塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

多摩センターの冬季イルミネーション

2016年12月26日 | 雑感
  
今年はクリスマスが3連休と重なったので、ご旅行に出かけられた方も多かったのではないでしょうか。かくいう私は、人々がこぞって街に繰り出しているであろうところ、ひとり山の中を歩き回っておりました(笑)

なので聖夜の話ではないのですが、拙宅に近い多摩センターで忘年会があった際、駅前のイルミネーションを軽く見てきました。近年かなり大規模にやっているイルミネーションで、クリスマス時期のデートスポットなどとしてだいぶ有名になってきているようです。

多摩センターのイルミネーションが優れているのは、駅前から丘の上の複合文化施設「パルテノン多摩」まで、広く真っ直ぐな遊歩道が続いているところです。駅に向かって緩やかに下っているので、電飾が続いているようすが奥行きをもって感じられるんですね。





んでもって、このイルミネーションのシンボルの1つが、十字路の真ん中に置かれている本物の樅の木のクリスマスツリーです。



なぜかアップの写真を取り損ねておりましたが、この中央にある三角錐の光がそれです。多摩市と友好都市関係を結んでいる長野県富士見町から贈られたものだそうで、間近で見るとかなり迫力があり壮観です。

このツリーが毎年の風物詩となる前は、かの佐野研二郎氏が教鞭をとる多摩美術大学の学生の作品が、何年かにわたって飾られていました。ところが、どうにも不評続きだったようで、ある時を境にこのツリーに変わり、以後今日まで至っています。

そんな創意工夫を重ねながら進化を続ける多摩センターのイルミネーション。都下周辺にお住まいの方は、ぜひ来年見に来てみてはいかがでしょうか。

  



来年2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』について:一抹の期待

2016年12月19日 | 雑感
 
今年の大河ドラマ『真田丸』が終わりました。私の総視聴時間は、およそ15分といったところでしょうか。私をはじめ、周囲の人間には「あれを視るなら『真田太平記』の方が良い」という意見が多く、実際にDVDボックスまで買った輩もいました。

さて、来年の『おんな城主 直虎』についても、女性であれば何でも良いという昨今のNHKの姿勢が如実に出ていますね。戦国時代では珍しい女性当主ということで取り上げられた井伊直虎ですが、最近では実は男性で他家からの養子だったという説も出ているほど、実際にはどういう人なのかよく分かっていません。

というわけで、この話をどうやって一年引っ張っていくのか、早くも鈍色の雲が立ち込めているように思います。ですが、個人的には2点ほど、来年のドラマにはちょっと見てみたい気になるところがあります。

1つは、おそらく半分くらい、短くとも前半3分の1ほどは、ドロドロに暗い展開が続くであろうことです。直虎および井伊家には、『おしん』の如くこれでもかと辛い出来事が降りかかります。

そもそも、何故に女性の直虎が(当時の慣例に反して)家督を継がざるを得なかったのか。話は、直虎の父直盛のころに遡ります。井伊家当主の直盛には直虎以外に子がなかったため、叔父直満の子で従兄弟の直親を養子にします。ところが、これに不満をもった家老の小野和泉守道高(政直)という人物が、井伊家の主君にあたる今川義元に讒言し、直満とその弟直義を自害に追い込んでしまいます。

直親は難を逃れて信州に落ち延びましたが、ほとぼりが冷めたのか、成人すると帰郷しました。と、桶狭間の戦いで今度は直盛が討ち死に。直親が家督を継ぎますが、ここでも家老小野氏が暗躍します。和泉守の息子但馬守道好(政次)がやはり今川氏に讒言し、直親は弁明に向かう途中を襲われて殺害されます。

男子不在の井伊家をまとめるべく、隠居の身であった直盛・直満らの祖父(つまり直虎の曽祖父!)の直平が老体をおして御家存続に奮闘しますが、こちらも同年中に陣没ないし毒殺。めぼしい成人男子が本当にいなくなってしまいました。


井伊氏の詰城、三岳城からの景色


そこで、協議の末にピンチヒッターとして登場したのが、直虎というわけです。当時井伊家には直親の子虎松がいましたが、まだ生まれたばかりの赤ん坊でした。なので、虎松が成人するまでの中継ぎとして、直虎の家督相続が実現した訳です。

しかしながら、不幸はまだ続くのです。翌年には、井伊家の後見を買って出ていた中野直由(井伊氏の分家)と新野親矩(直虎の母祐椿尼の兄)が揃って討ち死にしたため、井伊家は後ろ盾を失ってしまいます。ついには、小野道好によって居城の井伊谷城を逐われる事態となりました。


井伊谷城跡を望む


このころ、お隣の三河国では徳川家康が勢力を伸ばしていました。そこで直虎は家康に接近し、その麾下に収まることで発言力を回復します。家康の命をもってようやく、奸臣小野道好とその一族を滅ぼすことに成功しました。

とまぁ、このように直虎の半生は臥薪嘗胆の字の如く、耐えに耐えて虎松の成長を待ち続けるというものでした。どうあがいても明るいストーリーにはしにくい井伊家の混乱をどう扱うのか、とくに絵に描いたような小悪党の小野親子を誰がどう演じるのかは、少々見ものなように思うのです。

さて長くなってしまいましたが、もう1つの気になる点は、打ってかわってラストです。

直虎は、本能寺の変の起きた天正十年(1582)に亡くなります。この年、虎松は元服して井伊直政と名乗りました。直政はその後、徳川四天王のひとりに数えられるほどに武功をたて、彦根藩の初代藩主となります。ですが、そのような華々しい活躍がみられるのは全て直虎の死去後のこと。ドラマが直虎の死までを描くのであれば、直政の立身出世には触れられずに終わることになります。

そうなると、「井伊家の戦いはこれからも続く!」みたいな、少年ジャンプの打ち切りのような最終回になってしまう訳で、ここをどうするつもりなのかが、何となく楽しみではあるのです。

とはいえ、例年のごとくそこまで期待はしていないので、熱心な視聴者になるかどうかは、ひとえに小野親子の活躍ぶりにかかっているといったところでしょうか(笑)。

  



北陸新幹線、小浜ルート仮決定についての雑感

2016年12月17日 | 雑感
  
北陸新幹線の敦賀~京都間のルートについて、いわゆる「小浜ルート」でほぼ決定したというニュースがありました。計画段階で紛糾していたこの区間については、小浜ルートのほかに、京都府舞鶴を経由するルート、米原で東海道新幹線と合流するルート、そして早い段階で脱落したらしい琵琶湖の西岸を走る湖西ルートの4つが候補に挙がっていました。

私はこの中ではもともと小浜ルートがもっとも合理的かなと考えていたので、今回の決定は少々意外でした。というのも、東北新幹線が青森まで延伸した際には弘前を経由するルートを、北海道新幹線では室蘭・苫小牧を回る経路を想定していて、いずれも見事にハズしていますので(笑)

小浜ルート推しの理由はいくつかありますが、ひとまず米原ルートと舞鶴ルートは、私のなかでは論外と思っています。まず舞鶴ルートについては、単純に遠回り過ぎます。北陸と大都市圏を結ぶのが目的なのに、わざわざ舞鶴1つのために北陸を遠くしてしまうのは、費用対効果に見合わないでしょう。もし舞鶴が高速鉄道をどうしても欲するのであれば、むしろ山陰新幹線を誘致すべきでしょう(実現はかなり困難でしょうが)。

米原ルートについては、建設費がかなり浮くというメリットはあるのでしょうが、ただでさえ超過密な東海道新幹線に北陸新幹線をさらに滑り込ませるなど、ちょっと無謀というものでしょう。首都圏のほかに仙台しか百万都市のない東北新幹線だからこそ、上越に山形に秋田に、そして長野・北陸と滑り込ませることが可能なわけです。

残るのは湖西ルートと小浜ルートというわけですが、後者が前者よりベターだと思うのは、途中駅の関係です。湖西ルートであれば1駅、小浜ルートであれば小浜~京都間にもう1駅つくることになると思われます。

湖西ルートの場合、おそらく高島市内に「新高島」駅なりなんなり設けることになるのでしょう。高島市は水清く風光明媚なところで見どころも多く、個人的には観光にもおすすめのエリアなのですが、実際のところ京都から在来のJR湖西線に揺られていってもそれほど時間はかかりません。駅ができたからといって、新幹線で高島(湖西)に出かける人がどれだけ増えるかというと、ちょっと疑問です。

それに対して、小浜~京都間には茅葺の集落が残る里山観光地として名高い南丹市美山町があります。「日本の農村の原風景」と謳っているだけあって山深いところにあり、現在のところ鉄道からも高速からも、いささか離れた場所にあります。ですが、小浜ルートは経路上この美山町を貫通することになるので、ここに新駅を設ければ、競合するもののない唯一無二のアクセス手段となることができます。

舞鶴ルートは主に地元自治体のほかに京都府が求めていたといわれています。ですが、上述の通り小浜ルートでも、京都府はじゅうぶん恩恵を被ることができるはずです。滋賀県には、私が「バケモノ電車」と呼んでいるJR在来線の「新快速」があるので、それほど新幹線が必要とも思われません。

以上の理由から、今回の北陸新幹線小浜ルートの仮決定は、妥当なのではないかなと思う次第なのです。




米大統領選のトランプ氏勝利に思うこと。

2016年11月15日 | 雑感
 
ヒラリー・クリントン氏有利の下馬評をひっくり返し、大差で勝利したドナルド・トランプ氏の大番狂わせ。その逆転劇の裏にあるのは、メディアの調査では浮かび上がらなかった、相当数の「隠れトランプ票」であるといわれています。

なかでも興味深いのは、親クリントンではなくても反トランプであるとされる女性層や黒人層、新規移民層などでも、トランプ氏支持がクリントン氏支持を上回ったとする報道です。この点について、とくに女性の間ではトランプ氏以上にクリントン氏が嫌われていたとする見解もあるようですが、それは「トランプ氏は望まれていない」という前提に拘りたいがための無理手だと思います。

私はむしろ、男女平等や差別撤廃、あるいは世界平和などといったお題目よりも、自分の身の回りの生活が第一という切実な心情の現れではないかと考えています。”Love trumps hate(愛は憎しみに打ち勝つ)”とカッコ良く謳ったところで、それも他人に愛を分け与えられるだけの生活の保障があってこそ。「憎しみが愛に勝った」のではなく、「生活が理想に勝った」といえるのではないでしょうか。

では、このアメリカ国民の投票行動は、世界に恥ずべき特異なものかというと、私はそうとも思いません。すでにイギリスのEU脱退、いわゆる”Brexit”でも表出しているように、今や先進国の間にも実生活に対する不満が蓄積しています。首相制のイギリスやドイツでは、いきなりトランプ氏のような急進的な人物がトップに躍り出る可能性は低いですが、フランスやオーストリアのような大統領制の国では、次期選挙で極右政権が高い確率で誕生し得るともいわれています。

そして日本でも、太平洋の向こうの国の話では済まされない同じ状況にあると言えるでしょう。途上国からお客さんがやってくるたびに、国民のお財布から出たお金をお土産にポンと持たせて帰す。それで成果だとご満悦に語られても、共感できる人はどれくらいいるでしょうか?現状で日本が直接投票で政権首班を選ぶとなったとすれば、おそらくやっぱり橋下徹さんのような人が当選するんじゃなかろうかと思っています。

今回の米大統領選であぶりだされたのは結局、国民と政治、そしてメディアや知識層との間の乖離であると言えるのではないでしょうか。この点について、余裕のない国民の側が譲歩するのは不可能ですから、政治・メディア・知識層の側が、もっと世論の内面に目を向け、歩み寄っていかなければならないという警鐘であると受け止められるべきと考えています。

 



雑談テイスト、「雑感」カテゴリ追加のお知らせ

2016年11月15日 | 雑感
 
気が付けば今年も年の瀬が迫ってきてしまいました。このところどうも更新が滞っていましたが、何故と考えると、ちょっと大きな記事を書こうと欲張りすぎていたのかなと感じています。近年は頻度を下げてでも、意見としてまとまったものをというベクトルでこのブログを続けてきたのですが、あまりにも放置では存在意義がなくなってしまいます。かといって、ツイッターのように短すぎる発言の羅列でも、個人の意見を披歴するツールとしてはどうかと思っているので、今後はその中間あたりの内容を「雑談」として発信していこうかなと考えています。

どうしてこんなことを急に言い出したかというと、先週のトランプ氏のアメリカ大統領選勝利がきっかけです。世紀の大番狂わせといわれる同選挙の結果については、もちろん私も思うところはあるけれど、偉そうに発言するほどの根拠も裏付けもあるわけではありません。そこで、あくまで雑感・感想というテイストで書いていく味を残していかないと、あまりにも牛歩なブログになっていますと考えた次第です。

なので、これからはそうした「雑感」カテゴリーの記事を増やしていこうと思いますが、こちらについてはそこまで確信をもって書いている訳ではないということをご承知おきいただければと思いますm(_ _)m

思えば、12年前のドイツ留学の際に、日々のよしなしごとを書き留めておくために始めたブログが、手を変え品を変え、こうして今まで続いてきました。その間、新たなツールとしてミクシィが現れ、スマホが普及し、ツイッターが登場し、NAVERまとめ形式が流行するなど、世の中の情報発信のありかたも絶え間なく変化し続けています。

そんななかで、(一応)試行錯誤を繰り返しつつも、中身はさして変わらず継続している化石のようなブログですが、今後ともお引き立ていただき、よろしく鞭撻いただければ幸いであります。