塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

都知事選:宮城県知事時代に見る浅野史郎候補

2007年03月22日 | 政治
  
 いよいよ東京都知事選が告示された。前回と異なり乱立の様相を呈しているが、事実上石原慎太郎都知事と浅野史郎前宮城県知事の一騎打ちと見て良いだろう。

 仙台出身の筆者は、浅野氏が勇退した二年前にパフォーマンス的なマスコミ露出に偏った浅野県政を批評する記事を書いた。今度の選挙に際しても、マスコミの謳う「知名度」とは裏腹に、浅野氏に対する都民の認識は不十分なのではないかという不安を抱いている。

 そこで今回改めて集めた情報を踏まえ、浅野前知事の実像を再び整理したいと思う。

 浅野氏は、マスコミなどではよく三重県の北川正恭前知事や、岩手県の増田寛也知事などと並んでいわゆる「改革派知事」の一人と呼ばれている。しかし、この「改革派知事」の中に浅野前知事を含めることは大きな誤りといえる。

 彼ら「改革派知事」に共通するのは、地方が国への依存から出来るだけ脱却し自力で活性化する道を模索していることである。そのためには、県民への必要な情報開示や市町村と連携した経済発展が不可欠である。

 このうち情報公開は、浅野氏が主張する県知事時代の功績の一つである。しかし前述の記事に書いたとおり、浅野氏にとっての情報公開とは、マスコミを煽って自身を中央にアピールする手段であった。本来の情報公開の目的は、効率的でわかりやすい行政を実現することであり、決してガラス張りの知事室を作ることではない。結果、警察報奨費問題(上記のリンク先参照)のように効率化どころかいたずらに県政を滞らせることになった。

 情報公開と平行して、浅野氏は食料費やカラ出張問題にも取り組んできたことを強調している。ただしこの問題は、中央にお土産を持ってお伺いを立てなければ何も出来ないという、国と地方の財源問題が大きく絡んでいる。つまり、やはり中央依存からの脱却が肝要であるにもかかわらず、足元を見ずに中央への露出ばかりを気にしている浅野氏の姿勢では、根本的にずれていたと言える。

 もう一つの市町村と連携した経済発展については、宮城県での浅野氏の功績は無いに等しい。工業にせよ、農林水産業にせよ、浅野氏のもとでは全く放置されていた。たとえば三重県の北川前知事は、亀山市と共同で135億円を拠出して、CMでおなじみのシャープ亀山工場を誘致した。同じく岩手県の増田知事は、トヨタ系列の部品メーカーを誘致して一大自動車工業地域を築くなど、両者とも積極的なセールスに動いた。しかし、宮城県ではせっかく造成された工業団地にも、遊んでいる土地がかなり残されたままになっている。浅野前知事は、積極的な振興策をとらず、他方で県の負債は増大し財政難に陥ることになった。

 このように、浅野前知事は「改革派知事」どころか地方の弱体化を進行させてしまった。

 さらに浅野氏は情報公開と並んで、旧厚生省出身の福祉の専門家であることを最大の売りにしている。しかし浅野氏の語る福祉は、現実を知らないエリート官僚が教科書片手に語るそれであり、実態に即した施策はなされていない。たとえば、県内にある知能障害児のためのグループホーム的施設を、それぞれの家庭に戻してケアするのが最良と主張して廃止しようとし、親たちの猛反対に遭った。障害者に限らず、家庭での在宅介護には多大な負担がかかることは周知の事実である。福祉の専門家を自任しておきながら、現場の労苦は何一つ理解してはいない浅野氏の姿勢は大いに疑問である。

 他方で、県政を退いた後も福祉には携わりたいと県社会福祉協議会会長職に留まっていたにもかかわらず、出馬にあたってあっさり職を退いてしまった。周囲は氏の言行に首を傾げているという。

 以上が、筆者がまとめた浅野県政の内実であるが、実際に県政に携わった宮城の各政党はどう評価しているのか。浅野氏の擁立が取り沙汰されてから最近までの地元紙の記事を読んでいて特徴的なのは、民主党を除く自民・公明・社民・共産各政党が軒並み浅野県政を厳しく批判していることである。自公と社共の双方から非難されるとは、なかなか珍しい構図ではないかと思う。民主党とは、ポスト浅野の県知事選で県政継承を唱えた候補を、選挙にはノータッチと宣言したはずの浅野氏が前言を翻して全面支援した経緯もあり、良好な関係にあるようだ。

 しかし知事選の結果、先に挙げた警察報償費問題や、知事主導で関係者に一切諮ることなく進められた県立仙台第二高校の共学化の白紙撤回を唱えた村井嘉浩氏が当選した。宮城県民は、浅野県政に明確なノーをつきつけたのである。

 石原氏の施策や姿勢については、賛否両論大きく分かれるところであろう。私としては、オリンピック誘致や築地移転には反対であるし、石原都政には功罪相半ばするといった印象を抱いている。

 しかし、最後に強く言っておきたいのは、石原氏が嫌だという理由で浅野氏を選ぶというのであれば、なにとぞご再考願いたいということだ。浅野氏は石原都政を「側近政治」と批判するが、それ以上に浅野県政は自身の理想のみ追い求める「ワンマン政治」であり、県庁以下県職員はその下で著しく憔悴してしまった。今回の選挙では、マスコミのお祭りに踊らされることなく、マニフェストはもちろん人となりを見極めた上で臨むことが肝要であると思います。