塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

紅葉間近の六義園と旧古河庭園

2015年11月29日 | 旅行

晩秋の候。皆様いかがお過ごしでしょうか。

先週の3連休のことになりますが、都心の六義園と旧古河庭園に行ってきました。どちらも都内を代表する庭園の1つですが、お互いに歩いて15分程度の距離にあります。目的は紅葉で、とくに六義園はライトアップもしているということでしたが、当日はあいにくの天気で、雨がぎりぎり降らなかったのが不幸中の幸いでした。

ただそれ以上に、今年は紅葉が大幅に遅れているということで、葉全体が真っ赤に染まっている木はほとんどありませんでした。あまりに緑すぎて、その木がモミジやカエデであることに気付かないことすらしばしばでした。

ただしそれを差し引いても、両庭園が素晴らしさに感嘆するには、何の申し分もありませんでした。どちらも中学生くらいの時に一度訪れているのですが、そんなころの記憶はやはり曖昧なものです^^;

まず六義園といえば、5代将軍徳川綱吉の側近柳沢吉保が造営し、明治時代には三菱財閥の岩崎家が購入したというだけあった、とにかく広い!しかもその景観を形成する池や丘は、人工的につくられたものだというから相当な工事量です。

 

六義園の景観といえば、大名庭園らしく中央の巨大な池と、その周囲の島々や入り江などが定番です。ですが、個人的には庭園の北縁にある人工渓谷に心動かされました。ここは、池の脇の築山の裏手にあたり、ちょっと目立たないところになります。池と繋がっている谷川が流れ、都心とは思えないちょっとした幽谷を形成しています。もちろん、桜や紅葉に彩られればとみに綺麗なのでしょうが、そうでなくても閑かな山の中を散策しているような気分になれて心地良いのです。

 

さて他方、旧古河庭園といえば、一般には大正建築の洋館とバラ園が有名です。なので、洋風庭園しかないものと思っていたのですが、ちゃんと日本庭園もあり、むしろ後者の方が広いようでした。こちらの庭園の特徴は、台地の端を利用した高低差が組み込まれていることです。ですので、広さは六義園にとうてい及びませんが、空間を含めた広がりが感じられます。

 

 

 

ご覧の通り、たまたまでしょうが、六義園より若干色付きが良かったので、旧古河庭園へは消化不良感からついでに寄ってみたといった感じだったのですが、思わぬ怪我の功名となりました(笑)。こちらのお庭でひとつだけ気になったのは、ところどころに置かれている石灯籠が、異様に巨大で景色を邪魔しているようにしか見えないことです^^;

 

おそらくどちらの紅葉も、来週いっぱいあたりが見ごろなのではないかと思いますので、これからどこへ紅葉見物に行こうかお悩みの方のご参考になれば、幸いです。

  



ヘルムート・シュミット氏、ギュンター・シャボウスキ氏死去

2015年11月13日 | カテゴリ無し
  
今月に入って2人、ドイツの有名な元政治家が相次いでこの世を去りました。一人は旧西ドイツ首相ヘルムート・シュミット(享年96)、もう一人は旧東ドイツSED(ドイツ社会主義統一党)ベルリン地区第一書記ギュンター・シャボウスキ(享年86)です。

シュミットは旧西ドイツの第5代首相で、社会民主党(SPD)政権としては前代のヴィリー・ブラントに次いで2代目になります。ブラントは、ポーランド訪問中にワルシャワ・ゲットーの記念碑の前で跪き、ユダヤ人虐殺について謝罪したことで知られ、韓国が日本に「ドイツを見習え」と言う際に引き合いに出される人物です。鳩山由紀夫元総理が訪韓中に西大門刑務所で跪いたのも、ブラントに倣ったものでしょう。

シュミット政権ではブラントの「東方外交」路線は踏襲されなかったようで、むしろNATOとの協力を重視していたようです。関連があるかは分かりませんが、シュミットはドイツ連邦共和国(旧西ドイツおよび現在のドイツ)で(おそらく)唯一ナチス時代の将兵経験者で、そのことは彼を批判する材料として燻り続けました。他方、日本の歴代首相のなかには、兵役および将校経験者は少なくないようです。

ちなみに、ドイツ国内でのシュミットのイメージというと、「ヘビースモーカー」というのが一番にくるようです。彼は禁止されていない限りどこでも煙草を手放さなかったようで、執務中でもテレビに出演中でもインタビューを受けていても、常に片手に煙草をくゆらせていたそうです。喫煙習慣があると、寿命が10年縮まるなどと言いますが、96歳で亡くなったシュミット氏は、煙草をやらなければ120歳くらいまで生きられたということになるのでしょうか(笑)。

元首相という肩書をもつシュミット氏については、名前だけでもご存知の方は多いと思いますが、もう一人のシャボウスキの名を知っている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。ただ、彼自身のことは知らずとも、彼が発言したあるシーンについては、見覚えのある方もいらっしゃることでしょう。彼はベルリンの壁崩壊のきっかけとなった人物として知られています。


ベルリン市街にに展示されている壁の断片


その経緯については込み入っていて、正確に説明しようとするとかなり細かくなってしまうのですが、一言でいうと混乱した状況での手違いの連続の結果でした。

当時、東ドイツ国内では大規模な反政府デモが相次ぎ、混乱のなかで突然の党書記長(事実上の国のトップ)の解任動議による政権交代が起きました。新政権は、民衆を宥めるために旅券に関する暫定的な規制緩和を打ち出しました。ベルリンの壁に限らず、東側諸国から西側諸国への出国は厳しく制限されていましたが、国外への旅行および移住に関する規制が大きく緩和されるというもので、具体的には出国に必要なビザの申請が自由にできるようになり、申請されたビザは「遅滞なく(unverzüglich)」発給されるというものでした。また、この措置は「直ちに(ab sofort)」発効するとありましたが、それは正式な閣議決定後に公表されてからというものでした。

1989年11月9日、記者会見に臨んだシャボウスキは、閣議の内容を知らないままこの措置について書かれた紙を手渡されました。シャボウスキが措置について読み上げた後、記者のひとりが具体的にいつから発効となるのか質問しました。これに対し、前出の2つの単語を挙げ、シャボウスキは「私の認識では「直ちに、遅滞なく」ということです。」と答えましたが、このときはまだ政令案の段階でした。さらに、政府案には入っていなかったベルリンの壁についても含まれると発言したこと、記者側がこれを往来そのものの自由化と報じたことも相まって、実際には旅券の申請および行使の規制緩和であるにもかかわらず、多くの群衆がベルリンの壁のチェックポイントに殺到することになりました。


チェックポイントの1つの跡地


当然ながら現場は何も知らされていないわけで、殺気立った民衆を前に鎮圧も説得もできず、検問所の司令官はそれぞれの判断で相次いでゲートを開きました。こうして翌日には、文字通りなし崩し的に壁は壊されることとなりました。

ここで不思議なのは、シャボウスキの勘違いです。「ベルリンの壁を含めた」出国の規制緩和の発効時期などという危険なものを、不確かなままで一個人の認識として発言してしまうというのは、状況的にみて違和感を感じます。「直ちに」などと公言すれば、どのような結果につながるかは容易に想像がつきそうなものです。したがって、シャボウスキは意図的にベルリンの壁を開放しようとしたのではないかとする議論は、当時からあったようです。ただ、本人はそのことについては一言も語らないまま、真相を墓の下まで持って行ってしまいました(もっとも、語ったところでそれが本当である証拠はありませんが)。

ちなみに、ベルリンの壁崩壊は私が物心ついてから初めてニュースとして記憶に残っている映像です。壁の上にたくさんの人が立ち並び、ツルハシやらなにやらもって壁を破壊しているさまを見て、「この人たちは何をしているんだろう」と思ったものです。

あれから今週でちょうど26年。この期間を長いとみるか短いと感じるかは人それぞれでしょう。ただ、冷戦期に活躍した人物がこうして相次いで世を去ったことで、冷戦時代が2つほど前の時代の出来事となりつつあるように感じます。

  



絶滅危惧種ムサシトミヨ

2015年11月06日 | 旅行
  
 埼玉県熊谷市で、同県の県魚であるムサシトミヨが大量死するという「事件」がありました。ムサシトミヨは、熊谷周辺の清らかな小川にのみ生息する小魚で、絶滅危惧種に指定されています。今回大量死したのは、ムサシトミヨの保護育成を目的とした保護センターの人工繁殖用水槽で飼育されていたもので、約7千匹の飼育個体のうち400匹強に上るということです。原因は調査中で、事件性の有無などは明らかではありません。

 なぜこの話題を取り上げたかというと、ちょうど今年の5月にこのムサシトミヨの生息地を偶然通りがかっていました。その生息地は旧中山道の脇にあり、街道歩きの途中で見つけたものでした。そこは、江戸時代以前の荒川の本流であった元荒川の源流域で、清らか且つ水量もそこそこある小川に水草が繁茂してゆらゆらと揺れていました。

 

 場所は熊谷市街と久下という地区の間あたりで、熊谷駅からでも歩いて10分ほどで着ける所にあります。そこから久下地区へ向かって、細く涼やかな清流が続いていますが、やはりというか、絶滅危惧種が泳いでいる姿を目にすることはできませんでした。

 

 それもそのはずで、ムサシトミヨの生息には水草が十分に生えていることが条件で、彼らはこの水草の陰に隠れて暮らしているのだそうです。繁殖期には、彼らは水草を使って巣をつくり、卵を産み育てるのだそうです。トミヨ(富魚)の特徴は、ウロコがないことと、卵が孵るまで世話をするのがオスの役目であるというところだそうです。

 トミヨ(属)は世界で10種類程度しかなく、種自体がかなり貴重だということです。人工環境下では、かなりまとまった数の飼育ができているようですが、最終的には当然ながら自然での繁殖が望ましいはずです。そのためには、生息できるだけの清らかな自然環境の整備が必要なわけで、今回の悲しい大量死がそうした取り組みを周知させる機会となれば、せめて不幸中の幸いといえるのではないかと思ったりしました。

 
オマケの「あついぞ!熊谷」
5月下旬はまだちょうど過ごしやすい陽気でした(笑)