いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

4月19日 フエ滞在(帝廟ツアー)

2007年06月07日 | カンボジア&ベトナム
8時、シティ・ツアーのマイクロバスにピックアップされた。新市街を回り客を拾った後、まず阮朝王宮に行った。
昨日に続き今日も阮朝王宮をガイド付きで回った。ただし、英語でのガイドで殆ど理解できない。客の中にベトナム人も6人も参加していて、彼らから英語でのガイドに不満が出ていた。
次に郊外の土産物屋に連れて行かれた。土産物にはまったく興味がなく、迷惑に感じるぐらいだ。
その後、フォーン川を見渡せる丘に行った。


新市街に戻り、レストランで昼食が出た。レストランは、昨日Iさんと夕食を取ったレストランであった。外人観光客は、いかに狭い範囲を移動しているがうかがえる。
次に着いたところは、トゥドゥック帝廟。


カンディン帝廟



ミンマン帝廟



ティエンムー寺


帝廟を見て中国を感じたが、それより沖縄を強く感じた。南の海洋国家である。
帝廟の入場料は55,000ドン(416円)も取られ、参加者の中には後半入場しない者もいた。また、昨日、阮朝王宮のチケット売り場にいた職員が、今日はカンディン帝廟のチケット売り場にいた。どの様な組織になっているのか、国家公務員か?

ティエンムー寺前のフォーン川からドラゴン・ボートに乗り、川を下った。フースアン橋近くの観光船乗場で降りて、ツアーは解散になった。

明日、フエを発ちラオスのサバナケットに行く事にした。ホテルでサバナケット行きバスを申し込んだ。6時30分発。

4月18日 フエへ&阮朝王宮

2007年06月06日 | カンボジア&ベトナム
8時30分、オープン・ツアーバスにピックアップされフエに向かった。
五行山(マーブルマウンテン)に停車するものと思っていたが、ツアーバスは通過した。カメラを出したが間に合わず。ホテルでチケットを買う時の説明では、五行山とランコービーチに行くと言っていた・・・停まるとは言っていない・・・? 
ダナンに9時30分、30分間で着いた。私のガイドブック2002版では所要時間2時間となっていて、1/4になっている。また、ニャチャン-ダナン間は19時間となっているが、1/2の10時間であった。ガイドブックが間違っているのか? 5年間で道路が良くなりバイパスが出来たからか? 多分、後者だろう。良い意味で予定が変わり前倒しで日程が進んでいる。
雨が降り出した。今回の旅行で、はじめての雨だ。東南アジア旅行で傘や雨合羽を持たない所以である。
ダナンを出て、まもなく長いトンネルに入った。ハイバン峠を越える時の眺望を楽しみにしていたが、長い長いトンネル、一瞬日本に戻ったのかと錯覚するほど、日本のトンネルと造りが似ている。日本のODAで建設したのか?
ランコー村で休憩、本降りの雨である。ドライブインorホテルよく分からない施設で30分ほど休憩した。天気が良ければ、綺麗なビーチが広がっている事だろう。
11時30分フエに着いた。Binh DuongⅡHotel(ビン・ジュオン ホテル)にツアーバスは停まった。Mさんから聞いていたホテルで部屋を見せて貰った。案内された部屋はUS$20の部屋で、広いベランダがあり綺麗な部屋であったが、予算オーバーである。予算を聞かれUS$10と言うと、2階の部屋に案内された、やはりベランダがある。1階降りただけでUS$20部屋と代わらない様に思った。直ぐに宿泊を決めた。
チェックイン時に、ラオスのサバナケット行きバスについて聞いた。6時30分発で16時着、9時間半で結ぶバスがUS$15である。
フロントで地図をもらい現在地を確認して阮朝(グエン朝)王宮に向かった。
雨は止み曇天で、少し肌寒い。ハイバン峠を越えるトンネルを通り抜けてから気候が変わった様である。
フォーン川に架かるフースアン橋を渡ったところで食堂に入った。ビールとシーフードを食べていると、店の人が洗った食器をいれたバスケットを2人で抱えて床の上に置き、食器を拭き、種類別に分けて床に積上げた。私も歩いた床である。拭き終わると食器置き場の食器の上に積上げた。何が起こったか! すでに置いてあった食器に、床のゴミが付いた事になる。その食器を使った客は、お腹を壊すだろう?

フラッグタワー全景が見え、橋を渡りガン門を通り抜けた。

右に大砲、左側に広々とした広場がある。その広場に面して王宮門が見えた。

ガン門から直進し、王宮の環濠に突き当たる。環濠沿いに王宮門に向かう。
王宮門(午門)


午門の中央門口

皇帝しか使用できない中央門口、この両側にも門口があり、そこから入場券55,000ドン(416円)を買い入った。

大和殿

中国の紫禁城をまねて造ったそうだが、ただの平屋である。言い過ぎか! しかし、阮朝王宮と中国故宮との環濠内の面積比は1対2である。阮朝王宮は思ったより広い、2時間掛けて見て回った。

午門の出口から


新市街の銀行に行こうと思いフースアン橋を戻って、レロイ通りをチャンティエン橋に向かっている時、昨日夕食を一緒に取ったIさんと、ばったり会った。今日お互いにフエに来る事になっていたが、まさか偶然、会うとは思っていなかった。驚いた。
夕食を今日も一緒に取ろうと18時に待ち合わせをした。

新市街フンブォン通りの銀行でUS$をドンに両替した。ベトナムでの滞在も残り少なくなったのでドンが余らない様注意して両替した。日本円のドンへの両替レートを調べると両替出来ないとの事。3銀行で調べたが、両替は出来なかった。1行が電光表示板のtransfer(送金)欄に\=134.01ドンと表示があった。

Iさんとフンブォン通りのレストランに入り食事をともにした。
お互いの今後の予定を話し合った。私はフエからラオスに抜ける。彼は列車でハノイに向かい、更に列車で中国入りしチベットへ・・・1年間の世界旅行。
彼は、仕事を辞めて旅行に出た事、兵庫・尼崎JR脱線事故の遺族取材がトラウマになっている様であった。話しを聞くだけで「あ、そうか!」と言うだけで言葉を掛けられなかった。
DMZツアーに誘われた。17度線南北ベトナムを分裂させていた非武装地帯の南側の激戦地を回るツアーであるが断った。30年も前に終わったベトナム戦争の跡地を今更見たくなかった。彼が生まれる3年前に終わった戦争だ。

ホテルに戻り、明日のシティ・ツアーに申し込んだ。郊外の帝廟を回るツアーである。US$7(847円)であった。

4月17日 ミーソン遺跡

2007年06月02日 | カンボジア&ベトナム
朝、カメラを持って散歩に出た。昨日古い町並みを撮影したが観光客が多過ぎて・・・。昨日は日本人グループを、はじめてベトナムで見掛けた。シニア10人ほどのグループであった。やはり、ホイアンは観光地である。







トゥボン川を見ながら朝食を取った。ゆっくりコーヒーとオムレツを食べていて8時半のピックアップ時間が迫っているのに気付き、走ってホテルに戻った。

ミーソン遺跡ツアーバスは、8時30分、時間通りに迎えに来た。ホイアン市街を回り客をピックアップして行った。その中に日本人らしき人が3人居た。
1時間ほどでミーソン遺跡に着いた。入場料60,000ドン(454円)を徴収され、ガイドがまとめてチケットを買いに行った。その間、石像や土産物を見ていて、日本語が聞こえて来た。ピックアップ時に見掛けたのはやはり日本人であった。
テレビ局を辞めて1年掛けて世界旅行をするIさん、奥さんはアフリカに青年海外協力隊として派遣されているとの事。Iさんと遺跡を一緒に回った。




昨日までの遺跡回り、そのチャム塔の総本山が、ミーソン遺跡である。世界遺産にも登録され、チャンパ王国の聖地である。
世界遺産とはいえ、規模は小さい。思っていたより、はるかに期待外れであった。遺跡グループB、Cだけが、ある程度の遺構を残しているが、その他の遺跡グループは草に埋もれた内容の薄いものであった。1時間もあれば十分見きれてしまう。
ガイドは、アメリカの空爆で破壊と何度も言っていたが、それはベトナム戦争時にベトコンが遺跡に立て籠もった為、アメリカが空爆したものである。抗仏戦争時にも遺跡に立て籠もった為、ドンズオン遺跡が破壊された。
また、今回チャム塔を見て回ったが、見捨てられた遺跡を沢山見て来た。
この様な事からベトナム中部の先住民族であるチャム族の遺跡を、ベトナム人は、軽んずる所以ではないか。

ホイアンへバスで戻る途中、ボートに乗り換え川を下った。
屋上デッキで風にあたりながらボートクルーズを楽しんだ。


木彫りの工芸村がある島の桟橋

木彫り村の見学は30分ほどで終わった後、ボートの屋上デッキで渡し船の発着をボー・・・と見ていた。これはこれでのんびり出来た。

トゥボン川からのホイアン町並み




ボートは、ホイアンのカムナム橋の西に着き、市場の前を通り1kmほどをIさんと2人で戻った。川沿いのレストランにビアホイを飲みにIさんを誘って、4時ごろから飲んだ。
夕食も一緒に取る事になり一度ホテルに戻る事にした。途中、ミーソン遺跡で一緒になったMさんにばったり会い夕食に誘った。待ち合わせ場所を確認して別れた。
夜7時、川向こうのレストランで夕食を囲んだ。
Iさんは1年間、Mさんは2年間の世界旅行の予定である。すごいと言わざる終えない。でも、世界旅行終了後の事が不安であると言っていた。君達であてば、「どうにでもなる!」。Mさんは、最近まで私と同じ市に住んでいた事が分かり、奇遇だった。お互いに健闘を祈って別れた。

4月16日 ホイアンへ

2007年05月31日 | カンボジア&ベトナム
7時30分バイクタクシーでバスターミナルに向かった。運ちゃんと料金交渉をしなかったので着いて20,000ドン渡すとつり銭が戻らない、要求すると小銭がないと言う! 遣られてしまった。わずか5,000ドン(38円)、どうでもいい金額だが、頭にくる。
ダナン行きミニバスの運ちゃんにホイアンと言うと分かった(分岐で降ろす)という感じであった。100,000ドン(756円)

8時10分にバスターミナルを出て、客拾いで近くをウロウロした後、客拾いをしながら国道1号線に向かい、徐々にスピードを上げた。
13時30分、ホイアンとの分岐に着き、降ろされた。私ともう1人が降りた。その彼がホイアンまで15,000ドンと教えてくれ先に行った。取り合えずビールを飲んでバイクタクシーの運ちゃんと料金交渉した、30,000ドンで成立した。試してみて分かったが外国人価格は現地人の倍であった。

15分ほどでホイアンに着いた。ガイドブックに載っているホテルはUS$15以上で高く、目当てのホテルがなかったので運ちゃんに任せた。1件目は高そうであったので次に行った。My Chau Hotel(ミー・チャウ)は、A/C、TV、ホットシャワー付きでUS$9で部屋は広くはないが綺麗にしているので宿泊を決めた。ファンの部屋はUS$7との事。


シャワーを浴びた後、ホイアン旧市街に行った。ホテルの受付でTown Mapをもらい、現在地を確認してから出掛けた。チャンフンダオ通り、レロイ通りを抜けて、ホテルから南に約800mでトゥボン川沿いのバクダン通りに出た。
トゥボン川沿い

川沿いのレストランに入り、勧められてホイアンの名物カオラウ(汁なしうどん)とビールを取った。

ホイアンの古い町並みは世界遺産に登録され、18世紀以来変わらぬ木造建築の家並みが建ち並び、狭い間口で、奥行きが深く細長い家屋は、京都の町屋に見られる「うなぎの寝床」を思わせる。街はずれにある木造建築の橋は”日本橋”と呼ばれ、17世紀ホイアンに多くの日本人が暮らしていたことの証である。江戸幕府の鎖国政策で、ホイアンの日本人町は衰退し、今は所々に日本を感じる痕跡を見るだけである。
その町並みを見て回る為にホイアン観光チケット75,000ドン(567円)を買った。海のシルクロード博物館、ホイアン歴史文化博物館、福建会館、クアンタンの家、カウ・ライ・ヴィエン(日本橋)を夕方まで急ぎ足でまわった。
カウ・ライ・ヴィエン 来遠橋(らいおん)(日本橋)


1593年、日本人街がありその人々によって建造されたと伝えられている。英語&フランス語併記のパンフレットには「Japanese Covered Bridge」とあり、直訳すれば「日本屋根のある橋」となる。橋を通り、橋の中央には小さな寺があり、この寺を見てみると日本というよりも中国風に見える。

御朱印船(海のシルクロード博物館)

御朱印船の写真がに展示されている。別名貿易陶磁博物館とも言われ周辺で発掘された備前焼きも展示されていた。

ホイアン歴史文化博物館


福建会館


クアンタンの家

間口が狭く”ウナギの寝床”の様で、京都の”町屋造り”に似ており、梁などは日本の影響を受けている様に感じた。

ホテルのフロントで明日のミーソン遺跡ツアーを申し込んだ。行きはバスで帰りはボートクルーで昼食付きUS$5、往復バスはUS$4であった。当然、ボートクルー付きを選んだ。8時30分にホテルにピックアップに来るとの事。

4月15日 クイニョン滞在(チャム塔 見学) 

2007年05月30日 | カンボジア&ベトナム
朝、散歩に出た。ビーチを歩く、汚いビーチだ、泳ぐ気がしないだろう。戻りはビーチ沿いの公園を歩いた。
1ブロック西にサイゴン クイニョンホテルがあり、KIWI CAFEゲストハウスの裏側にもミニホテルがあった。次回があるなら、このミニホテルに泊まり、KIWI CAFEで食事をするのも良いかも知れない。
朝食にコーヒーとハムサンドを食べた後、チャム塔見学に行く事にした。
女将が、手を上げてバイクタクシーを呼んでくれた。このGH目当てに待機している様である。パンフレットのチャム塔の写真を見せてチャムタワーに行きたい事を伝え、料金交渉をした。2時間で60,000ドンを40,000ドンで成立した。
9時15分に出発し、5分ほどでThap Doi フン・タンに着いた。民家が密集している所にそびえていた。
Thap Doi ドイ塔 フン・タン
 

国道1号線を走っていると右手の丘にチャム塔が見えてきた。
橋を渡り右折して川沿いに行くとすぐにThap Banh It に着く。
Thap Banh It バン・イット塔 銀塔


10時5分、ドイ塔から30分で着いた。クイニョン市街中心地から20kmである。
国道1号線から大型車が入る事が可能で、遺跡のある丘は、ゲートや道路を造り造成中である。しかし、地元民からは信仰の対象とはなっていなくて、見捨てられた遺跡である。

サイゴンからバスやミニバスで国道1号線を北上して、バイクが如何に危険か分かっているので、今日のバイクタクシーも心配していた。しかし、運ちゃんは広い路側帯内を時速30~40kmで安全走行するので安心で疲れない。KIWI CAFEゲストハウスが、教育しているのか???
そこで運ちゃんが知っているチャム塔を時間がある限り回る事にした。

バン・イット塔の見学が終わり、バイクの後に乗り込み、運ちゃんに「Next!」と言った。
国道1号線を約8km北上し、橋を渡ってすぐに鋭角に逆行する様な道があり、それを目印に左折する。田園地域を運ちゃんは何度も何度も道を聞いて進み、国道から約12kmの平地にThap Duong Longがあった。11時20分、バン・イット塔から45分掛かった。


Thap Duong Long ドゥオン・ロン塔 象牙塔

遺跡は修復工事中で、また事務所兼資料館の様な建物を建設中で、フェンスで囲んまれていた。鍵が掛かってなかったので、勝手に入った。今日は日曜日で作業をしていないし、飯場に人はいなかった。
2塔は修復が進み、1塔はまだ進んでいない。上部の飾り部に修復による違いが、比較する事で良く判る。修復は赤レンガを積上げ、それを成形している。石材部も材料が無い為か赤レンガで修復されている。形状は似せているが材質は別物、結果的に色合いが違い別物に見える。

見学が終わり、バイクの後に乗り込み、運ちゃんに「Next!」と言った。運ちゃんは、「もう、どのチャム塔も同じ。」と言ったが、再び「Next!」と言った。
もと来た道を戻り、再び国道1号線を北上した。右手の丘にチャム塔が見えた。約4km行って、運ちゃんはチャム塔への入り口を付近の人に聞き、右折した。途中トラックがUターン出来ずに困っていた。段々と道は細くなり、道が分からず青年に案内してもらった。民家の庭と庭の間を、バイクを押して進みThap Duong Longが丘の上に現れた。12時30分、ドゥオン・ロン塔から45分であった。
Thap Pho Loc フー・ロック塔 金塔

運ちゃんを残し、塔を目指して登り始めた。けもの道や雨水の流れ道を登り、最後はブッシュをかき分け塔に着いた。
遠くに小さくチャム塔が見えている。銅塔だろう。

塔の裏側に回ると中学生グループが、フォーを食べていた。カメラを向け撮影した。フォーを勧められたが断った、氷水をコップに入れてくれた。「腹を壊す」が頭を過ぎったが断らずに飲んだ。美味かった。みかんを剥いてくれ、またスイカも美味かった。名前を聞かれ、どこから来たか聞かれ日本と答えた。話が噛み合わない、「どこから」とは、塔の裏から急に私が現れたので驚き、「どこから登って来たのか?」であった。彼らが居たのが正面で、私が登って来たのは裏側からであった。だから道らしい道がなかったのだ。
彼らはピクニックをしていると言っていた。
最後に私を入れて写真を取ってくれた。


フー・ロック塔の正面の階段を下りていった。丘の麓の集落に着き、麓を半周歩かなければならず、バイクが通り掛かったので途中まで乗せてもらった。バイクタクシーまで戻り、後に乗り「Next!」と言った。

国道1号線をクイニョンに戻っていると右手にチャム塔が見えた、Thap Chanh Tien
であった。
Thap Chanh Tien チャン・ティエン塔 銅塔

修復工事中でフェンスで囲まれ、施錠されて入れなかった。

15時前にゲストハウスに戻った。バイクタクシーとは、2時間40,000ドンで交渉成立していたが、約5.5時間掛かり再度料金交渉となった。安全運転に敬意を払う意味で150,000ドン(1134円)でOKした。

クイニョン周辺のチャム塔は、修復工事は進んでいるが、地元民からは信仰の対象とはなっていなくて見捨てられた遺跡である。また、国道からバイクでアクセス可能であるが、車では、バイクとも対向通行できない箇所が多い。
国道1号線沿いにチャム塔が点在し観光資源として恵まれていると思うが、インフラ整備も必要で、また、ビーチも汚いので、シン・カフェの様な旅行会社のオープン・ツアー・バスがクイニョンを経由しない理由が理解できた。

夕食後、ホイアンへの行き方を尋ねた。バスターミナルからダナン行きミニバスが朝5便あり、それに乗りホイアンとの分岐点で降り、ホイアンまでの10kmをバイクタクシーで向かう。GHの受付で丁寧にメモに書きながら説明してくれた。
明日、8時発のダナン行きミニバスでホイアンに向かう事にした。

4月14日 クイニョンへ

2007年05月25日 | カンボジア&ベトナム
8時に起きた。11時間寝た事になる。朝早いバスに乗らない限り、いつも10~11時間は寝ている。旅に出ると常に寝過ぎる。
もう1泊するか、それとも今日クイニョンに発つか迷った。早くクイニョンに行き次のチャム塔を見たいと思う気持ちと、出来るだけ1週間に1日は移動も観光もしない休日を設けると決めているのでその休日を今日取ろうかと思い迷った。
今日は休日にすると決め、フロントで「もう1泊する」と言うと「NO.」と返答してきた。通常「Thank you.」と返してくるが、訳が分からない。あっそう!チェックアウトを決めた。昨日、フロントからツアーを勧められたが「NO.」と言って相手にしなかった、その御返しか?
11時のミニバスに乗れる様に10時過ぎにチェックアウトした。フロントで、急なチェックアウトで「バスチケットはどうするのか?」と聞かれ、バスターミナルに行くと答えた。昨日バスターミナルに行って調べていたので問題ない。

バイクタクシーを拾い、乗った。バスターミナルまでの料金は、15,000ドンであった。協定価格みたいである。バスターミナルに着きバイクタクシーの運ちゃんが、いろいろ聞いてくれている。クイニョン行きは今日はもうないと言ってきた。11時と12時にあると言っても通じない。もう帰れと言いたかった。しかし、彼はチケット売り場を見付け、私を案内してくれた。クイニョンまで65,000ドン(492円)であった。

11時になっても客待ちしている。運ちゃん&車掌と制服を着た職員がもめている。ミニバスに乗っていた乗客2人が降ろされた。
11時15分にクイニョンに向かって出発したと思った。しかし、バスターミナルを出て50mほどで停車し、先ほど降ろされた客2人が乗ってきた。そして、別の4人が乗ってきた。ゆっくりとミニバスは進み、また停車した。運ちゃんが昼食と言っている様である。この運ちゃんは札付きの運ちゃんか! 小さな食堂or屋台? コーラーでも飲もうかと思ったが、コーラー瓶にほこりが溜まっている。コーラー自体を冷やしていない、コップに氷を入れてコーラーを飲む様である。こんな店の氷を飲んだら腹を壊す。

12時15分、今度こそクイニョンに向かった。
約2時間後、綺麗に修復されたチャム塔を見た。写真撮影を試みたが失敗! 予想外の遺跡で名前が分からない。帰国後、調べた、雁塔(タップ ニャン)で間違いないだろう。
チャンパ王国の遺跡の全体像が掴めていない、ガイドブックやインターネットで調べるとベトナム名称、英語名称、日本語名称と混在していて、なお且つ場所の記載もない状態である。従って、重複している場合もある? 今向かっているクイニョンもガイドブックには都市ガイドとして記載のない町で、チャム塔が数ヶ所ある。

ミニバスは、客を拾いながらクイニョンに向かう。定員15人に対して23人まで乗せた。最後は荷物入れの最後尾に3人が立った。乗客はブツブツ言っている。この運ちゃんは、やはり札付きの運ちゃんだ! ミニバスの時刻表では、11時、12時発である為、11時発が1時間遅れでニャチャンを出て、客を待たせ、なお且つ、12時発のミニバスの客まで拾っている。

私の横に座っている客に何時に着くのかと聞いてみた。指で「五」と彼は書いた。中国人か? バスターミナルでミニバスに乗っているのを降ろされ、別の場所から乗込んで来たところをみると間違いないだろう。また、ベトナムではローマ字化したベトナム語を使っている。「クイニョンに、ようこそ。50km」の看板が見えてから、今度は、彼は指で「内」と書いた。

16時30分にクイニョンのバスターミナルに着いた。
バイクタクシーの運ちゃんにゲストハウスと言ってみた、Barbara'sのカードを出して、ここでいいかと聞いてきたのでOKした。バイタク代15,000ドン(113円)。
Barbara's KIWI CAFEは、A/C、ホットシャワー付きで部屋も古くその為汚い、これでUS$10は高い。他に当てがないので仕方なく決めた。
ゲストハウスは、ビーチ沿いの公園に面している。散歩に出た。ビーチでは、フットサルやバレーボールに興じている人々が多い、カメラを子供6人のグループに向けた。撮影しモニターを彼らに見せたら大受けであった。


クイニョンの山に沈む夕日


KIWI CAFEの主人は、西洋人女性でKIWIキーウィと付くからニュージーランド人だろう。明日、チャム・タワーに行きたいと言うとクイニョンのパンフレットを見せてくれた。その中にチャム・タワーの写真が沢山載っていた。
夕食にビールとエビ、イカの野菜炒め50,000ドン(378円)を食べながら、明日のチャム塔見学の作戦を立てた。

4月13日 ニャチャン滞在

2007年05月25日 | カンボジア&ベトナム
朝食は、ホテルのレストランで食べた。コーヒーとスクランブルエッグを頼んだ。ベトナムでは、フランスパンが必ず付いてくる。外側がパリパリで中は空洞がいっぱいで大変美味しい。朝食代を払おうとするとfreeとの事。朝食付きとは知らなかった。ラッキー!
レンタル自転車を借り、1日ニャチャンの町を走る事にした。レンタル代 15,000ドン(113円)。
9時にポー・ナガル塔に向かった。地図を見ながら30分、2つ目の橋に差しかかると左の丘に塔が見えてきた。
ここの遺跡も修復が完了していて綺麗であった。祠堂には、神象が台座の上にあり、ベトナム人の信仰の対象になっている。



ポー・ナガル塔の丘からニャチャン川河口の港と市街中心地を望む。


遺跡からダム市場に寄った、市場建物から同心円状に露店が並び、その間を自転車に乗って見て回った。時間が遅かったので野菜は終わり果物が多かった。
次にニャチャン大聖堂、ニャチャン駅前を通り、ロンソン寺、バスターミナルと行く予定であった。
道に迷い、ロンソン寺に出た。


ロンソン寺から数百m離れたバスターミナルには、クイニョンへのミニバスの時刻を調べに行った。朝、5時から7時にかけて5便あり、その後11時と12時にもある事が分かった。
市街中心地に戻る途中にニャチャン駅、ニャチャン大聖堂前を通った。


日中、暑いのでインターネットカフェで過ごし、mixiで日記を書いて遊んだ。

夕食は、レストランTru'c Linh3でシーフードを食べた。
ウエートレスにロブスターコースをしつこく勧められた(帰り水槽を見るとロブスターが1匹だけいた!)が断り、タイコース、ベトナムコースとあり、当然ベトナムコースを頼んだ。
メーンーディッシュは、エビ、イカ&魚のスープ煮込みであった。メーンーディッシュが来るまでにお腹がいっぱいになっていた。最後にアイスクリームで終わった。味も良しUS$12は、シーズナブルであった。

4月12日 ニャチャンへ

2007年05月24日 | カンボジア&ベトナム
朝、散歩に出た。ゲストハウスの入口でハンモックに蚊帳を取り付け、その中で寝ているGHスタッフを見た。ガードマンを兼ねているのか?
ビーチを歩いた。


GHをチェックアウトしパスポートを返却してもらい、コーヒーを飲みながらオープン・ツアー・バスを待った。
逆方面向きでバスは、止まった。方向が違うので、このバスかと確認して乗り込んだ。ビーチ沿いに乗客をピックアップし、Uターンして8時にファンランに向かった。
ムイネーの漁港には多くの漁船が停泊していた。半島の付け根を北上すると砂丘が見えてくる。


ガイド(or車掌)が話し掛けてきた、ファンランのどこに行くのか?とチャム・タワーと答えると、このバスはチャム・タワーに行くと言った。これはラッキーである。
しかし、ファンランでは、ポー・ロメ遺跡とポー・クロン・ガライ遺跡に行く予定であるが、そのどちらに行くのか?

カーナービーチの手前でトイレ休憩した。レストランでトイレを借りたのでコーラーを買って飲んだが、これが何とUS$1であった。
サイゴンでUS$20をシンカフェで両替(US$1=16,000ドン)していたので、20,000ドンを渡して釣り銭を待ったが2度督促してやっともらえた。何ちゅう店や! 他の外人もブツブツ言っていた。
このあたりは、海岸の直ぐ後が岩山である。


カーナービーチを通過し、30分ほどで次の町外れに入った。線路沿いを走っている時、遠くの丘にチャム・タワーが見えた。なかなか近付かない。
11時20分に、バスは駐車場に入り、正面にチャム・タワーが見える。迫力がある。
ポー・クロン・ガライ遺跡であった。

ハン・カフェは、ここの駐車場をオープン・ツアー・バスの中継地にしていた。乗客は、バスを乗り換えていた。
チケット売り場にバックパックを預け、見学に行った。チケットは5,000ドン(38円)であった。
遺跡は綺麗に修復され、新しく建設された様に綺麗過ぎる。丘の周りはサボテンが群生していた。
地元の人々の信仰が篤く、10月には祭りがあるそうです。
30分ほどで見学が終わり、駐車場に戻った。西洋人シニアのツアー客でにぎわっているレストランに入った。
ビールとスープヌードルを食べて、この後予定通りポー・ロメ遺跡に行くか思案していた。ここから22kmも戻らなければならず、即決であきらめニャチャンに行く事にした。ファンランで泊まるつもりであったが・・・。
西洋人シニアのツアー客が居なくなり、駐車場にもバス、車がなくなった、急に寂しくなった。
レストランの女将にニャチャンへの行き方を聞いた。「バスターミナルに行け」との事。「歩いていけるのか?」と聞くと歩いて行けるとの事。
トイレに行って戻ってくると、女将がバイクの後に乗れと言う。大通りで停車しているバイクのおっちゃんに「この人をニャチャン行きのバスに乗せてくれ。」と頼んでいる様である。チップを渡したが受け取らなかった。ありがとう!女将。

すぐにミニバスが来た。12時過ぎにニャチャンに向かった。メコンデルタで乗ったミニバスと同じタイプである。私が乗ってほぼ満席であったが、まだまだ客を拾っていく。
やはり、オープン・ツアー・バスが良い、車高が高く見晴らしも良い、ゆったり乗れる。それに引き換えミニバスは・・・!
サイゴンから国道1号線を北上している。片側1車線でバイクも走るのでバス、ミニバス等大型車は、センターラインをまたいで走行している。ベトナムの道交法を知らないが、広い路側帯があるのでそこをバイクが走行すれば安全だと思った。
ムイネーとファンラン間は、砂丘と岩山が続いていたがファンランとニャチャン間は、田園風景で稲が青々して大変綺麗であった。タイ、カンボジアは、乾期の終わりでまだ田植えが始まっていなかった。やっとこの辺りで広大な田園を見た。
ミニバスの車掌が、田園風景を指差して綺麗だと言いながら(ボディランゲージで)料金徴収した。50,000ドン(378円)。

ファンラン付近から2時間30分ほど14時30分にニャチャンのバスターミナルに着いた。バイクタクシーの運ちゃんが1人だけが来た。ホテル名を言って料金を聞いた。15,000ドン(113円)2kmほどの距離だが高い、料金交渉も疲れるのでOKした。
ガイドブックで目星を付けたフークイホテル(PHU QUY Hotel)は、A/C、TV、ホットシャワー&バスタブ付きで部屋は狭いがバルコニーがあり海が見える。US$12であった。

町の散策に出た。
ハンカフェ・オフィスがあったのでクイニョン行きのオープン・ツアー・バスがないか聞いた。ホイアン行き夜行便があるが、クイニョンには寄らないとの事。また、ミニバスか!
銀行でUS$60をドンに両替した。US$1=16,039ドンであった。
ニャチャンロッジの向かいにスポーツクラブがあり、テニスコートが2面あった。しばらくテニスを見ていた。
白浜のビーチが続き、中学生が制服のままで海に入り、はしゃいでいた。ビーチ沿いには駐車場や公園があり、この付近ではビーチで甲羅干しする雰囲気ではない。
ビーチからツーリストが集まる通りに行った。ホテル、レストレン、シンカフェ・オフィスが並んでいた。
小さな食堂でいかの丸焼きが皿に盛られているのを見付け、それとビールを注文した。ごはんといかの丸焼きを皿に入れて出てきた。昨日はエビで今日はいか、シーフードは、日本の味と変わらず美味しい。

4月11日 ムイネーへ

2007年05月22日 | カンボジア&ベトナム
宿泊したホテルのある路地には、間口が狭く上に高いホテルが密集しており、私の泊まったホテルも各階に2部屋だけで、ルームNO.301であるが4階であった、たぶん6階建てだろう。
1階にレストランを併設しているホテルがあり、朝食にコーヒーとオムレスを食べた。21,000ドン(159円)。
ベトナムのコーヒーは、初めてである。小さな茶こしに、ひいたコーヒー豆を入れ、それをコーヒーカップの上にを載せ、お湯を注ぎふたをする。この状態でテーブルに置かれたが、知る由も無く、どうすれば良いのか聞いた。注いだお湯が濃縮コーヒーとなりコーヒーカップに溜まる。別置きのお湯をコーヒーカップに入れて出来上がりである。
チェックアウトしホテルを出る時、パスポートを返却されていない事に気付き、返してもらった。危ない!危ない!

オープン・ツアー・バスはシンカフェ前を7時45分、15分遅れでムイネーに出発した。サイゴン中心部を通り郊外へと向かった。
4時間ほど内陸部をバスは走り、海が見え出すとファンティエットである。ここは、ヌックマム(魚醤)の本場である。ファンティエットの市街地を抜けるとすぐに、ホー・ハイ遺跡(チャム塔)が右手の丘に見えてきた。チャム塔(チャム・タワー)を過ぎ、再び海が見えてきた、ここから半島まで続くビーチがムイネーである。
バックパックを担いだ西洋人2組が降りたので、私も降りた。リゾートホテルが並ぶ。
ホテルの当てもなく、取り合えず、目の前のビールが飲めそうな店の石ベンチに座りビールを飲んだ。
バイクのおっちゃんが、どこからともなく現れて、ゲストハウスGH US$10と言っている。店の人もここもGHでUS$10だと言ったので、部屋を見せてもらった。綺麗な庭と2戸一のコテージが3棟あり、A/C、TVとホットシャワー付きで天井が高く綺麗な部屋で即座に決めた。


バイクのおっちゃんは、今度はバイクでムイネー漁港と夕日を見に行かないかと言ってきた。80,000ドン(605円)との事。チャム・タワー(チャム塔)だけで良い、40,000ドン(303円)で17時に迎えに来る様に頼んだ。

GHは、道路を挟んでビーチ側とは反対にある。GHの前には、ホテルがなく、ビーチへの道を100mほど行くとレストランが2軒並び、その前がビーチであり、横がリゾートホテルであった。
タイのバンコクをバスで出て、カンボジアを抜け、ベトナムに入りメコンデルタ、サイゴン、そしてここではじめて海に出た。南シナ海である。

レストランで昼食後、一度GHに戻り海水パンに着替え、再度レストランに行った。ビーチのリクライニングチェアに横になり、ビールを飲みながら小説を読み、目が疲れたらカイトサーフィンを見ていた。
2004年12月末スマトラ沖地震以来、東南アジアのビーチには近付かなかった。2年半ぶりである。ビーチが好きでグアム・サイパン、ハワイ、バリ島、フィジー、タイのビーチと一時期ビーチばかりに行った。

GHに戻るとバイクタクシーが待っていた。先ほどの運ちゃんと違う。口利き屋か?
バイクの後に乗り込んでチャム・タワーに向かった。ゆっくり走ってくれたが海沿いに出ると風が強く危なかった。
ベトナム中部のメイン観光であるチャンパ遺跡のはじまりである。そのチャンパ遺跡のホー・ハイ遺跡が丘の上にあり、ファンティエットの市街地を望む事ができる。
ホー・ハイ遺跡は、保存はされているが地元民からは信仰の対象とはなっていない、見捨てられた遺跡である。


ファンティエットの市街地と夕日


夕食は、またビーチのレストランに行った。1人旅だから1人食事は当然だが、ここでは少し寂しい。ビールとエビのBBQを食べた。45,000ドン(340円)。

明日、ファンランに行くが、ファンティエットのバスターミナルまでバイクタクシーで行かなければならないのが億劫であった。そこでGHのレセプションでファンランへの行き方を聞いたところ、午後にファンラン行きバスがあるとの事で、朝発はないのかと聞くと電話して聞いてくれた。7時30分にピックアップしてくれるハン・カフェのオープン・ツアー・バスが在ることが分かり、チケットを買った。US$5(605円)であった。
オープン・ツアー・バスは、便利である。バスターミナルまで行く必要がなくピックアップしてくれ、それでいてリーズナブルである。

4月10日 サイゴンへ

2007年05月20日 | カンボジア&ベトナム
8時頃ホテルをチェックアウトした。ベトナムのホテルは、チェックイン時にパスポートを預け、支払いはチェックアウトに行い、パスポートを返却してもらうシステムになっている様だ。
ホテルを出て歩いていると、バイクタクシーが近付いて来たのでバスターミナルまでの料金を聞くと5,000ドン(38円)と大変リーズナブルですぐにバックパックを渡し後に乗った。
バスターミナルのサイゴン行きミニバス乗場に着き、小銭が無く10,000ドン渡し、ジェスチャーで手を出し、つり銭を要求すると4,000ドン帰ってきた。意外にもつり銭をもらい驚いた。このおっちゃんはほんとにベトナム人か?
ミニバス会社でチケットを60,000ドン(454円)買い、ミニバスに乗った。
助手席を勧められたが、滅相も無い最も危険な席である。昨日のミニバスでベトナムのミニバスがどんな運転をするのか分かっているので・・・。

ミニバスに乗って客待ちしている時、外では喧嘩がはじまり、バス内では子供2人連れ親子が乗ってきたと思ったら、その親子を追い掛けて来た男が怒鳴っている。父親がポケットから金を出して渡した。食い逃げか? 「ベトナムとは、何という所や!」 訂正「カントーとは、何という所や!」

9時、サイゴンに向かってミニバスは出発した。
カントーのフェリー                 ミトー付近と思われる。

ミニバスは車高が低いので、極端に表現すると道路、バイクと家しか見えず、メコンデルタを走っているのか?と感じる。車高の高いバスであれば、また風景が変わると思う。

3時間30分掛かり、12時30分にサイゴンのミエンタイ・バスターミナルに着いた。
多くの運ちゃんの歓迎を受けたが無視して、取り合えず、ビールを飲んだ。英語の話せる運ちゃんが来て、デタム通りまでのバイクタクシー料金を交渉した、言い値US$3を30,000ドン(227円)でOKした。
車がどこにいるのかと思うほど多数のバイクが走っている。それをバイタクは追い越してをかける。「デタム通りまで何分かかるか?」と聞いたら、30分か20分と答えた運ちゃんが、20分で行こうとしている。「危ないので止めてくれ!」と言いたかった。
デタム通りに20分で着いた、運ちゃんは、時計を見て満足そうであった。

デタム通りの1本東の通り(細い路地)の目当てのホテルに行ったが空き部屋無いと言われた。他にホテルの当てが無いので、この通りの適当なホテルで部屋が空いてるか聞いた。
Mini Hotel Tram AnhでUS$12の部屋が空いているので部屋を見た。見た瞬間、これは安いと思い「Good!」と言ったとたん、女将が「twenty(トゥウェンティ)」と言い出した。私は、「twenty(トゥウェンティ)」とおうむ返しに言った。「US$7の部屋に空きがない」と関係の無い事を言っている。 似た発音でごまかされない様に「twelve(トゥウェルブ)」と私が発音すると、「ten twe」と回答してきた。間違くUS$12、泊まる事にした。

シンカフェに明日のオープン・ツアー・バスのチケットを買いに行った。サイゴン→ムイネー→(ファンラン)→ニャチャン→(クイニョン)→ホイアン→フエと行き先を英語で書いて渡した。途中下車は自由なのでフエまで通しで購入しようとしたが、上記括弧内地名は、通らないと言う。停車(乗車)しないのだと考えていたが、バイパスが出来て市街を通らないと言われてしまった。
しかたがないので、ムイネーまでのオープン・ツアー・バスチケットを60,000ドン(454円)で買った。シンカフェ前を7時30分に出発するとの事。

ベンタイン市場に行った。

バイクが多いので道路を渡るのが怖い。ベトナム人が渡り出したら後に付いて渡る。バイクが避けてくれるが、ドライバーとの距離感とタイミングが難しい。

レユアン通りに行った。
32年前の1975年4月、ベトナム報道であの有名な「解放軍の兵士たちが銃を手に、まさしくひたひたとホーチミンサンダルの音をたててサイゴン市内へと入って来た。」そして、レユアン通りを解放戦線旗を掲げた戦車が大統領官邸へ入り官邸屋上に解放戦線旗を掲げ、ベトナム戦争は終わった。
テレビでこの光景を見た様な記憶がある。
そのレユアン通りに行ったが今はただの綺麗な通りであった。