなかなか連れて行ってもらえなかった時代だ。年に数回デパートで過ごす1日は実に楽しかった。小学校の図工の時間に「楽しい思い出」として描けるほどのイベントだった。

★ 時代が変わり、スーパーが優雅に成長し、高級ブランドはネットでも買える時代となった。宅配便はど流通業も発達した。商品券もデパート共通商品券からVISAやJCBの商品券に人気が移り変わってきているようだ。この時代、デパートに足を運ぶ必要性があろうか。

★ デパート業界は再編が進んでいるが、いくら統廃合をしてもデパートしての魅力を回復しない限り、結局は業態全体が収縮していくほかはない。

★ かつての「ハレ」の日のような演出を再現することができるか。あるいは、もはや古き郷愁は捨てて箱ものだけを用意し、レンタルボックスのように専門店を入れることによって経営を維持するしかないのか。

★ 丸物(のちの京都近鉄)や高島屋や大丸で遊んだ日を懐かしく思い出す。
コメント

「体力・運動能力調査」から

2009-01-22 14:56:26 | 教育
★ 文科省が「全国体力・運動能力,運動習慣等調査」の結果を公表した。

★ 全体的な傾向としては、
  ①1985年の調査と比較して、全体的な運動能力が低下している。
  ②地方に比べて都市部の運動能力が低い(反復横とびを除いて)。
   特に握力やソフトボール投げのような腕力で差が出ている。
  ③中学生で運動習慣と運動能力が2極化している。
  ④朝食、テレビ視聴時間などの生活習慣と運動能力の間に相関がある。
  ⑤肥満については地域差がある。といったところだろうか。

★ 子どもたちは「学力だ、体力だ」と大変な時代になってきた。大人の配慮がいらぬお節介にならなければ良いのだが。

★ ともかく、当然のことながら、運動能力は運動をすれば増進することが明らかになった。であるなら、運動をしたい人が運動できる環境整備、運動が嫌いだったり苦手な人も「ちょっと体を動かしてみようか」と思うような環境整備は必要だろう。

★ 生活習慣との関係は根深い。特に朝食を摂るか摂らないかは、家庭の状況を垣間見るようなものだ。夜更かしの生活習慣や間食の問題もあるが、生活習慣の乱れは家庭生活の乱れを表しているとも言える。特に小学生の場合、きちんと朝食を食べさせることは親の責任だと思うのだが、それもままならない現実があるようだ。

★ 学力も運動能力も突き詰めれば家庭再生の課題と言える。また家庭でそうした環境が満たされないとき、地域社会や学校、行政的なサポートの在り方が問われる。

★ もう一つ感じることは、子どもたちに「体を使って自由に遊べ」といっても、それは物理的に難しくなってきている。都市部でどれほどの空地があるのだろうか。公園でのボール遊びは禁止されているし、不審者や自動車が子どもたちの脅威となっている。結局、特定の生徒だけを対象とした管理された遊び・スポーツにならざるを得ない。事故が起こった場合の責任の在り方も厳しく問われるようになってきた。

★ 調査結果は出たものの課題は山積だ。
コメント

中国で経済論争

2009-01-22 04:21:23 | Weblog
★ 経済政策をめぐり中国共産党内で論争が起こっているという。一枚岩を誇る党にしては珍しいことだという。

★ 中国は北京オリンピック、そして上海万博とかつての日本のような急速な経済発展をしている。その発展が都市部と農村部の格差を生み、社会問題化しているという話は聞いたことがある。

★ また今般の経済危機は政治的には社会主義でも経済的には資本主義路線を歩んでいる中国経済にも大きな打撃を与えているようだ。

★ 広東省では「騰籠換鳥」という経済戦略が進められているという。こうした四字熟語が出てくるあたりは、まさに中国と言う感じだ。「騰籠換鳥」とは低付加価値型産業から高付加価値型産業への構造転換を図ろうとするもの。路線としては実に賢明な選択だと思うが、今までのローテク産業に従事していた企業や労働者からは当然反発が起るだろう。実際各地で争議が起こっているそうだ。

★ 内乱までは至らないだろうが、大国をまとめるのは容易なことではないなぁ。
コメント

「ニート」「ケータイ」

2009-01-22 03:11:47 | 
★ 日々多くの言葉が生まれ、死んで行く。「ニート」や「ケータイ」もそうした言葉なのかも知れない。

★ 本田由紀・内藤朝雄・後藤和智著「『ニート』って言うな!」(光文社新書)、藤川大祐著「ケータイ世界の子どもたち」(講談社現代新書)を読んだ。

★ 「「『ニート』って言うな!」は、マスコミなどによって独り歩きしている「ニート」という言葉の吟味を行い、そうした言葉が使われるようになった日本の社会構造を分析している。

★ 第一部では本田氏が統計資料などを使って「ニート」の本質に迫っている。イギリス発の「ニート」という概念を吟味し、労働、教育の在り方にメスを入れている。

★ 第二部は「いじめの社会理論」を著した内藤氏が、ニートがスケープゴート化している現状から、「社会の憎悪のメカニズム」を説いている。前著の「いじめ」の分析では難解ながら「なるほど」と感心したが、本著はいささか「我」が強すぎて少々ついていけなかった。日をおいてまた読んでみたい。

★ 第三部は後藤氏が学生の視点から「ニート」を考えているが、雑誌記事の総括に終始している感もある。今後の深化に期待したいところだ。

★ 藤川氏の「ケータイ世界の子どもたち」は、携帯電話がここ10年で急速に普及し、電話から多機能な「ケータイ」へと進化する中で、子どもたちに及ぼした影響を検証している。

★ 確かに「ケータイ」は子どもたちの生活を変えた。四六時中ケータイを持っていないと不安になったり、メールのやり取りでお互いの結びつきを確認し合っているような光景をよく目にする。

★ プロフや掲示板への書き込みがきっかけとなり犯罪が起こったり、学校裏サイトを利用したいじめや誹謗中傷が社会問題化している。

★ ハード面の急速な発達に、それを使う人間や社会がついていけていないのが現状だ。社会的なルール作りが必要で、橋下大阪府知事が提唱したような学校での携帯禁止もやむを得ぬ措置であろう。

★ しかし、学校で禁止したからと言って、「ケータイ」をめぐる問題が解決するわけではない。「ケータイ」の背後には家庭や社会環境の問題があり、根は深い。

★ 本書もケータイの問題点を指摘しつつも、結局どうするべきかについて勇気ある処方箋を出すまでには至っていない。これこそが、まさに我々が置かれている現状なのだろう。答えは読者に与えられた宿題と言うところだろうか。
コメント

「サービスの極意」

2009-01-22 01:55:06 | 
サービスの極意 (新潮文庫)
田崎 真也
新潮社

このアイテムの詳細を見る


★ 田崎真也氏の「サービスの極意」を読み終えた。

★ 世界最高のソムリエが自らの経験から極めた「極意」は、「サービスとは何か」を考えさせられるまさに珠玉の宝石箱であった。

★ 私も教育というサービス業に身を置くが、反省させられることが多々あった。不測の事態が起こった時に焦りの余り生徒たちの心を踏みにじるようなことをしていないか。準備不足を経験でごまかしていないだろうか。少しばかり経営が好調だと言って傲慢になっていないだろうか。

★ 田崎氏が指摘するように「手を抜けば、気を抜けば、即座に悪い結果が現われてしまうのが、サービスの現場」(198p)である。

★ といって「サービスの極意」は難しいものだ。形があるわけではなく、ある場面では正解でも、ある場面では不正解となる。結局は人間的な高まりがなければ近づけないもののようにも思える。しかし、向上しようと思わなければ、一歩を踏み出さなければ、道は拓かれない。

★ 先日、近くのお好み焼きのチェーン店へ行った。以前はよく利用したが、店が大きくなるのに反比例して味の方がイマイチとなり、しばらく足が遠のいていた。

★ 久しぶりに訪れたその店、味はやはりイマイチだったが、一つだけうれしかったことがあった。それはアルバイトの女性店員の笑顔が素晴らしかったことだ。店の指導云々ではなく、彼女の人間性が笑顔となって表れたのだろうが、お客さんのことを思った実に清々しい笑顔だった。

★ たとえ味はイマイチでも、あの笑顔を見るためにまた足を運びたいなぁと思うのだから不思議だ。

★ サービスとは難しいものだが、本質は案外シンプルなのかも知れない。明日から心を入れ替えて生徒のためにまた頑張ろうと思った。
コメント

「火火」

2009-01-21 02:54:06 | 映画
★ NHK-BSで「火火」という映画を見た。2004年作の映画だが、こんな映画があったことは知らなかった。何をおいても田中裕子さんの名演が光っていた。

★ 信楽に生きる女性陶芸家の生き様の話である。古来の技巧の復活をかけ、土と火との戦いに明け暮れる毎日。極貧の生活の中でも陶芸にかける情熱は決して衰えなかった。

★ 親子の葛藤など家族の問題もうまく描かれていた。息子も母親と同じく陶芸の道を目指すが、病に倒れてしまう。白血病だった。

★ 後半は息子の闘病生活の描写や骨髄バンク創設に向けての動きに多くの時間が費やされる。ややもすると二兎、いや三兎をを追って収拾がつかなくなるが、そこは田中裕子さん演じる母親がどっしりと要になっていた。

★ 最後はちょっぴりしんみりしたが、これも人生。力強く窯にまきを投げ込むシーンで終わって良かった。 
コメント (1)

オバマ大統領誕生

2009-01-20 11:51:00 | Weblog
★ まもなくアメリカ合衆国にオバマ大統領が誕生する。アメリカ初の黒人大統領と言うことでアメリカでは熱狂的な盛り上がりを見せているという。

★ この若き指導者の登場をケネディになぞらえて「ブラック・ケネディ」と呼ぶ人もいる。

★ 大統領を乗せる車が紹介されたが、その厳重な防御システムはもはや装甲車だ。それだけテロの危険性を感じているということだろう。

★ リンカーンもケネディもキング牧師も凶弾に倒れた。自由と民主主義の国アメリカでもテロは絶えない。銃社会だから一層深刻か。

★ ところでオバマ氏の演説は定評がある。何ができるかではなく、この演説の力で大統領の地位を得たと言っても過言ではなかろう。

★ 「change」「Yes, we can.」「We are one.」と矢継ぎ早にキャッチフレーズが飛び出してくる。それがまた似合っている。アメリカには説教の文化があるから、演説もその延長なのだろう。照れずに「神」を出せるところも好都合だ。

★ ボランティアのパフォーマンスも彼だから許せるところがある。スーパーで買い物をしたり、タクシーの運転手に話しかけたり、居酒屋で学生と談笑したり、ハローワークで場違いな指導をしたりといったリーダーとは違う。

★ 「奉仕の精神」なども彼が言うと説得力があるが、森(元)総理が言うと反発を買う。面白いものだ。

★ かつてケネディは「国家に何かを求めるのではなくて、国家に何ができるかを考えなさい」と演説したが、日本でこう言うと国家主義と批判されかねない。「愛国心」に「ナショナリズム」と「パトリオティズム」があると説いたのは「国家の品格」の藤原氏だったか。先の戦争の余波は大きい。

★ かつて魅力的なスマイルで大統領となったカーター氏が次の選挙では総崩れで敗北したように、クリントン氏が「不適切な関係」で挫折したように、新大統領にはテロ以外にも波乱が待ち受けている。

★ オバマ氏はアメリカをどうリードするのか。アメリカはどのように再生されるのだろうか。
コメント

「公立校の逆襲」「サービスの極意」

2009-01-20 04:05:06 | 
★ いくつかの本を同時に読んでいる。毎日少しずつ。

★ 今日は藤原和博氏の「公立校の逆襲」(ちくま文庫)から「学芸会で培われたコミュニケーション」、田崎真也氏の「サービスの極意」(新潮文庫)から「ソムリエコンクール世界大会優勝」「ワインも人生も自由自在に楽しもう」を読んだ。

★ 1つの道を究めようとしている人の言葉というのは実にすばらしい。時に「目からウロコ」となる。

★ 藤原氏は民間から公立中学校の校長になられた方だ。「よのなか科」「土テラ」「夜スペ」など公教育に一石を投じられた方である。

★ 大教大附小事件でトーンダウンしたが、「開かれた学校」ということが声高に叫ばれた時期があった。それだけ「学校」というシステムが閉鎖的であったということだ。人事についても極めて特異な単線系。採用された教諭は、教諭→主任→教頭→校長といったレールの上を歩んでいく。時々教育委員会の指導主事に出向することはあっても、ほとんどの場合またもとのレールに戻ってくる。

★ 下部構造ー上部構造論まで出せば大袈裟だが、学校が時としてイデオロギー対立の最前線となることもあった。文部省対教員組合の代理戦争のようなことも各地で起こった。学校というのは特異な組織である。

★ この伏魔殿のような組織に、法律や行政慣行などでがんじがらめの組織に、民間から校長になられるというのは、ある意味「もの好き」としか思えないが、藤原校長は実に見事に風穴を開けられた。

★ 何よりも本書では素人の目から見た「学校」のおかしさ、新鮮さが満載だ。

★ ところで、学芸会の話は「やってみることの大切さ」が述べられていた。言葉だけでは人は動かない、活動を通して人間は成長していくんだなぁと改めて感じた。

★ 田崎氏は世界の代表的なソムリエの一人だが、本書では彼が歩んだ道、それぞれの場面で何を思い道を歩んで来たのかが述べられている。人は結果だけを評価するがこの結果を生んだ言外の努力は想像を絶する。

★ 「サービスの極意」というタイトルだが、まさに「サービスとは何か」を考えさせられる書だ。これはソムリエという職業に限らずあらゆる職業、またあらゆる対人関係に通じるものではなかろうか。

★ 今日読んだところは、田崎氏がソムリエコンクール世界大会で優勝する場面。「人生を心地よく演出して味わう」という言葉が印象に残った。「ワインも・・・」は優勝した後日談だが、「創造」というものがどのように生まれるのか、心にグンと響く極意が書かれていた。
コメント

学制改革の必要性

2009-01-20 03:21:07 | 教育
★ 横浜市が小中一貫教育を導入するという。将来の学制改革に向けたパイロットケースとなりそうだ。

★ 時代の変遷の中で、「6・3・3・4」といった制度が生徒の発達段階と合わなくなってきている。すでに先駆的な学校では小中を一貫教育とし、その中で教育課程を柔軟に運用している。

★ 臨教審の答申に応じて、中高を合わせた「中等学校」も各地に設置されたが、その成果はあと数年で出てくるだろう。

★ 小中、中高、一方では幼保を統合した「こども園」という形態も生まれている。法科大学院、教職大学院といった専門職大学院もできてきた。

★ 明治維新、太平洋戦争。この2つの事件を契機として教育制度は大きく改革された。46答申、臨教審などその後も「第3の改革」と銘打っていくつかの提言が出されたが、先の改革のような根本的な改革までには至っていない。

★ 学制が発布されたのが1872年、戦後の教育改革は1946、7年だろうか。およそ70~80年で一大変革期が訪れるようだ。とすれば2015年~25年にかけて、新たな変革期が訪れるのだろう。

★ これから数年は学制の大改革に向けて、さまざまな実験をする時期になりそうだ。
コメント