塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

しみじみ飲めば

2005年05月31日 | カテゴリ無し
最近酒の飲み方が変わった気がする。
飲む酒が変わったから、というより単に年をとった感じだ。

もう一気飲みとかは出来そうにない。
視点が定まらなくなるまで飲む、ということもなくなった。
飲まないようにしているのではなくて、そこまでたらふく飲もうという気力が減じている。

いやあ、こりゃもう歳でしょう。
帰国したらどうかは分からないけど。

あ、所用で2、3日ブログ空けます。





ベルリンルポ③

2005年05月30日 | カテゴリ無し
外は雷雨なのです。さっきまで晴れてたのに・・。
さてベルリンルポ最終回、というか殆どおまけですが、結局旅のメインっぽかったベルリンフィルハーモニーについて。

ちゃんとしたオーケストラは中学の社会見学以来(ちゃんとしたっていうのか?)で、大緊張の余り背広を着込んで臨みました。
ええ、実はずっとスーツで旅してました、今回。
ネットで予約していた我は当日チケットの列を尻目にすすっと中へ。
小奇麗なカウンターがあちらこちらに並んでいるのですが、演奏中はノンアルコールでと思っていたので我慢。
…のはずが、あっさり解禁。というのも皆人ワインやらビールやらとつまみを注文していくので、感化されやすい我は開始までの時間はこうやって過ごすものかとあっさり認めてしまいました。
とりあえずビールだけ一本傾けながらゆっくりと待ち続けました。これは後ほど全く吉と出ましたね。

ホールが開いたので早めに移動。
中に入ると、特別広いというわけではないけど、その構造の複雑さに興味を惹かれた。
ベルリンフィルのホールは音響効果に定評があるということだが、それとの関係なのだろう。
演奏者を中心に、勿論前方長く広がっているが側方や後方にも客席があり、僕の席は左真横という感じだった。

演奏が始まる前に写真は撮れないものかと係員に尋ねたところ、"Eigentlich nicht"(本当はダメです)とよう分からん回答が返ってきたので、まあ個人使用だしということでパシャリ。




曲目はハイドンとショスタコビッチとシベリウス。
曲名もパンフ引っ張り出せば書けるけど面倒なので割愛。
ってか何でクラシックの曲名ってああ分かりにくいんだろう。単に僕が楽器らしい楽器をやってないだけかもしれないが、「無題」でも良いから何か名前をつけて欲しい。
第何番何とか長調だの何だの区別つかないし覚えてられん。
江戸城を「徳川家康の居城四番梯郭式」と呼ぶようなもんだ。

おっと、話がずれた。
演奏はどうだったかというと、もう素晴らしいの一言。
というか音楽に関しては素人だから他につらつらと語るようなことは出来ないんだけど。
程よくアルコールが回っているところに全方位から音が染み込んでくる感じ。いや、別にアルコールが必要条件というわけではないけど(中には顔を真っ赤にしたおっさんとかいて、おいおいと思ったりもした)。
これははまりそうですよ(おい)。機会があれば足繁く通いたいですね。

因みにベルリンフィルは演奏者側の筆頭に日本人が一人いて、演奏後に指揮者と握手してました。

ベルリンルポ②

2005年05月28日 | カテゴリ無し
ここ数日やたら暑い日が続くなあと思ったら、今日の最高気温は32度でした。
死ねる・・・。湿度が低いのがせめてもの救いだ。

さてベルリンルポの第二回ですが、今日はベルリンというより日本と関係する話。
今年は戦後60年ということで当事各国では様々な形でイベントが開かれています。
ドイツの無条件降伏は5月8日なので、この日にはベルリンを中心に独終戦記念イベントが催されていました。

僕が訪れたのはそれから丁度二週間後ということになりますが、二度の世界大戦や冷戦を生き延びた歴史の証人たるブランデンブルク門を中心に終戦記念の残り香を感じることが出来ました。

ドイツは日本同様敗戦国であり、ナチスのホロコーストという過去を背負っています。
終戦記念に際しては、無宗教のミサやモニュメントの建設、その他諸々のイベントといった形で追悼が行われました。
そのモニュメントは門のすぐ脇にあり、こういっては何ですが芸術性に富んだ作品だと思います。



こんな感じ


イベント費用を巡って政党間で大モメといったきな臭い話もありますが、このような手法は日本でも一考に値すると思います。
靖国に替わる複合追悼施設を作るとか作らないとかいう話題が時々上ってきますが、代替ではなく並列で2、3個追悼施設を建設して構わないのではないでしょうか。ついでにデザインを芸術家公募にでもすれば、ついでに芸術振興も図れて一石二鳥と。
後は靖国がいやな人はそっちに行って、って感じにすればいいんじゃないかなと思うんですが、まあそれでも喧嘩が華と思ってる人たちは靖国に集結するんでしょうね。
個人的には終戦記念は神事じゃないんだから別に靖国オンリーでやる必要は無いんじゃないかな、と思ったりします。

これ以上ここで書くのは面倒なので、何か落ちがないまま今日は終わり。


ベルリンルポ①

2005年05月27日 | カテゴリ無し
帰ってきたのは月曜深夜だったんですが、いつの間にやら一週間近く経ってしまいました。
さて今日から数日間は、ベルリンネタで稼いでいこうと思います。

まずは全体的且つ抽象的な話。
この町をいろいろと歩き回って感じたのは、何ともいえぬ漠涼感。
近代的な建物は立ち並んでいるし、それでいて緑も多い。しかしそれらの町のアクセントも、行き交う人々もどこかよそよそしい。
何か中心的なものを欠いているような、空虚な感じが町を覆っていた。
欧州きっての人口を有するにもかかわらず、ここデュッセルドルフの方がはるかに活気に満ちているように思われた。

これは六感のみのアウトカムとして感じたのではなく、ある先入観が作用しているのは間違いない。
周知の通り、ドイツは冷戦の前線として東西に分断されていた。
ベルリンの壁崩壊を期に、両ドイツは西独が東独を併合する形で再統一された。
その際首都は西独時代のボンからベルリンへと「移転」した(ベルリンは東独の首都ではあったが、この過程は必然ではなかった)。
首都機能移転と並行して、壁によって分断されていた道路や鉄道網を結合したり、近代的ビル群を建設したり、分断期には東西それぞれであったターミナル駅に替わる新しい中央駅を作ったりと、建設ラッシュが続いている。

しかしその様な外面の変貌とは裏腹に、人々の生活や思考は急激な市場経済化に即座に対応することは出来なかった。
余談ながら、壁崩壊の際その場で交換した西独マルクを握りしめた東ベルリン市民はマクドナルドへ殺到し、そこで店員が笑顔で応対するのにえらく驚いたという(真偽不明)。
2005年2月の失業率は旧西独地域で10.4%に対し、旧東独で20.5%と発表された。

つまり外面の急速な近代化に内面が追いついていない状態として頭の中で理解される過程が、最初に書いた中心的なものの欠けた漠涼感を規定したのだろう。

このパースペクティヴを持ち続けていたおかげで、大抵の土産屋で壁の破片や警備隊の軍帽などが売られていたのも、店員がしばしば頑なに英語で話しかけてくるのも(こっちは独語なのに)、なんとなく皮肉にしか感じられなかった。
地下鉄駅の電光掲示板がガラ空きだった(そんな中でるろ剣絵の漫画屋の広告が羽振り良かったのも気になった)こととか、車内で高確率で遭遇するストリートミュージシャン(というより流しなんだけど、なんて言うんだろう?曲を聴いてほしいのではなく、殆どお恵みに近い形でその後もらう日銭で暮らしていると思われる)とか、そんなのばかりが印象に残ってしまった。

再統一から約十五年という期間では、昔日の繁栄を取り戻すにはまだまだ短すぎるということだろうか。

そうだ、伯林行こう。

2005年05月21日 | カテゴリ無し
明日からいよいよ(?)ベルリンに行ってきます。
ソニーセンターだのテレビ塔だの、そういうのには余り興味がないんですけど、まあ首都だし行かなくないかなあという曖昧な動機です。

今一番楽しみなのはベルリンフィルハーモニーの演奏です。
ちょうどコンサートがあったのでネットで予約しようと思ったら当初はとっくに完売でした。
ところが日曜夜に今一度確かめたところ、キャンセルが出たのでしょう偶然にもチケットを取ることができました。オンライン万歳。

交通費を抑えようと色々あたった結果、往復100ユーロの航空券を発見。
ただ朝7:05発なので明日は3時起きです。

ではでは。