塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

年越しのご挨拶

2012年12月31日 | カテゴリ無し
  
 今年も残り数時間となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。東日本大震災から1年が過ぎ、被災地の復興は遅々として進まぬなか、日本をはじめ世界では今年も多くのニュースが駆け巡り、時代が着実に進んでいます。私自身の人生においても、得るものも考えるものも多い一年だったように思います。

 来年が皆様にとって実り多く、さらなる発展の年となりますよう、お祈り申し上げます。

 平素当ブログをお読みいただいている皆様には、今後ともよろしくお引き立ていただければ、幸いです。

 それでは、良いお年を^^
 
  



おいらはもぐ~らの~♪

2012年12月30日 | 徒然

 今年も残すところあと1日となってしまいました。年々、1年が過ぎていくのが早くなっているように感じられて、なんとも焦ります…。

 その前にクリスマスなんてものがあったようですが、小生にはもちろん何の関係もなく(笑)。せっかくの休日でしたので、いつも通り趣味の城めぐりに1人興じておりました。熊も蜂もいなくなり、草木も枯れて見通しの利く冬は、山の中の城跡めぐりのシーズンなのです。

 で、1人寂しく(?)誰もいない未舗装の林道を歩いているて、何と野生のモグラを発見しました。モグラを生で見るのは初めてなので、かなり興奮してしまいました。神様が与えてくれた素敵な出会いです。どうせなら人間の出会いも欲しかったところですが(笑)。

 
もぐもぐ


 最初はアケビかなんかの実かな?と思ったのですが、モコモコと動き出したのでびっくり!一般的なイメージのモグラよりかなり小さかったので、もしかしたらまだ若い個体だったのかもしれません。どういう経緯で林道の真ん中に来てしまったのかは不明ですが、とにかく一刻も早く地中に戻ろうと必死な様子でした。ところが、人間さまがプレスした林道は舗装されていないとはいえ土が固いらしく、掘っても掘っても身が隠れるほど潜ることができず、ほとんどパニック状態のような感じでした。

 逃げ込まれる前に写真を!と焦ってシャッターを切ったのですが、前述のようになかなか逃げることができないようだったので、動画も回しました。ここにはアップできないようなのが残念です^^;

 で、動画も適当に撮れたのでそろそろ逃げるのを手伝ってやった方がいいのかな?と思っていたところ、ジタバタしているうちに山肌側の土の柔らかいところに辿りつけたらしく、無事に潜って消えていきました。さすが土中の覇者だけあって、潜れるとなったら一瞬でした。そのあと意地悪く周辺をほじくったりつついたりしてみましたが、影も形もありませんでした。

 カメラを回しているときにふっと頭をよぎったのは、連れて帰って飼えないかな~といういつもの悪い癖でした。でも、飼うには最低でもリング状のパイプを用意しなきゃないし、エサは毎日ミミズを獲って来なきゃないし、で諦めました。その前に野生動物飼っちゃいけないんじゃないの?という疑問が出てくるのはそれからだいぶ先のことでした。

 さてさて、来年の干支はヘビですが、そういえば野生のアオダイショウとかって見たことないような気が…。まぁ、ヘビはちょっと怖いので見たいという気にも、まして飼おうという気も起こりませんがw

  



2012年衆議院総選挙④:メディアの「お友達内閣」批判に対する雑感

2012年12月21日 | 政治
    
 今日で世界が終わるとか何とか。とりあえずこれから最後の晩餐に何か美味いものでも食ってこようかと思います(笑)。

 さて、選挙からまもなく1週間。来週の政権交代を前に、世間の目はすでに安倍新内閣へ移っている。安倍総裁は出戻り2度目の首相就任ということで、組閣の前から前回との比較という形で新内閣の性格を読み取ろうとする動きが活発となっているようにみえる。

 とはいえ、始まってみないことには吉と出るか凶と出るかは判断しがたい。にもかかわらず、メディアの報道は早くも新政権批判ありきで粗探しをしているように思われてならない。各種メディアの見出しを見ていると、「脱お友達内閣か」とか「お友達内閣再びか」といったフレーズが目につく。「お友達内閣と呼ばれた前回の…」とはじまるわけだが、私も私の周囲も当時の安倍内閣を「お友達内閣」などと呼んだ記憶がない。

 「お友達内閣」とは、側近や自分に近しい人物で要職を固めることを意味するようだが、そんなものは至極当然ではないだろうか。首相の嫌いな人間で周囲を固めた内閣など、存在するのならお目にかかりたいものだ。それ以前に、初代安倍内閣の前の小泉内閣には「私は偉大なイエスマン」と公言して憚らない党要職がいたが、小泉政権を「イエスマン内閣」と揶揄する声はついぞ聞いたことがない。ワンフレーズで攻撃したいメディアが揚げ足を取ったとしか私には思えない。

 結局のところ、近しい人物を多く登用すれば「お友達内閣」と攻撃される一方、政策の一致加減以外の部分で起用すれば「派閥内閣」だの「論功行賞内閣」だのと突き上げられる。さらに閣内で不一致が生じれば、やれ「学級崩壊」だの「内部分裂」だのと囃したてられる。では、あなた方メディアにとって理想の内閣とはどのようなものですか?と聞いたところで、答えが返ってきそうにもない。新政権が発足する前から、このような批判ありきの揚げ足取りしか出回らないようでは、政治の衰退以上にメディアの衰退を心配する必要があるのではないかとすら思ってしまう。

 今回の総選挙は戦後最低水準の投票率とのことで、メディアは政治の責任を声高に唱えている。だが、私はむしろ半分くらいはメディアにも責任があるのではないかと思う。今回選挙に赴かなかった人々の多くは、政治に対する不信を投票棄権という形で積極的に示した、というよりは「誰を選んでよいか分からない」「争点が分からない」など、選びようがないからという消極的な理由がほとんどであろうと思われる。そのように迷っている人々に、争点を分かりやすく整理し、人選び・政党選びの助けとなる情報を提供するのが、メディアの重要な役割ではないだろうか。

 国民の政治不信が蔓延するなか、責任も感じずビジョンも示せない。そんな渡り鳥議員にのようなメディアの態度に、民主党に対するのと同じくらいの怒りを覚えずにはいられない。

  



2012年衆議院総選挙③:世論調査と出口調査

2012年12月18日 | 政治

 総選挙から一夜。大方の予想から大きく外れてはいないとはいえ、自民の圧勝ぶりは想像以上でした。現職の大臣や官房長官がごっそり落選するという事態にまで陥りましたが、ということは首班指名までの1週間ほどの間、落選した大臣は一応肩書き上民間起用ということになるのでしょうか。だとすると歴代最大の民間起用率になるんじゃないですかね(笑)。

 さて、選挙が終わったので問題ないと思うのですが、今回は選挙の世論調査と出口調査について少し思ったことを書きたいと思います。

 小泉元総理の劇場型政治以降、選挙前・選挙後に限らずたびたび新聞やテレビでの世論調査が行われるようになったといわれています。調査対象者は無作為に抽出されるということで、幸か不幸かこれまで受けたことはありませんでした。

 ところが今回の衆院選に際して、電話での世論調査と出口調査の2つを一気に体験することとなりました。とはいっても、世論調査の方は私ではなく私の母が受けたのですが。

 曰く、某大手新聞からの電話調査だったそうですが、「いかにも○○新聞らしい」とのことでした。というのも、支持政党や投票先の他に、個別の政策として聞かれた質問が原発の是非についてのみだったのだそうな。たしかに原発を今後どうするかというのは今回の選挙での重要な争点の1つですが、国民は原発だけで投票先を選んでいるわけではありません。それどころか、もっとも関心を寄せている問題が経済回復であることは、各種調査から明らかになっています。他にTPPなど複数の争点があるなかで、支持政党や投票先を聞いておきながら個別の問題については原発しか挙げないというのは、調査手法としては不備のように感じます。ただ、結果がどのように使われたのか、その某大手新聞を購読していないので何とも言えませんが。

 私が親から伝え聞いたなかでもう1つ疑問に思ったのは、対象の選び方です。開口一番、世帯で一番年上の人を要求してくるのだそうです。未成年ならまだしも、選挙権を持っていれば誰が答えても差し支えなかろうし、誰が出るかも含めて無作為抽出なのだと思うのですが、世帯で一番年上の人である必要がどこにあるのでしょうか?核家族や独り暮らしならさほど問題ありませんが、2世代以上が暮らしている世帯の場合、若い世代の意見は看過されて上の世代の意見ばかりが集まることになります。したがって、結果に与える影響の多寡にかかわらず、回答者の年齢層を意図的に高めていることになり、調査の公平性と精確性を損なうものであると思います。

 他方私はというと、役所で期日前投票をしたのですが、ここで出口調査を受けました。役所のバッヂを付けていたので公の調査かな?と思ったのですが、考えてみれば役所が出口調査するというのもおかしな話で、おそらく役所の許可を得たどこぞのメディアの調査員だったのでしょう。とにもかくにも、調査内容に個人情報は含まれていなかったので答えることにしました。出口調査ですから、当然質問は投票先と支持政党になるわけですが、これに加えてここでも原発の是非だけがなぜか個別案件として調査内容となっていました。偶然これも某大手新聞or大手テレビ局の調査だったのかなとも考えられますが、今となってはわかりません。

 一応、とても好意的に解釈すれば、原発の是非についてはチェック式の調査がしやすいというのもあったかもしれません。すなわち、原発問題がイエスorノーで回答を得やすいのに対し、景気対策などに対しては100%「必要だ/重要だ」と答えるに決まっているので、チェック方式では調査しにくいという手法上の難しさがあります。ですが、この点は質問内容を工夫すれば乗り越えられる問題ですので、クリティカルとはいえません。やはり、今回の総選挙は原発で単一争点化したいという期待が見え隠れしているように思います。公平さや精確さができるだけ追求されるべき世論調査に対して、問題ある姿勢のように感じます。

 加えて、この出口調査でも、調査方法に1つ問題があったように思います。それは、調査員が待ち構えていた場所です。一般的な投票日当日の出口調査がどのように行われるのかは知らないのですが、おそらくは公民館や学校の体育館などの投票所の出口前で張っているものなのではないでしょうか?つまり、投票を終えた人全員に取りこぼし無く声をかけられる場所です。ところが、私が期日前投票した役場では、投票会場となった部屋の出入り口付近ではなく、3つある役場の出口の1つの前でした。3つのうち人の出入りが多いのは2つで、片方は駅に、もう片方は駐車場に通じています。すなわち、車で来た人と電車で来た人は基本的に別々の出入り口から出入りすることになります。私はちょっとした勘違いで後者2つの出入り口を通ったのですが、調査員は片方にしかいませんでした。この場合、片方しか相手にしないのでは車利用者と電車利用者という形でやはり回答者層に偏りが出てしまい、調査の公平性・精確性を損なってしまいます。

 以上2つの調査に関して、質問の偏りはともかく、調査対象の偏りというのはそこまで気にしなくて良いのではないかと思われるかもしれません。ですが、世論調査にいかに公平性と精確性を担保させるかというのは、今日では非常に重要かつナイーヴな問題となっています。どのようにしたらまんべんなく偏りのない調査結果が得られるのかというのは、そのままその調査結果の信憑性と直結しています。そのために、大学などで大きな調査が行われる際には、何か月も前から手法について議論したりシミュレーションを繰り返したりしています。

 そのような社会調査の難しさや繊細さを知っている身からみると、少なくとも上記2つの調査については「ソーシャル・リサーチを舐めてんのか!」と怒りたくなるようなお粗末さです。週に1回やってますというような類のものならともかく、総選挙というビッグ・イベントでの調査なのですから、普段と同じ適当さでは困ります。某大手新聞さんだけの問題とは思えませんが。

  



2012年衆議院総選挙の選び方②: 候補者個人の選び方

2012年12月10日 | 政治
  
 公示後初の週末を迎え、各党候補とも熱い舌戦を繰り広げたようだ。前回、今回の総選挙の小選挙区では、党よりも人で選ぶ方が望ましいという愚見を申し上げたが、こう百家争鳴していては人で選ぶにしても大変だ。

 さらに、民主党政権このかたの教訓として念頭に入れなければならないのは、票を投じた候補者が当選したとしても、期待した政策を実現してくれない可能性があるということだ。3年前のマニフェストに掲げられた耳に心地よい公約の数々のうち、実現された政策は無きに等しい。理念なき人々の寄せ集めの政党に、閉塞感の打破という期待だけで政権を預けた結果がこの有様である。

 小泉チルドレンにはじまる、力量不明の風頼みの素人候補にも懲りたはずなのだが、今回の選挙では新党の乱立に並行してこうした素人候補も増えてしまっている。すくなくとも、自ら「素人ですが」とか「やる気だけは負けません」とか「政治についてはこれから一生懸命勉強します」などという候補者にだけは当選してもらいたくない。医師国家試験に臨んで「医学については素人ですが、開業したら勉強します。とりあえず免許ください」と言っているようなものだ。

 「なんとなくやってくれそう」という期待だけで選ぶことの危険性は、民主党政権の3年間で日本国民が身をもって体験したわけだが、個別の政策で人を選んだとしても裏切られることがないとは限らない。たとえば、原発に反対だからと反原発の舌鋒がもっとも鋭い候補者を選んだとしても、その人に筋を通しきる力量がなければ、どこかの市長のように簡単にひっくり返ってしまう。

 では、結局どのように選ぶべきなのだろうか。ここからはまったくの私見になるが、いかに頭から尻尾まで理路整然とした主張ができるか、という点を重視すべきだと思う。いくらAという政策に熱が入っていたとしても、その他の政策との整合性がとれていなければ、結局そのAについても大きな変更を余儀なくされる可能性が高くなってしまう。もっとも分かりやすいのは財源をどうするかというところで、民主党マニフェストが政権奪取前から指弾されていたのはまさにこの点であった。反原発の例でいえば、どれだけ声高に唱えたところで、燃料を輸入に頼る日本でいかに電力を価格・電力量の両面で安定的に供給するかという点を最低限はっきりさせなければ、すぐに破れる画餅に過ぎない。

 逆に芯が通った人であれば、たとえ選挙での言葉通りの政策の実現が困難となったとしても、自らの理念に沿った形での変更を模索するはずであり、一夜でひっくり返ったりするようなことは早々ないはずである。

 さて、一本芯の通った人、理念のしっかりした人を見極めるというのは、言うは易し行うは難しだろう。とりわけ選挙では、誰もが少しでも素晴らしい候補者を演じようと必死なのだから、なおさらである。かくいう私も、人様に誇れるほど人物眼が優れているとも思えないので、偉そうなことは言えない。ひとまず今回の選挙で私がやろうと思っていることは2つある。

 1つは、主要候補者の選挙公報を見比べること。そこには党の公約とは別に、その候補者個人が重点的に取り組みたい政策について書かれているはずである。その際、前述のようにその政策だけでなく、周辺の政策との整合性がきちんと考えられているかどうかを判断したい。たとえば、かつて当ブログ内で記事にしたものだが、大阪市の橋下徹市長は大阪都構想に執心する一方で、道州制の導入を主張している。しかし、都道府県を廃止して道州制へ移行したいと考えているのであれば、大阪都などというものに寄り道する必要はない。また、橋下氏は地方への財源と権限の委譲を訴えているが、他方で生活保護者は国が面倒をみるべきと発言している。整合性をまったく欠いた発言であり、少なくとも政治に関しては筋の通った理念をもっていない人物であることがうかがえる。

 このように、その人個人の政策や考えを列挙して整合性がとれているかどうかをみれば、候補者本人の一貫性の有無を判断することができるだろうと思う。そのためには、党の公約ではなく、候補者本人のビラなりパンフなりを手に入れるのが唯一の手段のように思う。今回の選挙で初めて知ったのだが、総務省のHPの「候補者等情報」から各選挙管理委員HPへ飛んで各選挙区の候補者全員の選挙公報を見ることができる。

 もう1つは、駅前演説なり政見放送なり、候補者自身が喋っている長口上を聞いてみることだ。放送はともかく、生演説を聞く機会があるかは運次第だが、私のところはそれほど広い選挙区ではないので可能性はある方だと思う。そこで何を聞くのかというと、やはり最初から最後まで一貫性と整合性をもって話すことができるかという点だ。両性をもっていない人は、話しているうちにだんだん言っていることが変わってきたり、1つのことしか繰り返さなくなったり、情に訴えるようなことしか言えなくなってくるものだ。飲み屋などで、話があっちへ行ったりこっちへ行ったり、しまいには「大事なのは心だ!」などといって丸く収めようとしたりする絡み酒に遭う人は少なくないだろう。それと同じように、一定時間以上1人で喋り続けさせると、整合性・一貫性のあるなしがじわじわと露わになってくる(小泉元総理のように、短いフレーズを小出しに叫んでいるとばれにくいものだが)。

 どちらの方法も、まともにやると時間と労力を喰うものではある。しかし本来は、我々国民を代表して将来の生活のあれこれを決定する人を決めるのだから、それくらいの手間を惜しむべきではないのだろう。だが、かけた手間に見合う見返りが期待できないという諦観が、有権者の足を選挙から遠のかせ続けている。鶏が先か卵が先か、政治家が変わるのが先か有権者が変わるのが先かというところだが、私は有権者の側が先に変わらなければ事態は進まないと考えている。この点については、また回を改めたいと思う。

 ここまで書いて思うのは、なぜネットでの選挙活動が解禁にならないのだろうということだ。私が挙げた2つの方法とも、ネットでの選挙活動が普及すれば、自宅で思うさま熟慮することができるのだが。先に書いた通り、選挙公報が載るところまでは来たようだが、もうひと踏ん張り演説もHPにアップしてもらいたいものだ。もはや、有権者の方が政治家の集会に出向いて演説を拝聴する時代は終わっているように思われてならない。