おくばせながら、今年も八月十五日を迎えた。もはや「親も戦争を知らない」私の世代の人たちが終戦記念日に思うところは様々であろう。ただ、何だかんだで結局今年も靖国参拝が一番のトピックであったように思う。
私自身は、安倍首相はじめ現閣僚がこぞって参拝しなかった事実には、さして驚きはしていない。だからといってここぞとばかり一人出掛けていった高市早苗大臣もどうかとは思うが。
参拝者する政治家は、皆個人の信条に基づいて私人として参拝したのだという。しかし、実際には誰もが分かっている通り、靖国に参拝するかしないかは政治問題である。特に今回の「総不参拝」は、いつもの外交上の配慮というより、参院選惨敗を受けての対国内的判断が強いように見える。
だが、全閣僚が参拝しないという「政策決定」は、支持率にダメージを与えないかもしれないが、それ以上に安倍首相の文脈上支持率を押し上げるものでは決してない。何とも消極的且つ無意味な判断ではないだろうか。
この背景には、最近の「八方美人」的傾向があるように思われる。つまり、これ以上有権者に見放されたくないというような態度である、ここには、安倍総理の焦りと官房長官あたりの性向が表れている気がする。
八方美人の思考回路は、そのまま政策の無方向性にとして現れる。ここ最近の安倍内閣の政策には中身が感じられない。当初は対中対韓政策の路線転換でイニシアティヴを発揮していた外交も、このところイマイチぱっとしない。誰にでも受けがよいということは、何も決断できないことにつながる(この点は民主党には以前からいえることだが)。
話は突然変わって、昔知人から流行るラーメン屋について聞いたことがある。そもそもラーメンの好みなどは、人によってそれぞれ多様なので、大多数に好まれる店より一部の熱狂的ファンを惹き付けるような店を目指す方が、効率が良いというものだ。奇抜な味でもそれでファンがつけば、そこから名が上がり、口コミや雑誌などを通じて客を呼び込むことが出来る。こうした「一見(いちげん)さん」の客は、別にリピートしてくれなくても構わない。数字として店のアピールに繋がるため、同様のサイクルで経営は好転するというわけだ。
政治でも同じことが言えるように思う。一人の総理が在任中に経験する選挙の数はそう多くはない。そして選挙に勝ちさえすれば、しばらくの間フリーハンドが得られることになる。それならば、有権者をその時その時の「一見さん」と捉えた上で、彼らを惹き付けるような広告を考えるのも、現代の議会政治の好手ではないだろうか。
この点を上手に扱ったのが、やはり小泉前首相であったといえよう。彼は先の衆院選で、「郵政民営化」を焦点とした「改革勢力vs. 抵抗勢力」という、必ずしも皆が求めている訳ではない際どい味付けによって、熱狂的なファンとその波及効果による多くの「一見さん」支持者を得た。
では、今回の靖国参拝について安倍内閣の判断はどうだったのであろうか。個人的な信条というものを抜きにして、今見てきたような純粋な国内対策として考えるならば、私見としては安倍総理自身のもともとの方向性に従って、何らかの形で参拝した方が良かったのではないだろうか。皆の目を気にするあまり、自分を支持してきてくれた人たちをがっかりさせては元も子もない。少なくとも何もしないという選択よりはマシだったように思う。八方美人で選挙に負けたのに、また化粧を重ねるような愚挙を続けては、それこそ政権の危機に繋がりかねない。
最後に強調しておきたいのは、靖国参拝の是非そのものについては今回全く触れていないということである。私は、靖国問題は完全に政治問題であると考えている。今回は国内政治上の観点に絞って話を進めたが、政治家はその時々の国際情勢・世論・議会運営・党内の力関係などを総合的に判断して、参拝するか否かを決定しなければならない。個人の信条が差し挟まれる余地などはごく僅かである。今後も、靖国問題は各政権のその都度の判断に委ねられ続けるであろうし、まして全体的な解決など当分見られないだろうと思っている。