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ミャンマー旅行 2月16日 バガンへエーヤワディー川を下る

2011年04月05日 | ミャンマー旅行
                                    夕日
4時に電話が鳴った。ウエークアップ・コールである。
4時40分ごろチェックアウトした。
朝食の代わりに紙箱に入った弁当をくれた。
タクシーが来ているとの事で、タクシーに乗り込んだ。
タクシーは西に向かいエーヤワディー川に出た、ミングォン行き船着場のある所だ。そこから川沿いに南下して停まった。
貨物船が泊まっていた。これがスローボートか!!
台船が係留され桟橋代わりになっていた。そこにはチケット売場もあり、チケット購入に人が並んでいた。
船に乗り込み、2階のデッキに上がった。
プラスチックチェアが並べられ、欧米人がいた。
デッキの手すり沿いにある椅子を辛うじて確保できた。これで船旅での風景を楽しめる。
ホテルの女将が出発の30分前に着く様にタクシーのピックアップ時間を設定した訳が理解できた。
欧米人が次から次と乗って来た、船員がプラスチックチェアを追加で運んでいた。
船の前後が分からないが、外国人区域と地元民区域が半々に分かれていて地元民はデッキにシートを敷き座っていた。
5時30分ごろチケット検札がはじまり、20分遅れの5時50分に出航した。
スローボートが動き出すと、風というよりは空気が流れ寒い、長袖Tシャツにトレーナーを重ね着しがそれでも寒い。
バックパックの底に入れていたダウンジャケットを取り出し着た。
バゴーで買ったロンジーをGパンの上からはいた。
更にネックウオーマーを首に巻いた。
ここまでして寒さも一段落した。
出航して1時間後に朝靄の中、日が昇った。
 日の出


1時間30分経っても、まだ昨日行ったインワである。スローボートの速度は時速12km程度か!!!!
今日は、一眼レフに望遠レンズ(55-300mm)を付けたままでいよう。
広大なエーヤワディー川&川沿い風景は18-55mmレンズでは、同じ様な写真ばかりになるからだ。
 ザガインヒル                              インワ
 

船の舳先側が外国人が座っている。舳先は、坊さん用特別室がある。
 外国人区域                             地元民区域
 
写真は、多分ロシア人だろう。朝からウイスキー?酒を飲んでいる。ボトルの回し飲みである。

10時30分、最初の寄港地に着いた。
なぜか? 欧米人が船を待っていた。
 
桟橋も何もない。岸に板を渡すだけだ。
物売りも乗って来る。
30分ほどの停泊であった。
 

暖かくなりダウンジャケットとロンジーを脱いだ。
地元民は、布を幕代わりに張って日除けにしていた。
欧米人女性は、現地民と親しくなってタナカを顔に塗ってもらっていた。
私は、エーヤワディー川の風景を楽しんだ。
 川岸の樹木
 

 



 エーヤワディー川を航行する船
 

 

  

横の欧米人夫婦が到着時間を23時と聞いたがと確認の為尋ねてきた。
私はガイドブックで確認して、19時と答えた。

ホテルで用意してくれた朝食ボックスには、トーストとバナナが入っていた。それを少しずつ食べた。
どうせスローボートでも腹を壊すおそれのある買い食いは無理だろうと思っていたからだ。
14時ごろにそれも無くなり、船の後部にある食堂に行った。
詰めれば4人ほど座れるカウンターがあるだけの食堂だった。
ビールを頼んだ、大瓶ビールの飲み口をきれいにふき取り、グラスと共に出された。
つまみに豆を出してくれた。
バガンへの到着予定時間を食堂のおばちゃんに尋ねると22時との事であった。
席にもどり、先ほどの西欧人夫婦に、食堂のおばちゃんが22時到着と言っていたと伝えた。

次の寄港地に着いた。
スローボートの乗客も下船して、逆に船を見たり、付近の写真を撮っていた。
ロシア人?女性もその中にいて、船に戻る時、岸と船をつなぐ板の上でバランスを崩し川に落ちた。
落ちると同時に3人の男が飛び込んで助けた。その動きは、すばやく慣れている様であった。
時々、落ちる人がいるのだろう。

 寄港地の人の営み
 

 



エーヤワディー川の川幅は広い、雨季には川幅1杯に川が流れるのだろう。
しかし、乾季終わりの今は、川幅の中を蛇行しながら川は流れる。
更に、細くなった川に航路を示す竹竿が刺さっている。
時には、船は流れに直角に曲がり浅瀬を回避する。
ゆっくりと流れる時間、川岸風景、川風景、時々寄港する風景と人々、飽きる事はない。
だが、もう日が暮れる。
 日没


日没後も夕焼けや薄明かりがあったが、18時30分、周りは真っ暗になった。
サーチライトで川面を照らしている。何を見ているのだろう。
寄港する時も、真っ暗な川岸をサーチライトで照らしていた。岸にライトが見えた。

食堂に行き、ビールを頼んだ。
おばちゃんがインスタントラーメンを作り出した。
インスタントラーメンであれば火が通り、熱々で食べられるので、私も頼んだ。
野菜たっぷりのラーメンが出て来た。腹ペコで美味かった。
このインスタントラーメンも中国製かと思い、袋を見せてもらったところ、ヤンゴンの英文字があったのでミャンマー製だろう。

夜がふけていった。
朝の様に寒くなるのかと思っていたが、長袖Tシャツで過ごせた。
マグライトで照らして小説を読んで時間を潰した。
物売りのおばちゃんも片付け出した。おばちゃん達は、このままボートで雑魚寝して、朝マンダレーに向うそうだ。
21時30分、バガンのニャウンウーに着いた。

 船で見掛けた人々
 

 


 寄港地で見掛けた人々
   

 

上陸し土手を上った。
サイカーの運ちゃんが近付いて来た。馬車もある。
サイカー代は、2,000kを1,500KでOKして乗った。
すぐに停まった、外国人が並んでいて、そこに並べと言われた。
そこは入域料US$10を支払うところであった。パスポートと共に提示した。
ヤー・キン・ター・ホテルに向った。
まだ、レストランやビヤガーデンが開いている。
ホテルに着き、部屋が空いているか聞くと空いているとの事。
宿泊費は、US$18とUS$32でコテージがUS$32であった。
US$18の部屋を見せてもらった。
少し古いが清潔にしているのでここに決めた。
サイカーの運ちゃんに2,000K払った。思ったより距離があったので多く渡した。
 ヤー・キン・ター・ホテル 

宿泊費を偽札?US$20札で出すと、やはりミャンマーでは使えないと言われた。
この札をホテルが受取った後、ブラックマーケットに持ち込んでも両替してくれないそうだ。
そんな偽札を外国人につかまして、ミャンマー国外に偽札を持ち出せとは、完全にミャンマーが中国人のマネーロンダリングの場として利用されているのだ。
悪名高き強制両替(US$200を公定レートで両替する。公定レート=0.005実勢レート)は無くなったが、ホテル、鉄道&航空機、入域料(入場料)は、今でもUS$払いである。
なぜ? 外貨が欲しいだけであれば、両替だけでいいのでは???

別のUS$20札で支払いを済ませ、部屋に荷物を置いて食事に出た。
近くのレストランで、スパゲティーとビールを頼んだ。
ミャンマーでスパゲティーは初めてであった。茹で足らない、アルデンテではない。
スパゲティー2,000K、大瓶ビール1,500Kであった。ビールが安い。
レストランは23時までの様だ。

23時30分、就寝。

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