塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

羽生選手の衝突事故雑感

2014年11月11日 | 徒然
  
 先週11月8日に上海で行われたフィギュアスケート・グランプリシリーズの直前練習で、羽生結弦選手と中国の閻涵選手が衝突する事故が起きました。ちょうどその時、私はテレビをつけたまま別室にいたのですが、「ああー!」という悲鳴のような実況の声が聞こえて、「何事か」とびっくりしました。観てみると、羽生選手が中国の選手と衝突したということだったので、思わず「中国がついにやりよったか!」と考えてしまいました。リプレイ画面を観ると、どうやら故意ではなさそうですが、両選手とも棄権しないと聞いたときにはとにかく大丈夫かなと気になりました。

 両選手が演技を決行したことについては、今に至るまで賛否両論分かれているように感じます。賛否といっても、賛成の方の大多数も、無理をしてでも演技するべきだったというわけではなく、選手自身が大丈夫といって頑張っているのだから最大限応援したいという考えのようです。

 この件については、すでにさまざまなメディアを通して多くの意見が出されており、論点は直前練習が人数的にも時間的にも過密であるというところに収斂しつつあるように思います。より広いスペースでよりゆったりと練習することができれば、もちろん事故が起きる危険性はぐっと下がることでしょう。ですが、氷上の人数をいくら減らしても、事故の可能性をゼロにすることはできません。とくに今回の事故に関しては、その後の対応にも非常に大きな問題があったと考えています。

 事故後、応急の処置(検査も?)を終えた羽生選手に対し、コーチは棄権を促したものの、本人が出場することを強く希望したため、これを容れて演技することになったと聞いています。つまり、選手本人が自身の体調について「判断」し、出場を「決定」したということになります。私は、このような事故の場合における「判断」と「決定」の権限が専門家に委ねられていないという点に、強い疑問を感じます。

 高速で、ブレーキのかからないスケーティングの状況下で正面衝突したのですから、相当な衝撃であったことは私のような素人でも分かります。真っ先に疑われるのは脳震盪ですが、これは脳が強いショックを受けて機能障害を起こしている状態を指します。実際に機能に障害が生じているかどうかは、骨折などと違ってそう簡単に見分けられるものではありません。よしんばその場では大丈夫そうに見えても、強行出場して高速回転やジャンプの着地などで新たな負荷がかかることによって二次的に脳震盪が発症してしまうかもしれないくらいのことは、やはり素人でも見当がつきそうなものです。

 では、自分のことは自分が一番よく知っているとばかりに、本人の申告に拠るべきかというと、これこそ正反対です。明らかに泥酔している人が「俺は大丈夫!」と豪語するように、仕事に熱中するあまり癌の進行に気付かないという話を耳にするように、本人が自身の状態について一番分かっているなどというのは幻想に過ぎません。こと脳がダメージを負っているかもしれないとなれば、なおさら脳自体がパニックに陥って正常な判断力を欠いていると考えるのが普通です。そのような混乱した状態で「棄権か出場か」と訊かれれば、ほとんど無意識であっても「出たい」という言葉が口に上るのは、当然とはいえないまでもごく自然でしょう。

 加えて、羽生選手は19歳とまだ若く、不測の事態に対する経験までは、多いとはいえないはずです。「棄権した場合」「強行出場した場合」それぞれに起こり得るいくつものシナリオを提示できるのも、そのなかから冷静に最良と思われる選択肢を選びとれるのも、本人ではなく周囲にいる人間だったはずです。それを、「本人がやりたいといったからやらせました」というのでは、あまりに無責任というものでしょう。

 すなわち、今回の件での問題の1つは、事故が起きた際の棄権or出場の「判断」および「決定」の権限が誰にあるのかが、曖昧に過ぎる点にあると思われます。ドクター導入を訴える声があがっていると聞きますが、重要なのはドクターにしろ他の専門家にしろ、その人に棄権or出場の「判断」と「決定」の権限が与えられていることでしょう。そうでなければ、今回は羽入選手が演じ切れたので美談に祭り上げられましたが、「やれると言ったからやらせた」先の悲劇が起きてしまうことにもなりかねないでしょう。

  



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