今日で世界が終わるとか何とか。とりあえずこれから最後の晩餐に何か美味いものでも食ってこようかと思います(笑)。
さて、選挙からまもなく1週間。来週の政権交代を前に、世間の目はすでに安倍新内閣へ移っている。安倍総裁は出戻り2度目の首相就任ということで、組閣の前から前回との比較という形で新内閣の性格を読み取ろうとする動きが活発となっているようにみえる。
とはいえ、始まってみないことには吉と出るか凶と出るかは判断しがたい。にもかかわらず、メディアの報道は早くも新政権批判ありきで粗探しをしているように思われてならない。各種メディアの見出しを見ていると、「脱お友達内閣か」とか「お友達内閣再びか」といったフレーズが目につく。「お友達内閣と呼ばれた前回の…」とはじまるわけだが、私も私の周囲も当時の安倍内閣を「お友達内閣」などと呼んだ記憶がない。
「お友達内閣」とは、側近や自分に近しい人物で要職を固めることを意味するようだが、そんなものは至極当然ではないだろうか。首相の嫌いな人間で周囲を固めた内閣など、存在するのならお目にかかりたいものだ。それ以前に、初代安倍内閣の前の小泉内閣には「私は偉大なイエスマン」と公言して憚らない党要職がいたが、小泉政権を「イエスマン内閣」と揶揄する声はついぞ聞いたことがない。ワンフレーズで攻撃したいメディアが揚げ足を取ったとしか私には思えない。
結局のところ、近しい人物を多く登用すれば「お友達内閣」と攻撃される一方、政策の一致加減以外の部分で起用すれば「派閥内閣」だの「論功行賞内閣」だのと突き上げられる。さらに閣内で不一致が生じれば、やれ「学級崩壊」だの「内部分裂」だのと囃したてられる。では、あなた方メディアにとって理想の内閣とはどのようなものですか?と聞いたところで、答えが返ってきそうにもない。新政権が発足する前から、このような批判ありきの揚げ足取りしか出回らないようでは、政治の衰退以上にメディアの衰退を心配する必要があるのではないかとすら思ってしまう。
今回の総選挙は戦後最低水準の投票率とのことで、メディアは政治の責任を声高に唱えている。だが、私はむしろ半分くらいはメディアにも責任があるのではないかと思う。今回選挙に赴かなかった人々の多くは、政治に対する不信を投票棄権という形で積極的に示した、というよりは「誰を選んでよいか分からない」「争点が分からない」など、選びようがないからという消極的な理由がほとんどであろうと思われる。そのように迷っている人々に、争点を分かりやすく整理し、人選び・政党選びの助けとなる情報を提供するのが、メディアの重要な役割ではないだろうか。
国民の政治不信が蔓延するなか、責任も感じずビジョンも示せない。そんな渡り鳥議員にのようなメディアの態度に、民主党に対するのと同じくらいの怒りを覚えずにはいられない。