塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

コーヒーの関ヶ原?

2006年12月14日 | 徒然
  先月ちらっとおことわりしたように、京都の紅葉ついでに中山道を一週間ほど歩いてきました。旅の内容について全部書くのは結構大作業なので追々に譲るとして、今回は余談も余談な話を一つ上げようと思います。

 皆さんはいわゆる「喫茶店」に入るとき、そこで使っている豆の出元を気にすることはあるでしょうか。表に看板が出ているようなところなら、店名の下にたとえば「UCC」とか「KEY COFEE」とか書いてある訳です。

 ところが京滋(京都と滋賀。大阪は分かりません)では、これがすべからく「OC」になります。「OC」とは「小川珈琲店」のことです(因みに「UCC」は「上島珈琲」)。京都の「小川珈琲」という名前が知られているということは、以前から耳にしていました。しかし、こうまでポピュラーな存在だとは思っていませんでした。

 というのも、京都・滋賀と歩いてきて岐阜との県境に近い彦根で初めてUCCを見かけるまで、終ぞ「OC」以外の珈琲店を目にすることがありませんでした。結局この旅中、一日一回はどこぞで小川珈琲を飲んでいたことになります。彦根といえばすぐ隣が関ヶ原。まさか珈琲にまで東西の峻別があるとは思いもよりませんでした(中京の事情は分からないのですが)。
 
 さて味は、と言われるとそこいらの喫茶店で飲むような普通のブレンドならUCCやKEYと大差ないように思います。ただ、道中偶然見つけた小川珈琲の直営店で味わったストレートは、今時珍しく手で挽いて淹れてくれたこともあって格別美味しく感じました。

 旅の記念にと、豆も購入して先週開封しましたが、大手チェーンとしてはドトールやスタバの豆よりも香りがやわらかく、じっくり煎られている印象です。酸味系の方が得意なようにも思いました。

 因みにその店で、こっちは小川珈琲ばかりで直営店と見て思わず寄ってみたのだと話すと、逆に東京に小川珈琲がないことに驚いていました。

 皆さんも、今年のシーズンは終わってしまいましたが、京滋に行かれることがあれば、ふと道端の喫茶店にも気をとめてください。古跡仏閣ばかりでない、サイドな愉しみとしても京都を満喫できると思います。


 
真ん中のOCがトレードマーク


小川珈琲店HP



キャピトル東急ホテル閉館に寄せて

2006年12月05日 | 徒然

 今朝方大学のトイレで放尿していると、掃除のおばさんに明るい声で挨拶されました。僕はどうして良いか対処に窮しました。。


 さて、山王のキャピトル東急ホテルが11月いっぱいで閉館したということで、突然大きな話題になりました。僕自身はそんな立派なホテルに縁もゆかりもないので、すぐさまどうこうということはないのですが、名門といわれたホテルや旅館などが次々と消えてゆく、或いは旧態を失っていくのは寂しいものです。

 閉館そのものは、ホテルの経営形態と時代の流れがうまく噛みあわなくなってしまったのでしょうから、それは仕方のないことです。ただ、問題はその跡地の利用です。

 計画では、かなり高層の複合大型ビルを建てるということですが、僕にはこのバカの一つ覚えのように何かというとビルを建てたがる神経が理解できません。これだけ東京のいたるところに高層ビルを生やしに生やしてまだ飽き足らず、土地が空いたとなればまた生やす。都市計画も何もあったものではありません。

 中国にしろ韓国にしろ日本にしろ、はたまたアジアを通じていえることですが、歴史や都市の景観を非常に大切にするヨーロッパと比べて、同じくらい長い歴史を持っているにもかかわらず無愛着にビル林を作ってしまう気質は何に由来するものでしょうか。自分は決して欧州信者とは思っていませんが、日本の大都市の風景は何処に出しても恥ずかしいくらいに雑然としているのではないかと多々感じます。

 話を戻してキャピトル東急ホテルについて調べてみると、元々北大路魯山人の料亭があったところだそうで、土地そのものにも相当の由緒があるものと思います。建物を残せなどと理想主義者のようなことは決して言いませんが、様々な政治や文化の拠点となったゆかしき山王の丘に、どうか六本木ヒルズのような喧騒な物は立てずに、文人・政人・財界人が智恵を出して有効に利用してもらいたいものです。

 以上、表参道ヒルズにさえ愕然とした管理人の所感でした。
 



使い捨てと僕

2006年12月01日 | 徒然

 先日買ったばかりのデジカメが壊れてしまいました。もともと、時たま処理反応が鈍って一瞬フリーズするようなことがあったのですが、そのときはまあ動いているんだし良いかと看過したら、とうとう正常に作動しなくなってしまいました。

 電子部分は動いているので、接触の問題かなとは思ったのですが何にせよ最早電子機器はメーカーでしか治せないようになっているので、ヨドバシへ持って行きました。

 助かったことには、買ってから丁度一ヶ月ほどだったのですが、初期不良として交換してもらえました。修理するとまた一ヶ月ほどかかるのだそうです。

 しかしたった一ヶ月とはいえ、僕のような旧式の人間には折角買ったものをあっさり見捨てるような真似をしたことに少々申し訳なさを感じました。機械にしろ何にしろ、使い捨ての時代になって最早久しいのですが、直し直し使い続けるほうが非効率と見下される社会には時々寂しさを感じます。

 神社で供養してからとまでは勿論言いませんが、もう少し別れを惜しませてくれても良かったのになあ、と思わされるほど彼はてきぱきと処理されていきました。

 こんな自分は、初期不良で交換することを前提にしてなお、徹夜で並んでPS3買うような人達の対極にいるんでしょうねぇ。