本日6月3日は、22年前の雲仙・普賢岳の噴火においてもっとも多くの犠牲者を出した大火砕流の発生した日だということです。火砕流の発生時刻である16時8分には、サイレンとともに黙祷がささげられたそうです。
当時、私はまだ小学校低学年で、記憶は曖昧なのですが、黒煙を巻き上げる火砕流の映像は今でも鮮明に覚えています。あれからもう22年も経つのかと思うと、時間の流れを感じずにはいられません。
今年の3月、私は九州旅行で島原に立ち寄り、普賢岳火砕流の跡も見てきました。島原市街から3㎞ほど南にある水無川がそれです。川とはいっても水は流れておらず、雨が降った時のみ川となるのだそうです。川の両岸には堤防が何段にも積まれ、川筋には砂防ダムが連なっています。
水無川と平成新山
砂防ダム。奥に島原湾。
その間にビニールハウス群
平成新山と火砕流跡
火砕流の跡は、いまなお生々しい茶色をしていて、とても20年以上が経過しているようには見えず、たいへんショックを受けました。雲仙火砕流は、あの阪神・淡路大震災に先立つこと4年。私が記憶しているなかでもっとも古い大規模自然災害なのですが、その被災現場がとても「今は昔」とはいえないような状態にあるというのは、自然の圧倒的な力と復興の難しさを感じさせます。
最後に、偶然撮れた雲仙にかかる夕暮れの雲の写真を。
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