塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

ある意味パワースポット!?中山道板橋宿の縁切榎神社

2015年09月27日 | 旅行
  
木金と休みを取ってシルバーウィークを9連休とした方もいよいよ今日で終わり。連休中は比較的好天に恵まれる日が多かったように思いますが、みなさまいかがお過ごしになられましたでしょうか。私はそのうちの1日を使い、断続的に続けている中山道歩きに出ました。京都からはじめて数年がかりでしたが、桶川から板橋まで歩き、残りはいよいよ日本橋までのひと宿となりました。

かつての幹線道路たる旧街道を歩いていると、しばしば変わった歴史をもつ見どころに出会います。そのなかでも、23区内という都会の宿場板橋で、とりわけ目を引くスポットを発見したのでご紹介したいと思います。

旧板橋宿は、都営地下鉄三田線の板橋区役所駅から板橋本町駅にかけての1本東側の通りにあたり、今も活気ある商店街として残っています。その商店街の北の外れ近くに「縁切榎前」という交差点があり、その脇にカウンターしかないショットバーくらいの広さの小さな神社があります。
 
その前に立つ説明板によれば、江戸時代に縁切榎と呼ばれる榎の木があり、嫁入りの際にその下をくぐってしまうと、死別などで縁が短くなるという言い伝えがあったそうです。「縁が短くなる」という言い回しは、当時女性の方から離婚することは珍しかったということなのでしょう。

 

この写真では分かりにくいのですが、鳥居と祠の間の左側に絵馬の掛け場があって、そこには神社の大きさとは明らかに不釣り合いな大量の絵馬が掛かっています。

縁切榎というくらいですから、たぶん酒やたばこを止めたいとか、悪縁続きの恋愛運を何とかしてくれとか、切実なものでもせいぜい離婚がスムーズに成立しますようにというあたりの願掛けが並んでいるのだろうと、直感的に思っていました。

ところがどっこい、その内容の生々しさに思わず息をのみました。あらかじめ断っておきますが、絵馬に手を触れるなどということは一切しておりません。幾重にも折り重なってひしめき合っている絵馬のうち、目立つものにさっと目を通しただけです。いわく、「職場の○○と××が一刻も早く会社を辞めてくれますように(いずれも実名明記)」とか、「孫娘が男友達と早く別れますように」とか、「私を見捨てた男が一生孤独を味わいますように」とか…。

印象深かったのは、職場系の願掛けが交際系のそれと同じくらい多かったことです。現代日本のお悩み事情を反映しているようにも感じられます。ただ、職場から2人以上追い出すよりは、願主が去った方が早いような気がするのはタブーなつっこみでしょうか^^;

前述の通りとにかく小さなお社ですので、絵馬の売り子がいる訳ではありません。掛け場の反対側に、野菜の無人直売所のような代金箱があり、併設のスペースで書くようになっているようです。私が訪れたとき、そこにはすでに女性がひとり熱心に何か書いており、参拝を終えてひととおり絵馬を眺めて立ち去るまで、その方はその場所から動くことはありませんでした。

これだけの生々しくも切実な願掛けが集っているわけですから、その効能はいかほどかと推し測らずにはいられません。茶化すわけではありませんが、負のエナジーに満ち溢れた、ある意味パワースポットといえるのではないでしょうか。これらの絵馬をかき分けて禁煙や断酒を掲げるというのは、逆に気が引けてしまいそうにも感じます。

そんな縁切榎はバッチリ首都圏に位置していますので、お近くをお通りの際には、ちょっとした興味本位ででも覗いてみてはいかがでしょうか。商店街自体、いろいろな層に面白いお店が並んでいますので、都会の散歩としてオススメです。

ちなみに、ここの榎(現在のものは3代目だそうです)がなぜ縁切りと呼ばれるようになったのか、その肝心な由来については現地の説明板ではさっぱりわかりませんでした。

  



安保法案にみるデモの性質の変容

2015年09月18日 | 政治
  
安保法案採決に向けた参議院での攻防が大詰めを迎えている。野党の身を挺した抵抗には冷ややかな視線が送られる一方、連日の国会周辺を中心とした一般市民のデモは大きな注目を集めている。

私の親以上の世代の人たちには、半世紀前の60年安保闘争の光景が蘇ったのではないだろうか。ただ、今回のデモには安保闘争を知らない若者や子育て中の主婦層などが多数参加していることから、政治の大きな転換であるとする見方もあるようだ。私もいわゆる「失われた20年」世代なので、当時のことは見聞きした限りでしか分からないが、60年安保闘争と今回の安保法案をめぐる賛否双方のデモ行動には違いがあると考えている。

60年安保闘争が勃発した昭和30年代は、まだ日本が再出発したばかりで国の形も定まりきっていない時期にあたり、それこそ国の存立危機が現実に認識されている時代だったのではないだろうか。そのようななかで日米安保条約に反対し、闘争を展開した人々は、人数の力や団結の力、突き詰めていえば実力行使によって実際の政策の転換を企図していたのだろうと思われる。

一方、今回の安保法案をめぐるデモの報道では、安保闘争時代の血が再び騒ぎ出した人ももちろん少なからず見受けられたが、本職を休んで参加しているという若い人たちのなかに、「この活動によって今すぐ政策を転換させられるとは考えていない。ただ、自分の意見を表明せずにはいられなかった」という趣旨の発言がいくつかみられたのが強く印象に残った。

つまり、自身の望む政策実現の道具ではなく、自らの意思表明の場として、デモを捉えているように感じられる。これは大きな違いであり、デモというよりアジテーションに近かった60年安保闘争から、本来の西欧的な意味でのデモンストレーションへの転換であるといえる。

ヨーロッパの個人主義において、自己の立場を明確にすることはとても重要である。自身が1票を投じて選んだ政権であっても、個々の政策に反対であれば、各人はきちんとNOを宣言する。意見を表明すること自体に意義があるのであり、NOをいかに実現するかはまた別の問題なのだ。

一例として、個人的に印象に残っていることがある。私は10年前にドイツに1年間留学したが、当時彼国では公立大学の学費値上げが検討され、当然ながら学生の猛反発を買った。学生は行動を起こすのだが、抗議のプラカードなどを掲げたテントが構内いたるところに張られ、デモ活動の参加者はそこから講義へ出席していた。だが、他には特別目立ったことは何もしない。とくに力に訴えるようなことはしない。

一度、州議会(私の留学先は州都所在地だった)の前でデモをやるから来ないかと誘われたことがある。そのとき、「ビールも持っておいで」と言われたのが衝撃的だった。実際、彼らは議会の建物の周辺で飲んで騒いで訴えて、それで終わりなのだ。

実力行使で目的を達成しようというアジテーション的な活動は、成熟した民主主義においては好ましくない。今回の安保法案では賛成派もまたデモ活動を行っており、現在のところ両者が衝突するような事態にはなっていない。これを個人の意思表明としてのデモ活動と捉えるならば、日本の有権者もまた成熟してきているといえるのではないだろうか。

ちなみに、デモでの意見表明から一歩進んだ実際の政策実現の活動は、これまでは集会や演説を中心に、最終的には選挙を通じた圧力として行われてきた。すなわち、成熟した有権者は選挙で意見を反映させるのであり、そのためには成熟した政治家が有権者の意見を尊重し、その受け皿とならなければならない。

だが、ネット社会となった現代では、個人の意見表明もネットを通じて行われることが多くなった。政治集会などと異なり、書き込みの向こうの書き込み主がどれだけ政治に関心をもっているかは不透明な部分がある。だからこそ、これからの政治家には受信力がますます求められるようになる。選挙のときだけ民意に耳を傾けているような態度をとりながら、当選した途端に風見鶏になる。そんな政治家ばかりでは、選挙を有権者の実力行使の場とする民主主義は機能しなくなる。

今回の安保法案についての賛否双方のデモを見ていて感じたのは、「日本の有権者は意外としっかりしている」ということだ。政治が堕落したとき、それを糺すのは有権者が先か政治家が先かというテーゼがある。日本ではどうやら、民衆が成熟する方が先だったようだ。これから焦らなければならないのは為政者の方だろう。願わくば、大きなイシューごとにいちいち政権が交代するような戦前からの日本の黒歴史は、もう繰り返さないでもらいたい。

  



ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所

2015年09月10日 | 仙台
  
お盆以降めっきり太陽を拝むことの少なくなった今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

小生は所用によりしばし仙台に帰省しておりました。9月初週の仙台は、予報では連日雨だったのに3日ほど連続で晴れになりました。おかげで勿体ない空いた時間が発生してしまい、少々悔いの残る帰郷となりました。

そんななか、今回はじめてニッカウヰスキーの宮城峡蒸溜所へ行ってきました。前々から行きたいとは思っていたのですが、連続テレビ小説『マッサン』で有名になった北海道の余市蒸留所が鉄道駅から歩いてすぐのところにあるのと違い、宮城峡蒸留所は山奥にあり、車がないと訪れるのは大変です(公共交通機関でも行けますが、遠いです)。



工場の脇には新川川(にっかわがわ)という広瀬川の支流が流れています。工場の建設地を探していた竹鶴政孝がこの新川川の流水でやおらウィスキーの水割りをつくり、その味を確かめて工場新設を決断したというのは、よく知られた話です。あわよくば私も…と思っていたのですが、同じようなことを考える酒飲みは少なくないのか、川と工場の間はフェンスで隔絶されていました(笑)。ちなみに、ニッカと新川川が語呂合わせのようになっているのは、偶然だそうです。

工場内は無料の見学ツアーが随時出ており、ウィスキー製造の過程を順を追ってみていくことになります。これは余市でも同じで、コースの最後には無料の試飲が用意されています。私の場合は高齢の祖父を含めた家族で訪れていたこともあり、ツアーへの参加は見送りました。余市の蒸留所では朝一番のツアーに参加したので、製造工程についてはばっちり見学しているのですが、宮城峡蒸留所には世界的にも珍しいカフェ式連続式蒸留機というのがあるのだそうで、それを見られなかったのは少々残念でした。

ということで、結局遠路はるばる訪れてやったことといえば、とりあえずショップを覗いて限定品を物色するだけでした。できれば有料試飲はツアーに参加しなくてもできるので、利き酒と洒落込みたかったのですが、いかんせん運転手ですのでそれもかないませんでした。



宮城峡と余市は、ニッカのみならず日本が誇るウィスキーの二大銘柄だと思っているのですが、風の噂によると両者とも間もなく販売終了になるとかならないとか…。10年ほど前にニッカを買収したアサヒビールの意向で両者を混ぜた新ブランドにするとかしないとか…。サントリーに買収されたボウモアといい、大規模酒販会社に介入されるとどうもおかしな方向に行ってしまう気がしてなりません。

もし事実とすれば、宮城峡も余市も今のうちに買っておかないとなくなってしまう訳で、買占め騒ぎにならないか心配です。