塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

八ツ場ダム・川原湯温泉ルポ

2010年11月29日 | 旅行
  
 年に1、2度は訪れる川原湯温泉へ行ってきました。八ツ場ダム建設に翻弄されているあの川原湯温泉です。しばらく訪ねていない間に、老舗旅館が数軒休業し、他方で代替地の道路工事は進み、テレビでおなじみの十字架橋はとうとうつながりました。まずは、今回の川原湯温泉のようすについてフォトレポートをお送りします。

 
つながったダム湖横断橋


 
左から「柏屋」「高田屋」「みよしや(看板のみ)」
いずれもダム中止問題の渦中に休業を
余儀なくされました。


 
「みよしや」
完全に廃墟で、取り壊しが決まっています。


 
温泉の中心。共同浴場「王湯」


 
川原湯温泉代替予定地


 温泉街の中心にある大きいほうの旅館から向こう3軒が休業してしまい、もはや温泉街としてはぎりぎりなところまできてしまっています。もちろん、残った旅館は一生懸命頑張っていますし、何より温泉自体の泉質の素晴らしさは、失って良いものでは決してありません。しかし、民主党政権発足以来、生殺し状態がすでに1年以上続いており、これ以上宙ぶらりんなままでは経営がもつわけがありません。

 ダム建設の進捗状況は分かりませんが、これに伴う代替地の整備や道路の架け替えなどは着実に進みつつあります。一応道路は部分的に開通し、代替地へも民家の移転が少しずつ行われています。この道路は、ダムのためだけでなく、草津や嬬恋、浅間方面への新しい幹線道路となります。

 もちろん、私も無駄な公共事業を容認しているわけではありません。今回通った新しい道路や代替地や橋を見ても、必要以上に大規模に造成している感は否めません。しかし、裏を返せば「無駄の削減」とお題目を唱えて目立つところは叩いてみたものの、一歩でも各論に入ると途端にざるとなる民主党の方向性や見識の不足が如実に表れています。

 温泉の代替地も通りましたが、まだ建物がないことを差し引いても、うすら寂しくだだっ広いだけの無機質な土地です。川原湯温泉は(ここに限らず)、山あい谷あいの風景も含めて温泉資源です。ダムの中止を唱えるだけで、他には地元の経済のことも環境のことも何も考えていない政府に振り回された末路を象徴するかのようです。

 繰り返しますが、川原湯温泉は草津にも負けない良質なお湯を誇る温泉です。草津への通り道にありますので、この方面へ訪れた際には、ぜひとも立ち寄っていただければと思います。


  


都条例によりネットカフェ・マンガ喫茶は会員制が義務付けられたとか。。

2010年11月26日 | 社会考
 突然ですが、僕はむやみに会員になるのを求められるのが嫌いです。フィットネスクラブとか、レンタル業とか、その人について知っている必要がある業種なら分かりますが、別に会員にならなくてないけないような理由が見当たらないような場合には、会員になるのは拒否してます。

 先日、急にネットで調べたいことが出てきたのですが、新宿の街中だったのでひとまずネットカフェに立ち寄りました。すると、いつの間にやら、都の条例によりマンガ喫茶・ネットカフェ利用の際には身分証提示の上、会員になって情報を記録させなければならないというのです。

 マンガ喫茶やネットカフェなんて、お互い袖触れ合うだけの関係と割り切っているだろうに、会員になるのを義務付けるなど迷惑千万です。そもそも、身分証提示を義務付けるならわかりますが、会員になることを義務付けるってどういう条例なんでしょう?まあ、目的は想像つきますよ。犯罪の温床となりうるネットカフェを云々ということでしょう。だからいってこの方法は、明らかに疑問だと思います。ネットカフェやマンガ喫茶に個人情報を集めさせる方が、よほど危険なような気がするのは私だけでしょうか。

 東京都でこのテの条例ということで、「非実在青少年」の話がすぐに思い浮かびました。石原都知事は、どうもニューカルチャーに対する見識が狭すぎるんじゃないでしょうか?目的はともかく、手法・発想が3足飛びほどぶっ飛んでる気がするんです。今回のネットカフェでの一件でその思いはさらに強くなりました。

 ともあれ、これで当分東京都内のネットカフェ・マンガ喫茶には入れなくなってしまいました。以前は、終電を逃したときなんかには時たま利用していたんですが、今後はカラオケ屋なんかに泊まることになりそうです。

 以上、本日は取り留めもなく雑感まで。

  



駅伝、学生選抜チームの優勝

2010年11月23日 | 徒然
 はや年の瀬も迫ってまいりました。皆様忘年会の予定合わせやら年越しの準備やらで忙しくなっていることと思います。

 さて、今日行われた国際千葉駅伝で、日本学生選抜が優勝したそうですね。学生選抜ということは、様々な学校からタイムの良い選手を集めて結成した、語弊を恐れずにいうならいい人どりの寄せ集めチームということですよね。箱根駅伝の学連選抜と同様のものと考えればいいんでしょうか。

 だとしたら、僕としては個人的にすごく喜ばしいことだと思います。何せマイナー趣味みたいなものがあって、野球でいえば子供のころは万年最下位だった阪神を応援していました。いつのころからか、優勝して金遣いが荒くなったあたりから阪神への興味は薄れていきました。体格で劣っていても、資本で敵わなくても頑張ろうとする弱小チームが好きなのです(そんな僕に好かれるチームはいい気はしないでしょうが)。

 そして、駅伝でのそんなマイナー趣味の対象が選抜チームです。とくに箱根駅伝を見ていると、1人1人は実力のある選手なのでしょうが、チームとしてはどうしても勝てない。個人プレーのようで実はチームが大切であるという駅伝の性質を如実に語ってくれているようでもあります。それだけに、いつもだいたい同じ学校がずらりと並ぶ箱根駅伝に、新興大学や下位に甘んじてしまった大学の代表が集まってエリートらに一矢報いてやれないものかという目で、毎年眺めています。

 そんな中での今回の日本学生選抜の優勝は、駅伝史上でも画期的な結果だったのではないでしょうか(駅伝に詳しい訳ではありませんが)。箱根の学連選抜と今回の学生選抜では性質は異なるのかもしれませんが、結成間もないチームでも優勝する可能性はあるということが立証されたわけで、箱根駅伝にも少なからず影響を与えるのではないかと期待しています。

 ちなみに僕は長距離走がまったく苦手で、100m以上は走れません(短距離には自信がありますが)。。




地名探訪:「幕張」

2010年11月21日 | 地名探訪

 地名探訪第三弾、今回は千葉の「幕張」を取り上げようと思います。幕張といえば、幕張メッセや千葉マリンスタジアムのある千葉県側の副都心として知られています。我々が幕張と聞いて思い浮かべるベイエリアは、戦後の埋め立てによって形成されたもので、最寄駅はJR京葉線の海浜幕張駅です。古くからある総武線や京成電鉄の幕張駅や京成幕張駅、幕張本郷駅はベイエリアからは結構離れたところにあるので注意が必要です。すなわち、地名の起源でいうところの「幕張」は、ベイエリアからは少し奥へ入ったあたりを指しています。

 さて、「幕張」というちょっと変わったような、かっこいいような響きの地名の起源はどこにあるのか。以前、池上彰さんの番組の司会でおなじみの某タレントが、別の雑学番組で「昔、ある武将が陣を布いて幕を張ったから幕張って地名になった」と自慢げに話していたことがありましたが、これはまったくの誤り。そもそも「幕張」という表記になったのは、つい大正時代のこととされています。少なくとも、明治時代初期までは「幕張」ではなく「馬加」と表記され、読みも「まくわり」といっていました(旧かな遣いではどちらも「まくはり」)。ですから、武将が合戦をしていたころには「幕張」という表記はなかったのです。

 千葉市周辺には、鎌倉時代以前からの武家の名門千葉氏が勢力を持っていました。その千葉氏の一族に馬加氏があり、下剋上の戦国時代に本家千葉氏を乗っ取ってしまいました。当然ですが、この馬加氏が幕張氏と称したという事実もありません。

 では、「馬加」の由来はどうでしょう。これにはいくつかの説があります。1つは、真桑瓜(まくわうり)の栽培に適していたからという説です(ウィキペディアでも紹介されています)。しかし、ウィキにもあるように、真桑瓜という瓜が栽培されていたという記録がみられないため、信憑性は低いと思われます。

 2つ目に、馬をたくさん集められるところであったからという説です。この場合の馬にはさらに、祭礼用の馬と軍事用の馬という2つのパターンがあります。祭礼用の馬というのは、現地の素加天王神社の記録にあるもので、享徳元年(1452)の祭礼に馬を多く集めたことによるとされています。前述の馬加氏による千葉本家への反乱が享徳三年(1455)のことですから、時期的に合わないということはないものの、疑問は残ります。また、軍馬のパターンは目的が祭礼ではなく軍事というだけで話の筋は同じです。千葉県北部(下総国)には、古代から江戸時代まで馬の生産用の牧場が設けられていたことから、馬を多く集められる土地であったということはいえるかもしれません。ただ、それが「馬加」という字や「まくわり」という読みにつながるかというと、いまひとつ決定力に欠けるようにも思われます。

 3つ目に、古語に由来するという説です。私は古語にはさほど詳しくないので定かではありませんが、古語で「マク」は「沼地、湿地、沼沢地」を、「ワリ」は「海辺、浜辺」を表すのだそうです。つまり、「馬加」とは「海辺の湿地帯」といった意味の「マク・ワリ」からきているというのです。確かに、今でこそ東京湾岸はほとんど埋め立てられていますが、江戸前一帯は古くは多くの大河が注ぎ込む水気の多いところでした。とりわけ古代では、まともに道も作れないほどドロドロだったため、東海道は三浦半島の走水から船で上総国(千葉県中部)へ渡るルートをとっていたといわれています。また、関東以北にはアイヌ語や古語にちなむ地名が数多くあり、「馬加」もその1つであるという説は一番納得できるように思います。

 以上にみたように、「幕張」のもとである「馬加」の語源については、諸説あって確定はていません。ただ、幕張も現代のイメージと異なりかなり古い歴史を持つ地域であることは確かです。なんでも、幕張には幕張独特の方言があるというくらいです(「あなた」のことを「にしゃ(二者)」というそうです)。また、「馬加」がなんで「幕張」になったのかについても、よくわかりません。おそらくは、初見ではどうしても「バカ」と読みたくなる字面を嫌っての改名ではないかとは察せられます。

 私は東京の西側に住んでいるので、どうも千葉県側にはなかなか縁がないのですが、もし幕張方面へ行くことがあれば副都心だけでなく海辺や山側にも足を運んでみようかなと思います。

  



こんにゃくゼリー事故裁判雑感

2010年11月17日 | カテゴリ無し

 果物が多く出回る季節になりました(あるいはもう過ぎかけてる?)。最近はいろんな種類の果物というだけでなく、同じ果物の中でも様々な品種が並んでいて、どれがどうやら目移りしていしまいます。自分は、一応梨なら豊水、葡萄は甲斐路、柿なら富有柿が好きです。とくに富有柿は岐阜県の特産らしく、岐阜を歩いていて初めて食べて以来大好物になりました。みなさんはいかがですか?

 さて、無理やり食べ物つながりで、こんにゃくゼリー事故裁判の地裁判決が出ました。こんにゃくゼリーをのどに詰まらせて死亡した幼児の両親が、商品に欠陥があったとして製造会社を訴えていたもので、判決では両親の敗訴となりました。

 大方の世論がどちらに傾いているのか何とも察しがたいのですが、自分は至って妥当も妥当な判決が出たと感じています。以前この事故については記事にしたことがありますが、考えは今でもまったく変わっていません。餅と同程度に危険性が広く認知されている食品ですから、購入した以上安全性に配慮する責任は消費者の側にあるはずです。私の意見については、前述の記事をご参照ください。

 今回の判決のポイントをまとめると、
・幼児や高齢者がのどに詰まらせる危険性は食品全体
 に当てはまる。
・消費者に事故の危険性を十分認識させる警告表示が
 あった。
・商品に設計上の欠陥はなかった。
・親にも監督責任があった。
といったところでしょうか。

 とくに、最後の点については、裁判官の方でここまで指摘してくれると思っていなかったので驚きました。砕いていうなら、「幼児が食べ物をのどに詰まらせないように気を付けるのが親の責任だろうに、それを棚に上げて何を言っているんだ。」といったところでしょうか。まったくその通りだと思います。自分が親だったら、そもそも1歳そこらの子供にこんにゃくゼリーなど食べさせません。

 それに、こんにゃくゼリーはあくまで嗜好食品であり、食べるのを避けられないものではありません。もしこれが、保育所の昼食やお子様ランチや小児病棟の病院食として広く出されているのだとしたら、つまり食べさせようと思ってはいないのに食べさせる羽目になってしまう類の食品だとすれば問題でしょう。しかし、こんにゃくゼリーは食べようと思って買わない限りは口に入らない食品であると思われます。ですから、別に食べさせなければ済む話ですし、事実メーカーも幼児や老人は食うなと警告しています。

 それでもどうしても我が子に幼いうちからこんにゃくゼリーを食べさせたいという親が相当数いるのなら(そんなことはないと思いますが)、メーカーは幼児用の絶対安全なこんにゃくゼリーを開発して、通常のものとは別に発売すればよいのではないでしょうか。間違っても、世にあるこんにゃくゼリー全てを幼児基準にする必要はないはずです。

 ちなみに私は、こんにゃくゼリーの何といっても食感が好きです。ですから、この問題が出た後に発売されたクラッシュタイプなんてのは食べてみる気にもなりません。ゼリーの真ん中に穴をあけたらどうかという案もあるそうですが、この間0(ゼロ)の形をしたグミを買ってみたところ、食べづらくて仕方ありませんでした。