塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

夏を乗りきれ!苦瓜菜園

2007年08月29日 | 徒然
  
 連日の異常な酷暑もようやく和らぎ始めてきたのでしょうか。
少なくとも夜の涼しさが、段々と秋の気配を伝えてきているように思います。

 さてそんな今年、我が家ではベランダで苦瓜(ゴーヤ)を育ててみました。突っ立て棒を二本立ててその間にネットを張って苗を植えました。

 初めてのことなので、とりあえず4株だけ植えたのですが、あれよあれよと一面を覆いつくしてネットが足りないくらいに大きくなってしまいました。


逆光なので上手く撮れてませんが


 庭にこのようなきゅうりとかのツタ植物を植えると、5℃近くも気温を下げる効果があると聞きます。実際、朝晩の水撒き時など打ち水効果も相俟ってベランダはもちろん部屋の中まで涼しい空気が廻ってきます。

 肝心の収穫の方も、形こそスーパーに並んでいるものより大分小ぶりですが、味は全く同じで、苦味の利いた栄養豊富そうな味です。


こんなのが一日3、4個収穫できます


 おかげで食卓もかなりにぎやかになりました。7月初め頃から実をつけ始めて、まだなり続けています。

 来年は、もっと網を広げて6株くらいに増やそうかと思っています。緑を増やせて、涼を求めて、美味しくいただける一石三鳥の苦瓜(キュウリなんかでも良いのだと思いますが)是非育ててみてはいかがでしょうか。

 難点は、水が不足するとあからさまに葉がげんなりしてくるところでしょうか。今夏は家にいるときは一日三回、最低朝晩水遣りしてきましたが、それでもふと気付くとうなだれていたりするので、家を空けていることが多い人には難しいかも知れません。

 うなだれた苦瓜の写真がないので、別に観葉で育てているアボカドを例にご紹介しましょう。


ビフォア


アフター


 水をあげるとあげないとであからさまに態度が異なります(笑)。。

  


靖国参拝とラーメン屋の戦略

2007年08月20日 | 政治

 おくばせながら、今年も八月十五日を迎えた。もはや「親も戦争を知らない」私の世代の人たちが終戦記念日に思うところは様々であろう。ただ、何だかんだで結局今年も靖国参拝が一番のトピックであったように思う。

 私自身は、安倍首相はじめ現閣僚がこぞって参拝しなかった事実には、さして驚きはしていない。だからといってここぞとばかり一人出掛けていった高市早苗大臣もどうかとは思うが。

 参拝者する政治家は、皆個人の信条に基づいて私人として参拝したのだという。しかし、実際には誰もが分かっている通り、靖国に参拝するかしないかは政治問題である。特に今回の「総不参拝」は、いつもの外交上の配慮というより、参院選惨敗を受けての対国内的判断が強いように見える。

 だが、全閣僚が参拝しないという「政策決定」は、支持率にダメージを与えないかもしれないが、それ以上に安倍首相の文脈上支持率を押し上げるものでは決してない。何とも消極的且つ無意味な判断ではないだろうか。

 この背景には、最近の「八方美人」的傾向があるように思われる。つまり、これ以上有権者に見放されたくないというような態度である、ここには、安倍総理の焦りと官房長官あたりの性向が表れている気がする。

 八方美人の思考回路は、そのまま政策の無方向性にとして現れる。ここ最近の安倍内閣の政策には中身が感じられない。当初は対中対韓政策の路線転換でイニシアティヴを発揮していた外交も、このところイマイチぱっとしない。誰にでも受けがよいということは、何も決断できないことにつながる(この点は民主党には以前からいえることだが)。

 話は突然変わって、昔知人から流行るラーメン屋について聞いたことがある。そもそもラーメンの好みなどは、人によってそれぞれ多様なので、大多数に好まれる店より一部の熱狂的ファンを惹き付けるような店を目指す方が、効率が良いというものだ。奇抜な味でもそれでファンがつけば、そこから名が上がり、口コミや雑誌などを通じて客を呼び込むことが出来る。こうした「一見(いちげん)さん」の客は、別にリピートしてくれなくても構わない。数字として店のアピールに繋がるため、同様のサイクルで経営は好転するというわけだ。

 政治でも同じことが言えるように思う。一人の総理が在任中に経験する選挙の数はそう多くはない。そして選挙に勝ちさえすれば、しばらくの間フリーハンドが得られることになる。それならば、有権者をその時その時の「一見さん」と捉えた上で、彼らを惹き付けるような広告を考えるのも、現代の議会政治の好手ではないだろうか。

 この点を上手に扱ったのが、やはり小泉前首相であったといえよう。彼は先の衆院選で、「郵政民営化」を焦点とした「改革勢力vs. 抵抗勢力」という、必ずしも皆が求めている訳ではない際どい味付けによって、熱狂的なファンとその波及効果による多くの「一見さん」支持者を得た。

 では、今回の靖国参拝について安倍内閣の判断はどうだったのであろうか。個人的な信条というものを抜きにして、今見てきたような純粋な国内対策として考えるならば、私見としては安倍総理自身のもともとの方向性に従って、何らかの形で参拝した方が良かったのではないだろうか。皆の目を気にするあまり、自分を支持してきてくれた人たちをがっかりさせては元も子もない。少なくとも何もしないという選択よりはマシだったように思う。八方美人で選挙に負けたのに、また化粧を重ねるような愚挙を続けては、それこそ政権の危機に繋がりかねない。

 最後に強調しておきたいのは、靖国参拝の是非そのものについては今回全く触れていないということである。私は、靖国問題は完全に政治問題であると考えている。今回は国内政治上の観点に絞って話を進めたが、政治家はその時々の国際情勢・世論・議会運営・党内の力関係などを総合的に判断して、参拝するか否かを決定しなければならない。個人の信条が差し挟まれる余地などはごく僅かである。今後も、靖国問題は各政権のその都度の判断に委ねられ続けるであろうし、まして全体的な解決など当分見られないだろうと思っている。



嵯峨野の穴場? 大河内山荘

2007年08月16日 | 旅行
 先日まで中山道歩き&京都旅行に行ってました。

 まとまった休みが八月上旬しか取れなかったので、ここぞとばかりに計画したのですが、連日の酷暑は想定外でした。夏の京都が暑いのは覚悟の上だったのですが、もはや殺人的な熱波で、ワンブロックでもバスを使って移動するほどでした。

 結局、余りあっちもこっちもではなく2、3ヶ所をじっくり見る感じでした。ただ、これが怪我の功名というか、一応一通り京都は尋ねた感があったので、お気に入りのところでゆっくりする旅も落ち着けてよかったと思います。

 そんな中で今回収穫だったのは、嵯峨野にある大河内山荘でした。

 昭和の映画スター大河内傳次郎の邸宅で、嵯峨野の竹林を抜けたところ、嵐山も洛中も一望できる風光明媚な丘に建っています。
 
 大河内傳次郎は、関東大震災で世の無常を感じ、以来禅に没頭し独自の美の追求に生涯いそしんだそうです。その成果として、少しずつ造られていったのだそうです。昭和にこのような幽谷の境地を大成させた人がいることに少し驚きました。また俳優でありながら、若くしてその追求に明け暮れることができた生き方がとても羨ましく思います。


嵐山を望む



京洛を望む

 最近はお金の使い方を学ばないまま、金持ちになってしまう人が多いように思います。折角セレブとか言われる地位に登りながら、食い物だの車だの目先の快楽にしか費やされないようでは、余りに下らない生き方ではないかと。

 話がずれましたが大河内山荘、おすすめです。入場料1000円と少し高いように思うかもしれませんが、抹茶とお菓子付きなので、これが500円くらいと考えればまあ妥当でしょう。



自民惨敗・参議院選挙所感

2007年08月04日 | 政治

 参議院選挙から一週間経ちました。僕としては、選挙の予想だの結果分析だのには余り関心がないのですが、いくつか思うところがあったので書いてみることにします。 

 まず今回の自民党惨敗という結果について、これをただちに「民主信任・自民不信任」と断じて良いかというと、非常に怪しいように思われる。確かに安倍総理自身「総理として安倍と小沢、どちらがふさわしいか」を問う選挙だと発言してはいた。ただ実際のところ、有権者は参院選をそれほど重い選挙だと捉えていたのだろうか。

 今回の最大の焦点は、「年金問題」あるいは「政治とカネ」であるとマスコミを通じて散々教え込まれてきた。

 たとえばその年金についていえば、両党とも今後の対処案を出していたようであるが、その優劣を有権者はきちんと判断して投票したのだろうか。僕に至っては両者がどう違うのかさえ分かっていない。カネの話にしても、赤城氏個人をスキャンダラスに攻撃するばかりで、構造的な対策については誰も積極的にアナウンスしていなかったように思う。

 そこで、勝手に自民党の敗因を推察してみると、一つには反自民票というより自民党への(もっとしっかりやってくれよ、という意味での)懲罰票が民主党へ多く流れたのではないだろうか。このような自民党への懲罰票というは昔からあるもので、当時はその受け皿が、たとえば社民党であったり社会党右派候補であったりした。
 
 もう一つは小泉劇場の遺産によるものではないだろうか。小泉前首相の選挙手法は、論点を故意に絞って、後は徹底的にその点に関して相手を叩き自分を持ち上げる、というものであった。選挙の意義から考えてこれが問題であることは間違いないが、他方でマスコミとしてはネタにしやすく、お茶の間としては頭を使わずに済むという点で利害が一致していたことも事実であった。

 それゆえ、今回もマスコミは「年金」「政治とカネ」の二点に絞ってお茶の間を煽り続けていたのだが、如何せん安倍政権はこの波に乗ることが出来なかった。今更「1円から領収書」というくらいなら、選挙前に赤城氏を更迭すると同時に打ち出せばよかった。出来るできないはともかく、こんなもの言ったもの勝ちである。結果、不毛な野党の個人攻撃がマスコミとお茶の間を満足させることになった。

 以前、安倍総理の「人事能力」と小泉チルドレンの「能力以上の態度」を問題視した記事を書いたが、今回の参議院も結局同じほころびをずるずるとさらけ出してしまったというのが僕の感想である。

 最後に、参院選全体についてあと二点ほど指摘したい。

 一つは、当日の開票報道におけるキャスターのあからさまに非中立的な質問態度である。これは僕の運が悪かっただけかもしれないが、日曜夜遅く帰ってたまたまテレビをつけると、別々のチャンネルでF館氏とS鳥氏が司会をしていた。両者に共通していたのは、「首相の責任」を問うのではなく、「首相はなぜ責任を取らないのか」を執拗に問うていたことである。これでは余りに相手に失礼であるばかりか、個人の意見を押し付けており、司会者には当然あるまじき姿勢だと思う。マスコミがこのような態度を許容(ややもすると奨励か)している限り、有権者が選挙に対する中立かつ有益な情報をマスコミから得ることは不可能であろう。

 もう一つは、参議院そのものの必要性である。毎回言われるように、今回も政治とはおよそ関係のないような人物が何人か、勘違いか集票力を見込まれたかはともかく出馬していた。それ自体「良識の府」たる参議院の品格を問うには充分であるが、さらに品位を疑うのは、衆院選で落選したり、問題を起こして衆議院を辞職したような人達がちゃっかり出馬していることである。

 たとえば私の故郷の宮城からは、それこそ「政治とカネ」の問題で衆議院を辞職した民主党議員が、何食わぬ顔で参議院から比例で出馬し、当然何もせずとも濡れ手で粟で当選しているのだ。

 このような、「衆議院でポカしちゃったから参議院へ」が罷り通るような参議院が、果たして必要なのだろうか、と改めて考えさせられました。