徳島県を西から東へまっすぐ流れる吉野川は、県内でほぼ唯一の平野を形成しています。そのちょうど真ん中に、「うだつの町並み」で知られる脇町があります。正確には脇町南町と呼ばれる500m弱ほどの通りを中心に、重厚なうだつの上がった白壁の家々が連なっています。
うだつ(卯建)とは、重層家屋の両サイドの壁を庇の上に張り出させたもので、もともとは隣家からの延焼や、風で屋根が飛ぶのを防ぐ目的で作られていました。それが江戸時代に入るとただのお飾りとなり、とくに商家の財力を示す基準のように捉えられるようになりました。そのため、いつまで経ってもパッとしないという意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源ともいわれています。
分かりやすいうだつの例(信州海野宿より)
2階両脇から塀のように張り出しているのがうだつ
そんな金持ちのステータスともいえるうだつが、脇町では当たり前のように見られます。吉野川の水運を使って容易に東西へ行き来できるほか、北に向かえば讃岐国にも出られる脇は交通の要衝でした。江戸時代初期は、徳島藩筆頭家老の稲田氏が預かる脇城の城下町でしたが、一国一城令でお城が廃止に。以後は商人町となり、阿波特産の藍の集積地として栄えたのです。ちなみに、脇城とそのすぐ西の岩倉城は、戦国時代に天下を動かすほどの大名に成長した三好氏の興隆の地とされています。
城跡めぐりが趣味の私は、武家屋敷を目にすることはしばしばあります。侍町を見慣れた私から見ると、この脇の町並みはかなり趣を異にしています。一言でいってしまえば「ゴージャス!」という感じ。現代のコンクリートジャングルと比べればなんてことありませんし、むしろ小ぢんまりとして見えるかもしれません。ですが、基本的に貧乏でなにかと質素倹約を求められる武家町ばかり見てきた身からすると、分厚い漆喰の白壁や、うだつに鬼瓦などの華美な装飾がとても目を引くのです。そう思って歩いていると、往時いったいどれだけリッチな街だったんだろうと、素直な驚きが得られます。
当然ながら豪華な商人屋敷といっても差があり、もっとも繁栄していた商家は、玄関が2つも3つもあったりします。客のランクによって使う玄関を分けていたそうで、ちょっと露骨なようにも思いました^^;あるいは余裕のある家は鬼瓦をいくつも乗せて、そのうち1つだけ笑った表情(だったかな)にするなど、見栄の張り合いのなかにも遊び心をしのばせていたようです。
大事な人用玄関
そこまででもない人用玄関
と、ここでちょうどお昼になったので、旧家を利用した食事処に入りました。このあたりの郷土料理という「そば米雑炊」を一も二もなくチョイス。蕎麦の実をそのまま挽かずにお米に混ぜた雑炊で、それだけでは現代の食事メニューとしては物足りないので、焼き餅を加えているとのことでした。そのため、どちらかというと蕎麦の実入りお雑煮という感じでしたが、蕎麦の実のパツンパツンという食感がとても面白い料理でした。味ももちろん、関西風の上品なダシ味でグッド!ただ、吉野川流域の谷戸は、おそらく阿波国では貴重な稲作好適地だったと思われるので、おそらく雑炊に蕎麦を使うのは、木屋平や一宇といった祖谷渓ばりの奥深い山村地域だっただろうと拝察します。
船着場跡
脇へは、高速バスか自家用車で直接行くのがおすすめです。商家を改築した道の駅に駐車して、そのまま町内を観光できます。駐車場はかつての船着場で、ここで荷の上げ下ろしをしていたそうです。