IS(Islamic State:イスラム国)によって日本人の人質2人が殺害されたとする動画が発信されてから、10日ほどが経ちました。交渉の余地があるのかも分からないテロリスト集団に対し、政府の措置は適正だったのか、人質を救出することはできなかったのか、また今後日本や日本国民はどう対応するべきかなど、多くの議論が喚起されています。しかし、これまでのテロリストとはさらに一線を画すISについて、我々が知り得る情報はあまりに少ないうえに正誤の判断のしようがなく、私ももちろん個人的には意見をもってはいますが、とても責任をもって主張できるというものではありません。
ただ、どの意見が正しいとか正しくないなどという以前に、事件発生以来国内でしばしば見受けられるある「議論の進め方」について、明らかにおかしいだろうと感じていることがあります。
それは、日本政府(安倍内閣)の責任を追及する意見に対して、「テロリストに味方するのか」とか「悪いのはISなのだから、そちらを責めるべきだろう」といった反論が、世論だけでなく政府側からも噴出しているという点です。今回の場合、「政府を批判すること」と「ISを非難すること」は、別に両立しないものではないと考えています。ISが非道であることは当然ながら、政府の対応もまずかったと双方を責めることは、論理的にも道義的にも何もおかしいことではありません。
あらかじめ申し上げておきますが、現下このような政府批判をもっとも声高に行っているのは民主党や共産党などの国会野党ですが、決して彼らを擁護しようというわけではなく、彼らの主張と私の意見が同じであるというものでもありません。ただ、悪いのはISなのだから政府批判はお門違いであるというのは、私からみれば論点のすり替えに他なりません。
このような、「政府批判はお門違い」という論調は、私の知るかぎりでは基本的にネットでの議論において勢いをもっているようにみえます。そうした論調が流行っているのがネット界だけであれば、(おそらく)実際の政治への影響は限定的なのだろうと思われます。ですが、ネットの議論を参考にでもされているのか、安倍総理大臣自らがまったく同じ論法を使っていることに、失望と危機感を覚えています。
今月に入っての予算委員会で、2億ドルの支援表明に際して昨年1月17日に安倍首相がエジプトで行った演説について、共産党の小池晃氏が「(人質の)2人に身の危険が及ぶとの認識がなかったのか」との質問をしました。演説時、日本政府は2人が人質に取られていることをすでに知っていたといわれ、そうであれば、演説が2人の身に及ぼす影響について首相が考えていなかったはずはないので、小池氏の質問は私の最大の関心事でもありました。これに対し、安倍首相は人質の2人について言及することはなく、「小池氏の質問はまるで、ISILを批判してはならないという印象を受ける」と反論しました。自身に向けられた質問に答えていないばかりか、「政府批判はお門違い」論ではぐらかしてしまっています。
ネットの議論であれば、それこそ誰も責任を負わない世界ですからいたって自由ですが、国会における総理大臣となれば、そうはいきません。少なくとも、首相が国会論戦で論理のすり替えを行ったとなれば、訊かれてはまずい質問をされてしまったと感じたのだという印象を与えてしまいます。お答えになっていない以上、安倍総理の真意が奈辺にあったのかは分かりませんが、しっかりと意見をお持ちだったのであれば、論理のすり替えなどせず、小池氏の質問を真っ向から受け止めるべきだったでしょう。
繰り返しますが、私は別に小池氏の肩をもっているわけではありません。というより、前述のとおり私の一番知りたいことを質問して下さってはいますが、はぐらかされて引き下がってしまっており、肝心の言質は得られず仕舞いでまったく意味がありません。はぐらかされたことに対してツッコむことすらできず、こちらはこちらで質問よりも揚げ足取りが目的と揶揄されても仕方のない有様です。
冷戦の終結まで、基本的に戦争は国家間で行われるものとされてきました。その固定観念が根幹から覆されたのが、いわゆる9.11でした。当時の同時多発テロを主導したタリバーンは、ISと同じようにみえますが、彼らは冷戦後に空白地帯となったアフガニスタンの権を「奪取」した集団であり、まだギリギリ国家間闘争の枠組みに収まっていました。これに対し、ISは国際社会の枠組みを真っ向から否定し、主義主張もはっきりせず、ただただ残虐性のみが際立っています。明らかに、戦争・紛争の手法やプレイヤーが、新たなステージに移行しているといえるでしょう。
このように 今までに経験したことのない新しい局面にあって、どのような対応が正しいか間違っているかなどということは、結果を見なければわからない部分も多いでしょう。そのようななかで、片方を責めるならもう片方は責めてはいけないとか、まして一方が悪ならもう一方は無条件で批判を免れるなどということはあり得ません。また、歴史の常ですが、今は正しいといわれても、後世の判定では間違っているとされることも(その逆も勿論然り)少なくありません。今回の件でいえば、我々一人一人が、ISへの非難の目と、政府への検証の目を、並立してしっかりと光らせることが重要なのではないかと考えています。