塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

エリートの品格:中川前大臣と某東大生

2009年02月20日 | 社会考
   
 野党がお決まりの任命責任をねちねちと追及している中川昭一前財務・金融担当相ですが、もちろん任命した総理に大なり小なり責任はあるのでしょう。しかし、いくら何でも今回の顛末はほとんど中川前大臣の資質・姿勢に帰するのではないかと思います。

 薬を服用していたかどうかはともかく、真っ赤な顔に脂汗、回らぬ舌に浮ついた目。僕のような酒呑みが見れば、完全に酩酊以上であることは明らかです。。酒好きであろうとなかろうと、会見を前にして酔いが回るほど飲むというのはちょっと理解不能です。人前に出ることが仕事の一つであるはずの政治家なのですから、周囲にどのように見られるかということには人一倍注意を払わねばならないはずです。エリートであるか否かの一つの違いは、こうした公私の分別にあると思います。私生活でいくら酒で失敗しようと、公務をきちんとこなしてさえいれば、ただのエピソードやキャラとして扱われるでしょうが(確か故愛知揆一氏などはそんな位置づけだったと思います)、この区別なく乱れたとあればまさしく国家の恥です。中川氏に限らず政治家に限らず、世のエリートにはこうした意識を常に持ち続けてもらいたいものです。

 今週は、全国に恥を晒したという意味で僕としてはものすごく気になる人物がもう一人いました。初の外遊先に日本を選んだクリントン国務長官に中学生レヴェルの棒読み英語で質問をかました東大女子大生です。

 「あい うぉんとぅ~ の~う は~う が~るず きゃん わ~く あず すとろ~んぐ あず ゆ~?」と虎の巻をいちいち見ながらたどたどしく喋る東大生。僕は英語が苦手ですが、そんな僕が聞いてももはや日本語のような英語を通り越して英語のような日本語といった体でした。これをテレビのニュースで聞いたとき、思わず口を開けたまま見入ってしまいました。「これって東大って書いてあったよな~??」いくら何でも天下の東大生が、英語が3くらいの中学生レヴェルの英語を公の場で披露するとは…。僕の中では中川前大臣に匹敵するくらいの国家の恥だと思っています。発言の後で漏れた笑いは質問のユーモア性に対するものではなく、彼女の英語力に対する失笑であったのだろうと祈るばかりです。

 二つの事例から感じられるのは、エリートが社会の模範として常に周囲から見られる存在であるという意識が欠如してきているのではないか、という懸念です。このところの日本のトップたる首相でさえ、「自身の権力欲で就任してはちょっと行き詰まってすぐ辞める」、の繰り返しのように見えます。金を得、地位を得、名誉を得るということは、それだけ社会の範、文化のパトロンとしての責任を負うのだということを肝に銘じたいものです。
   



かんぽの宿売却問題:郵政民営化の暗部?

2009年02月11日 | 政治
   
 この問題については、麻生総理のように考えが変わるほど勉強しているわけではないので大きなことは言えないのですが、それでもいくつか思うところがあるので少々記事にしようかと思います。

 当初は、売却額や鳩山総務相への通知がなかったことなどが問題とされていましたが、今では入札の過程や方法、基準の透明性や妥当性が最大の焦点となっているように思われます。確かに、入札の条件が書類選考の後で変更されたり、提示額だけで決まるものではないとはいえ、今回落札したオリックス不動産(以下オリックス)の4倍の金額を提示した業者が書類選考の段階で落とされるなど、疑問視せざるを得ない事実が次々と明るみになってきました。

 さらに、今回の入札以前に1000円で売却された施設が、後に落札した業者によって4900万円で転売されていたという、洒落にもならないようなぼろ儲け話も出てきています。いい加減こうした(元)公共施設の売却については、その方法や基準について真剣に議論されなければならないように思います。

 ただそれ以前に、誰もが首を傾げるであろうことは、何故入札額で優れていた訳でもないオリックスにすんなりと決まったのか?売り手・買い手どちらの都合か分からないが何故途中で条件が変更されたのか?という点でしょう。どう考えても、裏でオリックスと日本郵政の間で何らかの取引きがあったとしか思えない気がします。如何せん、これについてはまだまだ様々な憶測が飛び交う段階で、詳細がこれから明らかになっていくのを待つより他にはないのでしょう。

 この問題は、今や首相の諸々の発言も相俟って郵政民営化そのものの是非にまで波及しています。今回の一件の責任をそこにまで求めるのは少々飛躍しているようには思うのですが、小泉改革路線上での民営化の帰着として容易に予想された事態だったということは言えるでしょう。必要条件ではないが、十分条件ではあったというところでしょうか。

 郵政民営化が現実味を帯びた頃、問題とされたのは民営のもとで利益と公共性のバランスを、前者に偏ることなく保つことが出来るかという点でした。民間のメスを入れて効率化を図り、それでいて過疎地域などにも公平にサービスを提供するという、難しい経営が求められていた訳です。

 ところが今回の一括売却は、明らかに目先の利益が優先された格好と言えます。たとえば同じかんぽの宿でも、箱根などはおなじみの東京の奥座敷であり、普通に経営すればちゃんと黒字が見込めると思われ、数千万円(正確な金額は忘れました)という赤字は、食材の発注で常にゼロを一つ多く書き間違えていたのではないかというくらい異常な数字だと思います。民営化のそもそもの目的は、こうしたずさんな経営を立て直し、健全化できるところは健全化していくというところにあったはずです。それを、手間のかかる部門はまとめて投売りにして、儲かりそうな面白い事業だけを手元に残そうというのでは、小泉選挙で郵政民営化反対派が主張した通りの結果になりつつあると言われても仕方ありません。

 こうした国営企業民営化の弊害は、たとえばJRが新幹線を作るとその下の在来線は地元自治体に押し付けられるといった事例(青い森鉄道やしなの鉄道など)にも以前から見られます。

 この思考は、経営者の立場からして分からないではありません。民間からポンと抜擢された人物が、ほとんど独占といえる資本をポンと渡されれば、いろいろとやりたい構想・面白い構想が出てきてたまらなくなるでしょう。子供に部屋一杯のおもちゃをプレゼントするようなものです。そうなれば、その中から面白そうなものだけ残して、つまらなそうなものはどんどん捨ててしまうのは至極自然でしょう。捨てるべきものはもちろん捨てなければなりませんが、何を捨てるかは親がきちんと見張っていなければなりません。この場合、それは政治や行政の役目のはずです。

 今回の一件は、不透明な入札を行った両社に当然問題がありますが、他方であらかじめ予見された事態に備えて監視体制を整えてこなかった政治の側にも大きな責任があるといえます。改めて民営化のあり方、統制の仕方について議論される良い機会となったのではないでしょうか。