塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

舛添知事問題:時代遅れのリーダー観

2016年05月02日 | 政治
  
ホテルはスイート、飛行機はファーストクラス、他県の別荘へ公用車で。舛添要一東京都知事の税金の使い方について、批判は高まるばかりです。東京都との県境近くに住む私としては文字通り対岸の火事でありますが、今後の経過については興味が湧きます。

批判に対して、舛添知事が「トップリーダー」だから必要経費だといった反論をしたことについて、ネットを中心に「自分で言うな」とか「自意識過剰」といった反応が巻き起こっていると聞きます。ただ、この点についてはちょっと枝葉末節の揚げ足取りのような気がします。舛添さんは自分が能力的に、あるいは東京都知事が他の首長と比べて「トップ」だと言ったのではなくて、政治主体の長そのものが特別に重責を負う職位であるという意味だったものと解しています。

だとすれば、民意を背負った「トップリーダー」であればこそ、記者会見まで開いて行った知事の「言い訳」はあまりにお粗末でした。もし理由が先だってしたことなら、その理由を押し立てて主張すればいいわけです。ところが、「別荘」と突っ込まれて健康上の理由と言い出したり、「公用車」と突っ込まれて動く知事室とか言い出したり、「スイートルーム」と突っ込まれて警備の問題などといちいち質問を受けてから答えを捻り出しているようでは、おそ松どころかカラ松・一松・十四松です。

裏を返せば、これらの豪遊には共通した理由があると思われるのですが、かといって舛添氏が税金をつぎ込まなければ贅沢ができないような方とも考えられません。

で、ここからはただの私見なのですが、舛添サンは逆に「トップリーダーとはかくあるものだ」的な理想を追っているのではないでしょうか。もとをただせば、舛添氏は国際政治学で東京大学の助教授まで務めた人です。そこで、同じく一応は政治学を修めた者である私の目からみて直感的に感じたのが、彼はたとえばドイツ帝国建国の立役者ビスマルクや、ウィーン会議を主導したオーストリアのメッテルニヒおよびフランスのタレーランといった歴史上のビッグネームたちと、自分を並べてみているのではないかという点です。

いずれも、とりわけ外交を通じて多大な功績を残している大政治家たちです。一地方自治体首長という身分でありながら外遊を繰り返す舛添氏が憧れるには、十分な面々です。また、一挙手一投足にお金を使うという発想は良くも悪くも貴族的ですが、上掲の3人も貴族出身です。豊かさ具合で優劣をつけるなら、おそらく一番有名なビスマルクが意外なことに一番裕福ではないくらい、いずれも名家です。

こうした偉大な大昔の政治家たちの有様が頭にあって、トップリーダーでかつ教養もある自分は、モノを知っている政治家として他とは違った動き方をしなければならない。そして後世の教科書に、「立派なトップリーダー舛添要一は、その執政スタイルでも他と一線を画していました」とでも載ることを期待しているのではないか。そう考えれば、私のなかではすっきり説明がいくのです。

ですが、筋違いもはなはだしいのは、普通の感覚をもっていれば当然です。一言でいえば、舛添さんの「トップリーダー」観は時代遅れなのです。

まず第一に、舛添家は貴族ではありません。舛添氏自身、経歴的にみれば成り上がり者の部類です。そもそも今の日本には貴族制がありませんから、100年以上前の政治家と張り合っても意味がないのです。

第二に、ビスマルクら貴族政治家の政治生命は君主との信頼関係に大きく依存していましたが(ビスマルクは主君に見放されて失脚しました)、民主政の現代では政治家の政治生命は有権者が握っています。貴族政治家はどんなに民衆からのウケが悪くても、君主の寵愛を受けている間は、自分のやりたい政策に没入できたのです。毎度の選挙に当選しなければならない今日において、成果があればまだ多少の豪遊も有権者に目をつぶってもらえるかもしれません。ですが、現下の状況で2期目があると思っているなら、とんだ極楽とんぼでしょう。

さてはて、東京オリンピックは誰ものとで迎えるのか、エンブレムや競技場がどうこう言っている場合ではないような気がするのですが、今のところまだ私のなかでは対岸の火事です。

  



自民党国会議員の育児休暇取得検討問題

2015年12月23日 | 政治
  
越年も差し迫った天皇誕生日の今日、自民党の宮崎謙介衆議院議員・金子恵美衆議院議員夫妻が、揃って育児休暇の取得を検討しているというニュースが、大きな話題となっている。といっても、国会の規則には女性議員の出産休暇についての規定はあるものの、育児休暇についてはないため、国会の開催期間中にその都度休暇届を提出するつもりだという。

これについて、さっそく方々では賛否両論沸き起こっているという。常日頃男女平等を心がけている私としては賛成派に与しそうなところだが、今回の件に限っては批判的にならざるを得ない。

理由は、一言でいってしまえば彼らは国会議員であるからだ。突き詰めていうと2つの点において、彼ら国会議員が育休を取得することには疑問を感じる。

一つは、国会議員は一回の任期がかなり限定されている職であるという点だ。参議院議員は6年で解散なしとやや長めであるが、衆議院議員は長くても4年である。この4年の間に何らかの成果を出すことを求められる職分であるが、そのなかで数か月の育休を取る余裕があるのか疑問である。極端な例を考えれば、議員の任期が一年だったとして、そのなかで育休を取得するなどという選択肢が生まれるだろうか。一応定年まで勤め上げる予定のある会社員や公務員などとはワケが違う。自分が引退を宣言するまで国会議員でいるつもりだから、育休を取った方が「地に足の着いた政策を出せるようになると思う」などと言われれば、どうにも閉口せざるを得ないが、山積する課題に限られた期間で取り組まなければならない身分であるという自覚がないというのは、いかがなものだろうか。

もう一つは、国会議員という職の特殊性および職責の重さだ。これも、ちょっと極端な例を挙げれば分かりやすいが、もし大臣を務めている議員が育休取得宣言をしたらどうだろうか。どう転んでも国民の理解が得られるとは思えない。国民の理解が必要であるという点から明らかな通り、国会議員は国民によって選出された国民の代表である。等しく参政権をもつ有権者の一票一票を預かり、選挙区の有権者の声を国会に反映させなければならないはずだ。そのような国会議員が、緊急不可欠というわけではないプライベートな理由で国会を休み続け、その間その議員の地元選挙区は意見が政治に反映されない空白地帯となってしまう。両議員の地元の方々においては、まことにお気の毒という他ない。この点についても、もし両議員の選挙区が東日本大震災の被災地だったらと考えれば、事の重大さは容易に感じ取っていただけると思う。

ここで改めて確認しておきたいが、私は国会議員の育休については批判的だが、女性の出産休暇についてはこの限りではない。男女平等とはいっても、肉体的・精神構造的に取り払うことのできない壁は厳然として存在するもので、出産はそのもっとも大きな壁の一つだ。出産直後の女性は肉体的にも精神的にも著しく不安定であるといわれ、そのような状態で責任ある職務に就くというのは、逆に問題につながりかねない。しっかり安定するまで休んでいただいた方が、むしろ全体のためになるといえる。

最後に、宮崎議員は「国会議員が率先して男性の育児休暇が取りにくい状況を変えたい」と記者会見で述べたとされるが、これは勘違いも甚だしい。男女を問わず育休がなかなか社会に浸透しない理由はいくつかあるだろうが、その根本にあるのは、育休を認める側の雇用主体にそれだけの余裕がないという点だ。とくに、収益を上げなければならない民間企業にとって、育休を認めることはリスクでしかない。男が稼いで女は家を守ってという考えが浸透している日本社会において、育休制度を充実させてもなかなか宣伝効果に繋がらないからだ。

では、国会議員が育児休暇を取れば、一般社会もそれに倣って育休制度に寛容になっていくだろうか。第一子ができたという喜びもあるのだろうが、そう考えているとするなら、ちょっと頭の中がお花畑になりすぎている。国会議員が育休を取得しても、リスクを負うような雇用主体に相当するものはない。負うとすれば、前述の通りの有権者だ。さらにいえば、国会議員は地元や所属団体の都合でしばしば国会を休むものであり、休みを取りすぎたからといって罰則規定はないはずだ。したがって、両議員が毎日休暇届を出し続けても、おそらく議員報酬が減額されるということはないだろう。そして、議員報酬の元手は、いわずもがな税金である。結局、国会議員の育児休暇にともなう負担をしょい込むのは我々国民であり、本人たちや所属政党ではないということだ。

育児休暇をどう無理なく社会に浸透させていくかということは、政治の課題として大いに議論していただきたいところだ。だが、国民の信任のもとで預けられている職責を放棄して、休暇中の給与も国民の税金でしっかり確保したうえで、「私たちは育児休暇を取得しますので、皆さんも私たちを手本に見習って下さい」といえるような方には、ちょっと課題の解決は望めそうもない。せめて、他の真面目に働いている議員の間に、真剣な議論を喚起するきっかけとなってくれればと願うところだ。

  



安保法案にみるデモの性質の変容

2015年09月18日 | 政治
  
安保法案採決に向けた参議院での攻防が大詰めを迎えている。野党の身を挺した抵抗には冷ややかな視線が送られる一方、連日の国会周辺を中心とした一般市民のデモは大きな注目を集めている。

私の親以上の世代の人たちには、半世紀前の60年安保闘争の光景が蘇ったのではないだろうか。ただ、今回のデモには安保闘争を知らない若者や子育て中の主婦層などが多数参加していることから、政治の大きな転換であるとする見方もあるようだ。私もいわゆる「失われた20年」世代なので、当時のことは見聞きした限りでしか分からないが、60年安保闘争と今回の安保法案をめぐる賛否双方のデモ行動には違いがあると考えている。

60年安保闘争が勃発した昭和30年代は、まだ日本が再出発したばかりで国の形も定まりきっていない時期にあたり、それこそ国の存立危機が現実に認識されている時代だったのではないだろうか。そのようななかで日米安保条約に反対し、闘争を展開した人々は、人数の力や団結の力、突き詰めていえば実力行使によって実際の政策の転換を企図していたのだろうと思われる。

一方、今回の安保法案をめぐるデモの報道では、安保闘争時代の血が再び騒ぎ出した人ももちろん少なからず見受けられたが、本職を休んで参加しているという若い人たちのなかに、「この活動によって今すぐ政策を転換させられるとは考えていない。ただ、自分の意見を表明せずにはいられなかった」という趣旨の発言がいくつかみられたのが強く印象に残った。

つまり、自身の望む政策実現の道具ではなく、自らの意思表明の場として、デモを捉えているように感じられる。これは大きな違いであり、デモというよりアジテーションに近かった60年安保闘争から、本来の西欧的な意味でのデモンストレーションへの転換であるといえる。

ヨーロッパの個人主義において、自己の立場を明確にすることはとても重要である。自身が1票を投じて選んだ政権であっても、個々の政策に反対であれば、各人はきちんとNOを宣言する。意見を表明すること自体に意義があるのであり、NOをいかに実現するかはまた別の問題なのだ。

一例として、個人的に印象に残っていることがある。私は10年前にドイツに1年間留学したが、当時彼国では公立大学の学費値上げが検討され、当然ながら学生の猛反発を買った。学生は行動を起こすのだが、抗議のプラカードなどを掲げたテントが構内いたるところに張られ、デモ活動の参加者はそこから講義へ出席していた。だが、他には特別目立ったことは何もしない。とくに力に訴えるようなことはしない。

一度、州議会(私の留学先は州都所在地だった)の前でデモをやるから来ないかと誘われたことがある。そのとき、「ビールも持っておいで」と言われたのが衝撃的だった。実際、彼らは議会の建物の周辺で飲んで騒いで訴えて、それで終わりなのだ。

実力行使で目的を達成しようというアジテーション的な活動は、成熟した民主主義においては好ましくない。今回の安保法案では賛成派もまたデモ活動を行っており、現在のところ両者が衝突するような事態にはなっていない。これを個人の意思表明としてのデモ活動と捉えるならば、日本の有権者もまた成熟してきているといえるのではないだろうか。

ちなみに、デモでの意見表明から一歩進んだ実際の政策実現の活動は、これまでは集会や演説を中心に、最終的には選挙を通じた圧力として行われてきた。すなわち、成熟した有権者は選挙で意見を反映させるのであり、そのためには成熟した政治家が有権者の意見を尊重し、その受け皿とならなければならない。

だが、ネット社会となった現代では、個人の意見表明もネットを通じて行われることが多くなった。政治集会などと異なり、書き込みの向こうの書き込み主がどれだけ政治に関心をもっているかは不透明な部分がある。だからこそ、これからの政治家には受信力がますます求められるようになる。選挙のときだけ民意に耳を傾けているような態度をとりながら、当選した途端に風見鶏になる。そんな政治家ばかりでは、選挙を有権者の実力行使の場とする民主主義は機能しなくなる。

今回の安保法案についての賛否双方のデモを見ていて感じたのは、「日本の有権者は意外としっかりしている」ということだ。政治が堕落したとき、それを糺すのは有権者が先か政治家が先かというテーゼがある。日本ではどうやら、民衆が成熟する方が先だったようだ。これから焦らなければならないのは為政者の方だろう。願わくば、大きなイシューごとにいちいち政権が交代するような戦前からの日本の黒歴史は、もう繰り返さないでもらいたい。

  



靖国参拝によせて:安保法案問題と70年談話雑感

2015年08月23日 | 政治
 
 既に終戦記念日から一週間が過ぎていますが、今年は知人を誘って靖国神社へ参拝してきました。8月15日の靖国参拝は2度目でしたが、前回は朝に出向いたためか人は多かったもののスムーズに本殿前まで行けたところ、今回は夕方近くだったためか、賽銭箱の前にディズニーランドも真っ青の長蛇の列ができていました。

 もうひとつ前回と大きく異なっていたのは、参道に露店が1軒も出ていなかったことです。7月のみたままつりの際に、若者のナンパやどんちゃん騒ぎを理由に露店が禁止されたことは知っていましたが、この日も同様の措置がとられていたようです。どちらも英霊に手を合わせるための祭日だからということもあるのでしょうが、それとこれとは話が別なような気がします。若者のお祭騒ぎだけが問題なら、日没とともに撤収させるようにすれば良いだけではないでしょうか。おかげで、しっかり営業していた常設の売店はあり得ない蒸し暑さに包まれていました。

 さて、この靖国参拝を奇貨として…というほど関連はありませんが、終戦の日に先立つ14日にいわゆる戦後70年談話が発表されました。現政権下最大の懸案となっている安保法案や、歴代政権からの立場の転換を匂わせた今年4月の米議会演説があるなかで、どのような表現が用いられるかが大きな焦点となっていました。

 米議会演説から敷衍して、70年談話には「反省」や「謝罪」、「侵略」といった文言が使われないのではないかという予断がなされ、安倍内閣周辺からは実際にそのように息巻いた発言がちらほら見受けられました。

 しかし、発表された談話には、結局いずれの語句も盛り込まれることになりました。ただし、これら3つのキーワードについてはかなり一般化した形で組み込まれており、村山内閣の50年談話や小泉内閣の60年談話と異なり、安倍内閣が主体的に用いているというスタンスを極力抑えようとしていることがうかがえます(方々で言われているような「引用」というのともまた違うように思いますが)。

 「謝罪」にいたっては、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という何とも意味のない美辞に置き換えられており、「ではそのために何をしようというのか?」と問うても、その答えは談話の中には何一つ示されていません。

 全体的にみれば、米議会演説の頃の安倍総理の鼻息に比べれば、明らかに控えめになっているといえます。右を向いても左を向いても中途半端な内容といえ、歴代でもっとも無意味な談話と評価すべきでしょう。

 安倍談話がこのように一気にトーンダウンした背景には、安保法案問題やそれと関連した安倍チルドレンのお粗末な不祥事によって、内閣支持率が急速に下がっていることがあるのでしょう。ただ、だからといってここまで中途半端な談話に落とし込んでしまうことはまったくの誰得で、支持率がさらに下がることはあっても、上がることにはつながらないでしょう。まして、面倒な隣人たちとの関係がこれで改善するとは到底思えません。

 今回の70年談話にしても、安保法案にしても、私の一番の疑問は安倍総理がその先にいったいどのような大目的を据えているのかが分からないという点です。とくに、成立したところで日本が得をすることは何もない安保法案については、なぜここまで政権の体力をつぎ込むのか理解に苦しみます。

 ここでは安保法案の評価には踏み込みませんが、違憲であることはおそらく疑いの余地がないのでしょう。ただそれは、現下の憲法に照らし合わせれば違憲であり、違憲である以上、国にその法案の内容を履行させることはできないというだけのことで、法案そのものが良いとか悪いとか、必要か不必要であるかといった議論とはまた別の問題です。

 そこで、そもそもそもそもなのですが、自民党という政党は、思想的には大きなバラつきのあった終戦後の保守政党が、権力闘争を通じて対立していた吉田茂派の自由党や鳩山一郎派の日本民主党を中心に、「護憲」を掲げて統一・急成長した日本社会党に対抗するために「改憲」をお題目に合同を果たして成立した政党です。すなわち、「改憲」ないし「自主憲法制定」が自民党の悲願であり大目的であるということになります。
 
 そして、野党不在ともいうべき状況を生かして衆院選・参院選ともに大勝した安倍政権のもとでは、その悲願を達成できる可能性が大いにありました。安保法案について「合憲だと確信している」とただ鸚鵡のように繰り返すだけなのであれば、その憲法自体を変えることができる可能性があったはずなのです。

 ですが、もう無理です。一般の法案でこれだけ紛糾させたあとで、どうして憲法改正など国会論争の俎上に乗せられるでしょうか。安倍総理は自らの手で、自らの任期中に党の悲願を達成する機会を永久に葬り去ってしまいました。安倍氏は自身でそのことに気付いているのでしょうか?あまりにもその先の大目的の見えない安倍政権の運営姿勢に(小なるものは武藤議員から)、改めて疑問と不安を覚えます。

 最後に、完全に直観的な私見なのですが、現状を総合して唯一考えられ得る安倍氏の目的として、「保守転換のヒーロー」になりたいのではないでしょうか。第一次安倍政権のときもそうだったのですが、当初は(とくに外交面で)大局的な判断に基づいた悠々たる船出を見せるのですが、だんだんと小手先の挑発的・短絡的発言が飛び出すようになり、さらに取り巻きの小物が大きな顔をし出すようになっています。第一次政権時にも記事にしたのですが、おそらく安倍晋三という人物は人を見る眼が大きく欠けているのだろうと思っています。

 安倍氏本人は頭の回転の良い人だと思うのですが、とにかく佞臣・奸臣に憑りつかれやすく、甘言に惑わされやすい傾向のある方なのでしょう。「安保法案を通せば、あなたは日本の路線転換を成し遂げた首相になれますよ」と囁かれ続け、次第にその気になってしまったのではないでしょうか。そうでもなければ、現下の安保法案が、憲法改正のチャンスと支持率を捨ててまで成立させなければならないもののようには、私にはちょっと考えられないのです。

  



日韓世界遺産登録問題雑感:ルーズ・ルーズの妥結

2015年07月13日 | 政治
  
 7月5日、ユネスコ(UNESCO)の世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決定された。まずは祝意を表したいところだが、今回の登録劇に関しては、祝賀ムードよりも妨害工作に奔走する韓国に対する厭戦気分の方が勝ってしまっている。これまでの日本の文化遺産登録に際しても、首をかしげたくなるような事案はいくつもあった(当ブログでも何度か取り上げた)。しかし、それらはすべて、あくまで日本国あるいは各種自治体がそれぞれ対処すべき問題であり、大いに論じる余地があった。他方で今回は、他国による妨害という国際問題であり、解決の糸口を探るのは容易ではない。

 おそらくいくつか選択肢があったであろう世界遺産委員会の場で、日本の外務省筋がとった手法について、すでに方々から異論が噴出している。これに対し当の外務省の反応は、とにもかくにも登録決定にこぎつけたことで、ほっと一息ついたといった感じにみえる。ともすれば、日韓で「WIN-WIN」の妥結(どちらもが利益を獲得できている)にもちこめたと胸を張っているようにさえ、個人的には感じられる。

 だが、私の今のところの感想としては、WIN-WINどころかどちらもが損しかしていない「LOSE-LOSE」に陥っているようにみえる。つまり、日韓双方にとって百害あって一利なしの結末に終わったドタバタ劇のように映るのだ。

 それぞれの「LOSE」について、まずは韓国側についてみてみたい。

 委員会での決定後、韓国では「勝利」を謳う見出しで各メディアとも賑わっているという。たしかに、日本に苦虫を噛み潰させ、国際的な場で戦時徴用について「forced(強制された)」という語句を引き出せたのだから、彼らにしてみれば何とも小気味よいだろう。だが、当の産業遺産はしっかり登録されてしまっており、肝心の「妨害」は不成功に終わっている。

 強制徴用を世界に訴えて賠償や公式謝罪を得たいという思惑もあるのだろうが、そもそもこれは二国間の問題であり、他国が分け入っても一文の得にもならない。したがって、国際社会が真剣に介入しようという気運が生まれる可能性は、ほとんどないだろう。悲しいことだが、太平洋戦争終結まで一度も完全な独立国であったことのない韓国(朝鮮半島)には、どうもこのあたりがまだ分からないようだ。

 逆に、本来二国間で解決すべき課題で、あらかじめ「政治の場にすべきでない」というコンセンサスのできている国際的な場を紛糾させたことは、おそらく各国外交筋の心証をかなり損ねたのではないだろうか。すなわち、韓国という国は外交上の常識や慣例よりも自分たちの主張(それも他国には無関係の)を優先する、という印象を植え付けてしまったように感じられる。

 当事者の日本においてはいわずもがな、反韓・厭韓感情が著しく高まったことだろう。それ以上に、「韓国は合意を守らない」という意識を実務レベルにまで広く浸透させてしまったことは、今後の日韓間のあらゆる合意形成に影響を及ぼすものと思われる。

総じてみれば、「とっちめてやった」という気分を味わうことはできただろうが、実利としては何も得られていない。実を捨てて名をとったわけで、外交の面からみれば労力の無駄としかいいようがない。

 一方国内政治の面からみれば、これまで国内外含めて失態続きだった朴槿恵政権の初めての白星として、しばらくは支持率上昇につながるかもしれない。だが、経済や社会など他の面でまったく功績を残せていない以上、韓国民の目が再びそちらの失点に向くまでにそう時間はかからないだろうと思う。本来ならMERSの感染拡大に関して方々に頭を下げて回らなければならない尹炳世外相を、登録妨害の為だけにわざわざヨーロッパ歴訪させるほどに力を入れたわりには、まったく限定的な対症療法にしかなっていない。囲碁にたとえるなら、8石使って1目しか作れていないうえに、周囲を囲まれつつあって生きられるかどうかわからないといった状況にみえる。

 さて、今度は日本側のルーズについてみてみよう。

 日本にとってまず重要なことは、遺産登録が保留されるという決定的な「敗北」となる可能性が、ほとんどなかったということだ。私は世界遺産についてそこまで高い関心をもっていないので、その決定過程について詳しくはないのだが、委員会の勧告にまで至った案件が不登録となることはまずないと聞いている。議長国のドイツが和解を促していた(つまり穏便に登録の運びとなることを望んでいた)のだから、たとえ投票となったとしても、二国間の問題を理由に反対票が多数を占めることはなかっただろう。韓国が遺産登録を「人質」に交渉したという論調がしばしばみられるが、はじめからその人質に縄はかかっていなかったはずだ。

 したがって、わざわざ「forced」などという文言をお互いに口にするような妥協をする必要がそもそもあったのか、大いに疑問といえる。不必要な譲歩によって、相手方に「勝利」と喧伝される材料を与えたのだとすれば、まずそれは相対的な「敗北」といえる。

 ただし、これは名の面でのルーズであって、実の面では今のところ大した問題ではない。だが、これが後々、今年中には開かれるであろう日韓首脳会談には確実に影響してくるだろう。今までの文脈では、この会談は外交上の得点のない朴政権が国内の突き上げに晒されて仕方なく行うもので、朴槿恵大統領はそこで雪解けムードを演出せざるを得ないはずであった。ところが、今回の件で一時的にせよ韓国の「勝利」が謳われることで、朴大統領には胸を張って(もちろんそこにも実はないのだが)会談に臨む余地ができた。これによって、ただでさえ困難な韓国との種々の交渉が、ますます暗礁に乗り上げることは間違いない。

 ここまでは日韓間の問題であり、「何を今さら」と思われる方も少なくないと思う。しかし、日本側のルーズは、韓国同様国際的な舞台にも及んでいると私は考えている。第三者(第三国)からみれば、今回の騒動においてはまず韓国の駄々っ子ぶりが目に付いたことだろうとは思う。だが他方で、日本についても、自分が当事者でありながら二国間の問題を国際的な場(それも非政治的な)に持ち込まれ、なかなか和解に至らないばかりか決定後までゴタゴタを収拾できないでいる国とみられている可能性がある。我々日本人からすれば、「ちょっかい出してきたのは向こうだろう」といいたくなるところだが、無関係な国々からすればどちらも「ゴタゴタの当事者」という括りに入ってしまいかねないのだ。今回の件で日本が「ゴタゴタの収拾の下手な国」と認識されてしまうと、今後さまざまな国際的な場において、発言力を低下させてしまうことになりかねないように案じられる。

 ここまで、双方の「LOSE」にあたると思われる点を挙げ連ねてみた。相手の欠点だけ挙げて、「アイツは悪い奴だ」とこき下ろすのは飲み屋の会話の常套手段だが、議論の話法としてはあまりに拙い。だが、私には今回の妥結によって日韓それぞれが得られる「WIN」があるようには、どうにも思えないのだ。

 唯一今回の一件で利益に浴することができたと思われるのは、登録された世界遺産の地元住民だろう(それに越したことはないのだが)。お金をかけずにすでにあるもので地元が潤うのであれば、少なくともオリンピックよりはマシなイベントということになるのだろうか。日韓関係改善の機運はまた雲の彼方へ遠ざかってしまったが、日本の地方経済の活性化につながってくれればと期待するばかりだ。

 最後に余談だが、日本の「明治日本の産業革命遺産」と並んで、日本の支持を当初の交換条件として取り付ける形で韓国の「百済歴史地区群」が世界遺産に登録された。百済といえば日本との関わりが深く、新羅に対抗するために倭国(日本)に人質まで送って援軍を要請し、滅んだ後は多くの王族貴族が倭国へ逃れたという歴史をもっているはず。片方で日本憎しで遺産登録に反対しておきながら、足下では日本の影響下にあった自国王朝の遺跡の遺産登録を慶ぶ。この国のもつ不思議な二面性を見るような気がするのは、私だけだろうか。