温室効果ガスも廃棄物も、排出者にとって不要なものであることには変わりがありません。今問題になっているのは、不要だからといって無制限・無秩序に放出してはいけない、ということです。
廃棄物のほうが一定の場所にとどまりやすく、問題が発生した場合にはそれを除去しなければならないという特徴があります。そのため、汚染原因者を個別に特定することが可能で、責任の所在が明確です。法規制も厳しく、汚染原因者は厳しく糾弾を受けることになります。
一方温室効果ガスは、気体であるが故に地球全体に拡散します。したがって個別の被害について原因者を特定するというより、排出量に基づいて責任の重さを計ることになります。廃棄物と異なり、重さの多寡はありますが責任が全世界に分散しており、現時点で原因者に対する厳しい罰則はありません。
と考えると、廃棄物の排出者責任はかなり厳しく、実際のところ温室効果ガスよりずっと管理は進んでいます。しかし、不要なものを他者に迷惑がかからないようにどう処理するのか、という観点は共通なわけです(つまり、外部不経済の話なのですが・・・)。
おそらく、温暖化の問題に対処できるような社会では、廃棄物の問題も十分に対処されているはずです。根っこが共通なのですから。私としては、この根っこを変えていかなくてはならないと思うのですが、まだまだそのような動きができていません。今年の私のテーマのひとつと考えています。
廃棄物のほうが一定の場所にとどまりやすく、問題が発生した場合にはそれを除去しなければならないという特徴があります。そのため、汚染原因者を個別に特定することが可能で、責任の所在が明確です。法規制も厳しく、汚染原因者は厳しく糾弾を受けることになります。
一方温室効果ガスは、気体であるが故に地球全体に拡散します。したがって個別の被害について原因者を特定するというより、排出量に基づいて責任の重さを計ることになります。廃棄物と異なり、重さの多寡はありますが責任が全世界に分散しており、現時点で原因者に対する厳しい罰則はありません。
と考えると、廃棄物の排出者責任はかなり厳しく、実際のところ温室効果ガスよりずっと管理は進んでいます。しかし、不要なものを他者に迷惑がかからないようにどう処理するのか、という観点は共通なわけです(つまり、外部不経済の話なのですが・・・)。
おそらく、温暖化の問題に対処できるような社会では、廃棄物の問題も十分に対処されているはずです。根っこが共通なのですから。私としては、この根っこを変えていかなくてはならないと思うのですが、まだまだそのような動きができていません。今年の私のテーマのひとつと考えています。