塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

はやぶさに乗って来ました

2011年05月31日 | 徒然

 先週末、仙台へ帰るのにせっかくということで、はやぶさに乗って来ました。はやぶさは、今のところ1日に3本しか走っておらず(そのうち1本は仙台どまり)、午前の便は朝8時台と少々早めです。それほど混雑するということもないようですが、ファーストクラスは常に満席でした(乗れる身分ではございませんが)。

 はやぶさは、早いイメージから名付けられたということですが、すでに廃止となった同名の寝台特急が九州を走っていたため、わざわざJR九州に了解をとったということです。同じブルートレインの名前を付けるというのなら、東北にはかつて「はつかり」という寝台特急が走っていたのですから、こちらを付けてもらいたいところでした(実際、「はつかり」は公募でかなり上位にあったそうです)。結局、日の丸企業の前では地元民など蚊帳の外なのかなぁ、と悲しくもなります。

 
はやぶさ外観


 さて、せっかく乗るのなら先頭車両を撮ってやろうとホームの先へ進むと、そこにはうじゃうじゃと先客さんたちがたむろしていました。所詮、自分もその中の1人にすぎないわけではありますが、こうして傍から見るとやはりどうにも気味の悪い集団です。

 
はやぶさを撮る人々
 

 事前に聞き知っていたはやぶさの情報として、騒音にかなり気を遣ったというのがあります。その成果の1つがパンタグラフだそうで、屋根を見上げてみると今までに見たことのない形状をしています。電線との摩擦をなるべく小さくし、それでいて常に電線との接触を保てる工夫がなされているのだそうです。

 
はやぶさのパンタグラフ


 さて、はやぶさの内装は、乗ってみると従来の新幹線よりもゆったりと作られているように感じます。リクライニングは背もたれのみですが、座席間が心なしがこれまでより広くなっているような気がします。また、これまでありそうでなかったドリンク置き場や電源が設置されています。走り具合や走行音から鑑みるに、おそらくこれまでの車両より軽量・軽装甲に作られているように思います。

 はやぶさは、東京を出ると、大宮→仙台の順に止まります。これまで最速だったはやて・こまちは、東京→上野→大宮→仙台と停車していたので、はやぶさはそれよりさらに1駅分速いことになります。ただ、震災の影響かスピードを落として走行しているようで、はやてが東京・仙台間を1時間40分ほどで走っていたのに対して、はやぶさでは2時間かかりました。いずれにせよ、ちょっと転寝したり読書したりしている間に着いてしまうので、さしたる違いでもありませんが。

そんなはやぶさに乗って、皆様が安心して東北を旅することができる日が来るよう、祈るばかりです。

  



貞観という時代

2011年05月23日 | 徒然
 
 車で街中を走っていると、緊急車両のサイレンが聞こえたので道をあけたのですが、通って行ったのは東京電力の作業車でした。電力会社の車も緊急車両扱いされるんですかね。それ以前に「何で東電のために道をあけなきゃならんのか」と非常に腹立たしくなりました。

 さて、先日富士五湖方面へ出かけました。吉田うどんが異常な硬さだったとか、河口湖が童話「かちかち山」の舞台だったとかいろいろ新しい発見がありました。そんな中で一番の驚きだったのは、精進湖と西湖がもとは「剗の海(せのうみ)」という1つの湖で、貞観六年(864)の富士山噴火による溶岩によって2つに分けられたのだということでした。この噴火による溶岩流は、西湖方面から本栖湖方面まで広範囲にわたって大地を埋め尽くし、その後溶岩の上に形成されたのが青木ヶ原樹海だそうです。

 
一面の青木ヶ原樹海


 貞観というと、先の東日本大震災と同じくらいの規模といわれる貞観地震がクローズアップされてきました。1000年に1度といわれる東日本大震災の、前のものとみられています。貞観地震は貞観十一年(869)の出来事ですから、富士山噴火の5年後ということになります。

 私は平安時代には詳しくないので改めて調べてみると、このほかにも貞観時代(859~77)のわずか18年の間に多くの天災があったようです。噴火だけでも、富士山のほかに規模は不明ですが阿蘇山、鳥海山、開聞岳で起きており、地震では東北のほか越中・越後と播磨・山城で起きています。とくに越中・越後地震では、直江津沖のいくつかの小島が壊滅したといわれています。 今回の震災でこれほどの混乱と恐怖に苛まれているわけですから、当時の人たちはさぞや恐れおののいたことでしょう。富士山噴火を受けて、河口湖畔には浅間神社を勧請して河口浅間神社が創建されました。

 
河口浅間神社


 逆にいえば、今後この貞観時代と同様の全日本規模の天災が連動して起きる可能性もないとはいえません。もしいま富士山噴火や東海地震が起きれば、東京首都圏の首都機能に致命的な影響が及ぼされかねません。また、貞観の例に倣えば、近畿や九州さえも被災する可能性があります。すでに九州では阿蘇・開聞ではないものの霧島山で火山活動が活発化しています。現在は被災地を支援する側に立っている地域でも、いつ被災地になってしまうかもしれない。そんな恐ろしいシミュレーションを、貞観という時代は示してくれているのかもしれません。東日本大震災や福島原発問題の対応だけで全国的に手一杯ですが、他方で他の地域でも新たな災害に対する備えを急いで整えなければならないということなのでしょう。

 思えば、スマトラ、チリ、四川、ハイチと大地震が続き、とうとう日本にやってきました。そしてつい先日、今度はトルコでM6.0の地震が発生しました。何やら世界大で地震の連鎖、近くの大変動が起きているような予感さえよぎります。もしそうだとすれば、世界から見れば小さな日本での地震の連鎖など、いとも簡単に起きてしまってもおかしくはないでしょう。

  



東日本大震災:震災を踏み台にする人々

2011年05月19日 | 東日本大震災
  
 前回震災の話に特化しないと宣言しておきながら、いきなり震災関連の話です。すみません。ただ、どうしても気になることがありましたので。

 先日、私は普段はまったくといっていいほど読まない青年誌をふと手に取ってパラパラとめくりました。モーニングだったか何だったか、たまたま目に留まったのは「課長(今は社長?)島耕作」でした。本当に偶然というか、運命的な必然にも思えるのですが、そこに載っていたのは震災関連の話でした。韓国の有名メーカー(どうみても○ム○ン)が、被災地の避難所で自社製品を寄贈して性能をアピールするというものでした。実際のところ、復興の過程でそう簡単に国内製品が取って代わられるようには思えないのですが、ありうべき恐ろしい話でもあります。

 ですが、今回の本題はこれではありません。震災復興をチャンスとみることは、企業や起業家なら、ほめられたことではないかもしれませんが当然のようにも思います。しかし、これが文化面に携わる人であればどうでしょう。残念ながら、文化活動を生業とする人々の中にも、震災を売名のチャンスと捉えている人がいるように思われます。

 今になってふと思いついたというわけではありませんが、こうして記事にしようと考えたのは、ある小説がきっかけでした。その小説は、仙台のアーケード街南端あたりの書店で買ったものです。復興のためには、やはり土地のものや土地の店で買い物をしようということで、何冊か買いこみました。その中の1冊に、仙台を舞台とした郷土作家(?)の作品がありました。太平洋戦争の終戦直後の混乱の時代を描いたもので、戦争孤児となった青年2人の短い生涯を扱った小説でした。

 震災から2か月でそう簡単に小説が書けるものではないでしょうし、おそらく既刊の作品を仙台が舞台ということで急遽増刷したものなのだろうと思いました。出版社も、本音はともかく、復興支援のために仙台の作品を拾って刷ったというのなら、これを買うのに躊躇はいらないだろうと思いました。

 ところが、先ごろ読み終わって巻末の解説を見たところ、私は驚きました。そこには何度も「3.11後」という言葉が躍っていました。「9.11後」の間違いじゃないかと思って見返しましたが、やはり「3.11後」、つまり東日本大震災のことを指していました。そして、小説自体は3年前の平成20年に発表されたものでした。つまりこの本は、わざわざ解説を付け直し、新刊として大々的に売り出していたのです。

 これが、復興に何か関連のある内容であれば文句はありません。たとえば同じ戦後でも復興期に希望を見つけて立ち直っていく話とか。ところが、この小説は戦後を扱っていながら復興の「ふ」の字も引っかかりません。震災にかこつけられる部分は、まったく舞台が仙台であるというだけなのです。

 さらに、掘り出し物の隠れた作家であるというのなら、幸か不幸か震災を機に芽が出るということもあるでしょう。ですが、その内容は残念ながら優れているとはいえないように感じました。おそらく、普通に売り出したのではさほど日の目を見ることはなかったでしょう。震災後に、震災にかこつけた販促に乗っかったからこそ、こうして大々的に書店に並ぶようになったものと思われます。

 もちろん、本人にその気があったかは分かりません。ですが結果として、この作家は震災をきっかけに、震災を踏み台にして世に出ることになりました。こうした、震災をチャンスにステップアップを図った活動家というのは、実際のところ少なくはなかったのでしょう。たとえば震災後には、多くのミュージシャンによって雨後の筍のように復興の歌が制作されました。多くは純粋に被災者を慮ったり、復興を支えたいという気持ちで作られたありがたいものなのでしょう。ですがおそらく、そして確実に、これをきっかけに世に出よう、もっと邪推すれば小金を稼ごうとした人々もいたのだと思います。

 私の記憶に残っている音楽家に、名前は忘れましたが仙台生まれで現在はニューヨークで活躍しているという女性がいました。この人は、震災後にニューヨークで仲間を集めて「生まれ育った仙台のために」チャリティーコンサートか何かを開いたということでした。ただ、本当に日本や仙台に愛着があるのならまず日本へ来るべきでしょうし、その方が日本で名を売るためにも好都合なはずです。この女性がコンサートで音楽仲間と楽しそうにワイワイ演奏していたところをみると、どうも真の目的は「ニューヨーク」での売名にあったんじゃないかと推測されます(もちろん何も考えていなかったのかもしれませんが)。

 まあ、このように勘ぐり出したらきりがないところで、表向きはなべて善意から出たものと受け取るより他ありません。しかし、文化・芸術が市場経済の一分野に成り果てつつある今日、文化面で活躍しようという人たちが企業や起業家と同じ思考で動いているとしたら、悲しいとしかいいようがありません。

 さて、最後に記事の主筋とは関係ない蛇足をひとつ。先ほどの小説について、勝手に辛口な評価を下しましたが、内容とは異なる点でもうひとつ気になることがありました。この小説、仙台の地名やら通り名やら、逐一実名が挙げられています。最初は面白いと思いましたが、あまりに続くと段々辟易としてきました。たとえばこれが東京や京都といった、行ったことはなくても地名や通り名が知れ渡っているところなら、いくら実名を挙げても問題はないでしょう。ただ、これが仙台をはじめローカルな土地となると、実名を出すよりも描写で仄めかす方がいいように思うのです。私は仙台なら、○○町だ○○通りだと出ればどこだか分かります。しかし、仙台に縁のない方が見れば、どこのことだか分かりませんし、さほど興味もわかないでしょう。案の定、わざわざ実名を挙げたあとで、そこがどこでどういうところか懇切丁寧に解説している箇所が多々ありました。まるで、芸人が一度スベったネタを分かりやすく説明し直しているような恥ずかしさを覚えます。

 ローカルネタというのは、地元の人だけが分かるキーワードをちらつかせて、知ってる人がニヤリとするところに醍醐味があると考えています。たとえばこの記事の最初、「仙台のアーケード街南端あたりの書店」といえば、仙台の人ならおそらく皆「ああ、あそこの○○堂ね」と気付きます。これで分かる人は分かるし、分からない人は実名を挙げても分かりません。いくら郷土作家、郷土作品だからといってただ名前を並べただけでは塩味だけの料理のようにすぐに飽きてしまうように感じました。

  



東日本大震災から2か月。

2011年05月13日 | 東日本大震災

 東日本大震災から2か月が過ぎました。被災地では今なお多くの被災者の方々が避難所暮らしを余儀なくされ、まだまだ多くの不明者がいらっしゃいます。

 福島原発事故も、日増しに深刻になる被害状況が小出しに報じられるだけで、進展する気配があまりみられません。

 発生から2か月、この間は震災関連の記事に集中して書いてきましたが、これを区切りとして震災関連以外の記事も今後再び取り扱うようにしたいと思います。もちろん、被災地の状況は好転しているとは到底いい難く、また復興となれば10年、20年スパンの問題です。ただ他方で、震災以外でも日々新しいニュースや時流の変化がみられるわけで、そうした震災以前同様の運営の中で震災関連の記事も扱っていこうかと考えています。

 たとえば、最近にわかに話題となったのがユッケ等に用いられる生の牛肉問題でしょうか。目下のところ、どこで大腸菌が侵入(?)、繁殖したのかという経路が話の中心にあるようです。ただ、私が気になっているのは、死亡者が若年層と高齢層に集中していることです。高齢者やティーンエイジャーはともかくとして、幼児に生肉を食べさせるというのはどうなんでしょうか?私が親だったら、物心もつかない子供に生の牛肉なんかちょっと食べさせられないと思うんですが。

 以前、マンナンライフの「蒟蒻畑」の問題で同様の観点から記事を書いたことがあります。食品関連で子供に死者が出ると、近年ではすぐに生産者側の責任が取り沙汰されます。しかし、私としてはその前に子供にその食品を与えてよいかどうかの親の責任が第一に問われるべきではないかと思っています。

 話が脱線してしまいました。そのようなわけで、今後とも拙ブログをよろしくおねがいいたしますm(_ _)m

 



東日本大震災:観光業と風評

2011年05月09日 | 東日本大震災
  
 先月までは東京でも1日に必ず1回は余震があったのですが、だいぶ落ち着いてきたように思います。震災後1か月半というなかのGWでしたが、東北では当然観光客数が減りましたが、西日本では逆に客足が伸びたところもかなりあったようです。

 被災地域周辺の観光業や旅館業に関して、直接の被害が少ないことをアピールして観光客を呼び込もうと必死なようすが、日々メディアなどを通じて伝えられてきました。こうした方々は、津波や原発の被害がない地域であるにもかかわらず客数が減っていることについて、口々に「風評被害」という言葉を使っています。しかし、本当に「風評被害」なのか、少し立ち止まって考えてみる必要があるように思います。

 風評被害とは、本来は噂や風聞に煽られて問題がない部分にまで被害が及ぶことを指します。つまり、実際には安全なのに安全でないように思われてしまう状態です。では、被災地周辺の観光地は本当に安全といえるのでしょうか。

 今でこそ大分おさまったとはいえ、先月は震災から1か月ほど続くといわれた余震期間のほとんど最後の日に震度6の大きな余震が起こりました。それから今日まで断続的に余震は続いています。福島第一原発も、この先どうなるのかさっぱり分からない状況です。そのような中で、被災地周辺の観光地は「単なる風評被害だから、大丈夫だから来てけさいん」と、そんなに胸を張って言っていいものなのでしょうか。

 東北各地の観光客が減少しているのも、風評というよりは行った先でうっかり被災してはかなわないというリアルな心配に基づくものだと思います。自然のことですから、いつ何が起きるか分かりません。それを「風評だから、大丈夫だから」といわれても、根拠がありませんし、下手をすれば東電の「大丈夫」と同じに聞こえてしまいます。そもそも、旅館業の立場に立って、多くのお客の命を預かっているところに再び大地震が起こったらどう責任を取るつもりなのでしょうか。観光業・旅館業の方々には申し訳ないですが、送った農産物が向こうの人に食べてもらえないというのと、向こうの人がこちらに来てくれないというのは、事の重みが違うように思います。

 そこで、観光業・旅館業の方々には事態に則して頭をひねっていただく必要があるでしょう。私見ですが、被災地周辺の旅館はしばらくボランティアや派遣された人たち向けに限定して営業してはいかがでしょうか。GW中は、休みを利用してボランティアに来たいという人に対して受け入れ体制が間に合わず、受付を中止した自治体も少なからずありました。直接の被害を受けていない諸旅館がこうしたボランティアを積極的に受け入れ、普段よりサービス低め、値段も安めに設定すれば、さらに多くの人々に支援の場を提供できることになります。待ってても呼び込んでも観光客は伸び悩むわけですから、旅館業にとっても悪い話ではないはずです。

 実際に、一部の旅館で同様の試みは始まっているようで、旅館のマイクロバスでの送迎も行われていると聞きます。風評被害だなんだとただ待っているのではなく、旅館業の方でも復興に向けて活動に乗り出すべきではないのかな、と思っています。