塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

紅葉 in 栗駒

2012年10月28日 | 旅行
  
 先週末、宮城県は栗駒へ紅葉を観に行ってまいりました。車では中腹のイワカガミ平というところまで行けます。ここから山を見上げると、遮るものも道路などの障害物もなく、一面の紅葉樹を愉しむことができます。

 天気予報では晴だったのですが、山に近づくにつれ雲が厚くなり、かなりしっかりした雨が降り出してしまいました。「これだから山は嫌いなんだーー」と心のなかで叫んだから、かは分かりませんが、ちょうどイワカガミ平に着いたあたりで雨は止みました。さすがに雲が晴れるというところまではいきませんでしたが、一面赤や黄に染まった山肌を味わうには十分でした。





 
天高く山燃ゆる秋。。


 山を下りはじめるとまた雨がぱらついてきて、その日においては絶好のタイミングだったようです。下りる途中でははっきりくっきりとした虹のお見送りを受けました。

 

 

 さて、帰り道では栗駒から1本脇に入った耕英地区へ立ち寄りました。栗原耕英は、戦後に満州からの帰還者によって開拓された地区です。栗駒山周辺で人の住む集落地区というとこの耕英地区しかないため、宮城県の天気予報などではおなじみの地名です。

 ただ、人によっては栗原耕英の地名に聞き覚えのある方もいるかもしれません。耕英地区は、平成二十年(2008)の岩手・宮城内陸地震でもっとも大きな被害を受けた場所の1つです。当時、大規模な地滑りや橋脚の落下などが報じられました。あれから4年が経ち、今どうなっているか見てみたいという気持ちに駆られて立ち寄った次第です。

 

 幸いにも、被災箇所の復旧はかなり進んでいるようで、とくに道路は橋ごと付け替えたり新しく舗装し直したりしたようで、非常に走りやすくなっています。紅葉シーズンには混雑する栗駒の脇往還として利用できそうです。

 

 

 思い返してみると、ここ数年まともな紅葉狩りをしていなかったような気がします。温暖化が進み、夏から冬、冬から夏への移行期間である春と秋が、年々短くなっているような感じがしています。そのようななかで、今年は1日だけとはいえ秋を満喫できたのは良かったかな、と胸を撫で下ろしております。

  



日本で普及の遅れる無料無線LAN

2012年10月26日 | 社会考
  
 突然ですが、みなさんは外でネットを使いたくなったとき、どうしてますでしょうか?私は以前はWi-Fi端末を使っていたのですが、通信速度が遅いうえに月使用料が結構高額だったので解約してしまいました。

 最近では、世界的に無線LANがだいぶ浸透してきているようです。今夏にドイツへ行ったときには、大きなホテルはもちろんのこと小さなペンションにいたるまで、有料無料は別としてほとんどの宿が自前の無線LANを備えていました。逆に、無線LANの無い宿にはもはや泊まれないというくらいです。

 他方、日本ではまだそれほどには無線LAN(有線でも構わないのですが)は普及していないように感じられます。先日も、出先でネットを使いたかったのですが、調べても無料で無線LANを利用できるところがなく苦労しました。ヨーロッパでは、ホテルはもちろんマックやバーガーキングなどの軽飲食店に無線LANが完備されているところも少なくありません。飲み物1つで自由に使わせてもらえるので、結構重宝しました。

 翻って日本では、調べてみると携帯会社のホットスポットという形ではそこそこ普及してきているようです。しかし、結局あらかじめ携帯会社と契約のうえ月使用料を払わなければならず、契約した会社以外の会社のホットスポットでは使えないという不便極まりない形態です。私も、ドイツでどうしても仕方なくプリペイド形式で彼地の携帯会社のホットスポットを利用したことがありますが、一度無料無線LANの恩恵をこうむってしまうと、とても耐えられるシステムではありません。

 日本の情報インフラはつくづく遅れていると思います。近年、電化製品部門で中韓に追い着かれつつあるなかでも「日本の技術は世界一ィィ」などと世論では片目つぶって我を張り続けていますが、足元の情報インフラが大企業の利益優先でこうも滞っているようでは追い越されるのも時間の問題のような気がしてなりません。クレジット会社の抵抗で電子マネーが遅遅として普及していなかったり、くだんの発送電分離も実現の兆しすらなかったりと、大企業の利権保持活動がすさまじいのか政治のイニィアティヴがなさすぎるのかは分かりませんが、一部の企業が国の発展の足を引っ張っている現状はとても残念に思います。

 結局現在のところ、あらかじめ探しに探せば1つの町に1つくらいは自前の無線LANを備えた軽飲食店などはあるようなので、それらを利用しています。ちなみに、先日私の故郷仙台を調べてみたところ、中心部に2軒だけそういった店がありました。近いうちに、消費者の側が目覚めて不便かつ独占的な企業系有料無線LANを駆逐し、自前の無線LANが当たり前のように普及してくれればなぁ、と願っています。

  



園子温監督『希望の国』の気仙沼無料上映: 震災を踏み台にする人々

2012年10月25日 | 東日本大震災
    
 橋下徹大阪市長と週刊朝日および朝日新聞とのバトルが話題になっていますね。普段は反橋下市長の記事を書いている私ですが、今回の件については朝日側が無思慮すぎたように思います。本人を批判しようと思えばいくらでもできるはずなのに、わざわざ「血」を責める必要がどこにあるのか理解に苦しみます。同様の攻撃は市長選のときにもあったように記憶していますが、本人でなく血縁を攻めるというのは、卑劣極まりないうえに批判能力の無さを自ら露呈するものであると考えています。

 他方で、橋下氏の対応にも問題があったように思います。橋下市長は、朝日側の横柄な謝罪方法に対して「鬼畜集団」という言葉を使って批判しました。たしかに朝日側の謝罪はいつもどおり謝る気があるとは思えないものですが、だからといってそれを指弾するのに「鬼畜集団」という表現はどうやっても当てはまらないように思います。おそらくは、噴飯収まらぬなかで勢い余った口から飛び出た言葉なのでしょう。ですが、相応しい表現であるかまったく顧慮しないまま思いつくまま強い言葉を吐き連ねるというのは、公職の一トップにいる方としていかがなものかと思います。

 さて、導入が長くなりましたが、無思慮な発言という点で先週から怒りを覚えていることがもう1つあります。それは、原発事故を題材としたという園子温監督の映画『希望の国』についてです。

 園監督は、全国公開に先だって『希望の国』を気仙沼で無料上映した。この無料上映自体は今月初旬に行われたそうで、私も映画の存在は知っていたものの無料上映について知ったのは先週のことだった。上映後に監督が1人で登壇して観客からの質問に応え、普通は監督1人で質疑応答というようなことは滅多にないということで、私が見た報道では園監督の「本気」を褒めそやしていた。

 しかし、私はその報道での園監督のある発言がどうしても引っかかっている。それは原発問題を「風化」させないために映画の撮影および気仙沼での上映を思い立った、というものだ。「風化」という言葉は、すでに過去のものとなった事象がだんだんと忘れ去られていくようすを指して使われる。

だが、当然ながら福島第一原発の事故は過去のものどころか現在進行形であり、今後数十年にわたって我々を悩ませ続ける問題であることが明らかとなっている。まして、津波の被災地である気仙沼にとっては原発も含めあらゆる震災の問題が進行形で未解決の懸案だ。そのような人たちを集めて「風化させないため」とは、どのような神経をもっていたら言えるのだろうと思う。

よしんば、非被災地の人たちの間で原発問題が徐々に話題に上らなくなっているようすを指して発言したものだとしよう。であるならば、「風化させないため」には風化が起こっている場所、かつ問題喚起の高い効果が望める場所でこそ無料上映されるべきであり、それは決して被災地気仙沼ではなく、東京や大阪などの大都市圏であると思われる。

結局、ここから透けてみえるのは、園監督にとって原発問題は他人事でしかないということだろう。震災直後によくみられた「災害を踏み台にする人」を、久方ぶり目にしたような気がする。このように、原発問題ですら「材料」としてしかみていないような人物がもてはやされている限り、この国で原発のあり方について本質な議論が進展する見込みは少ないように思われてならない。

ここで1つだけ付け加えておきたいのだが、聞くところでは気仙沼の上映会では『希望の国』に対する反応は賛否半々くらいだったそうだ。社会問題を扱った問題提起作品として、賛否が半々というのはベストであり、作品として大成功といえるかもしれない。

しかし、忘れてもらってはならないのは場所が東京や大阪などではなく、三陸だということだ。震災直後に記事にしたことがあるが、三陸の人々の優しさ・寛容さ・忍耐強さは日本有数だ。あれほどの災害に見舞われて暴動ひとつ起きなかったのは日本人の国民性の素晴らしさだとメディアでは盛んに報じていたが、実際には国民性ではなく三陸の「県民性」の賜物である。三陸の人々には、他人を困らせまいとする過剰なほどの気遣いや、たいがいひとまず受け入れてしまうような寛容性があるのだ。

したがって、気仙沼で賛否が半々だからといって、額面通り受け取って小躍りしてもらっては困る。三陸で50%ということは、もし被災地が三陸以外であったならば、批判の割合が8~9割くらいに跳ね上がる可能性があるということだ。園監督は被災地でもロケを行ったということだが、そのような三陸人の寛容性や気遣い気質を感じ取ることはできなかったのだろうか。

最後に蛇足だが、故若松監督だったらどうするだろうかと考える。私は園監督も若松監督も実はよくは知らないのだが、見聞きする限りでは若松監督は社会に対する怒りを原動力としていた方だそうだ。そのような方が社会への問題喚起の作品をわざわざ被災地で上映して、「風化させないように」などと配慮に欠ける発言をするだろうか。若松監督の遺作『千年の愉楽』が公開されたら、中上健次作品が好きということもあるので、じっくり鑑賞しながらいろいろと考えてみたいと思う。

  



近況:ジム三昧

2012年10月11日 | 徒然
  
 帰国以来忙しかったり、体調がなかなか安定しなかったりですっかり更新が滞ってしまいました><

 さて、そんな小生ですが、たった2か月強のドイツ暮らしの間にビールと肉とジャガイモですっかり腹を鍛えてしまいました。あちこちの古城に登ったり、サイクリングしたり、観光という名の運動も結構したんですが、帰るころには脇腹がかなりたるんでしまいました。

 こいつはマズイと思って、人生で初めてジムというやつに通うようになりました。何というか、ジムというとビジネスマンのステータスみたいな先入観がありまして、自分はそんなところに行かずともスポーツで体型を維持してやるわ!と意味のない意地を張っていました。

 そもそも、自分は頭か手足かどちらかが手持ち無沙汰になる単純作業が嫌いでして、たとえばテレビをただ見ていると手足がお留守になるので、お菓子をポリポリつまんだり何か内職してないと気が済みません(一時期はテレビ見ながら編み物してました)。ジムも、マシンを動かしたり走ったりしている間は頭の方がお留守になるので絶対好きにならないと思っていました。

 ところが、いざ行ってみると意外とマシンを使うのが機械いじりをしている感覚で楽しく、また効果的に動かそうと思うと結構頭も使います。ひと通りのマシンを1セットずつやると、今の自分で2~30分くらいかかるのですが、時間をほとんど感じずに楽しめています。一応、マシンをやるときには外国語の放送を録音したのを聞きながら、あと自転車をこぎながら本を読んだりしています。

 さきほどからジムジムと連呼していますが、私が通っているのはビジネスマンの方々が集うような立派なところではなく、区のスポーツセンターに併設されているトレーニングルームです。1回200円で利用できて、一通りの設備はそろっています。所詮ダイエット目的なので、自分にはこれで十分すぎるくらいです。たいてい夜に行くのですが、中から大まで学生さんの姿もよく見かけます。

 と、すっかりハマってしまったようなことを書きましたが、熱しやすく冷めやすい性格なのでいずれ飽きてしまうだろうことも容易に想像できます。なので、熱中できているうちに行けるだけ行っておこうと、機会があればせっせと通っている毎日です。おかげでお腹の方はだいぶ引っ込みました^^

  



ドイツの車窓から~貴方の旅行に一振りスパイス~ :「ヨーロッパと日本人観光客」

2012年10月04日 | ドイツの車窓から
    
 アジア外をしばらく旅していると、だんだんと日中韓の旅行客の区別がつくようになってきます。どうやってと聞かれると困るのですが、少なくとも日本人か否かは言葉を聞かなくても雰囲気で判別できるようになりました。ただ、中国人観光客などはここ数年でだいぶ変わってきていて、前に渡欧した時は日本のかつての農協様御一行よろしく9割以上団体旅行客だったのですが、今では家族連れやカップルも多くみられるようになりました。

 逆にヨーロッパ人から見ればアジア人の顔などほとんど見分けがつかないわけですが、それでも中国人旅行客に関しては一般にいわれているように日韓に比べて印象はよくないようです。とある博物館の方が、中国人は日本語のパンフレットがあるのになぜ中国語がないのかと怒鳴るので困ると言っていたのを覚えています。そりゃあ、中国人の海外旅行がポピュラーになったのはここ10年、20年の話なのだから、あと10年くらいは待ってくださいな、というところですかね。

 さて、それでは日本人旅行客は模範的で好印象かというと、必ずしもそうではないように感じます。そこで、今回は個人的にヨーロッパ旅行で(他の地域でも同様だと思いますが)日本人が気を付けるべきだと考えているポイントを2つほど挙げたいと思います。

1) とにかく挨拶
 挨拶、というより声をかけることがとても大事です。とくに日本人は、お店や飲食店などで黙って入って黙って出ていくことがよくあるように思います。これは、相手から見れば失礼というより不気味です。向こうの挨拶は、儀礼上の意味合いと同時に「私は決して怪しいものではありませんよ」というアピールとして行われます。ですから、無言で店に入れば、店員は「強盗や万引きじゃないかしら」と疑うかもしれませんし、最悪警察を呼ばれたって文句は言えません。海外旅行でしばしば店員の態度が悪かったとこぼす人がいますが、そう言うお客のあなたの態度に問題はなかったか考える必要があると思います。ちょっと一言「ハロー」と言って入れば、店員の接客もだいぶ違ったかもしれません。

 挨拶は、しすぎたからといって減るものでもありません。少なくとも、自分の目的空間にいる人にはしておいて損はないでしょう。ホテルなら、フロントや清掃員、エレベーターで一緒になった人や玄関のドアではち会ったなど。電車なら隣り合わせた席の人や検札に来た車掌とか。

 もちろん、慣れない内はとっさには口に出しにくいものです。そもそも、治安もよく謙虚が美徳の日本では、あまり煩く挨拶することは逆に好まれません。私の住んでいるマンションでは、なぜか入居当初から暗黙のルールで知らない人でも建物内では挨拶することになっているのですが、これが鬱陶しくて仕方ありません(笑)。ですが、海外では人が変わったように明るく振る舞ってます。「こんにちは」は億劫でも、「ハロー」ならわりと抵抗なく言えるようになりました。要は慣れですね。

 気安く挨拶すると、気安く話しかけられてしまって、店内をゆっくり見たいのに困るという人もいるかもしれません。ですが、その場合は「ちょっと見てるだけです」と言えば済むことですし、何も買わなかったとしても挨拶さえきちんとしていれば嫌な顔をされることはありません。買わないという決定も、買うという決定と同様にその人の意思として尊重されなければならないからです。


2) 迷ったら遠慮なく人に聞く
これは必ずしも海外旅行に限ったことではありませんが、見知らぬ土地・文化言語圏ではいろいろと戸惑う確率も増すと思います。迷ったら、迷わずどんどん人に聞きましょう。とりわけ日本人は、人に聞くということを躊躇う傾向にあるような気がします。声をかけられずにいるのか、答えが出そうで出ない状態なのか、はたまた声をかけられるのをただ待っているのか分かりませんが、街角でいつまでもオロオロしている姿は見ていてイライラしてきます。

 そのくせ、こちらから声をかけると迷惑そうに「自分で探すからいいです」などと言う人が少なからずいます。とくに夫婦で来ている方の男性に多いです。おそらく、見知らぬ土地で妻に頼られる夫でいたくて、若造にものを教わるなどという不格好はしたくないのでしょう。ですが、はっきりいって往来でウロウロしている姿の方がよほど格好悪いです。知らないものは仕方ないことですから、さっさと知っている人に聞いて解決した方が旅も楽しめます。

 聞きたいけど、話が通じなかったら相手に悪いと考える人もいるかもしれません。ですが、他人に頼られて気分の悪いことなどあるでしょうか。道を聞くくらいなら、言葉が通じなくたってそんなに難しいことでもありません。たいていは、聞かれた人も一生懸命教えてくれることと思います。

 さっさと聞いてしまった方が良いというのには、もうひとつ理由があります。聞くに聞けずに狼狽えていると、見かねた親切な人が声をかけてくれるかもしれません。ですが、逆によからぬ目的で声をかけてくる人も出てくるかもしれません。そういった不逞の輩から見れば、海外旅行客の狼狽える姿は隙でしかありません。ただでさえ、旅行客は物乞いやスリや詐欺師にとっては格好の獲物ですから、隙を見せれば彼らを惹き寄せることになります。ルーマニアのブカレストで日本人女子大生が殺害される事件がありましたが、被害者はおそらく空港でウロウロしているところを標的にされてしまったのでしょう。無用なトラブルを避けるためにも、自分から行動するということは重要だと思います。

 ですので、大切なのは迷うときは堂々と迷うことです。すぐに解決できなさそうであれば、遠慮なく周囲に聞くこと。人に聞くことは、恥ずかしいことでも悪いことでもありません。自分で探したい場合は、オロオロせずに「この俺を迷わせるなんて困った町だ」くらいに大きく構えて、地図なりガイドブックなり開くようにしましょう。私なぞはあまりに我が物顔で歩いているのか、初めての町で道を聞かれたりすることもあります(笑)。



 2点に共通しているのは、結局一般的にいわれていることですが、日本人はもっと積極的に堂々とした方が良いということだと思います。日本人ごときがどんなにデカい態度をとろうとしたところで、中国人や西洋人にはかなわないので、相手の気分を害するのではないかなどという心配はあまりないように思います。