震災から4年が経ちました。これまでは3.11当日に、どんなに小さくても記事を上げてきたのですが、今年はこのように少し遅くなってしまい、これが私のなかでの風化につながってしまわないかといささか危惧しています。
他方で、今年の震災特番などで沿岸被災地のようすが映し出されるのを見ると、いまだ更地には変わりませんが、土地の造成やかさ上げの工事が、これまでの1年ごとと比べてかなり進んでいるようにも感じます。
とはいえ、町自体が復興したわけではなく、その道のりはまだまだ長いものと思われます。そのようななか、国および多くの自治体では、復興予算の特例期間が2015年度をもって一旦の区切りとなるようです。これを受けて、竹下亘復興相が2016年度以降の復興予算における全額国費負担の枠組みを見直す考えを示しました。事実上の被災自治体の負担増となるため、各自治体首長は当然といえば当然ながら、一斉に国費負担の現状維持を訴えています。
ですが、私は今回に関しては竹下復興相の意見に理解を示したいと考えています。とはいっても、一方的にとりあえず減額しろというのではなく、予算配分のあり方を抜本的に見直すべきではないかという意味です。
東日本大震災では、津波によって土地そのものが使えなくなったり改変されてしまったりして、町そのものの計画を一からやり直さなければならないという点が、大きな特徴といえます。そのため、計画が出来上がっていない、あるいは不備がある間は、いくら資金を湯水のように注ぎ込んでも、プールされるばかりで使われることはありません。実際、近年では上手く使われないままでいる復興予算があることや、震災と直接関係のない事業や団体が資金を流用している問題などが指摘されています。
したがって、今本当に必要なのは、新しく多額の予算を計上すること以上に、これまで積まれてきた復興資金が有効に使われ、そして将来的に回収できるシステムを構築あるいは見直すことが重要だろうと思うのです。
もちろん、国に比べて地方自治体の予算には裁量に限りがあるため、国費に頼らざるを得ないのは事実です。ですが、阪神・淡路大震災などと比べて町の復興がなかなか進まないなか、予算要求ばかり延々と続けていては、残念なことにそろそろ国民全体の理解を得にくくなってしまうことになると思われます。
復興相の発言は理解できるとは書きましたが、かといって国が先述のようなシステムの見直しを進められているかというと、それも疑問です。たしか東京オリンピック招致の際には、「東北の復興した姿を見せる」とか何とか調子の良いことが叫ばれていたように記憶しています。ですが、今なお新幹線の車窓からすら仮設住宅が間近に見えるような状況で、2020年までに本当に外国の人々に胸を張って見せられるような復興が遂げていられるでしょうか。首相が東北を訪問した時と同じように、うまく復興できたいいところだけ見せるようにするということだけは、やめてもらいたいものです。
最後にちょっと余談ですが、今回の復興相発言に対し、多くの自治体首長と並んで仙台市の奥山恵美子仙台市長がさも当然のように反対を唱えているのには、さすがに疑問を覚えました。奥山市長に対する不満はこちらの記事にも以前書きましたが、震災直後から何億円もかけてパンダの誘致にご執心の市長にだけは、予算がどうのこうの文句を言う資格はないと思っています。奥山市長は市職員から教育長などを経て市長まで登りつめた人物ですが、その間の仙台市政がいかに無策であったかは、こちらをご覧いただければお分かりいただけるのではないかと思います。