文部科学省設置の文化審議会による文化財指定の答申が発表され、そのなかの1つとして島根県松江市の松江城天守が国宝指定に相当であるとされました。現在、12ある現存天守のうち国宝となっているのは4基ですが、松江城天守はこれらと比べても価値・美しさともに遜色ないものと思っていたので、喜ばしい限りです。
実にタイミングよく、私はちょうど一昨年この松江城を訪ねています。国宝指定を目指す幟があちこちに立てられていたのを覚えています。一般の人たちからすれば、突然降って湧いたように名が挙がったようにも感じられるかもしれませんが、実際には指定に向けた長年の努力が実った形になったようです。
上記のとおり、現存天守は国宝4基と松江城を除いてあと7基あるわけですが、国宝に指定されているものとそうでないものの違い(国宝でない現存天守はすべて重要文化財)は、いったいどこにあるのでしょうか。
とくに国宝指定の条件のようなものが示されている訳ではないのであくまで推測にすぎませんが、おそらく最大の条件は、建築年代が比較的古いということだろうと思います。そこから敷衍して、古い時代の建築技術を今に伝えているものと言い換えることもできるでしょう。現在国宝指定されている天守はすべて江戸時代初期、大坂の陣までには建てられていたものとされています。すなわち、まだ実際に戦火に晒される可能性があった時代に設計・建造された天守ということになり、それ以降の平和の時代に建てられたものとは一線を画すというわけです。
松江城天守はこの条件に当てはまっていながら国宝指定されていなかった唯一の天守ということになります。その理由については不明ですが、報道によれば今回の答申の決め手となったのは、築城年を記した「祈祷札」の発見にあるということなので、条件に合致するという証明が欲しかったというこのなのでしょう。他方で、私が訪れた時に地元の飲み屋さんで聞いた話では、戦後に天守を修理した際、当時の技法では一切使われるはずのなかった釘を使用してしまったために、新しく制定された文化財保護法のもとでの国宝指定から漏れることになったのだとか。真偽のほどは分かりませんが、本当だとすれば、今回の国宝指定に際して旧状へ戻す改修を施す必要があるでしょう。
そんな松江城ですが、外観は実に重厚で美しく、現存天守では姫路城・松本城と並んで5層6階という最大級の規模を誇っています。わけても松江城天守の大きな性格上の特徴は、とにかく実戦的であるということです。それがもっともよく表れているのが、天守の入口を入ってすぐのところにある井戸です。平和な時代にあっては、天守はお飾りに過ぎなくなり、4代将軍家綱の時代に焼失した江戸城天守はその後「無用の長物」として二度と再建されることはありませんでしたが、もはや城で戦う予定のない時代の天守であれば、井戸など掘る必要はありません。したがって、井戸があるということは、一応天守だけになっても戦えるように設計されているということになります(実際には天守単体で戦うなど不可能ですが)。
他にも、天守の入口にあたる地階が貯蔵庫に転用できるようになっていたり、天守内にトイレ用のスペースがあったり、普通はほとんど装飾として1階部分に作られる石落とし(石垣を登る敵に石を投げ落すための出窓のような張り出し)が敵兵から見えないように2階に設けられていたりと、実戦を意識した工夫が随所に見られます。
2階に3つ見える張り出しが石落とし。
美観を損ねこそすれ、上げてはいません。
それでいて松江城天守が平和な時代の天守に負けず劣らず美しいのは、実戦ではほとんど役に立たない3階以上については、お飾りとして割り切っていることに由来すると思われます。とくに、千鳥破風と花頭窓を伴った白壁の3階の張り出しは、全体のフォルムを優美なものに整える決定的な役割を果たしているといえます。
お城のこととて、つい熱くなってしまいました(笑)。今回の国宝指定を期に(まだ確定はしていませんが)、何かと不便だ過疎だとみられがちな山陰地方にスポットライトが当たり、地域の発展につながってもらえればと期待するところです。松江は、県庁所在地とは思えないほど静かで美しく文化的な町です。周辺地域も含めて、ゆったりとした旅にはぴったりなところだと思います。
おまけ:松江と出雲大社を結ぶ一畑電車。