議論 de 廃棄物

環境・廃棄物問題の個別課題から問題の深層に至るまで、新進気鋭の廃棄物コンサルタントが解説、持論を展開する。

環境部解体論_6

2008年05月14日 05時36分30秒 | 持続可能社会
環境部解体論の続きです。

■環境部の本来業務はなにか
環境部の本来業務は何なのでしょうか。環境問題、環境リスクを経営に反映する、いわゆる環境経営の推進だという意見があります。(環境経営の定義がえらく曖昧ですが、そこはとりあえず置いておきます)。

しかし、環境経営というからには、経営企画などの部門が担当すべきと思います。そうしないと、環境省と国全体の方向性がズレていることと同じことが起こります。脱線しますが、環境省はスローライフ、コンパクトシティ、NPO活動の活発化、無駄な消費をしない、などのスローガンを掲げていますが(環境基本計画など参照)、これを国を挙げて推進しているようには到底思えません。
同じように、環境部が経営企画部と別で環境経営をうたっても、実効性が疑問です。今のやり方では、経営企画部が本来業務に集中するために、環境部に環境経営をアウトソーシングしているように見えます。会社にやる気があるなら、経営企画部が環境経営を推進しているはずです。

■まとめ
さて、環境部解体論を6回も連続でやりましたが、やはり環境部という組織を作って、そこでしなければならない業務はないような気がします。業務分掌の問題でしかないので、理論上可能であるのは当然ですが。

もちろん、環境部をなくせばそれで済む話ではないでしょう。会社の考え方によっては、環境部を残したほうがよいという判断もあるはずです。しかし、今のやり方は、環境と名のつく業務を全て環境部に押し付けているように見えます。そして、環境部があるというだけで、「うちの会社は環境経営をやっている」と安心、満足しているのではないでしょうか。
EMSがある程度会社に定着した今、環境部の仕事のあり方を見直していくよいタイミングなのではないかと思います。
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環境部解体論_5

2008年05月13日 05時35分14秒 | 持続可能社会
環境部解体論の続きです。

■環境データの集計業務
環境関連のデータ(廃棄物の排出量、エネルギー使用量、化学物質の排出量など)を収集するという仕事を環境部がやっていることがあります。それを環境報告書に反映する目的もありますし、今後の改善に役立てる目的もあります。

さて、なぜ環境データを環境部がまとめているのでしょうか。環境部が各部門の現場からデータを集めてきて、それを各部門長に後で報告していることもあります。各部門自ら環境データを把握し、それを総務なりが取りまとめして、経営に反映させるというのが本来の姿ではないでしょうか。極論すると、各部門は環境データなどどうでもよくて、予算の達成だけを把握して経営に反映しているのです。

■改善を進めるために
環境データを集計、管理、報告し、改善計画を立案、実施するのは、担当の各部門の仕事のはずです。環境部が各部門と調整しながら改善目標を立てて、目標達成のお願いをして回っていることが多いように思います。これでは改善が進みません。

ということで、やっぱり環境部は解体してしまい、各部門に主体的に取り組んでいただいたほうがよいかと思います。
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環境部解体論_4

2008年05月12日 05時50分50秒 | 持続可能社会
環境部解体論の一貫で、「環境部を解体して、その現状の仕事を他の部門が行うとしたらどうなるか」についていくつか例を考えてみたいと思います。

■環境部が環境法の管轄をしていますが・・・
本社の管理部門における環境関連法の管轄は、法務部ではなく環境部にあることが多いようです。法務部としては、「環境法はよく知らないから」、「企業法務ではないから」、「環境部があるのだからそっちの担当のはず」ということで担当し(たく)ないということらしいです。

私は、この状況はあまり適切ではないと考えております。理由は
 1)コンプライアンスを管轄する部門が分かれるというのは不適切
 2)環境法、中でも廃棄物処理法の運用のためには基礎的な法律のリテラシーを持っているべきである
の2点です。

特に、2)についてはよく感じることがあります。廃棄物処理法のグレー案件について話をしているときに、「で、結局誰が判断してくれるのですか?」という質問を受けることがあります。法律とはどういうものかを知らないと当然出てくる質問です。私がそこを説明するのに、結構時間をかけることがあります(これについての説明はまた別の機会で・・・)。他にも、通知は法律と同じで必ず守らなければならないと思っていたり、管轄自治体ごとの行政指導が違っていたら、それぞれに従わなければならないと考えていたり、、、。

法務部の方と話をしているときは、このような質問は出てきません。このあたりの基本的な法律の理解を出来ていない方が、コンプライアンスを徹底しなさい、といわれても適切な判断が出来ないのではないでしょうか。

法務部の方は大変かと思いますが、今後は環境法もちゃんと勉強していただきたいと思います。法科大学院の科目にも入っているようですし。逆に、現在環境部で環境法の担当をされている方は、法務部や監査部に異動されるという手もアリかと思います。
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環境部解体論_3

2008年05月09日 05時24分34秒 | 持続可能社会
環境部解体論の根底に流れるものは、至って単純です。「みんなでやらなきゃいけないことは、誰かに押し付けずにみんなでやろう」です。ということは、別に企業の環境部に限った話ではなく、環境問題全体についても言えることです。

アミタに入社してから何度か言われたことがあるのですが、これからは「環境の産業化」から「産業の環境化」、「社会の環境化」へと進まなければならないということです。「環境の産業化」とは、いわゆる環境ビジネスのことです。「産業の環境化」とは、産業界全体が環境問題に当然のこととして取り組むようになること、「社会の環境化」は社会全体に環境への配慮が浸透することを意味しているのだと思います。

環境部があちこちにあるということは、産業の環境化がまだ完成していないということの証明かもしれません。

おっと、まだ5時20分なのに、娘が起き出してきました。今日はいつになく早起きです。では本日はこのあたりで。
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環境部解体論_2

2008年05月08日 05時45分03秒 | 持続可能社会
前回環境部をなくしてはどうだろうか、と書きましたが、
これについて説明したいと思います。

■環境部の仕事の成り立ち
環境部の仕事は、実は本来であれば各部門が
取り組むべき仕事の、「環境に関する部分」を
引き取って寄せ集めたものだと思います。

例えば
「現在の環境部の仕事=本来の担当部門」
とすると、

 環境経営の立案=経営企画部
 環境データの集計=製造など各事業部*
 環境報告書の作成=広報、IR担当部
 環境教育=人事、各事業部*
 環境に関する法務=法務部
 環境監査=総務、監査部
 各種届出=総務部、法務部、各事業部*

と割り振れます。
いかがでしょうか。

特に*を付けた「各事業部」の担当業務は、本来業務への
影響をなくすためにも環境部がすべきとの考え方も
あると思います。しかし、各事業部固有の内容が多く
(を多く含ませるべき)ですし、これを部内でコントロール
出来るようでないとマズイと思います。

もちろん、これは理想論であって企業規模や事業内容
によって事情は違うでしょう。しかし組織全体で
取り組むべき課題を、どこかの部署でまとめて実行する
ことはできません。

■コストダウン部??
例えばコストダウン部というものが存在しないのが
よい例です。コスト削減のプロジェクトチームを
社内に設置するということはあるかもしれませんが、
恒常的にあるべきものではないでしょう。

コストダウンは、社内の全ての部門が当然すべきこと
として全社員が積極的に取り組むものだからです。
この場合、コストダウンの効果の是非を握るのは、
号令をかけるべき、社長です。

この意味で環境部の仕事も、コストダウンと同じ
位置づけにあると思います。

■環境部を解体しよう!!
だったら、責任回避をできないようにするためにも、
「環境部を解体し、各部門に環境チーム(担当者)がいる」
という状態のほうがよいのではないでしょうか。

みなさん、どう思われますか?
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環境部解体論_1

2008年05月07日 05時37分37秒 | 持続可能社会
■環境部の役割とは?
環境部が社内にあることで、「わが社は環境専門の部が環境対策を担当しているので、そこに任せておこう」といった風潮はないでしょうか。
各部門では、「環境部が言うことは、一応は聞いておくけど、業務最優先だからねぇ」程度で本気で取り組みまない、経営者も「環境問題は専門部門に任せておけばよい」と考えていることが多いように思います。

でも実際は、環境部は人を削られ、数字の集計とコンプライアンスしかやってなかったりするものです。環境経営なんて「どこ吹く風」です。

前回のオフ会でも、「経営層が廃棄物の問題の大きさを理解していない」というぼやきを多く聞きました。

当然ながら環境問題に取り組むのは、あくまで個人個人であり、実務担当者であり、各部門であり、経営者なのですが。。。

■環境部があるから責任回避ができてしまうのでは?
この際、環境部などというものはなくしてしまった方がよいと思っています。なくしたら、困ると思いますか?私はそうは思いません。これについては次の機会に私の考えをご説明します。
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資源高

2008年04月30日 05時50分15秒 | 持続可能社会
資源高があちこちで叫ばれています。特にどの番組、どの記事と紹介するまでもないでしょう。原油、石炭、鉄、非鉄金属、小麦、トウモロコシ等々、世界市場で取引される資源はなんでも高騰しているのではないでしょうか。投機マネーの要因もあるそうですが、そもそも長期的には需給バランスが崩れてくるのは分かっている話ですし、環境負荷の回復コストを考慮するならば、将来もっと高くなると考えるべきでしょう。

ガソリン税の問題では家計に響くといっていますが、実際の危機を目前にする前に、投機マネーでもって予行演習できるのですから、考えようによってはラッキーです。

家計だけでなく、企業も資源消費をどのように削減するのか、国も資源効率を高めるための施策を考えていかなければなりません。
例えば廃棄物処理法でいえば、リサイクルしやすくするために規制を改めるべきところがあると思います。特に一般廃棄物となるレアメタル含有の電気機器の回収が(携帯電話を除き)ほとんどできていないというところなど、危機感を持って望むべきところと思います。都市鉱山とか言っていますが、埋めてたのでは意味がありませんから。廃棄物処理法、ホントに何とかしないといけないと思います。
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生物多様性とカイチュウ

2008年03月24日 05時52分18秒 | 持続可能社会
生物多様性が話題になっています。生物多様性条約の会議が2010年に名古屋で行われることもあり、世界最大の資金拠出国としてはちゃんとしたプレゼンスを見せなくてはならないところです。

で、話題は少しずれて、この本ご存知でしょうか。発刊当時少し話題になりました。ちゃんとした医学博士の本ですよ。

笑うカイチュウ―寄生虫博士奮闘記 (講談社文庫)
藤田 紘一郎
講談社

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この先生の最新刊『「ばっちいもの」健康学 体から出てくる、きたなくて エラいやつら』の発行にあたり、あるpodcastでインタビュー番組をやっていました。話によると、日本ではサナダムシなどの人間の寄生虫はいなくなってしまったそうなのです。
表現を変えれば絶滅です。しかも、ヨーロッパのサナダムシと日本のそれとでは、どうも種類が違うらしいのです。もしや、日本固有種だったのかもしれません。新たに1種の生物が地球上から絶滅したかもしれないのです(この先生の体内を除いて)。

寄生虫はそもそも害はない、寄生虫がいないために、花粉症が増えている、ということです。真面目な話、将来、寄生虫から有用な成分を取り出して、花粉症の特効薬を初めとした画期的な薬ができるかもしれません。生物多様性の観点からも、これを放置してはいけないと思うのですが、いかがでしょうか?少なくとも、レッドデータブックにも特別天然記念物にも指定されていないのは、おかしいのでは!!

ちなみに、寄生獣も面白いですよ。
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食品の適正価格

2008年03月07日 06時02分40秒 | 持続可能社会
廃棄物処理の適正価格の話はよくされますが(って業界内に限ってですが)、食品の適正価格の話というのは、マスコミの報道を見る限りあまり出てこないようです。

中国産の野菜の輸入が激減している一方、2倍以上する国産野菜が売れているということですが、国産野菜が適正価格で、中国産野菜は不適正な価格ということはないでしょうか。

中国のものが安いのは、基本的には人件費の安さに原因があると思います。しかしそれは単に賃金格差があるだけで、それがなくなればこのメリットはなくなるわけです。また、安価で危険な農薬に頼っているのであれば、やはりこれは持続可能ではない=適正価格ではないといえると思います。
アメリカやオーストラリアに代表される大規模農業は、これも機械や農薬、化学肥料への依存度が高い(エネルギーを大量に投入している)のではないでしょうか。何しろ投入エネルギーのほうが、農作物から得られるエネルギーのほうが少ないという話を聞いたことがあります。土壌の疲弊の問題もあります。これも持続可能ではない=適正価格ではないと思います。

自分と人件費が同じ人間が、持続可能な農業を行って作った野菜の価格とは、やはり今の有機野菜の価格に近くなるのではないでしょうか。将来、我々はこの価格を受け入れることになるのでしょう。

つまり、不適正価格で購入するとどこかにひずみが生じるということです。廃棄物の適正価格と発想は同じですね。

ガソリン価格など値上げラッシュの中、「庶民の生活に影響が・・」と騒がれています。しかし、持続可能な適正価格を考えるのであれば、現在市場に流通しているほとんどの商品は“著しく安い価格”のはずですよね。そろそろこんな議論が社会全体でもっと盛んになってもよいタイミングなのではないでしょうか。
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非電化工房

2008年01月31日 05時37分57秒 | 持続可能社会
昨日の日経で非電化製品を作っている方の話を読みました。早速HPを拝見すると、テレビに出たり、本を出されたり、なかなか活発に活動されているようです。もしや結構有名な方なのでしょうか?

どうやら、「ホドホド」の効果で満足するのであれば、電気を使わなくてもよいものが結構あるようです。例えば冷蔵庫や除湿機が電気を使わなくてもできるらしいのです。さすがに、マイナスイオンや脱臭機能はないようですが。
構造や資材がシンプルなため、修理やリサイクルも簡単で、普通の電気製品より長持ちするようです。製造段階でやっかいな廃棄物の処理に悩まされることも少なそうです。

製品の付加的な機能のためにいちいち電気を使って、120%のパフォーマンスを求め、新しい機能がついた製品が出ると買い換える。。。そんなライフスタイルを改めて見直すよいきっかけになるかもしれません。電気メーカーさんの次の一手になると面白いのですが。

皆さんもよかったら、のぞいてみて下さい。
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