塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

祝 松江城天守国宝指定へ

2015年05月16日 | 旅行
   
 文部科学省設置の文化審議会による文化財指定の答申が発表され、そのなかの1つとして島根県松江市の松江城天守が国宝指定に相当であるとされました。現在、12ある現存天守のうち国宝となっているのは4基ですが、松江城天守はこれらと比べても価値・美しさともに遜色ないものと思っていたので、喜ばしい限りです。

 

 実にタイミングよく、私はちょうど一昨年この松江城を訪ねています。国宝指定を目指す幟があちこちに立てられていたのを覚えています。一般の人たちからすれば、突然降って湧いたように名が挙がったようにも感じられるかもしれませんが、実際には指定に向けた長年の努力が実った形になったようです。

 上記のとおり、現存天守は国宝4基と松江城を除いてあと7基あるわけですが、国宝に指定されているものとそうでないものの違い(国宝でない現存天守はすべて重要文化財)は、いったいどこにあるのでしょうか。

 とくに国宝指定の条件のようなものが示されている訳ではないのであくまで推測にすぎませんが、おそらく最大の条件は、建築年代が比較的古いということだろうと思います。そこから敷衍して、古い時代の建築技術を今に伝えているものと言い換えることもできるでしょう。現在国宝指定されている天守はすべて江戸時代初期、大坂の陣までには建てられていたものとされています。すなわち、まだ実際に戦火に晒される可能性があった時代に設計・建造された天守ということになり、それ以降の平和の時代に建てられたものとは一線を画すというわけです。

 松江城天守はこの条件に当てはまっていながら国宝指定されていなかった唯一の天守ということになります。その理由については不明ですが、報道によれば今回の答申の決め手となったのは、築城年を記した「祈祷札」の発見にあるということなので、条件に合致するという証明が欲しかったというこのなのでしょう。他方で、私が訪れた時に地元の飲み屋さんで聞いた話では、戦後に天守を修理した際、当時の技法では一切使われるはずのなかった釘を使用してしまったために、新しく制定された文化財保護法のもとでの国宝指定から漏れることになったのだとか。真偽のほどは分かりませんが、本当だとすれば、今回の国宝指定に際して旧状へ戻す改修を施す必要があるでしょう。

 そんな松江城ですが、外観は実に重厚で美しく、現存天守では姫路城松本城と並んで5層6階という最大級の規模を誇っています。わけても松江城天守の大きな性格上の特徴は、とにかく実戦的であるということです。それがもっともよく表れているのが、天守の入口を入ってすぐのところにある井戸です。平和な時代にあっては、天守はお飾りに過ぎなくなり、4代将軍家綱の時代に焼失した江戸城天守はその後「無用の長物」として二度と再建されることはありませんでしたが、もはや城で戦う予定のない時代の天守であれば、井戸など掘る必要はありません。したがって、井戸があるということは、一応天守だけになっても戦えるように設計されているということになります(実際には天守単体で戦うなど不可能ですが)。

 他にも、天守の入口にあたる地階が貯蔵庫に転用できるようになっていたり、天守内にトイレ用のスペースがあったり、普通はほとんど装飾として1階部分に作られる石落とし(石垣を登る敵に石を投げ落すための出窓のような張り出し)が敵兵から見えないように2階に設けられていたりと、実戦を意識した工夫が随所に見られます。

 
2階に3つ見える張り出しが石落とし。
美観を損ねこそすれ、上げてはいません。


 それでいて松江城天守が平和な時代の天守に負けず劣らず美しいのは、実戦ではほとんど役に立たない3階以上については、お飾りとして割り切っていることに由来すると思われます。とくに、千鳥破風と花頭窓を伴った白壁の3階の張り出しは、全体のフォルムを優美なものに整える決定的な役割を果たしているといえます。

 お城のこととて、つい熱くなってしまいました(笑)。今回の国宝指定を期に(まだ確定はしていませんが)、何かと不便だ過疎だとみられがちな山陰地方にスポットライトが当たり、地域の発展につながってもらえればと期待するところです。松江は、県庁所在地とは思えないほど静かで美しく文化的な町です。周辺地域も含めて、ゆったりとした旅にはぴったりなところだと思います。

 
おまけ:松江と出雲大社を結ぶ一畑電車。


  



GWの思ひ出:「流鉄」に揺られて

2015年05月12日 | 旅行
    
 黄金週間が終わりました。今年は例年になくダラダラと長かったような気がしますが、皆様いかがお過ごしになったでしょうか。小生はもともと混んでる時にあまり遠出したくないのと、天気がはっきりしなかった(むしろ予報がさっぱりあたらなかった)ので、ほぼ引きこもり状態でした^^;

 そんななかで1日だけ、晴れた日をつかまえて小旅行に出ました。行先は、千葉県は松戸市と流山市。主目的は、毎度の通り趣味の城跡めぐりなのですが、もう1つ、ついでのちょっとしたお楽しみがありました。それは、「流鉄」に乗ることです。

 「流鉄」と聞いて、首都圏の方でも常総エリアにお住まいでなければ、何のことやら分からない人がほとんどではないでしょうか。「流鉄」とは、略さずにいえば「流山電鉄」、つまり鉄道です。ですが、なぜか略称のはずの「流鉄」というのが正式名称となっているようです。

 
流山駅


 その名の通り流山市を通る私鉄なのですが、私の知る限りおそらく首都圏の生活圏内を走るものとしては、もっともローカル感に溢れる路線ではないかと思います。JR常磐線の北松戸駅と新松戸駅の間にある馬橋駅と、流山市役所前の流山駅を結んでいるのですが、この両駅を含めても駅数は全部でたった6駅!そして当たり前のように単線です。「流鉄(株式会社)」には他に保有路線はなく、このたった6駅の短い路線だけで運営しています。

 
ローカル感漂う馬橋駅。


 (おそらく)全ての駅に自動改札機がありません。ですので、当然ながらSUICAやPASMOには対応していません。乗車時に入鋏することもありません。とっても長閑です。

 端から端までだいたい12分程度の旅路です。途中の小金城趾駅で対向列車とすれ違うのみですので、列車は2本あれば足りるようです。ただ、一応全部で5本あるようで、それぞれにオリジナルカラーと名前が付けられています。両端の駅では、これに対応した五色の鉛筆が売られています。戦隊モノみたいですね^^

 
流鉄グリーン「若草」


 
隊長格?レッド「赤城」


 こんな短いローカルな鉄道が存続できるというのは、皮肉にも逆に沿線住民が電車で通勤通学しやすい都会だからなのかもしれません。ですが、近年流鉄とは全く接続しない形でつくばエクスプレスが開通したことにより、流山市の賑わいがそちらの沿線へ移行しつつあるそうです。

 仕方がないこととはいえ、流鉄の経営が圧迫されるようであれば残念なので、せっかくですから流山駅周辺の観光アピールをして〆たいと思います。

 流山は、江戸時代中期ごろから江戸川の河岸として発展した商業町です。川のひとつ上手には、醤油でおなじみの野田市があります。野田が醤油なら…というわけではないでしょうが、流山は味醂が特産です。今では両者ともキッコーマンの下に統一されていますが、流山の「マンジョウ(万上)」の味醂は、昨年でちょうど200年の歴史を誇っているそうです。

 
万上の味醂工場


 とはいえ、そこまで手の込んだ料理などしない小生に味醂の良し悪しなど分かるのやら…。そんなことを市内の土産屋さんで吐露したところ、じゃあちょっと味見してごらんなさいと、ちょっと舐めさせていただきました。それは万上味醂が200周年記念で製造した限定最上級品ということでしたが、ひと舐めしてびっくり!何とも品の良い甘さと香りです。「これなら食前酒なんかにもなるんじゃないですか?」と言ってみたところ、現にそのように使っている料理屋もあるとのこと。1本即買いしましたが、とてもこれを生かした料理が作れるとは思えないので、やっぱりリキュール代わりにちびちび舐めてます^^;

 もう1つ流山のウリは、訪れて初めて知ったのですが、新撰組ゆかりの地だということ。なんでも、江戸城が無血開城した後、近藤勇ら新選組の残党はここ流山に集結し、仮の本陣を置いたのだとか。ところが、その翌日には近藤が新政府軍に出頭ないし捕縛されたことから、流山は近藤と土方歳三の別れの地と謳われています。ただ、実際の滞在期間は1日か2日程度なので、彼らを偲ぶような遺物は多くはありません。

 とはいえ、新撰組人気のすごいところというか、陣屋跡には立派な石碑が建てられており、狭い小路にもかかわらず訪れる人もすくなくありません。そして、陣屋跡碑の隣にある閻魔堂というお堂と墓地を通りがかると、だんだら羽織を着た女性に呼び止められ、いろいろと熱く説明してくださいました。すると、そのお堂の奥へ、1人…また1人と若い女の子が入っていきます。年のほどは分かりませんが、一番下で中学生くらいの乙女たちです。

 

 何ぞやと思って聞いてみると、地元の女子を中心に新撰組をテーマにした演舞をやっているそうで、日曜日に定期的に行っているとのこと。これは見たいと、(不純な動機で(笑))開演時間を訊ねてみたのですが、集まり次第で決まって時刻にやるわけではないとのこと。ちょっと悩みましたが、そこはオタクらしく城跡を見て回りたい欲求の方が勝ってしまい、こうして流山をあとにすることにしました。

 このような感じで、流鉄に乗っての流山の旅は、のどかな休日を1日過ごすにはちょうど良いのではないかと思います。流山で時間が余ってしまったら、松戸の戸定邸や北小金の本土寺、同じく北小金駅前のマツモトキヨシ1号店(笑)あたりを見て回ると、ちょうど良いのではないかと思います。