非常にデリケートな問題であり、いつも以上に反発を買いそうな話題ですが、どうしても直感的な違和感をぬぐえないので、今回記事にすることにしました。あくまで個人的一意見としてみていただければ幸いです。
一昨日4月28日は、昭和二十六年(1951)に調印されたサンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復して国際社会に復帰した日であるとして、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれた。これに対し、沖縄では平和条約発効後も昭和四十七年(1972)までアメリカの施政下に留め置かれたことから、この日を「屈辱の日」としてさまざまな集会やイベントが催された。
沖縄からみれば、もちろん一足先に「国家」として主権を回復した本土に対して取り残されたという感情を抱くのは避けられないことであったろうし、アメリカの施政下において対共産圏の橋頭堡として基地が建設されていったのだとすれば、現在にまで至る基地問題の発端の1つとして苦々しく感じるのも理解できる。
しかし、都内で「屈辱の日」イベントへの理解や参加を求めるビラを配ったり、政府に対して沖縄切り捨てとの非難を浴びせているという報道に触れるにあたって、「それはちょっと違うんじゃないのか?」という強い違和感を覚えた。
頭のなかでしばし整理してみると、私の違和感は2つの疑問に分けられる。1つは、日本の主権回復を祝うことは、沖縄を無視するということとイコールではないだろうという点だ。安倍総理自身が式典のスピーチで述べているように、「日本に主権が戻ってきた日に、奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離れた。(中略)沖縄が経てきた辛苦に、深く思いを寄せる努力をすべきだと訴えようと思う。」という形で、主権回復を祝うと同時に沖縄をはじめとする取り残された地域のことを深く考え直す日であるとすることに、なんら論理的(心情的にも)矛盾はない。むしろ、「屈辱の日」をあまりに強調しすぎれば、この日をもって改めて沖縄の問題について考え直そうと真摯に思っている人たちに対して冷や水を浴びせる結果になるように思われる。
2つ目の違和感は、こうして「屈辱の日」をひたすら前面に掲げて突き進む人たちは、いったい何を求めているのか、どうすれば満足なのか?という点だ。都内でビラを撒いている人たちの願いが、日本国民全員が4月28日を「屈辱の日」と捉えることであるとするならば、それは無茶な希望というものだ。4月28日が、それまで敗戦・占領によって「国家」としては消滅していた日本が再び「国家」として認められた節目の日である、という事実は厳然としてあるわけであり、この日を主権回復の日としてはいけないというのは理論上不可能だ。
実際のところ、沖縄の人たちが日本政府に苛立ちや憤りを覚えていることはあっても、喧嘩を売りたいのだとは思えない。その苛立ちの原因は、やはり何といっても基地問題であろう。だとすれば、基地問題を解決するという大目的に対して、「屈辱の日」を押し立ててシュプレヒコールを上げるというのは、まったく合理的でないように思えてならない。
そもそも基地を置いているのは日本ではなくアメリカなので、基地をどかすという目的から出発すれば、まずやるべきはアメリカに基地を移したいと思わせる環境づくりであろう。つまり、シュプレヒコールを上げるなら相手は日本政府ではなくアメリカであるべきであり、二言目には県外移設というのであれば、きついようだが自分達で代替の土地の目星くらいは提供しなければならないと私は考えている。多くの人々が沖縄の現状に「同情」しているが、同情心とは自分が第三者であるからこそ芽生えるものであって、自分が当事者になった途端に露骨な迷惑顔に変貌するものだ。同情に訴えて物事が達成されるという例は、残念ながら歴史的にはほとんどないように思われる。
こうした「沖縄v.s日本政府」のような奇妙な国内対立の最大の弊害と思われる事態がついに現実のものとなった。中国外務省傘下の外交誌『世界知識』に、「現在に至るまで日本は沖縄に対する合法的主権を持っていない」と主張する論文が掲載されたと、時事通信が報じた。内容自体はそこまで危険視するようなものではないように思われるが、タイミングがあまりに絶妙すぎる。今回の事態を見越して論文を用意していた、とまではいかないものの、このようなチャンスを狙って前々から温めていたか、「屈辱の日」イベントの盛り上がりを知って急遽書き上げたかのどちらかではなかろうか。もちろん、このような論文が出たからといって、即座に沖縄までが領土・領海的に中国に脅かされるというということはないだろう。だが、中国にこうしてつけ入る隙を与えたということは、憂慮すべき事実だ。
「屈辱の日」関連の報道で私がみたなかには、「沖縄が置かれた歴史や現状を分かってもらわないと、47番目の都道府県にはなれない」という趣旨の沖縄県民の発言もあった。その方に私はこう問いたい。「あなたは沖縄が中国の24番目の省ないし6番目の自治区になっても良いのですか?」
誤解があっては困るが、私は沖縄の基地問題はできるだけ早く解決すべきだと思っているし、沖縄が1972年まで日本から切り離されていた歴史を本州人として心苦しく感じているし、沖縄に非情な犠牲を強いた旧日本軍軍部には憤りを覚えている。だからこそ、沖縄の人たちには、もっと目的合理的に動いて、本懐を遂げてもらいたいと願ってならない。生意気極まりないのことを言っているのは承知の上だが、このままでは沖縄の為にも日本全体の為にもならないのは間違いないように思う。