じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

中途半端な英語必修化はムダ

2006-03-27 23:12:20 | 教育
★ 中央教育審議会の外国語教育専門部会は小学校5、6年生で週1回程度の英語科の必修化を決定したそうだ。これは極めて中途半端でほとんど意味がないと思う。確かに小学校で「英語」を必修にしてもらえれば、我々のような民間教育機関にとっては願ってもないビジネスチャンスだけれど、もっと大局的な見地に立てばムダ以外の何ものでもないのではないか。

★ 導入当初や一部の学校(つまりこういう取り組みに積極的な教師がいる学校)ではなんらかの効果があるかもしれない。しかし大多数の学校では結局また負担が増えるだけで、その上、週1回程度の申し訳程度の授業では英語によるコミュニケーション能力などつくわけがない。そんな中途半端なことをするくらいなら、小学校は本来行うべき基礎・基本の充実や人権教育(社会の中でいかに生きるかを考える教育)にもっと力を注いでもらいたい。外国語教育は公的、私的を問わず学校外での教育機関に委ねた方が効率的でもあるし、効果的でもあろう。

★ もし本気で外国語教育を行うなら、週1時間といわず週5時間ぐらいつまり国語科と同じぐらい、それも低学年から導入すべきであろうし、スタッフももっと充実させるべきである。それができないなら、学校ではイベント的に学期に1回ぐらいAETを活用したセミナーを開く程度でよいのではないか。前にも述べたが外国語教育は民間に委ねた方がよい。民間ではどうしてもダメだというなら公民館などを活用した公的な講座を開けばよいではないか。
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民間校長辞任

2006-03-25 10:45:19 | 教育
★ 大阪の高津高校で民間から採用された校長と教職員が対立し、「混乱を避ける」との理由で校長が辞任した。

★ 校長の言動に教職員が反旗を翻したということだが、教職員の要求によって校長が辞任する、あるいは更迭されるといった前例を残したことは、これからの学校運営に大きな波紋を残しそうだ。

★ ここ数年、民間からの校長の採用が増えてきた。これは公務員、中でも専門職の名のもとプライドが高い、言い換えれば頭の固い教職員の牙城である学校に民間的な発想、いわば生産管理による効率化や競争原理を導入し、教職員の意識改革を図ろうというショック療法である。

★ 民間校長については成功例も報告されているが、先の尾道の校長をはじめ、今回の件など全体的な評価は芳しくない。

★ 民間校長の難しさは、文部省対日教組といった対立構造が緩やかになったとはいえ、管理側(行政側)にある校長と教職員との対立の中にあって、極めて同族意識の高い教職員に対し「よそ者」である民間校長がどのように支持を得られるかという点である。

★ 民間の会社なら校長つまり経営の責任者が経営方針の決定権はもとよりそれに基づき、ヒト、モノ、カネをほぼ自由に運用することができる。私立学校においてもある程度の裁量が与えられている。しかし公立学校の場合は、「雇われ校長」であり、校長とはいってもこれは民間の経営者とは雲泥の差がある。校長とは教育行政の末端にあり、長とはつくものの一事業所の長、会社の機構で言えば係長か課長クラスである。

★ 校長をめぐる問題は今始まったものではない。長年教職にあるものにご苦労さんの意味で校長職につかすもの、校長とは名ばかりで閑職で草むしりをしているものなど。しかしそれであっても教職員にとっては校長は自分たちの先輩であるとの一定の認識があった。

★ 公立学校において民間の校長を採用することは一般的には難しい取り組みである。もちろん例外はあるし、それは生かせばよい。民間校長を採用するならいっそ公設民営を実現するか、あるいは教育と経営を分離し、経営の領域、例えば理事会のような組織に民間人を採用するかだろう。しかし今の日本の教育行政制度ではそれほどまでには学校の独立性は認められておらず、教育委員会やその事務局と個々の学校との経営をめぐる関係を整理しておかなくてはならなくなる。

★ 報道に基づく限りではあるが、今回の件でやはり気になったのは、辞任した民間の校長が「進学率」あるいは「進学者数」に目標(これは経営目標なのか、教育目標なのか?)をおいた点である。「ドラゴン桜」ではないが学校の評価つまり校長自身の評価を世に知らす方法としてブランド大学への進学率しか掲げることのできない現実を考えておく必要があろう。

★ いうまでもなく、教育は人をつくる営みであってモノをつくる経営、生産管理とは理念も手法も異なる。教職員のわがままや組合の利害を過度に受け入れていては学校経営は成り立たないが、学校といった特殊な経営体を運営するには特有なノウハウも必要であろう。

★ 民間人の経験や知識を学校に生かすことはこれからも求められるが、それをいかせる条件整備が欠かせない。まずは教職員をどうやって働かせるかである。そこに校長のリーダーシップが問われ、これは民間企業でも同様である。
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ウィルスの恐怖

2006-03-16 00:04:01 | Weblog
★ 今人類は2つのウィルスの恐怖に直面している。一つは昔から戦ってきた病原体としてのウィルスであり、もうひとつはコンピュータウィルスである。

★ 病原体としてのウィルスはエボラ出血熱やエイズウィルスなど新しいものが登場してきたが、中でも新型インフルエンザはジワジワと人類に迫りつつある。腰の重い国が特効薬の「タミフル」を備蓄しようとしている点を見ても、大流行の時が近づきつつあることを物語っている。ただ悲観的な見方をすれば我々はこの新しいウィルスとの戦いを防ぎようがない。多くの人類がウィルスの餌食となるであろう。ただささやかな希望は、人類のうちある者たちはこの戦いに打ち勝ち、免疫を手に入れるということである。人類は何度となく病原体、ウィルスと戦い、今ここに存在する我々はその勝者の末裔である。次の戦いで、自分が勝者になるか、敗者になるかはわからないが、人類が絶滅することはなかろう。ウィルス同様、人類もなかなかしたたかに生き延びるであろう。

★ もうひとつのウィルス、コンピュータウィルスはなかなかやっかいな存在である。昨今「ウィニー」による情報の漏洩が報告され、政府が「ウィニー」を使わないようにと呼びかけるなど異常事態となっている。ひとつ心配なことがある。これはSFの世界の話かも知れないが、もしコンピュータウィルスが自己の複製を作ったり、また進化できるとしたらどうであろう。ビデオテープを通して伝染していく「リング」のように広がっていくことはないのだろうか。

★ 今や電子ネット社会である。経済も軍事も電子機器を介さなくては成り立たなくなってきている。映画「2001年宇宙の旅」ではコンピュータがロケットの乗組員に反旗を翻す姿が描かれていた。万が一、軍事関連のコンピュータが暴走したら、核戦争が勃発するなんてことはないのだろうか。ハッカーによって軍事システムが誤作動し、核戦争直前まで至ると言った映画は何本かあったと思う。私たちの社会と言うものは案外、砂上の楼閣なのかも知れない。
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「ゆとり教育」の失敗

2006-03-14 18:18:30 | 教育
★ 今さらながら「ゆとり教育」の失敗を実感している。

★ 暗記中心の詰め込み教育の反省、新しい学力観、生きる力、週5日制などさまざまな言葉が行き交い、教育内容が大きく縮減されてきた。「七五三」と呼ばれるように、小、中、高を通じて、教育内容を未消化のままただ先に進み、「落ちこぼれ(落ちこぼし)」を生んできた実態を反省する意味もあった。どのみち未消化のままに終わってしまうのであれば、教育内容を削減し、学習内容のレベルを引き下げれ、その完全習得をめざした方が良いのではないかと私も思った。しかし最近指導している生徒を見ていてそれが間違いであったことを実感している。なぜなら、内容を引き下げ、進度を遅くしてもやはり理解ができない子はできないのだ。

★ 学校では習熟度別クラスが実施され、あるいは少人数での指導もされている。1クラス45名だった私たちの時代に比べればはるかに条件整備がされているように思う。そして内容も簡単になったのだから、少なくともそれぐらいは定着させてくれているのかと思いきや全く不十分である。

★ 私の塾に通う生徒、まもなく小学5年生になるが小学2年生レベルの計算が満足にできない。特に繰り下がりの引き算がひどい。基礎的な計算が不十分だから、それから先の学習にも支障をきたしている。結局は算数は面白くないとやる気をなくし、算数嫌いになっている。

★ 能力の問題もあるだろうし、家庭での学習環境の問題もあるであろう。しかし小学校低学年ぐらいの内容はなんとしても理解しないと、将来困ることになると思える。本人は「算数などできなくてもなんとかなる」と嫌いな算数を益々避けようとしているが、算数自体は数学と名前を変えてもあと数年間はつきまとうし、高校受験もある。

★ 「ゆとり教育」によってほとんど得るものがないならばそれは見直す必要があると思う。私は少なくとも以前のレベルに戻すべきだと思う。数学では不等式や二次方程式の解の公式は入れればよいと思う。理科ではイオンを入れたい。社会では都道府県や主な国の地誌については概略でも知識として習得してもらいたい。(今は主だった都道府県の概要や好きな国調べ程度で終わっている。)歴史ももっと詳しくてもよかろう。

★ 「詰め込み」と批判され、知識や暗記が軽視されてきたが、教養の基礎には共通して学んだ内容、知識が必要であろう。知識がなければ深い思索も不可能ではないだろうか。知恵が求められるのはもっともだが、知識もまた軽視すべきではないと思う。
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ローハイドとコンバット

2006-03-10 00:08:25 | Weblog
★ NHK-BS2では毎夜深夜に「ローハイド」と「コンバット」を放映している。

★ 私がこの番組を見たのは確か幼稚園ぐらいの頃だと思う。だから「ローハイド」といえば「ローレン、ローレン、ローレン・・・」で始まるテーマ曲と西部劇のイメージしか残っていないが、それでも懐かしい。

★ それにしてもこのテーマ曲は名曲中の名曲だと思う。私にとっては「七人の刑事」のあのハミングとならび心に焼きついている曲だ。「ローレン」と言われても幼い私には何のことか分からなかったし、最近になってやっと「Rollin'」ということがわかった。でも「ローリン」ではなく、今聞いても「ローレン」に聞こえる。

★ 「コンバット」もテーマ曲が有名だし、キャスト紹介が印象に残っている。戦争映画というのはうっすらと覚えていたが内容までは覚えていない。最近の放送をチョット見て、単なるドンパチではなく、戦争と言う極限状態の中での人間の微妙な心理が描かれているなぁと思った。

★ 私が幼稚園から小学校低学年時代、昭和30年代後半から40年代初頭はアメリカのドラマがたくさん放映されていたように思う。人間の言葉を話す「エド」という馬が登場するものや、自動車が話をするものや、みすぼらいし農夫がひょんなことで油田を掘り当て億万長者になるものなど。少し遅れて「宇宙大作戦」(スタートレックのこと)や「スパイ大作戦」(ミッション・インポッシブルのこと)、「トワイライトゾーン」「ミステリーゾーン」なども面白かった。「トワイライトゾーン」などはやがて「ウルトラQ」などにも影響するのかな。それらはほとんどが白黒映像だけれど、白黒ならではの味わいがあるように思う。
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小説吉田学校

2006-03-08 23:17:44 | 映画
★ 久々に映画「小説吉田学校」を見た。

★ 森繁さんの吉田茂をはじめ、鳩山一郎、池田隼人、佐藤栄作、田中角栄など歴代の総理が講和前後の日本の政界を舞台に激突していた。政治の世界のことなのでドロドロとした駆け引きは仕方ないとはいえ、どの政治家も「日本」という国家に対する思い入れがあり、それぞれの役回りを演じているのがすがすがしかった。

★ 時代変わって昨今の政界。小選挙区が導入され派閥が弱体化したためか、あるいは終戦直後に比べれば平和な世の中が続いているからか、あるいは「スター誕生」でスターと素人との距離が縮まったように、政治家にアマチュアが増えたせいか、吉田茂などのような善しにつけ悪しきにつけ、迫力のある政治家が少なくなった。

★ 民主党は大ベテランの渡辺氏を起用し、ちょうど初期の小泉内閣が塩爺(塩川氏)を起用したように、爺さんの魅力で巻き返しを図っている。与野党の垣根を越えて爺さんパワーが復活してきているそうだ。

★ 年はとられたが宮沢元総理や中曽根元総理など80歳を超えても政治家は健在だなぁと思う。70歳などまだまだ現役で、びっくりするぐらい若い。あのパワーはどこからくるのかと感心してしまう。

★ さて、混迷の民主党だが鳩山氏と菅氏が接近との話もある。先日、政治評論家の三宅さんが話されていたが、鳩山代表、小沢幹事長といった線はかなり濃厚で、これは自民党にとっても脅威の布陣になるだろう。菅氏にも何か役回りがくるだろう。若手は少し休みという感じで、民主党オールスターズ最後の戦いになるのではないだろうか。

★ 政界の一寸先は闇と言う。棚からボタモチで鳩山総理などと言う局面もあるかもしれない。最近鳩山氏にカリスマ性を感じる。軽率な発言には注意してほしいが。
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男の財布

2006-03-01 12:21:11 | Weblog
★ 朝、テレビを見ていると、作家の山本一力さんが池波正太郎さんを紹介、評されていた。

★ 山本さんの落ち着いた語り口についつい引き込まれて最後まで見てしまったけど、「粋」とはどういうことかなど話されていた。最後に紹介された池波さんの言葉「男の財布」というのは含蓄のある言葉だと思った。

★ 「どんなに心の中で想っていても想いは形にしないと伝わらない。そのために男の財布があるのだ」ということだったかな。なるほどなぁ。

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