塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

安倍政権運営の現下の問題

2007年02月22日 | 政治
   
 前々回、安倍閣僚らに対する野党の不毛な攻撃よりも、安倍首相の対応がむしろ問題であり、この点は次回にまわすと書いた。

 問題の1つは、安倍氏自身の人事手腕にある。一連の閣僚問題について、総理は早期に辞任させるか断固守り通すかのどちらかを速やかに決断しなければならなかった。私としては後者を、世間的には前者を望んでいただろう。どちらが正しいとは言えないが、どちらもが有効な選択肢である。

 しかし総理は、いたずらに明言を避け続けた。これはこと大衆政治においては下の下策である。あまつさえ、柳沢氏の場合のように地方選挙の結果次第で判断するなど、下策どころか無策としか言いようがない。

 熱いもの、苦いもの、難しいものは喉元を過ぎてしまえばすぐに忘れられるものである。現に同じ閣僚問題でも、即座に辞任した佐田氏の場合は、マスコミにもほとんど取り上げられず世間も最早忘れてしまっている。政治資金問題という、柳沢氏や本間氏よりもはるかに重要な問題であったにもかかわらず、である。

 もう1つの問題点は、小泉政権の負の遺産といえるのだが、安倍氏と同様小泉政権下で名を上げた人たちが、大きな顔をしすぎていることである。

 小泉前首相は、人の扱いが病的に上手い人だった。目をつけた人物に自分が選んだ台詞と衣装を与え、注目される場面々々に立たせて、小泉劇場の名俳優に仕立て上げた。安倍首相もその一例で、小泉政権下で外交における対中朝韓強硬姿勢の旗頭を演じていた。しかし安倍氏は、首相に就任してすぐに外交方針を自身の軌道に修正し、アジア諸国との対話路線を明確にした。武部氏のような、毒にも薬にもなりそうにない人でさえ、対対抗勢力の切り込み隊長のような役にありついていた。

 他方で田中真紀子元外相の更迭のように、自分の劇団の不安分子と見るや否や、小泉前首相は世間に先んじてさっさと切り捨てに転じた。彼がそこいらのポピュリストと異なる点は、世間の顔色を伺うのではなく、世間に息つく暇も与えず自分の劇に目を惹きつけ続ける能力にあったのだと思う。

 そしてポスト小泉の現在、安倍総理が人事に指導力を発揮できていないことも相乗してか、小泉時代の劇団員たちが思うさま勝手に振舞っているようにみえる。中川氏の閣議についての発言に「学級崩壊だ」と茶々を入れる議員がいたが、私はむしろ幕末の無秩序のようなもっと深刻な事態に陥りかねないのではないかと心配している。

 背景には、小泉政権でそれぞれマスコットの役を与えられた人たちにとって、自分の姿が分相応以上に大きく見えてしまっていることがあるのだろう。たとえば、武部氏が一年生議員を集めて作った新会派の意義も、森氏の側近だったはずの中川幹事長が改革派の旗頭のように大きな顔をしている理由も、私には全く不可解である。中川氏に至っては、造反議員の復党問題を不毛なダダをこねて先延ばしにしたり、閣議前の控え室での私語などというどうでもいい話をネタとして野党やマスコミに振りまいたりして、支持率を続落させている張本人ではないだろうか。

 小泉前首相と安倍首相を見比べると、三国志の劉備玄徳と諸葛孔明の関係に似ているように思われる。一般的な聖人君主のイメージではなく、実際には仁義あふれる兄貴肌で人を見抜く目に優れていた劉備と、最近の研究では政治や戦略には優れていたが、実戦と人物眼には不得手であったといわれている諸葛亮。この2人ががっちり組んだことで、劉備軍は一国を建てるまでに成長した。しかし、劉備亡き後の蜀は人材が枯渇するようになり、その末路は知られている通りである。

 結局、上記の2つの問題点に共通するキーワードは「人事」、すなわち人の扱いである。小泉政権下で自分がとても大きな存在に見えてしまっている人たちをどう抑え、また野党の攻撃をよそにいかに断固たる措置をとるかが、今後の政権運営の課題ではないだろうか。そのためには、人事感覚に優れた助言者を得ることである。最も手っ取り早いのは小泉前首相に師事することかもしれない。
  
  
  



読売新聞・躑躅ヶ崎館の記事について

2007年02月14日 | 歴史
 2月9日付けの読売新聞文化面に、武田氏の居館躑躅ヶ崎館で丸馬出(まるうまだし)が発見されたとの記事が載っていた。本来なら当ブログの本サイト内コンテンツ「古城址探訪」で扱う内容であるが、城に興味がない方にもちょっと見てほしいことなので、簡単にまとめることにした。

 馬出というのは、武田氏が考案したとされる、門前に敵をプールして確固撃破する城の防御空間のことである。名古屋城や松本城といった有名な城にも使われている。

 その記事の見出しには、『信玄の館に防御施設 「人は城…」の定説覆す』とある。記事にコメントしている甲府市の文化振興課主任や大学の文化研究所所長らによると、「人は城、人は石垣…」と唱えた武田信玄は自国の城館に防御施設を造らなかった、というのが従来の定説だったため、今回の発見は画期的な大発見だというのである。

 これを読むなり私は唖然としてしまった。「人材が最も重要である。」という格言が、なぜ「だから防御施設は必要ない」と短絡に直結できるのか不思議で仕方がない。第一私はそんな定説など聞いたことがない。

 獲るか獲られるかの戦国時代に「ウチはいい人が揃ってるので防御施設は持っていません。」という意味で「人は城…」と言ったのならとんだ阿呆である。「日本は武器を持ちません。だから皆さんも武器を捨ててください。そうすれば世界は平和になります。」と言っている人たちと同じレヴェルの発想である。ちょっと考えれば誰でも分かることだと思うが(私の城好きに辟易している私の家族でさえ、見出しを見せただけで気付いた)。

 ちなみに、リンク先の写真を見てもらえば分かると思うが、躑躅ヶ崎館は当時のままではないとはいえ、十分堅固な館である。隣の今川氏の駿府館の方がよっぽど居住オンリーな造りである。躑躅ヶ崎の背後にある要害城は、戦時用の詰めの城であるが、やはりとても立派な城である。

 歴史の事実が一つ一つ明らかになっていく瞬間は、確かに史学の最も大きな醍醐味である。なので市の職員が小躍りしたくなる気持ちは良く分かる。しかし、大学などの専門の研究者までが一緒になって頭までお祭り騒ぎになっている様では大問題である。私にとって城郭史や戦国史はあくまで趣味なのだが、その私から見ても、これが常態というなら日本の史学の将来が不安である。今回の記事がたまたま不運なコメント、記事、編集の結果に過ぎないことを祈るのみである。



敢えて安倍閣僚を擁護してみる

2007年02月09日 | 政治
  
 安倍政権の発足以来、マスコミは手のひらを返したように内閣を攻撃している。今も柳沢厚労相の発言を巡って駆け引きが続いている。

 失言・失態として取り沙汰されている閣僚や議員について、即座に辞任すべきとの意見が世間やマスコミでは大勢を占めているように感じる。しかし私としては、少なくとも本間元税調会長と柳沢厚労相については、批判には当たらないのではないかと考えている。そこで今回、反発覚悟で両氏を擁護しようと思う。
   
 まずは柳沢氏の「女性は産む機械」発言について。今までこの「機械」という言葉ばかりがクローズアップされてきて、どのような文脈でなされた発言なのかさっぱり分からなかったのだが、今日の読売新聞にちょうど問題の講演内容が掲載されていた。これを見ると、どうやら柳沢氏の語彙上の物忘れに過ぎないように思われる。というのも、柳沢氏の発言の意味合いとしては、女性を機械と言うより「装置」にたとえていると思われるし、本人も一度「装置」という言葉を使っている。

 政治学や社会学において特定の個人や人間集団を社会における装置と捉えることは珍しくない。講演の内容も、社会において出産という形で人口を殖やす装置は(適齢の)女性しかありえない訳で、その装置の規模(女性の数)はほぼ決まっているので効率を上げる(産みやすい環境をつくる)ように社会的に取り組まなければならない、というような周知のことしか言っていないのである。

 つまり、なぜか頭の中で出てこなくなった装置という単語を「機械」で代用してしまったことが現在まで無益に引っ張られているのである。もちろん珍しくはないといっても、のべつ幕なしに使っていい言葉ではないのも事実で、TPOに問題があったという点での無用心は責められるかもしれない。しかし、代用した単語が適切でないことはその場で認め、断りを入れている。それでもなお辞任に値するほどの問題であるとは私には思えないのである。

 次に、本間氏の「愛人と官舎」の問題である。これも当初は「愛人」という言葉から、いい歳した大学教員が何やってるんだ、と素直に思っていた。しかし、大分経ってから「愛人」というのは実は内縁の妻で、自宅の妻とは離婚調停中であることを知った。離婚調停が既に始まっていて、その後再婚する確約のある人と一緒に官舎に住むことの何が問題なのか、これまた私には皆目分からない。べらぼうに安い公務員官舎に対する反発感は確かにあるだろうが、この問題とは無関係だろう。

 結局双方とも、言葉尻の端々ばかりつまみ上げるばかりの野党の攻撃にマスコミが面白おかしく乗っかってきただけの図式にしか見えず、政策で戦えない野党の脆弱さが改めて浮き彫りになっただけともいえよう。

 私としては、こんな非力な野党よりも安倍首相らの対応の拙劣さのほうがよほど気になっているのだが、これについては次回に譲ろうと思う。