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「ブラックレイン」

 WOWOWで録画してあった「ブラックレイン」を見た。松田優作の遺作となったこの映画は以前一度だけ見たことがあるが、その後ずっと見ることができなかった。癌に侵されながらも、鬼気迫る演技で見る者を圧倒するが、私にはそんな松田優作が痛々しくて、もう一度見るなんてことはとてもできなかった。だが、今年は松田優作の20回忌の年にあたり、彼をオマージュするドキュメント映画も上映されているのだが、それを見に行く勇気がどうしても出てこない私なので、せめて遺作となったこの映画を見て、私なりに供養をしたいなと思い、録画したものである。
 あらすじは、
 「ニューヨーク市警の刑事ニックとチャーリーはヤクザの佐藤を逮捕し、日本に連行する。しかし目的地の大阪に到着するなり、佐藤が仲間の手によって逃亡。言葉も通じない国で困惑しながらも、ニックとチャーリーは佐藤の追跡に乗り出す。そんなふたりを監視するベテランの松本警部補。やがてチャーリーが佐藤に惨殺されるという事態に。復讐に燃えるニックは松本とともに佐藤を追う!」 
といったものだが、私にはそんなものはどうでもよかった。ニック役のマイケル・ダグラスも松本警部補役の高倉健も存在感溢れるさすがの演技で、日米両国間の異なる捜査方法に戸惑いながらも、二人が次第に心を通じ合わせ、佐藤役の松田優作を追い詰めていく過程は面白かった。が、この映画は私にとってはあくまでも松田優作の遺作であって、それ以外のことには全く興味がない。この映画に関しては、そんな己の恣意丸出しで見てもいいんだと勝手に決め込んで、最初から最後まで松田優作にだけ注目し続けた。

 

 しかし、なぜ松田優作はこんな役をわざわざオーディションを受けてまで演じようとしたのだろう?裏社会でひたすらのし上がろうとする荒々しい男は、もうとっくに卒業していた役柄であるはずだ。バイオレンスを主題にした映画から活動の基軸はもう転換していたはずなのに、また再び・・、というのは私には理解できない。いくらハリウッド映画への進出を願っていたとしても、あまりにステレオタイプ化した「日本ヤクザ」を演じなければならないことに抵抗は感じなかったのだろうか?(ハリウッドでステップアップしていくためのきっかけにするためには仕方ないのかもしれないが、それでも・・)
 もちろん松田優作は松田優作らしく最後まで佐藤を演じている、人間凶器とも呼ぶべきアブナイ男を演じきっている。だが、私には時々垣間見える彼の優しい目が気になって仕方がなかった。私が大好きな松田優作の慈愛に満ちた眼差しが、佐藤の狂気の隙間から私に向かってくるのだ。その眼差しを感じるたびに、「これがあなたの遺作では俺は悲しい」と言いたくなってしまった。思うに、松田優作は単なる殺人マシーンを演じるにはもうあまりに人間味溢れた存在になっていたのだ・・。
 見終わって私は自分が長い間誤解していたのが分った。死を覚悟して臨んだ撮影が痛々しいのではなかった。長い役者としての身に着けてきたものを世界に向かって吐き出そうとした矢先に、なんだかいかにも中途半端な役どころを演じたところで、唐突に終わってしまった松田優作の人生が私には悲しかったのだとやっと理解できた。さぞや無念であっただろう、と松田優作の死を改めて心から悼んだ。
 
 松田優作が眠る墓碑にはただ「無」の一字のみが刻まれているという。死の直前は仏教に心惹かれていたと言われているから、まさに松田優作にふさわしい文字なのかもしれない。しかし、「無」から「有」を生み出すのも役者の仕事であろう。松田優作が死の直前、「無」の境涯にあこがれ、わずかなりともそこに達することができていたのなら、あと5年も生きながらえていればきっと素晴らしい「有」を紡ぎ出していたはずだ。そう思うと運命の残酷さを恨まずにはいられない。
 
 彼の死から20年たった今も、その死は無念のままである・・。
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