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ミャンマー旅行 2月9日 ミャンマー・ヤンゴンへ

2011年03月18日 | ミャンマー旅行
                                    シュエダゴォン・パヤー
モーニングコールの電話が鳴って5時に起こされた。
今日は、7時20分発 エアアジアでミャンマー・ヤンゴン(ビルマ・ラングーン)に行くので早く起きた。
5時30分チェックアウトし、THB310の返金を受ける。
タクシーが来ていると案内された。タイ国鉄の線路を渡ったところの道路にタクシーは停まっていた。
インターナショナル・エアポートと言うとタクシーは出発した、17分後の5時55分に着いた。
タクシー代THB140(¥390)を払うと、急いで次の客を乗せて出て行った。ここで客を拾うのは禁止されている。
エアアジアのチェックインカウンターは、大変混雑していた。
30分並んでやっとチェックイン完了した。バックパックを預け、搭乗券を受取った。
6時30分になっていた。急いでイミグレーションに行き並んだ。
ここはいつも長時間並ばされる。フロアには出国者で溢れていた。
無事出国し、搭乗口に着いたのは6時55分になっていた。
搭乗は遅れていた。
バスに乗りエアアジア駐機場に着いたのは7時30分になっていた。
20分ほど遅れでヤンゴンに向った。
 エアアジア


途中、ホットドック&コーヒーを朝食に食べた。
早朝便の為朝食を取る暇が無いだろうと思い、インターネット予約時に頼んでおいたのだ。
8時15分ごろ、ヤンゴン国際空港に着陸した。バンコクと30分の時差がある。
搭乗ブリッジを通りイミグレーションへ進む。
入国審査に並んでいると2人前のロシア人夫婦のところに知り合いが1人、2人と合流してトータル5人が横入りした。
私も後ろの人も呆れていた。
無事入国した、確認の為パスポートを開けるとビザの横にハンコが押され28日間滞在が可能であった。日本でビザを取って来たのを忘れていた。
到着ロビーのタクシーカウンターでホテル名を言って料金を聞くとUS$8との事。ガイドブックのUS$7から値上がりしていた。
9時ごろタクシーでヤンゴン市街に向かった。
車は右側通行であったが、走っている車は右ハンドルの日本の中古車であった。
バス、マイクロバス、ワゴン車までが右ハンドルで左側乗降口のままである。
携帯電話の電源を入れて見た、やはり圏外になっていて時刻表示が無かった。
市街中心地のセントラル・ホテルに着き、US$8を渡しタクシーを降りた。

セントラル・ホテルのフロントで部屋が空いているか聞くと空いていないとの事。
耳を疑った、「Full!」と叫んでいた。
他のホテルを紹介しましょうか?と言う事でツアーディスクに行った。
パノラマ・ホテル US$30も満室で、次にアジア・プラザ・ホテル US$28(\2,380)が取れた。
US$28を払い、バウチャーを受取り、歩いてアジア・プラザ・ホテルに向かった。
ミャンマー最大都市のヤンゴン中心地でも、女性は、ほっぺたにタナカという白い粉を着けていると驚きながら、徒歩10分ほどで着いた。中級ホテルであった。
バウチャーを渡しチェックイン完了。
8階の角部屋で見晴らしが良かった。目の前にはヤンゴン駅が見え、その向こうにはシュエダゴォン・パヤーが見えた。
エアコン、ホットシャワー、テレビ&ミニバー、朝食付きであった。


まだ10時である。
ヤンゴン見物に出掛ける前に、財布の通貨を入れ換えた。
ミャンマーでは、日本円の両替も難しく、USドルの現金のみが使えるので、日本円とタイ・バーツを出し、すべてUSドルにした。
ボーヂョーアウンサン・マーケットに行ってUSドルをミャンマー・チャットKに両替する為に向かった。
途中、ヤンゴン中央駅予約発券窓口があるので寄った。
ガイドブックに載っている場所に行ったが、建物が見えない。
敷地内に入って行くと窓口が並んでいるが、薄暗く、薄茶一色の世界でビルマ語表示だけでさっぱり分からない。
マンダレーと言って人に聞いて窓口に行った。
行き先、日付、列車No. アッパークラス(1等)を書いたメモを渡した。
US$30で2/12 5時発マンダレー行きチケットを購入した。マンダレーには20時10分着である。

ボーヂョーアウンサン通りには、アジア・プラザ・ホテル、セントラル・ホテルやヤンゴン中央駅予約発券窓口があり、ボーヂョーアウンサン・マーケットもある。
ボーヂョーアウンサン・マーケットの貴金属店で「マネーチェンジ」と言うと向かいの貴金属店で両替できる様なので行った。
US$1が840チャット(840K)であった。US$100を両替して84,000Kで、1,000K札を何と84枚を渡された。10枚だけを財布に入れ、残りはゴムバンドでとめてデイバックに入れた。
両替が終わってから、両替レートを交渉しなかった事を後悔した。ガイドブックに記載のあった1K=約\0.1であったので変に納得してしまった。
マーケット内の外周部にケーキ?&飲み物のカフェがあった。ビールなんか置いてないだろうな?と見ていると奥にレストランがあった。
ケース内に、おかずが4or5種類並んでいた。2種類を選んでテーブルに座った。
ビールは有るか聞くと、タイガービールは無いとの事、ミャンマー・ビールを頼んだ。
なぜ、わざわざタイガー・ビールは無いと断わったのか?シンガポールのビールだから、中国系と見られたのか?
ご飯は不味いが、おかずは美味かった。ビール大瓶込みで500K(\510)であった。

ボーヂョーアウンサン通りとスーレー・パゴダ通りが交差するところをスーレー・パヤーに向かった。
スーレー・パヤーは、残念ながら改修中で覆いが被っていた。
 スーレー・パヤー

2007年9月27日に日本人カメラマンの長井健司さんが射殺される衝撃のシーンを撮ったのが、この写真のアーチの様な歩道橋らしい。
歩道橋右から左前方を撮った様である。

スーレー・パヤーの東側の風景である。
 ヤンゴン市庁舎(スーレー・パヤーを背にして撮る)
 

ヤンゴン川を見に更に南下したが、倉庫などが並び見えなかった。
タクシーでシュエダゴォン・パヤーに行く事にして、停まっているタクシーと料金交渉した。
2,000Kのところを1,500K(\150)で交渉成立した。
最後は運ちゃんが、投げやりな言い方で「ああ、ええよええよ!」と言う感じであった。
シュエダゴォン・パヤーの南参道横のエレベーター乗場にタクシーは着いた。
拝観料US$5を払い、草履を預けた。
ここから裸足である。エレベーターで上がった。
黄金に輝く仏塔には圧倒された。
仏塔の東西南北に祈祷堂があり、正座して手を合わせて健康を祈った。
傘を差した坊さんが日本人ですか?と日本語で話しかけて来て、釣鐘など3箇所ほど親切に案内してくれたが、相手するのが億劫になり、「有難う御座いました。」と言って分かれた。
 シュエダゴォン・パヤー                      大理石の床 
 

 屋根付き南参道と仏塔
 

最後に南参道を見物した。
 南参道


シュエダゴォン・パヤーを1時間掛けて見物し終わった。
南参道前に停まっているタクシーとホテルまでの料金交渉した。
来る時と同じで、最後は運ちゃんが、投げやりな言い方で「ああ、ええよええよ!」と言う感じで1,500Kで同意した。

15時ごろホテルに戻った。
明日&明後日の予定を考えた。
当初予定では、チャイティーヨー・パヤー(ゴールデン・ロック)に行くつもりでいたが、3回乗換え最後1時間は山を登って行かなければならず、がっかりするのも!!! いや感動するかも知れない?
日帰りで行けるなら、迷う事なく行ったどろう。 
予定変更してミャンマー3大仏塔のひとつになっているバゴーにあるシュエモード・パヤーに行く事にした。
そして、もう一日は、ヤンゴン近郊の水中寺院に行く事にした。ガイドブックに小さく載っていた。
日程は、明日2/10に水中寺院に行き、明後日2/11にバゴーに行く。
今日買ったマンダレー行き切符は、2/12にヤンゴンから乗るのではなく、バゴーから乗車しよう。

夕方、ビールを捜しにホテルを出た。
2ブロック横にRUBY MARTというスーパーマーケットがあった。
食料品売場もあり、部屋に持って帰って食べられる様な物を捜したが無かった。クッキーと髭剃りを買った。
リカーショップがあり、缶ビールを買った。ミャンマービール990K(\99)、タイのシンハービール660K(\66)であった。

ホテルに戻り、缶ビールを飲みながらテレビでサッカーを見たり、本を読んだ。
18時30分、日没となり、部屋が暗いのに気付く。蛍光灯が点いていないのだ。
壁にあるスイッチをすべてつけたが変わらない。
電話を使って英語で説明するのが大変なのでフロントへ行き説明した。ハウス・キーパーをよこすとの事。
部屋に戻るとハウス・キーパーが来て、机の下にもぐり、蛍光灯のコードをコンセントに差し込んだら灯りがついた。

19時前、食事に出た。
先ほどのスーパーマーケットにレストランがないか行ってみた。
最上階にフードコートがあった。
焼きそば(2,500K)とコーラー(1,000K)にした。ビールが無かったのだ。

21時ごろに就寝した。

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