塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

中国漁船尖閣沖衝突事件:政治主導と対極の決定

2010年09月30日 | 政治
  
 一気に涼しくなったと思ったら、今度は随分と雨続きになりました。昨日は、秋雨の中休みといった陽気でした。足取り軽く出かけると、うっかり銀杏を踏んでしまいました。ようやく秋が訪れたんだと、ふと実感しました。

 前回お騒がせした歯痛ですが、その後も続いた挙句に歯医者からもらった鎮痛剤が切れたので、ダメもとのつもりでバファリンを飲んだところ、痛みがきれいにひきました。あまり頭痛にはならないんでほとんど使ったことのないバファリンでしたが、思わぬところでお世話になることになりました。

 さて、7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件ですが、24日に中国船船長が突然処分保留で釈放されたことに批判が高まっています。世間では釈放の是非が問題となっていますが、私はそれ以前に、首相も外相も不在の中で地方検察が釈放を決定し、官房長官がそれを事後追認するという決定過程に重要な問題があったように感じています。

 この事件はまだ進行中の問題であり、事実関係が明らかでない部分もまだありますが、もしこの話が本当であるとすれば、民主党がお題目のように唱える「政治主導」とやらの対極に位置する意思決定過程といえます。さらにいえば、民主党が二言目には批判してきた自民党の「官僚任せ」よりも数段ひどいものでしょう。「官僚任せ」は、専門分野について専門家である官僚に丸投げする「餅は餅屋」の発想ですが、検察が外交問題に配慮して決定を行うというのは重大な越権行為だからです。

 そもそも「政治主導」とはふざけた話です。これも方々ですでに批判されていることですが、政治家が政治主導で政治を行うことは当たり前以外の何者でもありません。サッカーの監督が、就任会見で「これからは監督主導でゲームを組み立てます」と宣言しているようなものです。民主党が批判してきたそれまでの「官僚任せ」は、MFならMFの、FWならFWの選手が、「自分のポジションのことは自分が一番よくわかっているから、あまり口出ししないでくれ」と言われて、監督がそれを容認するという状態でした。しかし、今回の釈放決定が物語っているのは、たとえばGKが「相手チームとの今後の関係を重視して」と、監督の真似事を始めるようなものです。それを監督が認めてしまったというわけですから、もはや政治主導などというお題目は根底から崩れてしまいました。

 今回の事件について、民主党は当初「国内法に則り粛々と処理する」と繰り返してきました。この延長線で、政府の判断により釈放が決定されたというのなら、その是非はともかくプロセスとしては理解できるものといえます。しかしどうやら、民主党は「国内法に則って処理する」という発言を、そのまま「後は司法にお任せする」という意味で吐いていたように感じられます。何の争いもない日本領内で起きた事件であればそれで構わないのですが、中国からの不当な主張によるものとはいえ尖閣諸島は係争地域です。そこで係争国をまたいで起こった事件に関しては、すべからく政治によって処理される問題です。「国内法に則り粛々と処理する」ことは、それ自体が政治決定であり、決して司法のフリーハンドに委ねることを意味するものではありません。その後どのように処理されるかは、依然としてその都度政治の判断を仰ぐ必要が本来あるはずです。

 それを、政府が勘違いしたのか法曹が勘違いしたのか、はたまた両者とも勘違いしていたのか、司法の政治判断を行い政府が事後追認するという本末転倒が起きてしまいました。政府は中国どころか、国内の執行機関ならびに司法機関からもナメられているという良い証拠でしょう。

 今回の衝突事件にはじまる日中関係のこじれが今後どのような方向に向かうのかは、私には正直予想が及びません。ただ、どのような結果に至るにせよ、せめて日本国の意思決定が政府の主導のもとに統一されて行われるように望みます。これは、アウトカムとして出てくる政策が良いか悪いかの議論以前の問題でしょう。

  



痛みに耐えて頑張るのは大変だ。。

2010年09月26日 | 徒然
 
 このところ、奥歯の歯茎の奥の、手の届かないようなあたりの鈍痛に悩まされてます。痛んだり治まったりを繰り返しているので虫歯ではなさそうですが、とにかく触ったり押さえたりできない痛みが延々続くので、ものを考える気力が極端に削がれて困っています。歯医者に行ったら、噛み合わせの問題かもしれないということで、ボクシングでもないのにマウスピースを作ってもらうことになりました。

 痛む時は、はっきりいって死にたくなるくらい不快な鈍痛が続きます。今まで虫歯の痛みというものを味わったことがないので、余計にこたえるのかもしれません。よく男性は陣痛の痛みに耐えられないといいますが、どうやら僕は歯痛の痛みですらノックアウトのようです。

 そんなわけで、手の込んだ記事はとても書けそうにありません。そこで、ふと外を眺めて感じたことをつれづれなるままに書きつくってみようかと思います。

 先日、9月の下旬というのに猛暑日がやってきたと思ったら、このところ一気に気温が下がり突然に秋が訪れました。ついでに、秋台風の影響で首都圏にも久々にしとしとと雨が降っています。今年の夏はまったくと言っていいほど夕立ちに遭わなかったので、ゲリラ豪雨ではない日本らしい雨には感慨深いものがあります。

 そうして、天からのありがた~い恵みを眺めていると、地球を生命の星たらしめている「水」ってすごいなぁ~と漠然妄想状態に陥ってしまいました。川や海や池や雨など普段目にしている部分の水のほかに、上下水道に使用される水。地下水として土壌に溜まっている水。大気中に水蒸気や雲などとして含まれる水。体液として生命に蓄えられている水。両極や高山に氷としてある水などなど。まあ、量としては海洋水がほとんどなんでしょうが、計り知れない量の水がどこにでも偏在しているということが生命誕生という奇跡を生んだということなんだろうな~と、意識をお空の彼方へ飛ばしておりました。

 とまあ、ヤマなしオチなしイミなしの記事を、いつまた歯痛に襲われるかと怯えつつ、アルコールの入った美味しい水の飲みながら書いているわけであります。

 
おまけ:もっと早く頼めよ!


  



特捜検事証拠改竄事件雑感

2010年09月23日 | 社会考
  
 スーパーマリオ25周年記念のCMが任天堂から放映されています。スイッチ式のテレビを2チャンネルにして、カセットをひと吹きしてセット。我々以上の世代には非常に懐かしい風景が再現されていますが、出演している俳優がイマドキの若者だったからか、「息の吹き方がなってない!!」と感じたのは僕だけじゃないと思います。カセットを縦に持って、下からえぐりこむように強く吹くべし!!です(あ、でも横に持ってる人もいたかな)。任天堂は、息の吹きかけはサビの原因などと今さら注意を呼び掛けていますが、そんなことは知ったこっちゃあありません。吹かなきゃ接触不良で始められないんですから。

 さて、ぎりぎりファミコン世代からは外れているであろう大阪地検特捜部検事による証拠改竄疑惑事件は、検察の信用そのものを揺るがす大問題に発展しつつあります。菅家利和さんの冤罪事件で警察への不信感が高まっているなかで、「今度は検察か」とか「やっぱり検察もか」といった感想を抱いた方も少なくないでしょう。

 今回の一件の背景には、「検察の思い描いたストーリー」が先に前提としてあり、それに合うような証拠集めに全霊が注がれるという、操作手順の逆転があるようです。先日、法曹関係の知人に聞いたのですが、検察という組織は上意下達が厳格に守られ、指揮する検事の思い描いたストーリーに合わせて証拠集めに走る体質がもともとあるのだとか。だとするならば、恫喝して都合のよい自白を得ようとする警察とは同じ穴のむじなということになるでしょう。

 普通に考えれば、事件のストーリーというものは集まった証拠から論理的に推測されるものであるはずです。ストーリーと証拠の間にズレが生じた場合、修正されるべきは当然証拠ではなくストーリーの方です。それが、今回のように思い描いた構図を維持するために証拠品の方をいじくろうとしていたのだとするなら、本末転倒というか、それこそヤクザの手口といってもいいいでしょう。

 もちろん、証拠自体を疑ってかかるべき状況というのも、ときにはあるでしょう。刑事ドラマにみられるようなトリックが仕組まれている場合(実際にそんなことがあるのかは分かりませんが)、証拠に隠された矛盾を解き明かし、ストーリーを描き直す必要が生じることもあるかもしれません。ただしその場合も、証拠を多角的に見たり矛盾点をあぶりだすことと、証拠を書き換えてしまうこととはまったく別物です。

 また刑事ドラマなんかでは、よく「刑事のカン」みたいなものが重視されたりします。そういった長年の経験による、論理的推測の対極にあるような直感もたいへん貴いものではあります。しかし、「刑事のカン」が尊重されるのは証拠が挙がっていない部分、あるいは現行の証拠では埋められない部分に限るもので、決して証拠の右に出るものではありません。

 結局、当たり前の結論に落ち着くのですが、推論というものは今ある証拠から論理的に紡ぎだされるもので、新たな証拠によって強化されたり、変更を余儀なくされたりするものです。推論・ストーリーが先立って、証拠が後からついてくるなんてことはあり得ないことです。たとえ、証拠を一生懸命書き換えてようやく当初のストーリー通りに有罪になったとしても、僕だったらちっとも嬉しくないですけどね。

 何を守りたかったのかは分かりませんが、彼らに抜けていたものは論理性の基本概念だったのではないかと僕は思うのです。検事になるために、また検事としてキャリアを積むためにどれほどの勉強と苦労をしたのかは計りしれませんが、もう一度中学数学からやり直してはいかがかと思います。

 しかし、このことは別に検事や警察に限った話ではありません。資料やデータに基づく仕事をしている人には共通した問題であると思われます。人は、専門に進めば進むほど「カン」に自信がついてしまうものです。そうした「カン」を絶対視して資料を集めだすと、いつの間にか自分に都合のよい資料にばかり囲まれてしまいます。戦略上そうしなければならない場面もあるでしょうが、法曹や学問など中立性が求められる分野では、心して避けなければなりません。

 ということで、最後は半分自戒で締めさせていただきます。

  



都市開発と史跡保存:長岡京市開田城跡の例

2010年09月20日 | 社会考
 
 民主党代表選は菅氏の勝利に終わり、内閣の顔ぶれもでそろいました。早速、方々で粗探しが始まっているようです。また、敗れた小沢氏のグループからは閣僚は出ず、露骨な論功行賞だと不満が上がっているそうですが、小沢氏が勝っていればもっと露骨になっていたのでしょうから、リアルに「おまえは何を言ってるんだ」です。

 さて、今回も歴史ネタです。近年、平城遷都1300年や纏向遺跡発掘などの成果により古代への、平成の築城ブームや歴女を中心とした戦国武将ブームなどにより中世への、さらにドラマ『龍馬伝』などにより近代への関心が高まり、歴史遺物への注目が集まりつつあります。

 古・中・近を問わず、歴史的遺物というものは我々の身近に多数埋まっているものです。あらかじめ遺跡と分かっている土地に建物を建てる場合、事前に許可を申請しなければなりません。もし建設中に何かが見つかってしまうと、調査のため一時工事を中断しなくてはならなくなります。つまり、開発業者にとって歴史的遺物など邪魔者以外の何者でもありません。

 ただ、最近では先に述べた歴史に対する関心の高まりを受けて、市民や自治体レヴェルはもちろんのこと、業者レヴェルでも歴史遺物に対して一定の配慮がなされるようになりました。この点は、僕の趣味の城跡めぐりを通じてよく感じています。古い名もない小さな城跡の上にマンションなどが建設されることはよくあるのですが、一部が史跡公園となったり、説明板が設けられたりするようになりました。とはいえ、たいていの場合は、申し訳程度に、仕方なくそうした施設が作られているといった感が否めません。

 そのような中、先日京都府長岡京市で、史跡保存と都市開発の共存のお手本ともいうべき例に出会いました。長岡京市は京阪のベッドタウンとして再開発が進められていますが、阪急長岡天神駅前に開田(かいでん)城址という土豪の城跡があります。城といっても、中学の資料集などにあった鎌倉武士の館に毛が生えたようなものです。普通の開発の波に呑まれていれば、全く消滅したか、せいぜい碑や説明板が設置される程度でしょう。

 この開田城址には、現在マンションが建っています。いつできたのかは分かりませんが、かなり新しく立派なマンションです。マンションの東西両脇には、残っていた開田城の遺構である土塁が保存されています。こういった土塁程度の遺構は、「保存」という名の「ほったらかし」状態にされていることが多いのですが、開田城の土塁はマンション付属の小公園の一部として、保護措置がとられ、大通りから誰に見られてもいいような状態に保たれています。

 
開田城址に建つマンション


 
マンション脇に保存されている土塁


 さらに感激したことには、マンションのエントランス(ホテルのロビーのような立派なエントランスでした)に、開田城の推定復元模型が展示されていました。この模型は、建設に先立つ発掘調査の結果をもとに、学術的な考証を通じてデザインされたもので、作り込み具合もクオリティの高いものでした。加えて、模型の脇には開田城址について書かれたパンフレットが備えれられ、誰でも持っていけるようになっていました。このパンフレットも、手作りではなく業者発注の、大手観光地に良くある3つ折タイプのものでした。模型もパンフレットも、住民や自治体だけで用意できるクオリティを超えており、業者の積極的な関与がなければ不可能であることは明らかです。

 
マンションエントランスの模型


 僕は歴史遺物を愛でる者ですが、何が何でも保存してまわれなどと言うつもりはさらさらありません。都市化によって、そうした遺跡の上に建物ができること自体は仕方のないことです。要は、事前にきちんと調査がなされ、資料が作られればまずはそれでよいと思っています。

 ところがこの開田城址の場合、資料や説明板はもちろん、史跡保存や模型の展示、パンフレットの作成とへたな民俗資料館よりも充実した史跡保存を、業者や自治体、おそらく住民も一体となって行っています。急行停車駅から徒歩1分でバス通りに面しているという立地条件も加味すれば、これは驚くほど稀有な例といっても過言ではないように思います。

 開田城址も長岡京市も知名度はさほどありませんが、今後このマンションと城跡が、都市開発と史跡保存の両立のお手本として全国に知られる日が来ればいいなぁ、と思いました。

  



学校のネーミングを考える:さくらんぼ小学校事件を奇貨として

2010年09月17日 | 社会考

 このところ急に涼しくなりました。朝晩はうすら寒いくらいで、秋が来たというよりも、このまま冬に突入してしまうんじゃないかと心配です。

 さて、ソースとしては少々古い話ですが、山形県東根市で「さくらんぼ小学校」という新しい小学校を開設しようとしたところ、同名のアダルトサイトがあることが発覚し、改名を余儀なくされるという事件(?)がありました。開校7ヶ月前ということもあり、校名変更までする必要はなかったのでは、という意見もあったようですが、通う子供のことを考えればやむをえない判断でしょう。

 ただ、それ以前に、「何でさくらんぼ小学校なんだ?」という疑問をもった人が多いんじゃないでしょうか。この名称は、市民殻の公募をもとに付けられたものだそうです。山形県はさくらんぼの産地として有名ですが、東根市はさくらんぼの生産量日本一の市町村であり、あの佐藤錦の生まれたところでもあります。さくらんぼは東根市のアイデンティティーでもあり、JRの駅名すら「さくらんぼ東根駅」に改名してしまいました。この駅には山形新幹線もとまるので、東北・山形新幹線に乗るとその名を聞くことができます。

 そのような経緯から、「さくらんぼ小学校」は当たり前のように誕生したわけですが、僕はこの名称はそもそも学校名としてどうなのかな?と思います。親や地域住民は「可愛らしい名称」で済むかもしれませんが、実際に通い、卒業し、学歴として一生抱えることになる子供たちからすれば、ずっと切実です。将来、「さくらんぼ小学校」出身であることが履歴書や経歴に記載されたとき、果たして誇りに思ったり愛着を感じたりできるのでしょうか?少なくとも僕は嫌です。

 とくに今回の場合、もし「さくらんぼ小学校」が誕生して、卒業生が「学校はどちら?」と訊かれて「さくらんぼ小です。」と答えれば、「あ~、あの・・・」という反応が返ってくることは必至です。さくらんぼ小学校という名称を応募し、名称変更に難色を示した人たちは、そこに通うことになる子供たちのことをまったく考えていないといえます。

 「さくらんぼ小学校」そのものについてはこれだけの話なのですが、この問題は、小・中・高等学校といった「地域の学校」の名称がどうあるべきかについて考えさせる格好の材料であるように思います。とりわけ小・中学校というのは、地域の子供、地域の住民のための施設なのですから、基本的にその地域の名を冠して然るべきなんじゃないかな、と思うのです。

 僕の母校の中学は普通に地名から命名されたものですが、近年少子化に伴い近隣の中学と合併し、「青陵中学校」という何の面白みもない校名になってしまいました。もし自分がこの「青陵中学」に通っていたら、あまり愛着は持てなかったでしょう(別に以前の中学に思い入れがあるわけでもありませんが)。

 同様に、半ば個人的ですが、「○○第一」とか「××第二」とかいう呼び方も、僕は好きではありません。そもそも、校名に序数を付けるのは戦前の軍制に倣ったものでしょうから、今の時代にそぐうわけがありません。第一から第三ぐらいまでなら分かりますが、なかには10番台にまで突入しているところもあります。仙台第二高校のように(地元では)有名ならともかく、そうでないなら、序数の学校名も逐次改名した方がいいんじゃないかな、と思います。

 このように、やはり地域の学校の名称というのは、第一に地域に根ざした名称であることが重要なのではないでしょうか。