野党がお決まりの任命責任をねちねちと追及している中川昭一前財務・金融担当相ですが、もちろん任命した総理に大なり小なり責任はあるのでしょう。しかし、いくら何でも今回の顛末はほとんど中川前大臣の資質・姿勢に帰するのではないかと思います。
薬を服用していたかどうかはともかく、真っ赤な顔に脂汗、回らぬ舌に浮ついた目。僕のような酒呑みが見れば、完全に酩酊以上であることは明らかです。。酒好きであろうとなかろうと、会見を前にして酔いが回るほど飲むというのはちょっと理解不能です。人前に出ることが仕事の一つであるはずの政治家なのですから、周囲にどのように見られるかということには人一倍注意を払わねばならないはずです。エリートであるか否かの一つの違いは、こうした公私の分別にあると思います。私生活でいくら酒で失敗しようと、公務をきちんとこなしてさえいれば、ただのエピソードやキャラとして扱われるでしょうが(確か故愛知揆一氏などはそんな位置づけだったと思います)、この区別なく乱れたとあればまさしく国家の恥です。中川氏に限らず政治家に限らず、世のエリートにはこうした意識を常に持ち続けてもらいたいものです。
今週は、全国に恥を晒したという意味で僕としてはものすごく気になる人物がもう一人いました。初の外遊先に日本を選んだクリントン国務長官に中学生レヴェルの棒読み英語で質問をかました東大女子大生です。
「あい うぉんとぅ~ の~う は~う が~るず きゃん わ~く あず すとろ~んぐ あず ゆ~?」と虎の巻をいちいち見ながらたどたどしく喋る東大生。僕は英語が苦手ですが、そんな僕が聞いてももはや日本語のような英語を通り越して英語のような日本語といった体でした。これをテレビのニュースで聞いたとき、思わず口を開けたまま見入ってしまいました。「これって東大って書いてあったよな~??」いくら何でも天下の東大生が、英語が3くらいの中学生レヴェルの英語を公の場で披露するとは…。僕の中では中川前大臣に匹敵するくらいの国家の恥だと思っています。発言の後で漏れた笑いは質問のユーモア性に対するものではなく、彼女の英語力に対する失笑であったのだろうと祈るばかりです。
二つの事例から感じられるのは、エリートが社会の模範として常に周囲から見られる存在であるという意識が欠如してきているのではないか、という懸念です。このところの日本のトップたる首相でさえ、「自身の権力欲で就任してはちょっと行き詰まってすぐ辞める」、の繰り返しのように見えます。金を得、地位を得、名誉を得るということは、それだけ社会の範、文化のパトロンとしての責任を負うのだということを肝に銘じたいものです。